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生物学者と書店員のインターネットラジオ、本の虫のススメ。
本を偏愛する生物学者の椿と、書店員の佐藤が、本にまつわるあれやこれやをゆるっとお届けします。
今回は佐藤さんが、紹介してくれる本があるそうです。佐藤さん、何を紹介してくれるんでしょうか。
佐藤 何をっていうかね、最近佐野陽子さんの本を読んでるんですよ。佐野陽子さんって、100万回生きた猫って有名な絵本を書かれてる作者さんなんですけど。
それで結構気づいたことがあったんで、紹介したいなと思いました。
最近なんか私もネットで、その記事が最近の記事かわかんないけど、佐野陽子さんの息子さんの話をチラッとなんか読んだの。
あ、ほんとに。
なんかイラストかなんかやったはず。
そうやね。
うん、そうそうそうそう。
でなんか、お母さんと一緒に本出したりとかもしたことがあるとか。
あ、なんかちょうどその絵をね、息子さんが書いてある本を紹介しようと思ってた。
あ、すごい。ナイスアシスタントになった。
素晴らしい、素晴らしい。
あっちのブタこっちのブタっていうタイトルの本で、
可愛らしいタイトルだ。
そう、で佐野陽子さん作で、広瀬玄さんっていう、これが息子さんなんですけど、が冊子を書いてるんですよ。
で、その後に佐野陽子さんご自身が絵を書いてるバージョンの。
あ、じゃあ2つバージョンがあるんだ。
そう、もうあります。
で、なんかさ、100万回生きた猫って、私はその、自分の中であれをハートフルストーリーと捉えてるんやけど、
まあ、あの、ヒューマンドラマというか、
まあまあそういうふうに捉えてるんでね、すごい感動作やと思ってるんやけど、
あっちのブタこっちのブタは、ものすごくすごい鋭いシニカルな目線を持ってる自動書で、
だからなんかちょっとその100万回のイメージとはちょっと違う印象の本なんよね。
タイトルがかなり可愛らしい感じやけど、
なんかね童話みたいなタイトルやけど、とんでもないよ。
そうなの?そうなの?
全然とんでもない。
なんかタイトルで子供がびっくりしたりしてるかもね。
かもしれないね、もしかしたらね。
ていうか子供だともしかしたらわからない部分が、大人になって読むと、あれー?みたいな。
それはあるかもね。
うん、あると思う。
ていうのは、なんかそもそもブタさんが、あの、なんて言ったらいいのかな、その、原初的な生活をしてんのね。
はあはあはあはあ、あんまり電気とかなくみたいな。
なく、もう服も着てないし。
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え、それは、ブタ社会にブタが生きてるの?
えっと、えっとね、ファンタジーの世界だから、服を着てる動物たちもいる。
あ、なるほど。
人間らしい、近代的な生活をしてる動物たちもいるけど、
なるほど。
でもこのブタは、スポンポンで、
なるほど。
だから本当に原始時代みたいな暮らしを送ってるっていう設定なんやけど、
そこに、えっと、キツネとウサギのインテリ家族みたいなのが引っ越してきたりとか、
へえ。
なんかだんだんしてきて、だんだんこの、ブタが暮らしてた林がこう、環境破壊じゃないけど、切り倒されていって、
なるほど、なるほど。
なんか都会みたいな家が建って、
うんうん。
で、そのキツネとウサギの夫婦が、ある日そのブタにさ、
あ、ちょっと待って、キツネとウサギ、あたし別家族やと思ってた。
あ、キツネとウサギが家族なんや。
あ、家族か。キツネが夫で、ウサギが妻っていう。
種を越えないと思ってた。
あ、種を越えてしまう。
なるほどね。
その夫婦がいるんやけど、が、急にやってきて、
うん。
なんか所有権とかを説明し始めるわけ。
あ、じゃあ。
おわあ。
地上げだ。
地上げっていうかね、そのあなたの家は、あの、あなたが買ってる持ち物なのかとか、
って聞くけど、いやそんなん知らんでみたいな。
ずっと先祖代々私はここにいるんだけど、みたいな感じで、
なんかアメリカの開拓時代みたいな、香りがする。
で、だんだん、いつの間にかそのブタは近代的なものに染まっていって、みたいな話になるけど、
へえ。
ちょっと結構最後が、最後の方に行くとだんだん衝撃的なストーリーになるので、
そうなんや。
ネタバレになるので言わないですけど。
すごいね、それは。
そう、結構シニカルな話。
ブタさんが出てきてとか、で、キツネとウサギの夫婦とか、それだけだともうシルバニアファミリーみたいなちょっとさ、
そうそう、牧歌的な感じ。
そうそう、幸せな感じがなんとなくするけど、
うん。
そんな土地の所有権とかを出てくるとね。
そう、出てきて、で、いろいろ裕福になっていくわけ、ブタは。
物質的にね。
物質的には。
うん。
だけど、どうなんそれって、みたいな。
へえ。
最初に、肌かんぼうで、いつでもくっちゃねくっちゃねして、
自由気ままに暮らしてたあの暮らしは何にも持ってなかったけど、その方が良かったんちゃう、みたいな。
うんうん。
なんか結構今に通じる。
確かに。
いつ頃の本?
