今回は、志村ふくみさんの「一色一生」から『兄のこと」。
また、その初出となった私家版「小野元衛の絵」を読みます。
芸術を試みる、魂を生きる人間にとって、小野元衛さんの存在に触れることは、感動とともに、大きな励ましをもらうように思います。
サマリー
このエピソードでは、志村ふくみが22歳の時の心情を表現した日記を朗読し、彼の弟の死を悼む様子や平和な心境について綴ります。また、絵への情熱や決意についても語り、自己信頼の重要性を強調します。志村ふくみは、仏画の世界に命を懸ける兄の作品や人生について触れます。彼の手紙には、孤独を選び仏画を描くことが自己救済であると記されています。そして、現代における仏画を描く使命感についても言及します。志村ふくみが描く仏画に関する洞察を通じて、罪と苦しみの表現がどのように仏の姿に結びつくのかを探ります。兄の言葉を引用し、仏画を描くことが自己の償いともなることを考察します。
弟の死と心の痛み
で、これ次、22歳の時なんですけどね。
え、これまでのやつが22歳前のやつだったんすか?今までのやつ。
今まで20歳くらいの年でしょ?
今までの読んでたのも全部、20から22の出来事のやつ。
そうですそうです。
すっごー。そっか。
はい。また22か。すげー。
そうなんですよ。
って思っちゃった。
はいはい。
で、22歳の時に、弟の忍ちゃんが旅だったんですよ。
うん。
その当時の日記の内容です。
読んでみます。
12月17日。
人は死ぬ。
私もやがて死ぬ。
人間の命の脆さ、悲しさを思う。
忍ちゃんは、もうこの世にはいないのだ。
動かすことのできぬ現実は、こんなにも痛ましいものに、人間を引きずり込むのかと思う。
成すべきことを中断された若い人の死は、その痛ましさにおいて、他に見すべきではない。
明日で、学期。
学期って月明治のことですね。
明日は学期を迎える。
前月の今夜のあの悲痛さ、かわいさ。
あんなに思い出深い夜。
悲しい時には泣くがよい。
私の宗教心は日に次いで激しくなってきた。
耐えるのだ、元栄よ。
この大きな悲しみを、お前はじっと歯を食いしばって耐えるのだ。
大きな不幸に見舞われた私たちは、本当に心を尽くして生きていかねばならぬ。
って書いてあるんです。
弟さんが亡くなって1ヶ月経った日の日ってことですね。
いいですね。
悲しい時には泣くがよいって自分で言ってるんですね。
耐えるのだ、元栄よって自分で書いてるんですよ。
自分にね。
泣いていいって自分に言ってるんだよね。
平和な瞬間の喜び
なんかいいですね、こういう日記が。
それでね、これ11月に亡くなって12月の日記で、
で、次3月の日記になります。
春を迎えつつある時の日記になります。
昭和17年3月10日。
この心の底より生まれてくる平和な静かな喜びを
私は涙ながらに迎えている。
苦しいあらゆる悲しみに耐えた後の微笑を
私はこの静かな小さな部屋で感じている。
どこかで朝鮮の空を見上げている。
小さな部屋で感じている。
どこかで朝鮮のかすかにきしる音が聞こえる。
一人、私は全く一人で机に向かっている。
かつて親しい間感じたことのない包囲と言うか、
そんなものをひしひしと感じている。
その日暮らしの私でさえもこんな静かなものを
感じることのできるこの世の中を私は尊く思う。
そして今、このまま死んではならないと思う。
道は遠い。人々も苦しんでいる。私も苦しんでいる。
これが世の中のありのままの姿なのだ。
遠い彼の地で私のことを思ってくださる両親への
紅葉ということが私のこれから先の唯一の目標である。
身を削り切りながら老年の父親が私のため、
何の物質力のない私のために働いてくださるその姿を、
私はただ涙の目で見るより仕方がない。
どうか私の不幸をお許しください。
私は自己を堅く信じ励みます。
自己を信じ絶えまず励むことが、
私は私なりの紅葉であると信じます。
って書いてあるんです。
絵への決意
これ、紅葉ということが私のこれから先の唯一の目標です。
この紅葉って親孝行の孝に養うっていう字ですね。
だから親を養い、親孝行するみたいな、そういう意味ですね。
それは何だろう、さっきのパンの話と近いのかな?
