頭の良さについての考察
では今回は、頭が良くない人はどうやって生きるべきか。
倉木もね、人生で一度も頭が良いと思ったことがないんですよ。
っていうと、あれだけども、どういう意味かってなるけども、
どういう意味っていうこともさえ考えない。
平均より上かどうかとかそういうことじゃなくて、とにかく、
根拠のない自信、根拠のない自己否定というのかな。
根拠のない自己不信というのかな。
なんですけど、そんな倉木はどうやって生きてきたか。
っていう話から話し始めたいと思いますが。
まずこの劣等感っていうことを話していくと、
劣等感自体というよりも、自分の頭の中では劣ってると思ってるからね、完全に。
ある部分だけども。
部分的には、知能の面では劣ってるということですよね。
それで、他の部分で勝負をしよう。
なんていう起点の聞かせ方はできないんだよ。
なぜかというと、頭が良くないから。
だから、
頭が良い。
これ今、話しちゃいますか。
起点が効かせないことイコール、
頭が悪いというのは、これは短絡的だし、
単なるある尺度で測った話であって、
人間の知能のどこにもそんな場所がないわけであって、
あと、これも話しちゃいますが、そもそも人類は知能についてよく分かってないと思うんで。
クラクにとっては、ただ、ウェイスを受けるまでは少なくとも、
自分が頭が良いかなんて測れるわけがないわけですから。
学校のテストだけでも、
知識と憧れのギャップ
分かんないだろうね。
単に勉強してないから、点数取れてないっていう可能性はあるわけですから。
テストの点数でどの程度知能を押し測ることができるのかも分かんないわけでして、
当時の自分じゃまだ分かんないことが多すぎたんだけれども、自信がなかったわけですね。
話戻りますけど、
単に融通が効かなかっただけなんだけど、
元気が強いクラゲはなんとかしようとするんだけど、ただクラゲの場合、
昨日もこの後考えちゃったけど、やっぱり知識がある人に対する憧れはあるんだけど、だからといって、
自分は知識をつけようとは思わないんですよ。
なんでしょうね、知識をつけることの恐怖心とか、
なんとなく知識はつかないっていうこと。
勉強してひたすらどうでもいい知識をね、
例えば恐竜の名前を覚えるとか、一回試してればいいものなの。
やっぱりそういう感覚はそもそもないんですね。
でもそれで失敗したこともあるのかな、いろいろ。
とにかく単純記憶ってのが苦手で。
今考えてみるとそんな幼稚な記憶、子供が得意な記憶ですから、単純記憶って。
まあなくてよかったと思ってるけど、それがないために非常に苦労してきたわけですよ。
学校のテストもそうだし。
でもそれをできる人に対する憧れはあったんだけど、
そこで追い抜こうとか追いつこうとかいう思いはなかったんですよね。
今思ったけど、劣等感はあるんだけど、
でも全般的に弱いとも思わないし、
やっぱりセンスもあったと今でも自負してるし、
昔はですよ昔、小さい子供の時、小学生の時とか。
だから、自信はもちろんないんだけど、
そこまで不便に感じなかったのかな。
とはいえやっぱり、
って言ったらまあ、
なんかこの話堂々巡りになりそうなんで、この辺にしておきますけど。
皆さんどうしてますかね、自分が頭があんまり良くないと思っている人とか聞いてくださっている人、
や、周りの人で頭悪そうな人、どうしてますかね。
まあ長いもの精神で巻かれる人、僕だけ無理ですそれは。
あるいは妥協したり、そういうもんだと。
これはね、虚無感しか生まないと思いますね。
まあでもこれで虚無感出ない都合の良い性格の人は羨ましいですよ。
かといってそうなりたいとは一切思わないけど。
あとは何だろうな、頭の良い人にやっぱりついていく。
あるいは少しでも頭は良くなる。
まあこれは勘違いやろうだとしか思わないんだけど。
クラキも以前は努力すれば何とかなると思ったけど、
いやでもね、なんかこれは宿命的な感じがしたんだよな。
なんか育ちでもそんなの気持ちよだろうみたいな。
だからその時その時何を持って頭が良いとしてる。
考えてるか。考える力なのか。
考える力はクラキはあるはずなんですけどね。
まあとはいっても考える力っていってもいろいろあるし。
あとはですね。
