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2025-10-05 17:32

第4595回 人生相談超簡単仏教&哲学総集編後編 実は自分なんていない❓ 物理空間にあるすべてのものは変化している

特別支援学校に転校して大学に行った彼女、普通学校から引きこもりになった俺。

発達障害当事者です。そして宗教2世でもあります。ハイブリットなこの生きずらさによって起きた過去にあった学校や家庭での事件や悲喜こもごもな話を赤裸々に語ることによって、特性や特異な考え方をすることを知ってもらいたいです。

発達障害の特異な感性ゆえに世の中の理解できないことや、宗教をやめてから哲学的に考えてきたこと、そして音声配信者としての苦悩などの話もPodcastでしています。

発達障害専門家、当事者、興味がある人が発達障害を考える材料になればと思い、日常の考え行動を細かいところまで話しています。番組登録よろしくお願いします。コメント待っています。

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サマリー

このエピソードでは、仏教や哲学における自我の存在や変化の概念が探求され、特に人間に課せられた苦しみとその意識について議論されています。自己という存在が幻想であることが示され、物理空間におけるすべてが常に変化していることが強調されています。また、ブッダの教えに基づいて自我の不存在や物事の変化について考察されています。人間の感情や自己認識について深い洞察が、宗教的・哲学的視点から展開されています。