お仕事をしながら経済的にもって意味なのか、
もうちょっと違う精神的な意味なのか。
でも親孝行ってことでいいんじゃないんですかね、と思ってますけどね。
何でしょう、それによって少しでもご両親を往落させられたらっていう。
何かどこか日記のテンションがちょっと今までとまた少し違う、何かすごい静けさとか。
そうなんですよ。
淡々とした感じを何か感じましたけど。
これがすごいですね、ほんとなんかね。
何かあるって感じちゃいますよね、こういう文章を読むとね。
人々も苦しんでいる、私も苦しんでいる。
なんだけれども、こんな静かなものを感じることができるこの世の中を私は尊くも思う。
遠くで船がね、船だっけ、小船?
小船、だから鉄道でしょうね。
鉄道か、その音が聞こえて、すごい情景が浮かぶね。
すごい言葉やな、確かに。
弟が亡くなってしまって、半身をそがれたかのような悲しみにあるときに、静かな包囲を感じると。
でもこれわかる気しますね、何か。
みんな何かある気するな。
僕で言うとこの間、たちあらせいさんとさ、往復書館ってインスタグラムで上げてますけど。
あそこで7月分アップした僕の作品って、妻に癌が発見されたんだけれども、
それが発見されたから故に、なんて気持ちがいいんだ、夏の木陰の風だったり、
草木の揺れる姿だったり、みたいなものが心地よく感じるんだ、とってもっていう話。
近いものを感じるというか。
そうだよね。
だからどんな時でもそういうものっていうのは、本当は世の中にはずっと潜み続けているっていう。
それは何だろう、静けさだけじゃなくて、それこそ美しさとか、何かそういうものとか、いろんなものだよね、多分ね。
そうですね。
後半のね、身を削り切りながら老年になっている父親が、私のために働いてくれている姿。
私はただ涙の目で見るより仕方がない。
本当はもっと、もう十分働いてくださったから、もう楽してくださいって。
本当は言いたいのに、自分がこういうお金にならない絵の道を進むから、親は働かざるを得ないって。
どうか私の不幸をお許しくださいって。
私は自己を堅く信じ励みますって。
すごいなぁ。
これもだからやっぱり弟が亡くなっているから、もうあれなのかな、ここからはだから、振り切ってるんでしょうね、やっぱりね、絵にね。
ああ、そっか、さっきの手紙の話で言うと。
まあ多少生活費をなんとか稼いでいるのか、あるいはこれもしかしたら親が援助してくれてるとかもあるのかな、わからないけどなぁ。
まあいずれにしてもですね。
貫いてね、あっしゃる。
すごい。それほど稀なものってなんだろうって思う。
本当にね。
そうなんですよ。なんかやっぱりこれ、本当に月トルクペースの主人公彷彿しますね。
なんであんな生き方ができるんだっていうのに、ちょっと近しいものを感じますね、本当に何回も言うんですけど。
本当だね。
いるんですよね、だからこういうふうに生きる人が。
僕らがそういう生き方に触れると、問いが生まれるっていうか、どうしてここまでできるんだろうとか。
何がそこにあるんだろう。
憧れと共に思いますね。
じゃあちょっと次いきますね。
はい。
次23歳の時の文章。
昭和17年12月29日。
私の決意覚悟の一端をここに書き留めておきたいと思う。
私は東京を堅い決意の下去った。
それには全て命が懸けられているのである。
仕事に勝つか負けるか、私の全てはこの2、3年に懸けられている。
不言実行の時は来たのである。
孤立しよう。
ただただ古典と取り組もう。
古典の精神を生かすことは私の高き目標であらねばならぬ。
何も他のものは欲しいと思わない。
絵が描きたい。
本格的な仕事がしたい。
自分の信仰を一筋な気持ちで表したい。
乱りな饒舌は絶対つつしもう。
人に遭うのもできるだけ避けよう。
静かな深い努力の生活。
絵だ。絵が私の全てであり、命である。
一人で苦しめ、くじけてはならぬ。
他人に支配されるな。
汝自身を信用すること。
欲をなくせよ。欲こそは恐ろしいものと明記せよ。
自分の中に排水の陣である。
良き絵を描くことにのみ、全精神を打ち込め。
一つのものに徹することは、人間、ただ一つの目標で一番尊いものだ。
って書いてます。
いやー、もう一回聞きたいぐらいだったね。すごいね。
これだからあれだね。
さっするに、絵に振り切ったんだね、ここでね。
そんな感じですね。東京で出る?
