知識と劣等感の考察
今回はですね、倉木も知識に偏りがあって、教養なんかあったもんじゃないんだけど、でも
ある意味では、後悔はしてるんだけど、でも、そこまで教養をつけてこなかったことにあまり後悔はない。
そんな話になってます。 どういうことかというとですね、
後悔ないわけじゃないし、常に小さい頃から劣等感はありまして、やっぱり知識をつけるのも苦手だし、
最近も話しましたけど、固有名詞を覚えるのが苦手なんですよ。こともってね、単純記憶が得意だから、それは
絶えやすいことなんだけど、倉木にとっては
だいぶ困難、困難なことでしたね。 まだね、それは変わんないです。
だから恐竜の名前を覚えるとかね、キャラクターの名前を覚えるとか、周りの子みたいにはならないし、まぁそもそも恐竜真似も興味ないんだけど。
他にもね、そうやって知識をつけるような趣味は持てなかったですね。
そういう劣等感はあったんですけど、でもなんででしょうね。
まずそもそもね、学校の勉強と教養とは別だと思ってるし、
だから、もっと勉強してればよかったとかね、
あとはそれで物知りになれると思っている人は勘違いだと思ってますから、これだけ。
だから学校の勉強してこなかったことについては全く後悔ないし、ないんですけど、
そもそも教養なんて、
つけようと思ってつけられるものでもないと思うし、 最近話したその語彙力をつけるには、
何万冊と本を読まなきゃ、つけられるもんじゃないといったのと同じことで、
まぁ上っ面の知識はつけられるかもしれないけど。
まぁでもね、時折、
劣等感もあるし、出てくるし、
もっとこうしてればよかったなとかいう思いもあるんですよ。
でも実際どうでしょう。図鑑を読んでいれば
幅広い知識をつけられるっていうことでもないし、
図鑑を読むほどのことでもないだろうし、
まあ辞書を読んでも仕方ないし、小説を読んでもね、
教養なんてつくもんじゃないし。
僕だけは耳で聞いたことは覚えるんで、
まぁラジオをもっと聞いていれば。
あ、でもね、
この何年かでラジオを結構聞いてきましたけど、特に教養が増えるかっていうと、
もちろん前よりは増えました。増えましたけど、
まぁ言い方あがりにどんどん伸びていくわけでもないし。
でも何度も言いますがそれでもね、
やっぱり後悔はあるんですよ。
それにしてはね、後悔っていうかその劣等感はあるんです。それにしてはね、
それそんなに後悔してる感じはないんですね。
こんななんか、よく根拠もなく、
こんな自信持ってるなぁと、
まぁ人には思うからこそね。自分にはそういうことはないんですけど。
かといって根拠のない自信とはまた違うんだけど。
根拠はあるんだけど、なんか自信はね、
よくわからない自信なんだけどあって、
その自分のやってきたことに対する自信ですね。
教養の価値と限界
まずはですね、
まぁ発達障害というかね、だって
そんな知識量なんて決まってくると思ってるし、
一番大きい方は名刺のテストですね。
統一の詩と聞かれてね、答えれなくて、
で、そういうのすごい劣等感で持ってるんだけど、
別にこれは知能の問題なんだと、わかったことですね。
これは倉木がいつも言ってることですけど、
何かの知識をそれで入れてね。
でも、
結局、何万何千と共用ってものはそういうことですからね。
単位、数で言うと。
統一の詩はどこかとか。
それを、いくらね、本をたくさん読んで、
100に約増やしたところで、
これも最近話しましたけど、1日で覚えれる量なんてそんなね、決まってくるんですよ。
受験生が単語を超えてたくさん覚えてるのを見たら、
なんかもっと覚えれそうな気がするじゃないですか。でもね、受験生は同じですよ。
実際そんなこと覚えてるなんていくつかですから。2つ3つぐらいですから覚えれるのは。
だし、どうせはいつか忘れるんですよ。そういった自信ですね。
やってきたことは間違いではないと。
別に、いくらたくさん本を読んどって、結果的なことで言うと変わらないだろうという自信ですね。
あとは余計な雑学があっても意味がないとか。
最近も話しましたけど、余計に区別もできないのに語彙があっても意味がないとか。
そういうことは元々わかってたんですよ。
そこらへんは過去の自分を褒めてあげたいですね。
よく学生の自分でそこまでわかったなと思うんですけど。
相当人から見たらうがった目線でもノートを捉えてるんだろうけど。
うがって見てるわけじゃなくて、あ、語彙力つけても意味ないんだろうなとか。
教養って言っても一言で言えるもんでもないなとかね。
あまりつけても意味ないなとか。わかるわけですよ。
あとは教養もそうだけど、その一文野のことをすごい詳しく知っても、それは教養とは言わないし、
そんなのただのオタク的な知識でしかないっていう。
それをね、うまく活用できてる人なんてそんなにいないのもわかってないですよ。
だから白色振ってる人ばかりにしかクラキネは揉めないから世の中。
それを十分に活用できてる人なんていないから、あまり何とも思わないですよ。
だから筋トレする人は世の中たくさんいるけど、
筋トレしたことによって運動能力が向上してる人なんてほとんどいないのと同じですよ。
アマチュアの人で全部通ってる人なんてほとんどそうですから。
視覚的記憶の困難
無駄な筋肉をつけてるだけなんですよ。
今までね、専門的な知識をつけようと思ったことも、
例えば脳について勉強してみようとか、心理学ちょっと勉強してみようかなとか感じたこともありますし、
スピリチュアルは全く興味ないけど、
あとは教養つけようとか、哲学書読んでみようとか思ったこともあるけど、
ちょっと初めて見たこともあるけど、絶対うまくいかないんですよ。
そういう経験もあるからね。
身の丈にあってないからだとは思いたくないけど、そういうことはやらないようにしてますね。
だからこそ後悔したところで、結局そんなこと勉強しないし、
身軽な状態でいいと思ってるんですよね。だからその今の状態の方が。
で、必要なことだったら、別にインプット全くしないわけじゃないから、
必要に迫られて必ず知識がつくものだと思ってるし。
でも何より人間って、もう、
所蔵庫があってその中には入るものが決まってると思ってるっていう前提があるからね、あまり後悔はないですね。
まあでも嫉妬はしますよ、やっぱり。
嫉妬っていうのかな、やっぱり劣等感ですね。
自分はこんなにいろいろ知らないんだよなとか、こうやって
何か一つの分野の知識をたくさんつけるって無理なんだよなと。
でもね、これもだいぶガッと見方だけど
ずいぶん何かの生物の生態系が詳しいとか、昆虫の名前詳しいとか、そういうのはね、
本当に意味のないことだと思ってますね。それは羨ましいとは思わないですね。
じゃあ何が羨ましいかっていうと、
そういった知識をつける能力があること自体はね、羨ましいと思うんですよ。
クラゲはそうやっていくら勉強しようと思ってもね、こういう名詞を覚えるのが苦手なんですね。
あと視覚的に何か覚えようと思っても難しいから、
以前ね、世界史なんか受験で使わないようにしようと、
日本史の参考書を読んだら全然ダメでしたね。
漢字が全然ね、読めないとか読めるとかじゃなくて、
視覚的なものを取れるのが難しいんですよ。
だから本を読んで何か知識をつけるってできないんで、そこが痛手ですよね。
それではしたっけ。