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2024-06-25 19:36

Vol.075「美しさとは❶たかさんとMasaと語る回」康太郎雑技団チャンネル

今回は、難易度のなかなか高いテーマ。「美しさとは」このテーマについて、たかさんとMasaと語り合ってみました!今回は美しさを求めてそれぞれの感じる美を語る回。

サマリー

康太郎雑技団チャンネルは、作ることをテーマに空間と時間を共にする仲間が持つ独自の技術を通じて次の作品を実現する番組です。今回のエピソードでは、MasaとTakaさんが登場し、美しさについて話しています。美しさは、天然の姿や加工されたものに近いもの、そして人間のコントロールできない自然界に感じられるものが含まれると考えられています。

エピソードの紹介
康太郎雑技団チャンネル始まりました。このチャンネルは、作るをテーマに空間と時間を共にした仲間が、それぞれが持つ発行させた技を対応を通して、さらに次の作るを実現する番組です。
今回は、MasaとTakaさんに登場いただき、美しさについてを語る回です。
今日は初出場のTakaさんと、そしてMasaにお越しいただきまして、いろいろとお話をしていきたいなというふうに思います。
Masa、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
Takaさん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
僕が今日はですね、2人に声をかけてですね、ぜひちょっと話を聞きたいっていうふうなテーマがあってですね。
この2人は、前回のキャンプ、渡辺幸太郎さんのキャンプで一緒だったんですけども、共通項があって、
美しさっていうことに対して、どこかで言葉を走ってた2人なんですよ。僕との会話の中で。
その印象があって、Masaは最初に会ったときに、プログラムをやっているときに、プログラムの言語の中に美しさを求めるっていうことを言い、
Takaさんは、確かなぞるっていうテーマだったときに、確か大好きな車をなぞったっていうようなところがあって。
それが印象的で。
で、Takaさんはその後もいろいろと、さっきも話をしてた、いろいろ絵を描く学び。
クロッキー教室行ってたりとか。
あとは、その前はデータサイエンシティストでしたっけ?
そうですね。データサイエンス講座。
データサイエンス講座。
ときはそういうニュアンスの言葉が出てきたような気がしていて。
すごく美しさって抽象的なんですけど、いろんなところにはまるような気がしていて。
一回この3人でゆるりゆるりとしゃべりたいなというふうに思って、
美しさのテーマ
満を持して、今日お時間をいただいたシスターでございます。
よろしくお願いします。
お招きいただきありがとうございます。
今やっているこうたろうさんキャンプでいうと、
僕はこのこうたろう雑議団チャンネルで話をしてくれている内容を書籍化したいなと思っていて、
Amazonのダイレクトパブリッシングのやつがあるんですけど、
それにチャレンジしてみようかなというふうに思っています。
なかなか進まないところが拙いなと思ってたんですよね。
なんでかなっていうふうに今日もずっと考えてて、
少しだけ光が見えた感じだったんですけど、
僕文字はあんまり好きじゃない。
だけれども、こうやって話を聞くのは好きなんですよ。
なんでかなと思ったときに、今このブルータスの一行だけでっていう特集があって、
これを参考にしようと思っていろいろ読んでたんですよ。
そしたらその中に、これだって思うことが書いてあって、
言葉は文字である以前に音で、音には声が伴うから、
歌をなりわえにされている方がセリフや声に出す、
言葉に敏感なのは面白いなというようなことが書いてあったんですよ。
何を言ってるかっていうと、文字にされる前に僕はたぶん頭の中で、
言葉を音に変換していて、
当たり前ですけど読むと独特の音に自分の中で解釈していて、
それは好きなんだけれども、
文字になった瞬間に自分の中で抵抗するものがあったりとかしていて、
音の美しさはすごく楽しむんだけど、
文字の美しさが楽しめなかったっていうところで、
ひとつ光が差し込んだっていう経験を今日したばっかりなんですよ。
っていうような美しさの話もあれば、
まさの言うプログラムの美しさみたいなところも聞きたいし、
たかさんの純粋に絵を描くところのプロセスの中で、
