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2026-01-10 25:28

#89 柳宗悦が魅了された木喰上人とは / 柳宗悦『木喰上人』朗読解説その1

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今回は、柳宗悦さんの『木喰上人』。

木喰上人は、死後100年を経て、柳宗悦によって見出された大事な上人です。
木喰上人がつくった仏像を見た感動を、柳宗悦さんが見事に言葉で肉迫する名文を味わい、
仏との関係性を深めてみたいと思います。

サマリー

このエピソードでは、江戸時代の僧侶である木喰上人の生涯や仏像作品について詳しく解説しています。また、柳宗悦が木喰仏を見つけ、その魅力に惹かれた経緯や、木喰上人が追求した仙仏思想について触れています。さらに、柳宗悦が感銘を受けた木喰上人の芸術とその精神性についても掘り下げ、特に木喰上人の微笑みをテーマにした仏像の表現が彼の作品に与えた影響を探求しています。

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こんにちは。
こんにちは。
はい。
木喰上人の概要
じゃあ今日はですね、木喰上人という本を扱いたいと思ってます。
柳宗さんの本になります。
はい。
あの、文庫本でね、出ているんです。
僕が持っているのは、これ先週、柳宗宗先週のものから持ってきてますけど、
講談社学芸文庫からも出てまして、木喰上人というものを、今日扱っていきたいと思ってます。
なんか想定が、もう柳宗さんの民芸感があって、いいですね。
そうなんですよ、もう想定がいいですよね。
素朴なんだけど、的なファンセンスがすごいですね。
木喰上人って江戸時代の僧侶の方なんですよ。
ちょっとこれ、どういう本かっていうと、簡単にお話しするとね、
木喰上人の表伝みたいなもんでして、
木喰上人自体は江戸時代の僧侶で、1718年に生まれて、22歳で出家して、
45歳からね、木事議会を始めるんですよ。
木事議会っていうのは何かっていうと、その後刻をね、立って、
火を通したものを取らずに、山菜とか木の実とかを食べて生活する修行のことなんですね。
後刻っていうのは、米、麦、冷え、泡、豆なんですけど、
それ立って、火を通す料理やらないから、肉とか魚とかはもちろん食べないし、
本当に山菜と木の実と蕎麦粉だけで生活するっていう。
それで93歳まで来たんですよ。すごくないですか。
縄文人みたいな。
狩猟も入らないのか。
そう、狩猟も入らないんだよね。
すごいだから、痩せてたみたいですけどね。
ああ。
そう、それでね、56歳の時から、日本全国各地を回る修行に出られて、
木事記物っていうね、仏像をね、亡くなるまでに1000体以上作ったって言われてるんですよ。
えー。
そう、で、なんで1000体作ってるかっていうとね、
仏教の中に、仙仏思想っていうのがあるんですよ。仙の仏の思想。
それは仙仏、仙の仏が現れてきて私たちを救ってくださるっていう、その仏の力、強さを表現されてるもんなんです。
例えば京都でね、有名な三十三玄堂とかに、戦隊戦獣観音立像をつって、バーって観音菩薩に竜像が並んでる動画があるんですよ。
そういうのも、そういう仙仏思想の現れなんですね。
で、木事記商人はそれに倣って、その仙隊の仏を作るぞって言って仏像を掘ったんですね。
だから裏に、その筆で書かれてあって、日本仙隊の内作っていうふうに書いてあって、
そのもう最初から仙隊作るって決めてるから、これは仙隊作る内の一つですよっていうのを、
書いていて、全国各地でそれを作ったっていう、そういう人なんですよ。
一人、一人なんですよね。
一人です。一人です。
その木事記会を、木事記会で修行する人のことを、木事記相とかって言ったりして、
それは一般名詞みたいなもんでして、いろんな僧侶が木事記相っていうふうに言われるんですけど、
この木事記商人って言われてる人は、この特定の僧侶のことなんですよ。
この方がたくさん仏像を、この人が作った仏像を木事記仏って呼んでるんですけど、
たくさん木事記仏を作ったっていうお話なんです。
で、ちょっと木事記仏で検索してもらったら、絵が出てくると思うんですけれども、
なんかね、ちょっとエリさんには見せるとね、こういう仏像なのに笑ってる可愛らしい顔をした仏像なんですよ。
ちょっと特徴的なんですよね。
なんか表情豊か。
そうなんですよ。
で、これはもう江戸時代から作られて、その後忘れ去られちゃうんですよね。
失くなっちゃうとね。
なんですけども、柳文義さんがこれを見つけて、もう一回思い出させるような形で有名にしてくださったっていう感じなんです。
柳さんはね、1924年、彼が33、34歳ぐらいの時にですね、山梨の友人の家に行った時に、友人の家にたまたま置いてあったやつをパッと見た瞬間、これは何ですかっていうことになって、
そこで運命的な出会いをしてるんですよ、この木事記仏と。
