今回は、新井高子さんの詩集『おしらこさま綺聞』。
東北のおばあちゃんたちと交流しながら生まれた作品は、
どこか懐かしく、我々の大事な何かが呼び覚まされる感覚があります。
※今回の詩は、PDFを見ながらお聞きください。
https://drive.google.com/drive/folders/188ZboZ6X8-in6Zn5Aqj8-XnKbytLBHPY?usp=drive_link
Youtubeでは、動画視聴できます。
※幻戯書房・新井高子さんの許諾をとった上で配信しています
サマリー
新井高子の詩集『おしらこさま綺聞』に関する朗読解説が行われ、詩の背景や方言の重要性が語られています。特に、東北の神であるおしらこさまをテーマにした作品の独自性に焦点が当てられ、詩の朗読を通じて日本語の音と意味の結びつきが強調されています。ポッドキャスト第91回では、新井高子の詩集『おしらこさま綺聞』を通じて古き方言の独特な響きとその美しさが探求されており、方言が持つ創造力や生命力についても深い考察がなされています。聞き手は新たな視点を得ることができるようです。
詩集の紹介
こんにちは。
こんにちは。
はい。
じゃあ今日はですね、また詩集なんですけど、
おしらこさま綺聞っていう、
新井高子さんっていう方が出された詩集になります。
おしらこさまって東北の神様の名前なんですよ。
で、綺聞って書いてあるのは、
なんて言うんですか、奇妙な話、奇妙な出来事って意味ですね。
この新井高子さん、この詩集自体が出版されたのが2024年の3月なんですよ。
最近の本なんですよ。
この詩集自体、大河誠章とか撮ってて、
いくつかネットにも上がって取材とかされてるぐらいなんで、
詩の世界だとかなり有名になってる詩集だと思うんです、おそらく。
新井高子さん自体は調べてみると、あれみたいですね。
群馬県紀留市に生まれていらっしゃって、
そこでの体験がベースになっていて、
この詩集自体、そっちの東北の方言で書かれてるんです。
朗読の重要性
この方、埼玉大学の教授とかされたりしながら、
いろんな詩を書いたり翻訳したりとか、評論書いたりとか、
そういうことされてる方みたいですね。
石川卓北の詩を東北弁に訳した本とかね、
そんなのも出てるみたいです。
1月3日の朝日新聞の天聖人語とか読んでたら、
新井高子さんの話出てたりしましたしね。
結構、実は取り上げられてる人なんです。
僕自体は、この新井高子さんの詩を、
2、3年前に現代史手帳っていうところで、
関東史で載ってたんですよ、一番最初に。
そこで、
セミネっていう詩を読んで、
ものすごい感動したんですよ。
なんだ、この詩は?って思って。
そっから定期的に読んでて、
この新井高子さんって誰なんだろう?と思って調べたりして、
詩集が出たってなったんで、2024年に。
買おうと思って買ったんですよね。
すごい詩ですよ、本当に。
へー。楽しみ。
文学ラジオって基本的に朗読ベースでお届けしているんで、
どうしてもね、
僕は本当は文学って字で見て味わっていくもんだと思ってまして、
日本語って漢字を使うから、
字で意味が伝わってくるっていうのがあると思うんですね。
日本語の場合は。
だけど朗読になっちゃうと漢字がわかんなくなっちゃうじゃないですか。
だから朗読の音だけだと意味が伝わりにくいのがどうしても出ちゃうんですね。
書き言葉で文学は綴られてるから。
で、詩集取り上げるときも、
だからやっぱり朗読、詩集だけじゃなくてこの文学ラジオで取り上げるときは、
基本的には朗読で味わいやすいものをなんとなくピックアップしてるつもりなんですけれども、
この今回のこれはどうしても漢字を見ないといけないし、
そもそもこれ東北の方言だから、
そのね、わかんないんですよ音だけでも。
なるほど。
でも音が大事なんですよ方言だから。音が大事なんですけども、
字とセットで初めて伝わってくるものがあるんで、
ちょっと実際、今日は珍しく字を見ながら味わえたらと思っておりますと。
作品の朗読
はい。
これちょっとね、まだごめんなさい、準備不足で、
どうやってちょっと共有するか、リスナーの方と。
一応YouTubeにアップされるものは、
この録画の方を画面共有しながら撮るんで、
それをアップすればいいかなと思ってるんですけど、
SpotifyとかPodcastとかはちょっとね、やれるのかどうかわかってなくて、
概要欄からPDFが読めることができるのか、
この回だけはYouTubeに飛んでもらうのか、
なんかちょっと考えます。
はい。
で、一応この厳義書房さんから出てて、
厳義書房と著者の荒井孝子さんに連絡を取らせてもらって、
ちょっと紹介させてほしいということで、
著作権の関係で連絡させてもらって、
2編だけね、ちょっとOKもらったんですよ。
なので、えっとね、
今日はね、2編紹介したいと思います。
はい。
じゃあね、1作目はね、
まずエリモトっていう作品になります。
ちょっと画面共有していきますね。
見えてます?