美しさを求めるものがあるのかないのかとか、
きっとどこかしらにご自身の中で、
それぞれが何かを求めながらやってるんじゃないかなと思っていて、
めちゃくちゃ抽象的で哲学的で難しいテーマなんですけど、
聞いてみたいなと思って、
今日が今ありますという感じです。
どうですか?
美とは何か。
美とは何か。
お題をもらったときに、「えーどうしよう」ってなりましたけど。
それをみんなでいろんな角度で追っていければいいのかなと思っています。
美しさの解釈と表現
そうですよね。
美しさとは何ですかって問われたときにどう答えるんだろうか、みたいなふうに思っていて、
僕はかっこよさとかっていう言葉が一つあるんですよね。
それは生き方だったりとか、姿もそうだし、
そういうところの美しさとはかっこよさってあるみたいなところを思ったりする。
そういうふうに僕は解釈を勝手にしてたりとかするんですけど。
かっこよさは、姿勢みたいなものだな。
そうそうそう。
心持ちとか。
そういうようなものもあるし。
あ、そうですよね。
あとは逆に、美しいもの何ですかって聞かれたときに何を答えますか、みたいな。
そのあたりからいきましょうか。
はい。美しいもの。
あなたにとって美しいものは何ですか。
僕最近あったのは、これ定期的に感じるんですけど、
家の周りを歩いていて、すごく天気が良い日に空見上げて歩いてること多いんですけど、
なんとなく、この青空に美しさを感じることはあります。
なるほど。
これは矢沢さんがかっこよいって言ってたけど、
美しさって結構感情を沸き立たせるものな気もしてて、
その青空を見てるときは、
でも、今こうやって息をしていることがすごく嬉しいって感じるときもあるし、
で、一方最初に小田さんが案内してくれたように、
プログラムの中での美しさっていうものを僕も感じることはあって、
多分機能日な気がします。機能日。
だから、僕の中での今言った機能日は、
その機能としては、与えられた機能を果たしていって、
かつ、その果たし方に工夫があるというか、
こんな簡単にこの機能を実現できるよねって思わせるもの。
だから機能日の方が僕は結構かっこよさを感じているかもしれないです。
ああ、なるほど。
知識とか知恵の集結を感じるというか、
知恵の結晶度が高いって感じですかね。
ああ、そうなった。
ぐでぐでしてないとか。
ああ、ぐでぐでしてない。
くどくないって。
ああ、なるほど。
なんかありません? 会話でもすごく長く説明した後に、
あ、それってなんとかってことだね、みたいな。一言で言われるみたいな。
はいはいはい。
そういうのとちょっと似たような感覚を感じます。
プログラムも結構一つの機能を実現するのにいろんな方ができるんですけど、
くどくど書くこともできれば、すごく短く端的には書き表せることもできて、
で、そのくどく書いてるのじゃなくて簡単に書き表せるものできたときに、
あ、こうやって書けるんだ。美しい。ってなってる気がする。
うーん、なんかさっきのデータサイエンス講座のやつでも、
なんかこんな数式でまとめちゃうんだ、こんなことみたいなのがあったりしてて、
その数式の美しさみたいなの、僕全然数学の人じゃなかったんだけど、
そういう世界があるって聞いてたけど、あ、こういう感じのことね、みたいなのはあったかなと思いますね。
あれはやっぱり機能美だったんだなって思いながら。
機能美ねー。
なるほど。確かに今のまさの話でいうと、
そぎ落とされた美しさというか、シンプルな感じの美しさって確かにあるかなって思ったりしましたね。
そうですね。僕も美、美しさの話にテーマっていうときに、
そのプロダクトの美しさって何だろうって思っていて、
だいたい僕が思い浮かべるのは、そぎ落とされたデザインだったりとか、
引き算されたデザインのプロダクトを、それをかっこいいと表現したくなる場合もあるんだけど、
このカーブ美しいなーとか、この潔さ美しいなーみたいな、
こんなことをやっぱり思ったりはするなーって、今思ってて思いました。
機能美な。
潔さとかね。
美しさと自然の関係
そうそうそうそう。
タカさんのさっきの数式の話で思い出したけど、相対性理論も、アインシュタインの相対性理論も、数式めちゃくちゃ短いですもんね。
短いんですよね、あれね。
なんだっけと思って今調べたけど、EイコールMCの2乗っていうのも、それだけだから。
へー。
けどね、あの天才が生み出したっつって。
うん。
だからそういう、端的に表しちゃうのね、この世界をみたいな。