出る。東京で仕事してたっていうことなのかもしれないですね。
知れないですね。
で、2,3年分、なんとか生きつなげる分があるから、
もうこの2,3年で絵に責任を持って勝負を出るっていう。
うわー、痺れる。
すごい。
生きてる。
なんか、一個一個良かったね。
なんかちょっと今全部パッと思い出せないけど、
うわー、すごいね。
なんか一個一個、一つ一つの言葉が。
欲をなくせよ。
欲こそは恐ろしいものと銘記せよ。って。
ねー。
うん。
そうだよね。
すごいですね。
さらに、今までにも増してさらに葉っぱをかけてる感じするね、なんか。
自分を奮い立たせようとしてる感じもする。
そうなんです。
そしたらね、次、もうちょっと読んでいきたいんですけど、
もうだから、そういうね、東京を去って、
絵で勝負している時の文章になっていくんです。
おー。
彼がどういうことを書いているのかとかね、
そういうことを触れていける。
気になるね。
兄の仏画への情熱
うん。
その当時、上海にいた私にあてた手紙の一節に、
こう書いてやるって言って。
これなんか福美さんへの手紙の文章なんですけどね。
読みますね。
禅月という当時代のお坊さんの書いた十六羅漢図に猛烈食いついています。
老人の顔です。
ホイットマンは、老いたものは若い者より美しいと言いましたが、
この羅漢図を見ていると何もかも知り尽くした深さに打たれます。
しのぐちゃんの持つ深さ、広さ、温かさが、
あの老人の顔に出ているように思います。
あの人のことを思って書いたのです。
書いてあるんです。
その時に書かれた絵がこれなんですよ。
中田さんにはちょっと見せますけどね。
主の仏って検索すると出てくる。
おー。
えー。
主の仏。
おー。
これ、禅月っていうね。
お坊さんの書いた十六羅漢図っていうのも検索すると出てくるのでまたよかったら見てください。
羅漢図っていうのはアラカンって仏教であるんですよ。
役職というかね。
悟りを開いた本当に高い層の地位な人なんですけど。
アラカンのことですね。
アラカンって略してラカン。
十六羅漢図っていうのがあるんですけどね。
うーん。
それがね、何ともいいんだっていうね。
猛烈なんだっけ。
いいですよね。
いいですよね。
猛烈にくらいついていますって。
いいねー。
ホイットマンは老いた者は若い者より美しいと言いましたが、
この羅漢図を見ていると何もかも知り尽くした深さに打たれます。
うーん。
しのぐちゃんの持つ深さ、広さ、温かさが、
あの老人の顔に出ているように思います。
あの人のことを思って描いたのですって。
うーん。
いやー、いいなー。
いいねー。
いいですねー。
この種の仏って有名だから、
僕はこの文章を読む前に知ってましたけど、見てみましたけど、
そうかー、これ弟のことを思って描いたのかーと言ってねー。
うーん。
あー、そう見ると思ったねー。
うーん。
でもやっぱそうなんですよねー、なんか。
いやー、なんか自分もさ、詩を書く人間として、
モチーフみたいなものを、
やっぱり考えますけど、
これでいいんだなーってやっぱ思いますよねー。
素朴なことでいいし、
自分にとって大事なことでいいんだ、
それ以外は書くことないっていうかねー。
うーん。
やっぱそれでいいんだなーって、こういうのを読むと思いますよねー。
うーん。
弟さんで言うと弟と。
なるほどねー。
そうだねー、そことそれが繋がってんだもんね、そのあらかんと。
うん、そうなんです。
それの中にそれを見るっていう。
これもまたいいですよねー。
そうそう、すごいよねー。
これだってしのぐちゃんってもう若くして亡くなってるのにねー。
10代で亡くなってるんでしょう、おそらく。
専門学校受ける受験の目前にって書いてあったからねー。
その幼い少年に対してねー、
この老いたさ、すべてを知り尽くしたかのような深さを、
のようなさ、老人が重なって見えるって。
しのぐちゃんの中にこの老人を見てるってすごく。
そうですか、すごく。
あれ思い出したね、知ったるたのさ、
あれだっけ、顔、最後さ、
最後友達がさ、友達だっけ、顔。
誰かの顔見たときにそこにさ、知ったるたの顔を見て。
顔を見るっていう。
それはもう顔の造形が似てる似てないとかじゃない顔。
じゃない、なんていうの。
それを今思い出す。
思い出したねー、なんか。
そうなんだよなー。
やっぱり肖像画とかね、
彫刻で人が彫られてるやつとかもね、
本当はそういうことなんですよ。
