人生の生き方についての考察
今回も人生雑学…、というか生き方の話なのですが、
お話しさせていただきたいと思います。
ではですね、早速ですが、
いつも話している不完全生定理を持ち出すことになるのですけど、
というのも、今回の話で大事なことで。
それで、結局というか、全てのどんなに真相真理みたいな、
あるいは普遍的な考えを唱えている人の言うことを聞いても、
どこにも絶対答えはないということです。
というのも、必ず矛盾が生じてしまうというのがこの不完全生定理ですから。
だからどこに答えを探しても、これが絶対真理だと思えるものなんて存在しないということですね。
ということは、それを探し求め続けたら、どうなるかわかりますね。
それが苦しみの出発点ですよ、探し始めるのが。
で、乗りかかった船みたいな感じで、もう抜け出せなくなるわけですね。
で、クラケの提案なんですが、クラケ自身これができているかというとわからないけど、
ただ今ね、最近もブッダについて調べていたり、これからも何かいろいろ調べちゃいそうだから、
自分への言わし目としてもこれを大事にしていきたいんですが、
どこにも答えはないから自分を信じろなんて思わないけど、
ただね、自分が今すでに持っている考えというものがあるからここまで大人であれば何千年も生きてこれているわけですよ。
だとすれば、新たなものを探し求めて、価値観が大きく変わって変わって、
でも行き着くところがなくて、ただ漂流している状態ということになりかねないから、
乗りかかった船になりかねないんで、ある程度のところで、
その状態を保つということが、そのタイミングを見計らう必要があると思うんですよ。
その考えが正しいかどうかはどうでもいいんですよ。
何でかというと、最近も話しましたが、結局そうやって探していろいろ考えが変わってもね、
パズルの中にあるものを探していれば、
パズルのいっぺんが抜けたような状態だから、結局どこで動かしてもどこかの穴があるんだから、それでいいんですよ。
大事なのはね、ある程度確固たる考え方を持って、
矛盾しているような感じでしましょうかね。
自分のある程度の指針みたいなのを作ったほうがいいと思うんですよ。
そうやって何か正解を求めようとしているときこそ、
それをやめる勇気っていうのが必要だと思います。
今ちょうど仏陀について調べていて、どうもお坊さんのことがよく、
なんでそういう考えなのかもう許せなくてね。
有名論について調べたり、
絶対的なものなんてないといえる根拠を探そうとしたりする度に出ようとしているんだけど、
乗りかかった船になりかねないので、
ある程度に抑えていこうと今は思っていますね。
それでは明日。