え、もうね、何十年も前の古い本、初版がいつかちょっと思い、あの、わからないんですけど、
版がちょっと、バージョンが2つあるのでね。
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うん、たしかにね。
でも80年代とかそれぐらいの本だったと思いますけどね。
うんうんうん。
あ、ていうのもさ、ちょっとそれで私も思い出した本があってさ、
うん。
科学史というか、いろんな電球とか写真とか、いろんなのの発明史っていうのを人間の視点から編み直した本で、
発明は改造する人類をっていう。
だから発明が一つ生まれることによって人類のその生き方とかありようが、こうどういうふうに変容してきてるかっていうのに光を当てたノンフィクションなんだけど、
が、えっと、アイニッサ・ラミレズさんっていう方が書かれた本で、えっと、柏書房から2021年に出た本なんだけど、
それをちょっと思い出したりしたな。
でもやっぱりいろんなものを手に入れるっていうのは、いろんなさ、もの当たり前やけど、変わってしまう、失ったりとかするっていうところもあるからさ。
それで何年ぐらいって聞いたのは、これの初めにだったと思うんだけど、すごい印象的で、えっと、マドンナっているじゃないですか。
えっと、アーティスト、ミュージシャン。
アーティストの、そうそうそうそう。もうたぶん、歓歴超えていらっしゃるかな、ぐらいだと思うんだけど、
マドンナのその、マテリアル・ガールっていう、有名な。
物質、主義の。
そうそうそうそう。っていうのが、84年で。
だから、なんかそのぐらいのやっぱり、頃に最先端で、そういう価値観をポップカルチャーに持ち込んで、すごい衝撃的な歌だったみたいなのを、なんか前書きで書いて貼って、
そういうふうにさ、あんまりその、マドンナはマドンナみたいな、私らの世代は、まあその当時生きてないっていうのもあるかもしれんけど、
思ってたからさ、そうかと思ってさ、すごい、その物質的な世界へのメッセージ性みたいなのがあったんだとかね、思ったりしたので、
その本自体もすごい面白い本なので、またぜひ読んでほしいかな、っていうのをちょっと思い出した。
なるほどね。
いやーそう、だから結構、そういうもしかしたら時代の流れっていうのがあったのかもしれないよね。
うん、やっぱり法はじゃないけどさ、みんな三種の神器を持つのが当たり前になってきてみたいな、その限界みたいのが逆に見えてきたら、
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やっぱりね、考え直す時代というか、が来てたというか、かもしれん。
なんかそういう話の流れをしてて、ちょっとまた逆行してしまうかもしれないけど、
サノヨウゴさんの本でもう一つ紹介したい本があって、こっちはシニカルじゃない、100万回来た猫路線のサノさんなんよね。
ちなみに、さっきのあっちのブタこっちのブタも、今から紹介するサンタクローサーおばあさんっていう本も、両本残念ながら絶版のようなので、
でも図書館とかはね、置いてたりする可能性が高いと思います。
これ面白くてさ、もうタイトルからもわかるようにさ、サンタクロースの働き手募集みたいなのがかかるんだけど、それにおばあさんが申し込むんやんか。
で、いやそんなサンタクロースなんておばあさんって聞いたことないよって、それを募集してるのは神様がそれを募集してんねんな、サンタクロースを。
で、それ見たことないよって言いはんねんけど、いやでもサンタクロースにおばあさんがいたっていいじゃないとかって言って、
80年代の本やからさ、結構新しい、ちゃ新しいと思うねんけど。
で、そんな風に言ったら、周りにいる立候補してた男性のサンタクロース候補たちも、確かにそうやなみたいな。
前例がないからって認めないのはおかしくないみたいになって、確かに確かにみたいになって、おばあさんがサンタクロースなんねんけど。
で、ただなんかそういう自立心とか、そういうのがしっかりしてるおばあちゃんなんかなって、それもあるんやろうけど、思わせといて、
ラスト、そのおばあさんがサンタクロースに立候補した理由っていうのが明かされて、それがああーって、ちょっと胸に来る話なんで。
ちょっとね、100万回生きた猫と同じ路線でおすすめした絵、ちょっと手に入りづらいんですけど、絵本ですね。