仏教と変化の理解
仏教と哲学の総集編後編です。
いきなり話していこうと思うのですが、
やっぱり諸行無常ということは、よく捉えるお坊さんなり多いと思います。
まずいつも言っているように、仏陀は生老病死ということも言っているし、
栄えていたものを衰退するとか、
そんなことはこの世界の道理でしかないし、当たり前の。
そういうふうに考えると、絶対矛盾というのが生じるんですね。
だから、苦しみも続くわけないんだとか。
それで言うと、ずっとは続いていないかもしれないけど、
何か苦しいことがあったら、ある程度苦しいのは続くだろうと思うし、
だからといってね、それは変化しないとかじゃなくて、
もっと深い意味で変化しているというか、
その苦しみとか喜びがいつまでも続くわけじゃないというのが、
単なる生物学的なことでしょ、それはね。
あと人間まで、最後までと同じで、都合よく捉えすぎですね。
苦しみはいつまでも続かない。喜びだって続かないだろうと思うんだけど。
では早速本題ですが、早速というか、
人間のみね、自我ってものがありますね。
例えばストーブに自分というものの一意識とかはないわけでしょ。
自分というものを意識したり。
で、実際この世界は、自分なんてものがないというのはしょうもないですから。
対極にありますよね。だから人間だけが何か都合が悪くできてるなと思ったんだけど。
ブッと泣いてることって、ある意味この世界の事実というより人間の事実なんじゃないかとか
っていうのも一瞬思ったことはあるんですが。
でもたまたまではないと思うんですよね。
でも人間だけが自我があるんですよね。
それでものすごく苦しみを生むと。
こうやってね、修行無常について勉強しててもね、
やっぱり忘れちゃうんだけど、全てのものは
常に変化してるとおりですから。全てなんですよ。だから
部分的じゃない。
で、これ大事なのは
その程度なんてどうでもいいわけですね。
これはある程度ちょっとしか変化してない。これはすごく変化してる。これは人間的な捉え方でしかなくて。
全て変化してるわけですよ、常に。
っていうと人間?
自我の幻影
1秒前と今の自分って、実は全く別物なんですね。
人間がね、
自我によって
これ一生そんな変わんないもんだと思ってるだけで。
これお坊さんたちを多分、修行無常だからシワが増えたり
そういう変化もあるって、そういう捉え方するんだろうな、でも。
ブッダが言ってるのはそういうことじゃないでしょうと思うんだけど。
前回も話したかな。
一応ね、
ブッダはこの世界は空だと言うんだけど
クラキは、この世界にあるもの全て、つまり存在
っていうのは、点でもありゼロということもできるし
あと関係性によって成り立つものっていうことなんだけど
このゼロってものを包括してるんですね、この空ってのはね。
存在するものとゼロ。
うーん、こうなってくると
ちょっとわかりにくいですよね。
でもクラキは
自分イコールゼロ、自我ってイコールゼロなんじゃないかと。
点ですからね、そう思ったこともあるんですが
これについてはまだ分かんないですね。
ただまあ空っていう概念自体、宗教によって違ったりするからね。
あんまりブッダとは切り離して考えていいと思うし。
あとブッダが言いたかったことをね、クラキなりの解釈なんですが
人間ってのは生物とか人は特別なものだと考えて
だから一つの種類一つの個体で
ここに一つの個体があると。
だから人間はね、鉱石を与えて税金取ったり
これは他人だと考えたり
人数も数えますよね。
そうやって生物、人を特別にしているから宇宙人もいるんではないかと考えたり。
特にでもね、自分単体でいるんではなくて
単なるものですから。
宇宙の一部であると。
切り離されたら何かではないと。
だから遠くから見たら地球の一部でしかないんだと。
そういうことを言いたかったんじゃないかなと思うんですよ。
ただね、そんなことを言ったってやっぱり体を動かせるし
こうやって感覚もあるし
やっぱり自分なんてないって言ったって
やっぱり生きてる間つらいし
社会との関係性
責任持ってこの体を動かさなきゃいけないし
自分ってやっぱりなんだかんだあるんじゃないかって思うのも分かるんですよ。
しかしそれだって単に生物の性質上でそういう
感覚を持った人がたくさんいるってだけなんですよ。
その一個体がこの己だっただけで。
でもね、じゃあ自分というのがありがたいと言うとやっぱり
所業無常ですから。
変わらない何かがあるということではないですね。
あとさっき思ったのはですね
所業無常っていうのは
諸法無我っていうのは
実体がないって言い方されるんだけど
もう同じことなんだけど
所業無常だと言ってますよ。
普遍的なものはない。
だから人間はその実体って何かって考えるときに
これ普遍的なものが何かそこにあると
自分の中にもあると
そういうイメージだけど
普遍的な
自分の中にそういうものがあるわけじゃないんだ
っていう風にとってもいいと思うんですよね。
あと意思があるから
つまり自我があるから
自分は何てものはないと
単なる自我が自分だと思ってるだけだけど
自分なんかないと
頭でわかってもそれでも
自我があるということだけで
自分って存在するんじゃないかと思うかもしれないけど
したら植物人間は何なんだと
だから関係性
間違い感覚
があったり
こうやって体を動かせるから
それは一人の人物自分なんじゃないかっていうのは成り立たないです。
だから関係性ってことと
間隔があるかどうかというのと
自我とは関係なく
別に考えなきゃいけないんですね。
あとクラキュラは近所の人から
影響を受けたくないと思ってるんだけど
これは自我が大きいからなんですね。
自分は単体で生きてるとも
勘違いしちゃってる文化は他の人より強い。
人間は物理学的に言ってもね
ものすごい数のネットワークで
全てと繋がってるんですね。
これはイメージしにくいけど
ただ問題なのはこれをね
この日常生活のこのことと
繋げちゃっていいのか
照らし合わせて
いいのかという問いはあるんだけど
都合よく捉えちゃってる部分もあるような気もするし