そういうことが込められてるんですよ。
その表側の姿、形の奥にあるものみたいなイメージなのかな。
だって絶対似てないもんね、その老いた、それと弟の、10代の弟の顔はね。
その形はね。
いいです。
いいですっていうのが本当にそうですね。
いいです、すごいしか言ってないんです。
僕、彫刻好きで、中田さんの話した曲、話したかのような気もするんですけど、
黒沼隆さんっていうね、彫刻家の方の作品見た時とか、本当に衝撃的だったなー。
まさにゴビンダが誰かの顔を見て体験したかのような体験をした気がします。
買いましたけどね、何十万とかに払って。
今は見てますけどね、私の宝物です。
本当はね、そういうことをいろんな人々や芸術作品で見出せたらいいんですけど、
そういうわけにはいかないですから。
一つでもね、そういう作品と出会えたらやっぱりすごいことなんだと思うんですよ。
ちょっと体験してみたいなって思っちゃったね、羨ましいっていうか。
僕はまだ知らないかもな、それ。
幸運なことですね。
一つでもね、そんなものと出会えたら。
孤独な創作の旅
同時に文学ラジオで扱ってきた今まで木とかさ、
こういうまた芸術作品のまた違うものの中にそういうものを見出してた人たちもなんか登場しましたよね、今まで。
本当ですね、本当ですね。
対象は何でもいいって言ったら変だけど。
そうですね。
芸術作品って言われてるものじゃないものの中に。
そうですね。
顔もそうですけどね、ある種。
草木国土四階成仏ね、仏を見出すっていうね。
それも出てきますね、文学ラジオは。繰り返しそういう話が。
そうなんです、その実践のための読書なんです。
この聞いてる皆さんと一緒に。
はい、はい、はい。
面白い。
じゃあちょっと続き読んでいきますね。
はい。
これちょっとまず先に福美さんの言葉から。
庭園間の都会の生活にあって、兄は教会を、町を、橋を、工場を、人物を描き、
人々のさそらうセキララの姿を見、
時代の究白と限られた生存の儚さに激しくぶつかって、最後の救いとして求めたのは仏画の世界でした。
再び庭園に戻って、ただ一人、見果てもつかぬ常大の人々の信仰の世界に目を向け、旅立ったのでした。
自分でも記しているごとく、まことにそれは命がけの旅路となったのです。
その当時、私にあてた手紙に、
って書いて、これ、本井さんの言葉が続きます。
私が虚偽に満ちた都会の生活を捨てて、真に孤独なつつましい生活に入ったことを喜んでください。
私は喜んでこの世界に引き入れてくれたのは仏画です。
私はここで一生仏画を描き続けます。
これが私を救うただ一つの道です。
私の信仰はゼです。
藤原、鎌倉以降の仏画の世界は、ばくばくたる空虚なものでした。
それを真実、盛り上げることは、どんなに大きな仕事でしょう。
私は、この一人の世界になりきって、仏画を描くときほど、魂の充実を感じることはありません。
今の世の中で、仏画を描く人は皆無の有様で、私の使命の大きさをひしひしと感じます。
私は、こんな大きな果てしない仕事を思うと、病気などかかっておれないと思うのです。
いや、見つけましたね。仏画の。
友人の立原誠さんが、その写真を見つけたかのように。
はいはいはい。
見つけたんですね。
見つけたって感じだ。出会っちゃったね。
ねえ。
いいですね。
でも、その手紙だけを読むと、すごく難しい世界のように感じたよね。
長い伝明の歴史の中でも、空虚なものになっていると言ってらっしゃって。
その中で、そこに立ち向かおうとされてる感じが。
孤独とか孤立みたいなことも、参与しちゃってますけど、ほんとそういう世界。
いい意味でね、使ってますけどね。
喜んでくださいって、みたいなこと言ってましたよね。
そうじゃないと、出会えないものがあるし、描けないものがあるんだっていうことなんですよね。
なんか、婚になって、みたいなこともよく書いてありましたよね。今はその、一人の婚になって、なんかそれをやってる時があって。
そう。
一人の世界になりきって、仏画を描く時ほど、魂の充実を感じることはありません。
いや、ほんとある意味幸せ者です、ほんとに。大変な苦労でしょうけども。プレッシャーも多いだろうし。
おかしそうね。
これね、ちょっと後半読んでいきますけどね、福美さんがね、福美さんの文章もいいんだなぁ。
福美の視点からの洞察
福美さんがね、仏像を見て感じたことをね、ちょっとだけ書いてくれてる文章があるんですけどもね。
仏像ってのは作品?実際の仏像?