なるほど。なかなか絵本はあれですね、ネタバレを避けるとちょっと気になっちゃうところはありますが、自分の手ででも読んでほしいから、ジレンマですね。
ぜひぜひ。それ言っちゃうともうね、っていうところがあるからね。
難しい。いつも紹介するときね。絵本に限らず。
限らず。ストーリーが短いから、余計難しいかもしれないね。
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そうかもしれない。
さっきのその佐野陽子さんのハートフル路線って、ちょっとだいぶジャンル変わっちゃうんですけど、紹介したい本が一冊あって、タンカなんですけど、
なんか流行ってるらしいね、タンカ。
そうかね、そうみたいよね。そうそうそう。
あなたのためのタンカ集っていう本ですね。
木下達也さんっておっしゃるのかな。
竜になるなりって書いて。
そうですね、木下達也さんが書かれてる本です。
あなたのためのっていうのは、その、著者の木下さんが選科というか選んでるってこと?それとも読んだ春?
読んだ春ね。
そうなんや、そうなんや。
で、なんであなたのためかっていうと、依頼者がいて、でそのお題をもとに、あなたのためにタンカを作りますと。
でそれを封書にして届けるという、活動されてる。
すごい、面白い。
それを個人販売で、販売してる。
そういえば昔さ、タンカの前に、なんか例えば、都で過ごせし、何年の時をおもひて読めるみたいなさ、
前書き?
そうそう、入ってるのあるや。あれ言葉書きって言うんやけどさ、あれをいろんな人に勝手に作って、はい読んでって、むちゃぶりしてた時期あった。
めっちゃむちゃぶりやな。
それで返せる人すごい風流人やと思う。
いなかった。
そうやんな。
でそしたら自分の、大学でよくやってたんやけど、送別会の時に、後輩か誰かに言われて、なんてひどいことをしていたんだって思ったわ。
その逆やねんな。
だから自分で書いてる。
言葉書きを送ってもらって。
そうそう、言葉書きっていうことではないけど、
なるほど、楽しそう。
そうやね。
依頼が教室、学校の。教室を生き抜くための単価をください。
へー。
多分相当なんか学校でつらい。
想像しちゃうな。
なんやろなって。
それに対して、
違いとは間違いじゃない窓一つ一つに別の青空がある。
窓一つ一つに別の青空がある。
全然見てるもの違うよってことなんやと思うけど、
やっぱ説明すると、
そうやね。
シンプル化してしまうね。
こういうのが見開き1ページごとに書かれていて、すごい素敵だなって思うんですけど、
何回か前に、痕跡本っていうものの話をして、
前、持ち主がいた古本なんかにちょっとした言葉が書き添えられてたり、
それを痕跡本って言う人がいるんだよっていう話をしてたんですけど、
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ドックイヤーってあるじゃないですか。
折りたたむ本のページの端っこ。
ページの端っこをね、しおり代わりに。
で、これちょうど持ってる本にドックイヤーがしてあって、
ほんとだ。
で、ちょうど。
図書館の本なんだね。
図書館の本なんで、勝手に折っちゃってる。
誰かの言葉やと思うねんけど、きっと近世に触れたんやろうね。
せっかくなんで、紹介したいなと思います。
誰かの痕跡を紹介。
依頼が、いつも一歩を踏み出すことができない私の背中を押してくれる単価をお願いします。
これに対して、怖がりな心の花に火を当てるために体をもらったんだよ。
っていう風になってますね。
一歩を踏み出したいと思ってたんでしょうね。
その折った人は。
そうなんやろうね。
思わずこう、うっかり折っちゃうぐらい。
ね、うっかり折っちゃうぐらい。
あんまり本来よくないことですが。
まあまあですけど。
でもそういう風にやっぱり近世に触れたんだなっていう痕跡を確かに見るのは結構楽しかった。
楽しい。楽しい。
まあちょっと、結構見開きで短く読める本なので、
でもすごく内容は濃い本なので、
よかったら手に取ってほしいなっていう風に思います。
そういう風にしてなんかね、短歌とか俳句とかが文語難しいみたいになって廃れていくのは寂しいから、
新しくそうやって人に寄り添う形になれていけたら、それはもうすごくいいよね。
