鬱病への意識
最近、鬱についてPodcasterで話していると結構考えてしまうし、でもね、それで気づくんだけど、やっぱり倉木はね、
鬱病を悪化させないということが常に意識していたなんてね、やっぱり気づかされましたね。
そこに対する危機意識っていうのはね、常にあったわけですよ。
まあこんなことは遺伝で決まってくるとか、まあ常々言ってはいるんだけど、やっぱりね、悪化させてはいけないなっていう意識はあったんですね。
ある程度の状態で止まっておかなきゃいけない。
で、お前を話しました。タイヤの前輪が、前輪のタイヤが鬱病、後輪が脅威症状がみてね、
どっちもあるから、倉木は生活していける。
まあそう見たら、ないとないで困るし、まあでも装置に関してはね、ちょっとこれ厄介なもので、
あるだとかないとかそういう話でも、収まるもんでもないんですよね。
いや、翼ヌスに関してはね、車の前輪になってくれてるんだけど。
なんかね、翼ヌスと装置ってもちろん別じゃないんだけど、なんかどっちもある感じだよね。
なんか装置はね、なんか生まれてからずっとある感じだし、翼ヌスはね、翼ヌスも生まれてからずっとあるんだけど、
引きこもりっきり感じはそれが柔道になった感じですね。
まあでも柔道なのかどうなのか、わかんない感じ。前々回のエピソードで話したけど。
ある意味では柔道だし、ある意味では軽度だし、生活していけるっていう意味では軽度だし。
でも変化が起こしようとすると、もうとてもそんなに意欲が湧かないっていう意味では柔道だし。
まあこんな風に今回はね、いろいろうつ病について、普段思ってることをね、話したり考察したりしてきたんですけど。
生活の工夫
でね、今言ったようにうつ病については工夫してるんだけど、生活中。
やっぱりね、これはしてはいけないなっていうようなね、経験的にいろいろ身につけてきたわけですよ。
これ感覚的なことになってしまうんだけど。
あまりに期待しないってことですね。
ざっくり言うと。
まあ多少まくりがなくてもしょうないという意識でいること。
これはね、何度も何度も繰り返さないとできないですね。
頭でわかってても最初はできないですよやっぱり。
そういうことがね、自分でもね、わかんないし期待しないというのはどういうことかって。
少しずつわかってくるんですよだから。
人に対しても期待してはいけないし。
でもクラキの場合はそれより物事に対してなんですよね、今はね。
あとはね、生活。
まあクラキは全然変化しないんだけど。
生活の中に楽しみをつくってはいけない。
例えば一日の中のこの時間とか。
一週間の中のこの辺りとか。
そういう風にこの時間帯になったら楽しみができる。
楽しみを与えられる。
楽しいことが与えられる。
なんかあの、動物実験みたいな話になっちゃうんだけど。
餌を与えられるみたいな。
そういう習慣をつけてはいけないんですよ。
クラキなんかはね、ケーキ食べるわけでもないし。
お菓子食べるわけでもないし。
好きなドラマを見たりするわけでもないし。
でも最近ね、何十年かぶりにドラゴンボールのダイマっていうのを見て。
動かなくって言ってられたけど、もうちょっとね、
思いが強くなりすぎて見てしまったんだけど。
でも今はやめましたね、やっぱりね。
なんか違和感があって。
やって楽しみをつくるのは。
でもこれもね、前だったら絶対見ちゃダメだったんだけど。
そうやって楽しみをつくってもそんな変に楽しみに思わない。
っていう風に、それでいちいち生活が乱れないっていう、
そういうことを身につけたからこそできる技だったんだけど。
技っていうのはね、特にいつも通りの感情でいてでも
そうやって見れるっていうことですね。
孤独感と変化
でもね、うつ病の特性っていろいろあるけども。
発作障害と重なる部分もあるし、何とも言えないんだけど。
そもそも重なってるっていう捉え方自体があんまり気に食わないんだけど。
あの、やっぱりね、小さい頃からありますよ、やっぱり。
その感情はね。
感情が乏しかったりね。
自分から意欲的に親戚に話しかけたりしないんですよ。
自分を表現するってこともしないしね。
これもね、うつ病が原因だなっていうのはね、
振り返ってみてわかるんですよね、何となくね。
うつ病の症状だなっていうのはわかるんですよ。