見えてます?
見えてます。
はい。
そしたら読んでいきますね。
ちょっと僕も関西出身でございまして、
東北風の方言がよくわかってないもんですから、
読み方変なところあると思うんですけれども、
ご容赦いただいて、
読んでいきたいと思います。
エリモト。
アンレマー、都政さんが出てきたかと思ったーって、
おばさんが目を丸くして、
いっぺんに塔も吹けてしまった私は、
母さんの片身は来たでしょう?
朝緑の紡ぎですよ。
絵紋を抜くその寸法が、
かがまして見せるんですよ。
私のせずじば丸めっちまうの。
津賀民の水底からとうとう上がってきよった、
びしょぬれの黄土島が、
日数で食うんでねえのさ。
まことの年は死んだ人の肝で取るのよ。
だから捨てらんないでしょう。
あんだも買ってるでしょう。
タンスの引き出しは、
ちっちゃい棺だもの。
仰向けで眠ってるんでねえのすか、
地盤も皮膚も。
そっくりのエリモトだもの、
母さんと。
死んだときにはなかったよ。
ここのシミなんか、
なあして追うんだろうねえ。
なあして隠すんだろうねえ。
首根からくるぶしまで、
ほーら歩いてみせようが。
あんだの目にうずるのは、
私だろうが、
鬼門だろうが、
はじめっからそっちじゃねえのか。
ないはずですよ、足なんて。
ぬたらっと、
目まあるくして、
で終わりです。
これで終わりなんですね。
これで終わりです。
おっぺん読みます?
ちょっと私読んでみたいです。
ぜひお願いします。
あれ、ちょっと出身どこですか?
もしかしてそっちの方とか?
ううん。
出身は静岡なんですけど、
なんとなくこう文字で見てると、
おばさんとかがしゃべってる感じが、
情景が浮かぶので、
やってみたいなと思って。
ぜひぜひ。
ちょっと演技入っちゃって大丈夫ですか?
お願いします。
えりもと
あんれまあ、
としえさんが出てきたかと思った。
で、
おばさんが目をまるくして、
いっぺんにとうもふけてしまった、
私は。
母さんのかたみ場きたでしょう?
あさみどりのつむぎですよ。
えもんをぬくそのすんぽうが、
かがましてみせるんですよ。
わたしのせつべしば、
まるめっちまうの。
すがたみのみなぞこから、
とうとうあがってきよった、
びしょぬれのおおどしまが、
みっすうでくんでねえのさ。
まごどのとしゃ、
しんだひとのきもんでとるのよ。
だからすてらいないでしょう。
あんたもかってるでしょう?
たんすのひきだしは、
ちっちゃいひつぎだもの。
あおむけでねむってるんでねえのすか?
じばんもひふも、
そっくりのえりもとだもの、
かあさんと。
しんだときにはなかったよ、
ここのしみなんか。
なあしておうんだろうねえ。
なあしてかくすんだろうねえ。
くびねからくるぶしまで。
ほら、
あるいてみせようが、
アンダーのめいにうつるのは、
わたしだろうか、
きもんだろうか、
はじめっからそっちじゃねえのんか。
ないはずですよ、あしなんて。
うたらっとめいまるくして、
で、おわりですね。
いや、すんごいよかったです。
めちゃくちゃよかったです。
すごいなあ。
この、ねえ、このシーンが、
うん。
おばさんと、
方言の美しさ
よくなったとしえさんのきものをきた、
としえさんがおかあさんですよね。
そうだと思いますね。
これだから、わたしが、
わたしからはじまるんだけど、
なくなった、
ははがひょういしてくるというか、
わたしであり、きものであり、みたいな、
うんうん。
ことになっていってるんですね。
ねえ。
このたんすのひきだしは、
じっさいひつぎだもの、
あおむけでにむってるんですかねえ。
にむってるんでねえのすか、
いうから、きものも、
にむってるんですね。
きものがいきてるひとみたいに。
うんうんうん。
で、それをひきだして、
きるから、
なんか、
なにかをよびさますんですね、これ、れいこん。
ねえ。
れいこん、かってるっていってますもんね。
ほんとですね。
しみなんかもふえちゃって。
そうそう。
前にはなかったね。
そうなんですよ。
で、かがみ、すがたみ、みると、
うつってた。
ねたらーっとめいまるくしてってところは、
どううけとりました、じゅんさん。
さいごに。
いやー、これだから、ちょっとめいまるくしてるのが、
なくなったおかあさんであり、
わたしでもあるっていう、
ことなのかなあ、みたいなことを感じて。
ねえ。
自分は、
人は自分として生きていると思っているが、
実はいろんなものを着て生きているっていう、
親のからだったり血だったり愛情だったり、
いろんなものを着て、知らぬうちに着て、
生きて生かされているっていう感じがしてくる。
ゆりさんはどうですか?