ちなみに今小学生の時の話してるんですよ。
勉強のことでやっぱりどう考えた時もあったし、
その時その時違うんですね。何を持ってそうやって言ってるか。
勉強ができないことに関して。
まあクラスの上位者と比べて、
中一の時なんかはなかなか成績伸び悩んでいたんで、
あれだなと思ってるのは、これはね劣等感しかなくて歯がいなさと。
けれどもどうしようもない感じでしたね。
まあ小学生の時は受験する奴らとは全然畑違いだと。
関係が違うんだと思ってたし。
今言ったのは小学生の時の話。
今はクラキは知能なんて伸びないと思ってるし、逆に衰えないと思ってるし。
年取ったら衰えるけど、同世代と比べたら認知症にでもならなければ
同じようなぐらいのスピードで衰えていくんでしょう。
多少個人差はある。
で、先ほどとちょっと矛盾しないように聞くかもしれないけど、
別にね、今の状態に満ちてるんですよ。それでいいと思ってるんですよ。
だってどうあがこうと、これ以上頭が良くならないんだから。
今は別に頭悪いとは思わないし、
ただね、もう自分が頭良いとは思ったことないし、自信がないのは過言ないんですけど。
ただどうだろう、変な劣等感はなくなったのかな、どうなんだろう。
以前は常に劣等感があったような感じなんで、感覚的にはですよ。
そうじゃない時もあったと思うんだけど。
でも自信っていう自信は長かったと思うんですよね。
そういう意味では多少楽にはなったと思うんだけど。
でも最近も語彙力どうやったらつくかなんて調べてるところからすると、
調べてる間もやっぱり劣等感はあるし、
専門知識があるポッドキャスターと比べて劣等感もあるし、
もっと文系の勉強しとけばなあなんていう後悔もあるし、
能力なんか決まるとは言ってるものの、知能も決まるとは言ってるものの、
何か努力して何とか起きないことはないかなとか思っちゃうし、
頭の良さの再定義
こうやって葛藤していくしかないと思いますよ。
ちなみにですね、
前大学図鑑っていう本読んでると、どっこの大学でも学歴コンプレックスってあるんですよ。
東京医科士会大学の私学部の生徒は医学部に劣等感も抱くし、
マーチの人はわすだに劣等感抱くし、でももっとね、
闇深いというか奥深い問題というか、
同じ大学の違う学科に劣等感抱いたりしてね、
別の大学の同じ学科の学部の人に劣等感抱いたり、
私立の人は国立に劣等感抱いたり、マーチは旧手伝に劣等感抱いたりしてるわけですよ。
だからみんながそうやって、
偏差値がどうだ頭が良い悪いって言って、
日々辛い思い、劣等感だったりヘラルキーへの意識だったりしてるっていう自覚は大事だと思いますね。
でもね、頭が悪いと思ってる人は、
今回相手が頭が悪い人っていう風にしましたけど、
もう一度言いますが、頭の悪い人なんていないっていうのと、
頭が悪いと思ってても、そこで悩みをどうするかって一番大事ですからね。
結局自分で、悩みもそうだし、自分で、
これで良しと思えれば頭が悪くなって何だって自分を肯定できるだろうし、
本当もう一度言いますけど、頭が良いっていう定義なんてないようなもんだし、
それでもね、面白いことを言えたらね、
あるいは会話が上手かったら、それだけでも自分を認めていいと思うし、
そもそもそれ自体頭が良い証拠だし、部分的にはだけど。
あと思っているほどね、自分が頭が悪いと思っても、
それは部分的なことなんですね。全体ではないんですよ。
それこそ運動できるかどうかも脳の働きだから。
それも頭の良さだと捉えると。分かんないもんですよ、だからね。
単に語彙力がないとか、こんなのは単なる環境の問題だし、
だから大阪にいた人が大阪弁は喋るってのと同じで、
東京に行ったら直るってのと同じで、
直るっていうか、標準語になるってのと同じで、
語彙力なんてのは、そんなものは単にそこで育ったから、
親の影響を受けてとか、教育機関の問題であって、
その人の頭の良さ悪さとか全然関係ないし、だから知識も同じなんですよ。
苦は分かんないくたって、それはちょっと学習障害かもしれないけど、
都道府県とか県庁相談市は分かんなくたって、
単に布団子だっただけかもしれないし、
単に学校が動物園だっただけかもしれないし。
それではお疲れ様でした。それでは明日っけ。