今回は、新井高子さんの詩集『おしらこさま綺聞』。
東北のおばあちゃんたちと交流しながら生まれた作品は、
どこか懐かしく、我々の大事な何かが呼び覚まされる感覚があります。
※今回の詩は、PDFを見ながらお聞きください。
https://drive.google.com/drive/folders/188ZboZ6X8-in6Zn5Aqj8-XnKbytLBHPY
Youtubeでは、動画視聴できます。
※幻戯書房・新井高子さんの許諾をとった上で配信しています
サマリー
御柱祭は長野県の諏訪大社で行われる1200年以上の歴史を持つ神事であり、祭りでは神木を滑り落とす儀式が行われています。このエピソードでは、新井高子の詩『神の木』を通じて、祭りの神聖さやその背後にある意味を深く味わっています。また、荒井貴子の詩集『おしらこさま綺聞』を通じて、伝統的な神事・御柱祭の重要性について探求しています。方言の表現が詩に命を吹き込み、文化を受け継ぐことの意義が語られています。
神の木の紹介
はい。神の木っていう作品なんですけど、これね、ちょっと一つだけ事前情報を入れるとですね、
これはね、御柱祭っていう長野県の諏訪大社で行われる、
古くから行われている祭りがあるんですよ。祭りというか神事というかね。
うん、御神事なんですね。
平安時代から諏訪大社ってあって、
で、なんで、もう1200年以上歴史を持っているお祭りなんですね。
7年に一度、祝いも行われているみたいです。
で、そうなんですよ。
で、そこでね、御神木っていうのかな、
大きい木をね、ガーって滑り落とすっていう祭りなんですよ。
なんかニュースとかテレビとかで見たことある気がします。
あ、ほんとですか。
詩の朗読と感想
そうなんです。そのお話ですね。
はい。
じゃあ読んでいきますね。
はい。
神の木。
切り出した大木を縄で言い割って運ぶでしょう。
大勢の我が衆で運ぶでしょう。
何所の斜面さあ出たら落とすがのう、転がすがのう。
乗りこなそうと我も我もと揺せぶられ。
自分の命の方を落っことす矢柄もあるのよ、祭りの談美に。
またがるから神木なのです。
またがって駆け降りるから宿るのです。
木に心臓が。
だものすっかり魂は渡しちまうものごもあって。
獣だもの山神が獣だった記憶だもの。
人間はおかしいなあ。
頭で木だと思っておるんがよ。
身体の方で四つ足の生神様さ。
我がれたんかもしんないねえ、そんときに。
頭と身体は、神と獣は、霊魂ば感ずるでしょう。
木にも枝打てば痛がると思うでしょう。
振りかぶって疑ずんと斧がめり込みや。
悲鳴あがってまたがって駆け抜けたら、
まっすぐに、
立たすでしょう、平らな地べだに。
まるで柱のようでしょう、
使徒の、獣の、
だもの、
喋り出しますよ。
長ないのに、
なんも長ないのに、
とくとくとくとく降りてくる、
垂れてくる、
語りごとが、そのより白に、
止まらん心臓だから、
青空に、
観念の心臓だから、
とくとくとくとく、とくとくとくとく、
無限になったが、人間の言葉、そんときに。
という作品です。
ちょっともう一回、味わいます?