なんかその文芸書コーナーとかで、特に短歌とか詩のコーナーって、
とにかく売れないから削られちゃいがちのコーナーだったから、
ちょっと最近その短歌とか詩が流行ってるというか、脚光浴びてて、
なんかちょっと嬉しい、書店員としては。
あと私、俳句を読んでた時期があったんだけど。
知らんことあるな。
なんか、その俳句って短歌と違って記号を入れないといけない。
そしたら結構自分が日本の季節を全然知らないんだなっていうのがわかったりして、
すごいなんか、寂しいというか、物寂しいような、
その当時さ、記号っていうのを入れようねってルールというか、
作った時のさ、人たちはさ、
当然これは、まあ全部これマイナーやなみたいな思いながら、
入っていったものとかもあると思うけど、
さくらはるぐらい、そこまでか知らんけどさ、
でも当然ここは結びつくよねっていうものがこんなに多かったんやと思って、
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それってすごいなんか、失われた感性やなと思って、
それをちょっと少しずつ、今お野菜でも何でも手に入っちゃうからさ、
少しずつ自分の中でちょっと取り戻すような作業でもあるなって思ったりした。
どこにも発表せず、勝手にこう俳句調に書き溜めてただけなんだ。
いいねでもそういうのって。
いいなと思った。季節感も意識するようになるしさ。
私散歩がすごい好きで、近所に結構大きい川があるので、
川沿いをこうプラプラ歩くんですけど、
なんかその時にすごい思うのが、
日本って四季が豊かって、4つ季節があるっていうふうに言うけど、
実際の季節って、4つどころか100個ぐらいあるなって思うんですね。
いや本当に本当に。
なんか3日とか1週間ぐらい、その川の近くに行ってないと、
花が全然、咲いてる花が変わってたりとか、見えてる緑の景色が違ったりして、
だからもう全然なんか、
ああそういうその季節の移り変わりっていうのを、
都会のそのコンクリートジャングルっていうと古い表現なんだけど、
の中にいると、四季どころかもう全然ね、季節を感じられてなかったなって、
今のその話を聞いてちょっと思い出しましたね。
なんかそういうやっぱり、失われた感性みたいなのに触れるとすごい、
なんて言うんだろうな、逆説的かもしんないですけど、
でもなんか言葉の中に、けいちつとかも、ほか、
けいちつって、虫が3月ごろに地中から出てくる季節のことを言うんですけど、
1年を24の季節に分けた時の1つの季節のことをけいちつって言うんですよね。
だからその、昔の日本人はやっぱり四季は、季節は4つじゃ足らんと思ってて、
24名前があるっていうことが言いたかったんだけどさ、
それ、もう全然ね、実感として感じなかったりするからさ、
でも言葉の中にはもう、けいちつもだし、息づいてるものがまだあったりして、
なんて言うんだろう、感覚と一緒に失われていくのは惜しいなと思ったりするから、
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自分がどうできるってわけじゃないけどね。
そういう時にね、本を読むといいですよね。
祭辞記とかさ、読んだらすごい勉強にもなるし楽しい。
し、寂しくなっちゃうけどね、なんかすごい、失われた世界みたいな感じがして。
だからこそ、なんかね、今それを勉強することって意義があるかなって思ったりもするよね。
祭辞記ってあまりなじみがないかもしれないけど、
なんか、季節ごとの季語とかの解説を加えてる、そういう季節を紹介してる本なんで、
昔の、今では使われてないそういう、けいちつみたいな言葉とかも勉強になったりしますよね。
勉強、勉強っていう意識じゃないかもしれんけど、
なかなか豊かになる?心が豊かになる。
なんかその、ちょっと違う話かもしれないんですけど、
最近結構、石村美智子っていう、南多の方のご出身というか、ずっとそこに住まわれてた、
2019年かな、に亡くなられたんですけど、作家の方で、一番有名なのが、
南多病をテーマにした苦害浄土っていう。
で、その石村さんが、結構自分の幼少期をモチーフにした、
まだその豊かな、四季お料理の生活が残ってた頃の、
南多とか白縫い界とか、あのあたりの生活を書いてあって、
白縫い界?