ですがね、ここまで深い
問いだと疑問だとね
こういった世の中の事実を知ることは大事だと思うんですよ。
本当に疑問ですから。
なんで他人からね、こんな
影響を受けてそんなことってあっていいのかっていう疑問ですから。
社会的な生物である以上
厳粛にね、近所からの迷惑
それを受け入れなきゃいけないというか
これは問題だと受け入れなきゃいけないし
でもね
こんな影響を受けるのが人間なんだから
とにかく言ってはいけないという意味では
ただね、処方向とは
影響を受けるっていうのがね
どうも結びつかないんだよな。
クラキのイメージで言うと処方向があって
物事って見る側面によって違いますよ、抽象度によって
違いますよってそういう印象なんですね。
まあでも、これも自我の捉え方であり
自我の捉え方というかブッダの教えの捉え方なんだけどね
クラキの解釈の仕方なんだけど
まあでも人間って
思いも言われるところで
影響を受けて、さっき言ったように
程度の問題なんだとでもいいし
近所の騒音がある際
意外にも実はものすごい社会
世の中だから影響を受けて
ことさら気にすることじゃない
という面もあるような気がするんですよね。
物理学では言われていまして
ブッダの教えと自我
人間も単体で生きているわけではないというのは事実ですから
あとクラキはね
人間って必要以上に快感とか味わってるんじゃないかと思ってて
例えばスイーツを食べておいしいと思うとか
人間って集中していればそんな快感なんか出ないはずなんですよ
他の動物なんてね
確かに餌を得ることがあれば
ある程度おいしいと思ったりするか
いやおいしいとは思わない。でも快感は満腹中枢は得るかもしれないけど
満腹中枢に関しては
まあ人間と同じことだろうけど
でもそんな必要以上に感慨なんてないんですよ。だからね
人間って
これブッダの考えからすると
一つの感情に囚われてるからなんですよ。だから快感がね
長く続いたり、必要以上に悩んだり
囚われたりするわけですね
あと
お坊さん達はあまり物事を語んないんだけど
物事は全て変化するですから
諸法無我も同じことですよ
出来事も実態ない。これについて語ってくれる人ってあまりいないんですよね
出来事の実態がないって意味わかんないんですけど
これはクラフィーなりに考えたんですよ
例えばある人とある人が喧嘩してる場合
これを自我ではなく抽象的に捉えると
人と人が喧嘩してる
あるいは人と人が話してる
実態がないと捉えるとこういうことなのかなと思う
分析してみたんですが
ブッダの言うことって切り口によって全然見え方違ってるんですよ
ビジネス用の感覚で読む人もいるし
真相真理を知りたいと思って
こういう場合は上手くいかないだろうね
クラフィーはあくまで世の中の事実だと思って
非常に冷めた考えだけど
ブッダの考えってのは
これが事実なんだと嘘、偽りね
割と矛盾なく切るけど
どうしてもブッダの言うこと
これは前回話しましたね
どうしても矛盾が生じてきて
そこでいちいち
自分に強く強く捉えたり
やっぱりこれは間違いだと捉えるのは
正しい向き合い方ではないと思います
あまり普遍性を求めちゃいけないし
ブッダの教えを取り入れてみよう
それでいいと思うんです
自分とは何だと思いますかね
昨日も明日も明後日も変わらない何か
そういった本質があると考えて
それが自分
年齢体重身長住んでる場所は
全て変わるわけです
物事の変化と存在
だから自分ってなんてもないんですね
自分があると思ってるだけなんですよ
あるのはここにある
そういうものがあるっていうだけで
はっきりしてるのは
あと処方無我と言われても人によっては
とにかくただの理論上でも存在してれば
理論してるのは例えば
数学の点とかゼロと同じで
数学者にとってはこのゼロが大事だし
世間の人にとってはゼロなんて意味がないんだ
それと同じで
クラゲにとっては処方無我って大事なんだけど
人によってはそれでも自分はいるんだと言えば
いるんだろうし
諸行無常だって変化してないものってある
という人にはあるだろうし
あとクラゲは処方無我ってことに
すごい救われたんだけど
なぜかというと
人間はだから物であると
処方無我に救われたというよりも
自分で発見したんだけど
人は物であると
物でしかないと
逆に自我を強めると
具体的になりますから
人はこの腕とか目とか鼻とか
の集合体であって
それを分け入れることができると
自分はこの腕とか
なんだと
いう捉え方が自我なんですね
って言ってもよくわからないですよね
あとクラゲはね
処方無我とか一切かゆくのに
仏陀は人間は不完全だと
言うんだけど
諸行無常ってこと自体も
この世界は不完全だということを
やらわしてるんだろうなと思うんですよ
パズルの一辺が抜けて
一つ埋め合わせればまた別の穴が開いて
そういうことをね
この世界はしてるんだろうなと思うんですよ
それでも一辺が埋め合わせたら
全部が止まってしまう
これは生物の仕組みじゃなくて
この世界の仕組みですよ
だから生物が逆のことをしているというわけではないんだけど
人間って
向上性があるわけですよね
だからこの世界が変化する
常にしているのに対して
ちょっと異質というかね
それなのにこうやって長く続いているのって
ある意味変らしいんですよ
エンドルフィー同大の法則というのもありますしね
それは仏陀が言うこととはまた別だと思うんだけど
仏陀の言うことを日常生活に
無理矢理当てはまろうとするのはどうかと思うんですよね
今苦しいけれどもやがて亡くなるかもしれないし
そんなの仏陀の教えを知るまでもなく
そんなのこの世世界の理だろうし
別にこの苦しみ
2年経っても3年経っても亡くならないかもしれないし
仏陀が言っているのは
案外3年じゃなくて3ヶ月で亡くなるかもしれない
人間的な感覚で
その人の感覚でね
そんなこと言い出したらわけがわからないですよね
案外3年も続かないで3ヶ月かもしれないよみたいな
そんな仏陀の教えじゃないでしょ
それではしたっけ
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