芸術家の発言とトラウマ
さっき思い出したトラウマなんですけど、
ある芸術家の人がね、
もし見に来てる人がわからなかったら、
それは、その人を見てる人、それを見た人が、
その程度の人だったっていうことだと理解してますって聞いてね、
それからずっと忘れられないんですよね。
振り返ってはね、やっぱりあれって酷かったなって思うしね、
ある時思ったのがね、
それまでちょっと一理あるかなと思ったんだけど、やっぱりこれおかしいと思うんですよ。
芸術家としてそういうふうに、
自分の作品に対する悪評は、
見る人が芸術をわかってないだけだと捉えるのは、
芸術家としてね、
もう間違ってると断言してしまっていいんじゃないかと思うんですよ。
てかまあ都合が良すぎですよね。
その人が劣ってるから、この作品の良さがわかんないだけだ。
人として都合が良すぎですよ。
ただ似てる話があって、これはちょっと違うと思うんだけど、
ある学者さんが、自分の研究がノーベル賞を取れないのは、
ノーベル賞を審査する人が、
この研究の良さを、の素晴らしさをわかるのは、
まだわかんなくてね。
それは自分に都合の良いっていうことじゃなくて、
ちょっと良い意味でぶっ飛んでるっていうか、発想が。
っていう風に思ったんだけど。
でも今回話してることは、そういうことではないですよね。
芸術の評価基準
非常に小さいな、人として小さいなと思ってしまったんだけど。
芸術に対する認識がね、
ちょっと低すぎると思うんだよね。
低すぎると思うってことが、
この芸術のことをよくわかってない暗きでさえわかるんだから。
相当なレベルの低さでしょ、それ。
作品は素晴らしいかもしれないけど、
芸術ってものを捉える能力が低すぎるよ。
芸術ってもちろんね、点数つけたりできるようなものではないし、
人間が点数をつけるのと、つけられるようなものではないっていうのは話別だからね、これ。
で、こうってつけられるものでもないし、
良い悪いなんてものも存在しないし、
それを見る人がね、
国評する人もいたり、
良いという人もいたり、
そうやっていろんな評価をつける、
それは間違ってないと思うし、
多数にとってはあまりあれでも、
ある人には響くかもしれないし、
それが芸術だと思うんだけど。
だから、
この芸術、この作品は別に大したことない、
と思う人がいたとして、
どうですか、だとしたらね、
そういう人にいるっていう事実をどう捉えればいいのか。
別にあるがままに、
そういう人もいるよね、でいいんですよ。
その人がね、
芸術を見極める能力がないとか、
いちいちそんなこと言う必要ないんですよ。
そもそもですよ。
黒木自身は芸術を鑑賞する能力は全然ないと思ってるんだけど、
とはいえ、
これもやっぱり点数をつけられるようなものではないし、
比較できるようなものではないんですよ、やっぱり。
それぞれの感性があるわけですよね。
芸術作品にも点数つけられるものでもないのと同じで、
鑑賞する能力だってね、
学校の成績みたいにつけられるようなものじゃないんだから。
だから、
その人が、
その程度の人だったから、
この作品がわかんないんですよ。
っていう捉え方は明らかにレベルが低いと思うんですよ。
だからそういう人にも、
わかってもらえるように努めてまいりたいと思いますのでいいんですよ、それで。
あるいはね、
まだこっちのほうがいいんじゃないかな。
そういう、
この作品の良さがわかんない人がいるかもしれないけど、
別に自分はそんなことは知りません。
そういうのがまだいいんですよ。
その人が劣ってるからこの作品の良さがわかんないって、
都合が良すぎですよ。
ってくるわけだと思いました。
それでは下っ家。