そういう意味ではうつ病歴も30年なるんだね、もうね。
だからうつ病についてはいろいろ見つめてきたわけですね。
だからうつ病に助けられ、うつ病に苦しめられしてきたわけですけど。
だからあんまり病気っていう感覚はないんですよ。
つまり治るっていう、治すものだっていう感覚はないんですよね。
一生付き合っていくものだって感覚もなくて。
だってそうでしょ。右腕と一生付き合っていくなんて感覚ないでしょ。
そういうもんですよ。だからクラキンにとっては空気みたいなもんなんですよ。
そううつってものを意識し始めたのはね、
まず中学生の時はそううつの傾向がかなりあったけど、
かなり落差が激しくて、感情の落差が激しくて、
だけでも気づいていなかったんですね。
高校生の時もあまりそううつのことは意識していなかった。
だし常によくうつって感じでしたね。
引きこもりになってからかな、そううつを意識し始めたの。
それから楽しみを作ってはいけないとかそういうひねくれた考えになってしまうんですよ。
でもそれはクラキンにとっては大事だったんですね。
ちょっと人間的とは思えないけど、
徹底的に楽しみとかそういうのを排除してきました。
ていうことはまあ、ていうかまあ、
余計なことはしないということですね。
必要なことならいいんですけど。
例えば食事中ね、糖分摂取するのはダメだと思って、
全部ね、排除したらそれは体にとって問題があるわけでしょ。
例えば洋館、トモロコシがね、宗教のセミナーに行くのは
なんか大きなイベントな感じがして楽しみだけど、
でも行くなとは言えないわけでしょ。
楽しみって生活につきものではあるんだけど、
なるべくそれで心が動かないようにできたらなって思ってるんですよ。
だから以前はね、セミナーの前とかあと正月の前とかは、
正月はお寿司食べれるのが楽しみだから。
その前はいつも以上にストイックにね、
大変でしたあの時は。
朝ね、5時ぐらい、4時半ぐらいからベッドの上で座ってんだけど
つらかったねあの時はね、孤独だしつらいし。
トモロコシのセミナーの前は、
動画をこの日しか見ないようにしようとかするんですよ。
で、正月を制御するんですよね。
で、すごい嫌な思い出があるんですよ。
正月のラジオがね、普段よりはまだ良くて、NHKのラジオが。
でも正月終わった途端なんかね、元に戻っちゃって。
で、ラジオを聞くのやめちゃったんですよ。
だから、それがあれなんですよね。
継続させることが何より大事だから。
でもね、うつの人とはまた違うんだろうなと思ってね、
クラッキーなんか病院にも行ってないし。
でもね、その一方で絶対精神病薬なんか飲まないぞって思ってるんですよ。
絶対これ、クラッキーは依存症になるから。
100%依存症になるね。
麻薬と同程度に依存症になる可能性あると思ってる。
クラッキーにとってはね。
まあそれぐらいクラッキーはね、
ただでさえ自分の感情をコントロールして、
非常に苦労してるんで、それで
薬飲んで何ヶ月間かの間に
長い期間をかけてね、多分感情をね、変化させるんだけど。
もうそんなことされたらもうね、
もうてんやわんやですよ。
で、また減らしたりするんですよ。
でもね、ありえないね。
だし、あとは寝たきりとかでもないから。
なんかやっぱり孤独感はありますね。
うつ病とは違うっていう。
でも世間の人がね、
自分は最近ちょっとうつっぽくてとか、
軽く使ってるの見るとね、すごい腹立つんですよ。
こんなね、本当に
重いうつ病で悩んでる人いるのに、
軽く自分のことをうつだと言うなと思ったりするんですよ。
じゃあ次の最後の話ですけど。
やっぱりうつに関してクラッキーが一番恐れてるのはね、
自分のこと。これ十分あり得るんですよ。
自分もそんなことないだろうと信じたいけど、
でも十分そういうことあり得るってね、
最近もね、
最近ちょっと色々変化があって、
お腹痛い時とかは寝てもいいかなとか、
風邪ひいた時って今度は出ててもいいんだよなとかね、
あいに考え始めて、
いやこれは一番恐れる時代だなと思ってね、
やっぱりこういうこともあるのかと思ってね、
いるんですよ。
変化が絶対できないクラッキーだけども、
変化しだしたら全然容易に変化してしまうクラッキーだから、
困ったもんですね。
それでは下っ毛。