これはどなたが作ったやつでしょうかって。
木喰仏の特徴
そっから柳さんの探求が始まって、研究が始まったんですよ、この木事記仏のね。
で、いろいろこの見て回ったりして、当時柳さん京都に住まれてましたけれども、山梨通ったり、いろんな各地通ったりして、で、この1冊の本にまとめたのが、木事記承認っていう柳さんの本になるわけになって。
すごい。見に出されたわけですね。
いや、すごい、素晴らしい仕事ですね。
なんかそれもセットで待ってたかのような話ですね。
1600年代に木事記仏を、木事記承認が掘るっていうことと、
後年1800年代に柳宗さんはそれを組み出して、1900年代か。
で、まとめあげるまでが、なんか1つセットで起こってるぐらいな、すごいドラマですね。
ねー。そうなんです。
この本には、木事記承認って人がどういう人だったかとか、
彼が残した書物とかを、それの解説とかも書いてくださってるんですけども、
今日はちょっと扱いたいのは、あとがきに書かれてる文章を一緒に読みたいなと思ってます。
このあとがきのタイトルはね、承認作地蔵本にキスって書いてあるんですよ。
この承認が作った地蔵本に下げますっていう文章ですね。
これがね、素晴らしい文章で。
柳さんがこの木事記物を見て、どれほど感動したかっていうことを言葉にしてくださってる文章なんですよ。
じゃあ、これ何ページぐらいあるかな。一応区切りながらですけど、全部ちょっと読んでみたいなと思っていて。
1、2、3、4、5、6、7ページぐらいかな、ありますけど。
じゃあ読んでみますね。
はい、お願いします。
承認作地蔵本にキス。
あなたは微笑む。
蓮台の上に端座し、合唱し、
私に向かって微笑み、また微笑む。
どうして微笑むのかと尋げても、
その微笑みに全ての答えを託している。
私がその意味を思い煩うともなお、その微笑みをやめない。
また、ときえたと思うときも、ただ微笑んでのみ受けている。
私は今、日夜をあなたと共に暮らしている。
私が嬉しいときも、あなたは等しく微笑んでいる。
だが悲しいときでも、その笑顔を崩さない。
私が病にあってもそうだし、健やかであっても、それをさらに変えはしない。
どうしてそうなのかと、あなたを眺めても依然として同じである。
私の生活のすべての変化も、あなたの不変化を乱すことはできない。
かくして私はいつもあなたの微笑みの中にあるのを悟り出した。
時として腹立たしき怒りに心を曇らすとき、私はあなたの前に佇む。
私はそれを習慣にしだした。
あなたの笑顔は思わず私の心を緩めてくれる。
だが私がかくするのを忘れているときも、あなたは依然として同じ微笑みを忘れていない。
それを思うと私の心も微笑する。
私の苦しみも寂しさも、またはすべての楽しみも皆、あなたの前には平等なのだ。
この不思議な事実を、あなたはことごとに連れて悟らせてくれる。
柳宗悦の感動と影響
っていう、一旦ここまでなんですけど。
伝わりました?話されていること。
はい、伝わった。
すごいですよね。
なんか、太陽のイメージがすごくきましたね、今の話を聞きながら。
おてんとさまみたいな。
なるほど。
ね。
恒性っていうかね、常に変わらず暮らしてくれるみたいな。
笑顔を向けてくれる。笑顔っていうか微笑、微笑みを向けてくれるっていうのは。
確かに。
時とした腹立たしき怒りに心を曇らすとき、私はあなたの前に佇む。
私はそれを習慣にしだした。
あなたの笑顔は思わず私の心を緩めてくれる。
うん。
ヤノギさんはそうやって、心が揺れたときとか、怒りに打ちたときとかは、
この仏像の前に立って、コンディションを整えていってるような感じなんですね。
なんか、微笑ましいですね。
これ、こういうことって、いろんな人がいろんなやり方で、こうやってコンディションを整えてますよね。
運動したり、ちょっとランニングしに行ったり、山登ったりとか。
ヤノギさんはこういうふうにして、この目磁器物を見て、すごい自分の立ち戻るところに帰っている感じがしてますが。
本当ですかね。
なんかちょっとですね、これね、何回も読むと、
そういう存在って、
例えば僕の場合とかだと、親を思い出すと、ちょっとこういう近い感じになるかね。感じるんですよ。僕はですけどね。
なんかね、井上陽司さんっていう神父の方がいらっしゃって、その人のね、日本とイエスの顔って本があるんですよ。
で、その本の中でね、イエスの顔、神の顔っていうのは、ある特定の個人の人を通じて現れてくるっていうようなことを言ってるんですよ。
それが、僕の場合は多分両親を通じて感じてるんですけど。
なんかそれに近しい感じがしてて、読んでると。
井上さんはこういう仏像に何かやっぱり、このすべてが微笑みの中に自分が包まれてるっていう感覚を見てると。
僕も仏像を持ってるんですけどね。目磁器物じゃないですよ。
木喰上人の芸術
こういう、ちょっとあの、ベルさんには見せますけど、仏像を持ってまして。
これ、長野県の全工事で買ったんですけどね。
どうして、顔を変えようって思ったんですか?
