イチローと失敗
本日は、イチローが言ったことの考察というか、倉木の考えも間違えながら話していこうと思うんですが、
この前は松井との対談で、もしホームラン売ってなかったらどうだったかと言うと、
売っていない方が来年また調整して、イチからやり直そうという気持ちになるけど、
あれがあだとなるのではないかという話であるんですが、
昨日は殿堂入りの時に一票を逃したんだけど、これのおかげで完全にならなくて済む。
もし全票だったら良かった良かったで終わってしまうという発言をしてたんだけど、
すごい倉木はこの発言、世間の人たぶん理解できないだろうけど、倉木は共感できるんですね。
なんだけれども、ちょっと思うところがあるんで話してみたいんですけど、
倉木はよく言ってる、大学事件の前にあれか、
ああ、こんな話しなきゃいけないんだ。
人間ってなんだかんだ失敗したらそれで取り返そうとしたり、人にもよるけど、
後悔の思いが出てそれがエネルギーになったりするから、逆になんだか失敗した方が上手くいくって、
あえて失敗してはそれは話が違ってきますよね。
あえて失敗したらいけないんだけど、それとパラドックスになってしまうんだけど、
失敗した方が後にすごい大きな成功をつかむ可能性がある。
これ別に成功哲学とかじゃなくて日常のことでもそうですよ、普通のことで。
っていう倉木の持論があって、なおかつですよ、
例えば東大事件するとして、落ちたら落ちたで、こんなの人生小さいことだと思うじゃないですか。
でもね、落ちた瞬間にそう思っているのはおかしいですよね。
落ちた瞬間は悔しいって思いが出ないとおかしい。
なぜかというと落ちた瞬間何とも思っていないんだとしたら、
おそらく受ける前から別に落ちてもいいんだっていう気持ちだと思うんですよ。
でもですよ、今のタイトルだとあれだけど、
早稲田の経済学部に落ちて明治の法学部に行ったとすると、
後から振り返ったときに、やっぱりこのちょっとの悔しさが実はその後の人生の糧になる。
これ自体どうなのかって、後から振り返ってみないとわかんないんだ。
もうすごく小さなことに感じるかもしれないし。
だから今の一郎の話って言うと、難しいですよね。
今の明治の、あえてね、一郎の話からすると、
一郎は一票落ちたのが良かったと言ってるわけですから。
それで一番良かったと思えると。
これその、電話がかかってきた直後に言ってましたからね。
もし早稲田の落ちて明治の法学部に向かって、
大西坊で、これはこれで自分らしい、合ってるんだという思いってどうなのかって難しくて、難しいと思うんですよ。
さっきお話したように、
まあ、受かった後、後悔して、でも後悔に囚われなくて済むっていうメリットもあるし、
まあ普通に日常あることですからね。
でも一郎も、表彰される、受賞される前から、電撮りされる前から、そういう考えはあったと思うんですよ。
それって難しいとこですよね。
で、一郎は、
失敗したほうが後の、後にね、もっとやり直せっていう気になると思うんですよ。
で、一郎は、
一郎は、
一郎は、
一郎は、
一郎は、
一郎は、
一郎は、
一郎は、
まあだから難しいということだ。一郎の発言。正しいかどうかは難しいところであって、
後悔の意義
他の人がまあその考え方真似したらいけないかもしれない。
あとはこれが習慣化すると、
さっきの東大重建の話でいうと、
自分の性格だから、まあ落ちたら落ちたで何度かなるって思っちゃうんですよ。
それは問題ですよね。
で、あるいは、
さっきのイチローの話も結局
イチロー自身も言ってるけどその
悔しいと思いがある
でもなんだかんだ一番悔しいのは
黒木も分かるんですよ 幸福強者だからね
すごいアンテナを張ってみたら分かるんですよ
イチローはこれがベストだと言うんだけど
だとしたら
もうそれに慣れてしまって
そんな悔しさなんかも出ないで
悔しい状況が一番悔しくないというか
だとしたらあえて完璧な状態の方が自分にとっては
よりエネルギーが出る 実は黒木こういうことね
もう日曇り10年目にして
そういうことがありました
だからあえて楽をしたり
あえて自分のいい状況持ってたら逆に
ハンクリ精神が出るってことがあるんですよ
悔しい思いとかよりも
逆に怖くなってくるんですね
ここまで完璧すぎたら
悔しい思いが出ないって分かってるから
でもさっき話したイチローの
ホームラン売ってしまって
それがあだとなる可能性
でもこれもう結果論だから
あんまり考えても意味ないですよね
後から分析すんのはいいけど
やっぱりホームラン売ったら
それを良しとするべきだし
灯台を買ったらそれを良しとするべきだし
落ちたらやっぱり厳粛に受け止めるべきだし
難しいところですよね
それではしたっけ