そうっすよねー。
機能美の一方で、さっきまさが言ってた、空を美しいと思ったっていうのって、僕も昨日かな。
買い物に行ったときに、夏の雲になってて、美しいなーって思ったのを思い出したんですけど、
その美しさって、僕が思ってたのは、そこに自然を感じるかっていうものが大事そうだなーって思っていて。
なんか、山登りとか旅とかしたときに、美しい景色を見るっていう言うじゃないですか。
絶景という場合もあるけれども、美しい川とか滝とか見るみたいな。
その、そこにヒントがあるような気がしていて。
GOさんがやってる天然住宅とかって、完全に天然の木でできてますよね。いろんなものが、あらゆるものが。
で、あれの立ち姿というか仕上がり感って、やっぱり美しいなーって思うんですけど、
そこはもう本当に天然木でできているから、自然を美しいって言ってるのとほぼ同義だなーって思っていて。
で、一方で安藤忠夫の建築を、美しいなーと思ったことあんまないなーと思っていて。
ほたかってるなーみたいな、強そうだなーとか、ある種潔い引き算をしたみたいな、のの工程の結果?みたいな感じに見えてはいて。
人間がコントロールできるもの
もちろんその素材はコンクリートなんで別に人工物とかではないんですけど、自然の状態から距離があるかなと思ってて。
それを加工して加工して加工していくと、なんとなくかっこいいとか綺麗とかになんとなく近づくような気がしてて。
そのものに近いほど、近ければ近いほど、我々は美しいと言ったりするんじゃないかとかちょっと思ったりしてます。
人中を超えたものに美しいっていうことありますもんね。僕それこそ赤地方とかに行ったときは、自然でこれができたと思えない。
まず人間は作れないけど、本当にこれ自然の結果でこうなったの?って。
なんかちょっとある種本当に神様の存在を思わせるような、そういう景色が繰り広げられてるんですけど、かつ本当に美しいんです。
これは何だろうな、自然が豊かという意味で。そういったこの人智を超えたものに対しての圧倒さみたいなものも美しいと表現するなって、高さの話聞きながら思いました。
あー。
なんか、具体的な例になるかどうかわかんないけど、
雨の梅雨とか雨垂れとかで石がどんどん変わっていくっていうことがあったりするじゃないですか。
それで石が少しずつ削られて、そこには一日二日の話は当然なくて、
何百年何千年みたいなところのことで生まれるものみたいなところがあったりしますよね。
うんうんうん。
このパーフェクト・デイズの木漏れ日は、あれは美しいなんだろうなって思ったりはしています。
あー。そうっすね。
本邸にそこをずっと走ってて、この主人公の人は家の中で小さい木の芽を取ってきて育てていたし、
昼休みに木漏れ日をカメラで撮っていたりしていて。
ああいう部分を常に真ん中に、下に置いて話が構築されてる感じがしましたね。
今の話を聞くと、コントロールできるものとコントロールできないものがあるような気がしていて、
木漏れ日なんかは、さっき陣地の話になっちゃうんですけど、
人間がコントロールしようと思ってもできない世界じゃないですか。
そうですね。
プログラムとかっていうのは、ある種コントロールすることができて、
そこに主張を入れることができるのではないか。
両方とも聞いたんでしょうけど、そこの違いはあるような気がしますね。
そうですね。さっきまさが言った陣地を超えたがまさにそこですね。
コントロールできるものとできないものですね。
木漏れ日は人の領域ですね。
面白いなあ。
人って自然とか、石宇宙とかっていった自分が作ってきたものではないもの。
ある種自分が存在する前提のものは、非常にこう、
たまにはその恐怖の対象としてなり得るぐらい圧倒的な存在で、
そこに美しさを感じるものもあれば、
それを再現しようとしている営みも人間の営みかなって思ってて、
その営みの中に、少し自然に近づいていくものが美しいっていう風に言ってるのかもな。
例えばアインシュタインの相対性理論とかも、
あ、世界を表すとこんなに端的に表せるんだっていう、
圧倒的自然を人間の英知で表現すると、
こんなに端的に表せて、少し自分たちが圧倒的な存在に近づけたって、
なんか思ったりするのかなって。
うーん、なるほど。
英知に多くとか、美しさを感じるんですよね。
人が積み重ねてきたものとか、歴史とか。
ああ。
今日はここまでです。
次回もお楽しみに。
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