仏像を見て、あれだけ仏をね、仏画を描いた仏画を描いて、仏に何を見出してたんだろうかってことで、仏像を見に行って、鎌倉時代の仏像を見に行って、っていう文章があるんですけどね。
それもね、素晴らしくてね。ちょっと今回機にね、仏ってどういうことなんだとか、仏画ってどういうことなんだってことも、ちょっと理解を深めていきたいんですよ、一緒に。
じゃあ、次読んでいきますね。はい。これはね、福美さんの文章ですけどもね、すごいことが書いてある文章なんですよ。
仏像をご覧になれたときのやつ?
でも仏について書かれてある文章ですね。仏画を見てかどうかは、仏について兄が語ってくれた言葉を紹介してくれます。
この混沌とした現代に、罪の意識にあえぐことなくして仏像を描くことはできないのか。
自分の仏画は、見姿だけ仏の像を借りた醜い苦しい人間の顔である。
これが私の偽らぬ魂の告白であり、罪に対する償いである。と兄はその頃語っていました。
もう一回、もう一回読みますね。
この混沌とした現代に、罪の意識にあえぐことなくして仏像を描くことはできないのか。
自分の仏画は、見姿だけ仏の像を借りた醜い苦しい人間の姿である。
これが私の偽らぬ魂の告白であり、罪に対する償いである。
なんか短い文章だけど、いろいろすごい。
すごいね。何回読んでもよくわかんないんだけど、すごさだけ感じる。
そういうことだよね。
でしょ。
仏画を描いてんだけど、見にくい人間を描いてる、になってるってことなの。
ちょっと理解が追いついてないけど、すごいね、なんかね。
そうですよ。
自分の仏画は、見姿だけ仏の像を借りた醜い苦しい人間の顔である。
伝わってきました?
いや、なんかすごいよね。
もとえさんは仏像を描こうとしてはいるのかな。
でもなんかそれがこう、そういうものになってしまうみたいな感覚なのか。
ちょっとわかんないんだけどね。狙ってそれを描いてるのかは。
なんかそういうふうに前者のように感じたと思ったし。
そうなってしまってるってことかな。
これね、仏画にこれを彫り込んだってところが多分ここにあって。
仏っていうのは苦しい人間と共にいるんですよ。
大師は苦しい人間のことを案じてくれてるんですよ。仏っていうのはね。
だって主上を救済してくれるんでしょう?菩薩大師っていうのは。
だから我々を救わんとして激しい衝動を持ってくれてるぐらいなんですよ、仏って。
それぐらい苦しい人たちのことを思ってくれてるんですよね。
だから仏を描くと大のずと苦しい人たちにも浮かび上がってくる。
なるほど。
これすごいな。苦しい人を描くのもすごい良いことだと思うんですよ。
苦しみの中の美しさ
でも一緒のことなんだと思うんだよな。苦しい人のことを描くじゃないですか。
でも苦しい人の中にある美しさってあって、犯されない美しさっていうものがあって。
それって仏の姿なんだと思うんですよ。
だから美しい人を描いても仏が浮かび上がってくる。一緒なんだよな、これ。
苦しい人を描いてもその奥に仏を見ることってことか。
うん。
でもさ苦しい人たちいろんな人を描いてもいろんな形があるけれども、
仏を描く、ただ仏の姿だけを描くとそこに苦しい人たちがガッと入ってきてくれる感じがあるんじゃないかな。
うん。
これが私の偽らぬ魂の告白であり、罪に対する償いである。
これが真実なんだっていうことを魂が告白したい。そして罪に対する償いでもあるんですね。
海への償い。
そうなんだ。
これは今日冒頭の方読んだ、自分は修学極まる魂なんだって言ってたところのことでしょうけども。
それがその絵を描くことを通じて償われている感じ。
うん。
自分が苦しめてしまった人たちに対して今の自分ができることは、
届けの上を描いて、祈りを届けることなんです。みたいなね。
すさまじいですね。
ちょっと一旦区切りがいいんで。区切りがいいって言っても別に区切りはあれなんですけど、時間も来たんで。
一旦終わりましょうかね。
そうですね。あっという間でしたね。
そうなんです。
まだだから日記が続くし、みたいな感じなのか。
まだ20代前半です。
28で亡くなるんですけど、今22歳とかですか。
3歳か。
すごいですね。
こういう形で人生を感じるのもちょっと新しくあった。
断片で日記でね。
日記でね。
そして妹がちょっと言葉添えながら編んでくれてる感じで。
そうなんです。
続きまた。
楽しみです。
次回収録しましょう。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
お疲れ様でした。
38:02
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