どうしましょうか。
読みますね。
神の木、切り出した大木を、
縄でいわいて運ぶでしょう、
大勢の若衆で運ぶでしょう、
何所の斜面さでたら、
落とすがのう、転がすがのう、
乗りこなそうと、我も我もと揺すぶられ、
自分の命の方を落とす矢柄もあるよう、
祭りのたんびに、
またがるから神木なのです、
またがって駆け降りるから宿るのです、
木に心臓が、
だもの、
すっかり魂は渡しちまおの子もあって、
獣だもの、
山神が獣だった記憶だもの、
人間はおかしいなあ、
頭では、
木だと思っておるんがよ、
体の方では、
四つ足の生神様さ、
別れたんかもしんないね、
その時に、
頭と体は、
神と獣は、
霊魂ばかんずるでしょう、木にも、
枝打てば痛がると思うでしょう、
振りかぶってぎずんと、
斧がめり込みゃ、
悲鳴があがって、
またがって、
駆け抜けたら、
まっすぐに、
立たすでしょう、
平らな地べたに、
まるで柱のようでしょう、
使徒の、
獣の、
だもの、
詩が与える影響
さべりだしますよ、
ながないのに、
なんもながないのに、
とくとくとくとく降りてくる、
垂れてくる、
語りごとが、
そのよりしろに、
とまらん心臓だから、
青空に、
観念の心臓だから、
とくとくとくとく、
とくとくとくとく、
無限になったっきゃ、
人間の言葉、
その時に、
エリサウンド、
初見で読むとは思えない、
朗読ですね。
素晴らしいなぁ。
なんか、とくとく入ってきました。
とくとくとくとくね。
これ、なんか、
木が落ちていく音でもあり、
心臓の音でもあり、
血の音でもあり、
あるいは木の脈動化、
生命の脈動化、
なんか、
いろんなものを感じますね、これね。
ね。
男たちが木にまたがったところから、
重なった、
命の囲まりみたいなものの、
脈動が感じる感じがしますね。
ね。
観念の心臓だって。
無限のね、
無限の命、
無限の心臓みたいな。
うん。
これもすごいなぁ。
うん。
またがって駆け下りるから宿るのです、
木に心臓がって。
うん。
単なる資材じゃないんですよね、
ほんと木ってね。
神の寄り代なんですね。
うん。
神が宿るからだ。
うん。
だから木にも、
霊魂は感じるでしょう、木にも。
枝打てば痛がると思うでしょうって。
ね。
うん。
なんか、ちょっと僕もこの祭り見たことないんですけども、
ほんとに命を懸けるわけですよね、これ。
うん。
で、その命を懸けて木と人が一体となって、
命を共有するから、
一つになっていくっていう。
うん。
うん。
で、その時、四つ足で生きる神、獣に。
うん。
うん。
なんか、立ち上がるんですね、これ。
人間と木が一体となって、神の体として、
この神獣が、山神が立ち上がってくるんですね。
これ見てると。
うん。
これね、例えばこの五神寺を見地で、
これはね、こういう神寺なんだよっていうのを見ながら見るのと、
この詩を味わってから見るのとで、
全然こう、受け取り方が違いそうだなって思いました。
うーん、ほんとですね。
前回の柳さんの目磁気承認の言葉を味わってから、
ちょっと見るのとまた違うように。
うん。
これでも本当にすごいですね。
そのおっしゃった通り、この五神寺を言葉で説明されるより、
この詩としてこうやって表してくれるから、
その語らざる神聖さっていうのを感じれますね。
なんか説明じゃ、全然置き換えないっていうか、
含みきれないような意味っていうのかな、何だろうな。
観念みたいなもの?
で、まるっとここに描いてくれて、
おかげで、なんか受け取れるっていうか。
ねえ。
すごいですね。
すーごいです。
すごい。
あとこんなにこう、なんていうのかな、楽譜みたいな。
確かに。
文面が、結構初めて見ました。
こんなにこう自由に、さっきの一つ前の詩もそうだったけれども、
なんていうのかな、行間っていうのかな、このね、何マス開けてとかそういう。
本当になんか楽譜を見てるような、あれですね、詩面というか、文面。
この後半の悲鳴が上がって、また上がって、駆け抜けたらまっすぐに立つでしょう、ってこれ立っていくんですよ。
球がーって持ち上げてるところを表現してるんですよね。
なんかすごく小っちゃいけれども、
半画スペースみたいなもので、一行、半行下げてあったりとかするじゃないですか。
この時に頭と体は、髪と着物はの、頭っていう字と隣の髪の字は、若干髪の方が高かったりとか。
なるほど。本当だな、それちょっと気づかなかったな。
あれだな、でもあれだな、本はこれ整ってるな。
あ、そうなんだ。
これワードのあれかもしれない。
ワードのあれですか。
ルビーの勘違いかもしれない。
なるほど。分かった、うん。
でもね、確かに、なんか、ちょっと意味を感じれますね、それも。
ね。
うん。
伝統と命の感覚
なるほどね、ルビーのね、本当だ。頭って。
こういう伝統を受け継いでいくって本当に大事ですね。
ね。
うん。
なんか僕、この作品を読んだ時に、こういう祭りがないと、命を感じにくいのかもしれないなと思って、ちょっと。