いや、僕も仏像をちょっとね、なんか眺めたいなって思ってね、か。
でね、他にも仏の絵とかあるんですよ。
でもね、ここまで感じてなかったなって思ってね。別にいいんですけどね、それはね。
いやー、柳さんなんか仏像を見て、ここまでの思いを感じ、こんな文章を書けるのかっていうのにね、ちょっと感動しちゃったんですよね、これ読んで。
柳さんもしかして、じゅんさんも、その対象がお父さんかご両親に対して、
自分が仏像に対するのと同じ感覚、似た感覚を持ってるって聞いたら、同じように感動するかもしれないかもしれない。
なるほど、そうかもですね。
確かに確かに。
そうですね、その対象が大事というよりかは、そう感じるっていうのが大事ですもんね。
私は自然が浮かびましたね。
自然って言うと、ちょっと広い感じもするけど。
特に、日様太陽と、木?
木ですか。
木もそういう存在だなって思います。
やっぱこの木にはお世話になってるみたいな、今年はこの木にお世話になったみたいな木がいますね。
いいですね。
だからそれぞれ、人それぞれそういう対象があるんだなぁ。
そうですね。
親近感というか。
仏像って、こう感じてもらうために作られてるものな気がして、そもそもね。
だから僕らも仏像をいろいろ見ると思うんですけれども、
一つ、そうか、仏像はこういうふうにあって存在してくださってるんだっていうので、
何か味わえるといいなぁと思って。
ちょっと続きを読んでみますね。
はい。
私は思わずあなたを高き場所に安置して、
その前に香りをくゆらす。
静かな煙に囲まれながら、あなたはそれをまた微笑みにおいて受けてくれる。
だが、かくすることを私が怠ったとても、あなたの双望にはかつて一点の変化もないのだ。
人が見ようが見まいが、あなたを粗末にしようがしまいが、
すべてのものに向かって、すべての瞬間において、あなたは同じ微笑みを浮かべているのだ。
かくして、すべてがその微笑みの中に摂取されているのだ。
っていう文章なんです。
これ摂取って、
摂取って仏教の言葉で、主上救済するっていう意味なんですよね。
阿弥陀如来が、迷い苦しむ私たちを、どこまででも追い求め、拾い取ってくださるっていう摂取って言うんですけど。
かくして、すべてがその微笑みの中で摂取されているのだ。
ちょっと続きを見ますね。
私は開かず、あなたの唇を眺め、目を見守っている。
口は開くが如く、開かざるが如く、目は閉じるが如く、閉じざるが如く、不足不利の姿である。
何たる心の大徳が、この表現を捉え得たのであるか。
もし、もう一分その口が開いていたなら、私はあなたを思う機嫌を失うであろうに。
開かれた笑いであるなら、すでにただの笑いに終わる。
あなたの微笑みは、名付けうべき笑いではない。
それは、お酒りの荒いでもなく、高い笑いでもない。
または、楽しさの笑いでもなく、冷ややかな笑いでもない。
否、笑いに属すべきすべての方を許さぬ。
名付け、また、時得べき笑いであるなら、それは何の深さをも持たぬ。
これをこそ、不言の作とも言うのであろう。
って言うんです。
いいですね。
すごいな。
いや、すごいですね。
確かに、口開くが如く、開かざるが如く、目は閉じるが如く、閉じざるが如く、なんですよね。
不足不利。
すごいな。
これ、言葉にならないですね。
いや、そうなんですよ。
これ以上でも、これ以下でもないっていう感じ。
本当に言えてみようなんですよね、これね。
これだから、見た瞬間、「あ、微笑んでる像、なんか珍しいですね。」と。
こんなににっこりされてる像なんですね。ってなるんですけど、
柳さんは、これはただ微笑み、ただ笑っている顔ではない。
笑いに属すべきすべての方を許さぬ。っていうふうに言っていく。
わぁ、すごい。
笑いゼロ点ゼロみたいな感じ。
針がちょっとでも何かに触れると、もうそれはゼロではいられないっていう。
ほほえみのゼロのところに、針がピタッといるみたいな。
すごいな。
すごいよな。
それでさ、「何たる心の大徳が、この表現を捉え得たのであるか?」って書いてあって、
こういう思いで、目石証人のことを調べていったんだなって思ってね。
いや、この一文もすごいなって思って。
こういう境地じゃないと、こういう作品は生まれてこないって、柳さんは感じ取ったんですよね。
なんか、柳さんの追い求めるものが、その一文すごく返ってきますよね。
その探求心の源みたいなものが、その一文にギュッと現れてる感じ。
そうですよね。
目石証人さんってね、木彫りするとき、絶対人には見せなかったらしいですよ。
いろいろ全国各地回って、日中の昼間は地元の方々に対してお話しして、
いろんな人を差ししてもらったりっていうことをして、お仕事なさって、
夜になって、一人で彫り始めるんですって。
すごいですね。
本当に、なんて言うんだろう、聖なる営みというか、自分の、なんて言うんでしょうね、
瞑想に近いというか、心理に向かっての一心でやる営みだったんですね。
25:28

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