南多のあたりの海を書いてあったりして、
すごいそれがね、なんていうか、もう失われてしまった言葉がすごく多いんですよ。
例えばなんか、菜種梅雨とか、
何それ?
梅雨の季節と、菜種がなる季節の境目というか、ぐらいの季節だったりとか、
そういう生活に密着した、周りの自然で小読みを読むみたいなものだとか、
ちょっとした生き物のしぶさとかを表現するような言葉だったりとか、
本当にもう失われた語彙がたくさん出てくるんですよね。
ほんの、西村さんが確か、私たちの祖母ぐらいの世代。
だからほんの2世代ぐらいで、これだけ豊かな、
地方の言葉っていうのはもちろんあるにしても、
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やっぱり自然が失われるのと同じ速度で、言葉も失われていってるんだなっていうのをさ、
すごい感じたりして。
なんていうんだろう、つらい、寂しい。
寂しい。
すごく寂しい気持ちになって、涙が流れた。
ほんとに、ほんとに、ほんとに。
なんかさ、また違う本になるんだけど、
どんどん本がしていく。
広がっている。
最近、どんどん言語自体が消滅していってるっていうのが、世界中で言われてて、
もうほんとにすごい勢いで消滅していってるんですけど、
っていうのも、もう今グローバリゼーションの時代で、
どんなにこう未開の地みたいに見えても、
実はそこからプランテーション農業の農地に、
若者が飼い出されていってたりとかで、
どんどんどんどんその村とか、
その言語をお話す単位の人たちが少なくなっていってるんだよね、どの言語も。
っていうのがあって、それを、なんかほんとにもう、
おじいちゃんおばあちゃんしかほとんどしゃべってなくって、
もうこの人たちが死んだらなくなるっていう言葉を取材して書いた本が、
最後の言葉の村へ消滅危機言語タイアップを話す人々との30年っていう、
ドンクリックさんっていう人類学者かな。
言語学と人類学を勉強された方が30年に渡って、
パプアニューギニアの先住民族の村で調査を続けたののルポというかを書いた本なんだけど、
それとかにも詳しく書かれてたりするんだけど、
ほんとに言語って、もう使われなくなっていくと、
どんどん語彙が痩せ細っていって、
最終的には違う言葉に置き換わってしまうんだよね。
もうなんか、これはネットとかで書いてたことだから、
ほんとに話半分ではあるんだけど、日本語ももう今、すごい痩せ細っていってて、
幼少期からの英語教育とかいうのも入ってきたりして、
ほんとにもう日本語も何十年か後はないかもしれないみたいな、
そういう危機感を持ってる人もいたりとかして、
なんかそういうのって私たち普通に日本語しかしゃべれないし、英語ってめっちゃ難しいやんみたいな感じでさ、
危機感覚えないけど、ほんとにそんな豊かだった時代の、
万葉とかはもうもっともっとほんとに豊かやと思うしさ、
そういう豊かやった時代の言葉と比べると、
ほんとに確かに実感としてすごい痩せ細ってるんだなっていうのを感じたりして、
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なんか、言葉ってもちろん環境とか感情とか、
全てを言い表すことはできないけどさ、
そのもがきの蓄積としてさ、できたものだからさ、
なんかそれが失われるっていうのは、ほんとに歴史とか背景が失われることだなと思って、
すごい寂しく思って、
だから私は個人的にはちょっと文語っぽい言葉とか、
もう少なくとも文にする時とかは、
今そういうの使わないみたいなのが結構流行りだと思うんですけど、
誰にでもわかりやすいみたいな、
だからバランスではあると思うんですけど、
殺したくはないなと思って、
できるだけ多様な言葉を使っていきたいなって思ったりした。
だって使う人がいれば、その言葉は死なないもんね。
そうそう。
それが本になって残れば尚のことね。
だから自分で別にそんな大きいことはできなくてもね、
こうやってしゃべってる中で、いいなって思った言葉とか使えたらいいなって、
私恥ずかしいから余裕あんねんけど、
ごきげんようってすごいきれいな言葉になって、
きれいだよね。
思うよね。
でも使えないんやけど、恥ずかしくて。
2人やったらいいやん。
たしかに。
じゃあ次回も楽しみにしていただけたら幸いです。
ごきげんよう。
良い読書体験を。
良い読書体験をやっぱ恥ずかしいですね。
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