もっと人間っていう枠の外に出ていって、もっと大きな生命の中に身を投げ出していくっていうことをね、しないと、命を懸けて生きていくってことができないんじゃないかって、ちょっと僕ね、思ったんですよ。
うん。
ないですよね、現代に生きてると。
ちょっと本当にね、僕、テーマなんですよ、それが。なんかこう、自分の命を投げ出すとかね、燃やすとかってことがね。
うーん。
これね、僕もね、なんかね、この、あの、荒井貴子さんの詩を読んでね、2、3年前に初めて読んでね、自分でもね、方言で詩を書いたことあるんですよ、何回か。
へー。
関西弁でしょ、僕の場合。
なんかやっぱりね、難しかったですね。
あ、そうなんですね。
難しかった。なんかやっぱね、関西弁には関西弁の、そのね、うーん、なんか世界観がやっぱありますよね。
うん。
これ、やっぱ荒井貴子さんも、この東北の言葉で、しかもこれちゃんとこの、なんだろうな、なんかね、この方言に含まれてる、にふさわしいものを扱ってる。
この紙の木もそうだし、その一個前の襟元もそうだし、なんかね、出来事と方言がちゃんとマッチしてて。
なんか僕ね、関西弁でこれを書くのはちょっとね、合ってない感じがするんですよ。
なるほど、なるほど。
関西弁には関西弁のね、なんかね、もうちょっと違うね、描かねばならない、受け継がねばならない詩があるような感じがしたんですよ。
なるほど、なるほど。
それがちょっと僕にはまだね、ちょっと掴めてなくて、結局ちょっと一旦手放したんですけど。
うーん。
あー。
自分で書いてみて、あれはすごいってまた思いましたね。
なるほどね。
やっぱ取ってつけたようになっちゃうんですね。違う方言を当てはめると、ものすごくちぐはぐなことになるんですね。
なるほどね。
僕もね、こうやってね、関西のね、髪言とかね、伝統とかをね、詩でこうやって受け継ぎてみたいですよ。
えー、やすぼしい。
ほんとに。
詩の力と方言
すっごいですねー、ほんとに。
ね、すごい。
また全然違う感じになるんでしょうね。
関西の文化を、伝統とか文化をこういうふうに、関西弁で詩にしたときの、ほんとに色味が違いそう。
ねー。
おもしろいな。
なんか方言も大事にしたいなーって思いますね。
へー。
そんな風に方言のことを、なんかそんな眼差しを向けてみたことがなかったので、
すごく新鮮だし、すごく味わい深いなと思いました。
へー。
これね、ほんとに今日2編しか使えなかったんですけどね、もう素晴らしい作品がね、たくさんあって、
ぜひちょっと買って読んでみてもらえたら嬉しいなー、聞いてくれた方は。
へー。
僕のお気に入りはね、セミネって初めて読んだ作品とね、
あとね、おしらさまこーっつって、これはタイトルおしらこさま気分だから、
同じかな、多分、神様の、東北の神様について語られてるもの。
この辺り良かったですねー、特に。
うーん。
なんか1回読むだけじゃ、やっぱりよくわかんなくて、でもね、もう響きだけで、なんかあるって感じちゃうし、なんかこう、
うーん、なるんで、で、なんか2回3回って読んでくると、
だんだんなんかこう、あぁーって、なんかこう、意味が立ち上がってくる感じがあってねー。
うーん、なんかすごいなー、なんかやっぱサラッと流しちゃうし、
本当はすごいのにサラッと流しちゃうしがあるんですよ、やっぱ、なんか、
その、普通の日本語で書かれた文章とかだとやっぱりね、読み飛ばしちゃうっていうか、サラッといっちゃうんで、いかに立ち止まらせるかっていうことがすごく大事で、
2回3回読ませることによって初めて意味が立ち上がってくるっていうのが、本来詩なんですよね、てか芸術なんですよね。
でなんかこのねー、
うーん、方言使ってるってことが、
立ち止まらせる力を持ってる感じがするんだよなぁ。
うーん、なんか1行目読んだ瞬間にもう、つかまれちゃうんですよね。
へー。
うーん、ほぼすべての作品。
うん。
うーん、で朗読したくなっちゃうでしょ。明らかにこの音で聞きたくなっちゃうから。
確かに確かに。
うーん。
読んでほしい詩の読み方をお願いで、本当に、なんか体現させる作品でもあるっていうか。
うんうん。
うーん。
本当ですねー。
うん。
うん。
こんなに風土みたいな、土地のあり様、ありようみたいなものをね、
まるっとこう、乗せることができる、詩の力ってすごいですね、方言の力なのかな。
うん。
うーん、面白い。
何度も読みますね、これはね。
ねー、そうなんです。
1回ずつって入ってこないから。
ねー。
うーん、素晴らしい作品だ、本当に。
うーん、じゃあ今日はそんなところで終わりましょうかね。
はい。
はい。
ありがとうございました、紹介。
ありがとうございます。もうなんか素晴らしい朗読で、より感じるものがありました。
はい。
じゃあ、ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
はーい。
22:25
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