なんかその一個前の、
はじめからそっちじゃねえのかっていうところ。
で、もう意識がそっちに持ってかれるっていうか、
エイコンのほうに持ってかれる。
なんか目にうつるっていうところで、
見えてるものを、
私だろうか、着物だろうかって、
見えてるものを並べるんだけど、
はじめからそっちじゃねえのかって、
そっちで後ろの存在というか、
見えざる存在のほうに意識持ってかれて、
目丸くしてってところは、
私とそのお母さんというかね、
エイコンと重なるっていうか、
なんかすごいこう、
見えてるものと見えてないものを、
すごい行き来する感じですよね。
行き来っていうかなんだろう、
シームレスっていうか。
そうなんですよね。
面白い。不思議な感覚になりますね。
いや、すごいな。
これわかった。
俺、なんでこれ好きなのか。
なんかね、
いずみ教科、私ものすごい好きだったんですよ。
いずみ教科の文学ってこういう文学なんですよね。
そういうっていうのはどの辺が重なるんですか?
なんかね、世の中的なジャンルで言うと階段とかね、
幻想的な文学っていうね、
民話も混ざられた、
そういうものなんですけど、
なんかそこにでも、
この新井孝子さんはやっぱり、
方言、
おばあさんが昔話を語るような感じの、
この響きが、
なんとも言えない世界観を出してくる。
これが美しいし、
方言の力
引き込まれていっちゃうんですよね。
なんかあるって思っちゃう、響きから。
ジブリの映画を見てるみたいな、
そんな気持ちになってくるっていうか。
これはすごいですね。
これをやっぱり、
普通の標準語で書いたら、
こうは出てこないもんね、絶対。
そうですね。
同じ話でもね。
この方言を語ることによる、
この創造力、生命力が喚起されてくるっていう、
呪文みたいだな、本当に。
文学の持つ呪文性みたいなものを、
象徴している作品で。
なるほど。
うわーと思った。
日本の方言ってこんなに美しいのかって感じもしてくるし、
私たちの知らない世界を見せてくれるものでもあるし。
全部こういう文体なんですよ。
藍鷹子さんの作品。
なんかこう、標準語っていうのかな。
標準的な文体では表現しきれない、
匂いとか、
色取りっていうか、
語感で感じるような成分まで、
方言だと含めちゃうっていうか、
そうだよね。
こういう感じがありますね。
土地とか歴史とかを同時に含んでるね。
いろんな情報をたたみ込めるっていうか、
中に折り込めてギュッとしてポンと出せるみたいな。
方言の力ってそういうところがあるんだなって、
すごい感じますね。
面白い。
こんなに抑揚が、
普通の文体じゃこんなに抑揚がつかないじゃないですか。
そうなんですよ。
このカタカナの小さいんとか、
そういうところに含まれるんですね、そういう成分が。
確かに。
匂いみたいな。
関西の片身バーのバーとかもね。
やごとの年やとか、そういうところに。
この辺も見事な表現ですね。
なんかよく、田舎臭いとか、年寄り臭いとか、
なんとか臭いみたいなこと言うじゃないですか、言葉で。
そこに含まれるものって、
臭いって表現が、
こういう、なんていうのかな、
匂いみたいな感じなんだなって、
言葉じゃ表現できないんですけど。
だから新井孝子さんは、
今、忘れつつある方言も、
蘇らそうとしてくださってるって感じがしてきますね。
確かに。
なんか、日本全国が引っ張らされてきているっていうかね、
近代的に言うと、
なんか慣らされちゃう。
慣らされてきて、
地方独特の、みたいなもので、
語源にしっかりと、
なんていうか、乗るんですね。
じゃあ、もう一つの作品いきましょうか。
はい。
22:25
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