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2025-10-11 23:23

#76 本書の特徴・魅力、冒頭の名文 / 柳宗悦『南無阿弥陀仏』朗読解説その1

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今回は、柳宗悦さんの『南無阿弥陀仏』。

南無阿弥陀仏というたった六字に、どれほどの悲願、温かい響きが込められているか。
柳宗悦さんの美文を通じて、仏の世界に触れていきましょう。

サマリー

柳宗悦の『南無阿弥陀仏』は彼の晩年の作品で、宗教哲学と民芸活動を融合させた内容が特徴です。このエピソードでは、著者の背景や本書の文体、仏教思想に対する独自の視点について語られています。『南無阿弥陀仏』は浄土教の核心に迫り、他の宗教との関わりを通じてその本質を探求する作品です。エピソードでは、柳の独特な言葉遣いや浄土門という概念の重要性について議論されています。

柳宗悦の背景と南無阿弥陀仏
こんにちは。
こんにちは。
じゃあ今回、じゅんさん、どんな一つを。
今回はですね、こちら。柳宗悦さんの『南無阿弥陀仏』という本になります。
柳宗悦さんってこういう本も書いてるんだ。
そうなんですよ。柳宗悦さんって民芸の活動で有名なんですけれども、
もともとは30歳前半ぐらいまでは、宗教哲学者として活動されてたんですよね。
そうなんだ。
そうなんですよ。神についてとかね。宗教の本、いくつか出してて。
へー、知らなかった。
そう。めちゃくちゃいいんですよ、それが。
うーん。
で、30代後半ぐらいから民芸活動に移行していって、
60代になってくると民芸と宗教を重ねていって、創活としてまた本を出されていって。
うーん。
この南無阿弥陀仏も晩年に書かれてて、柳宗悦さんって72歳で亡くなるんですけれども、
66歳の時に書いた本なんですね。
あ、じゃあ晩年の融合した時の。
そうなんだ。
そうなんですよ。
ほら知らない人多かったかもね、わかんないけど。
民芸のイメージが強い。
そうなんですよ。
うーん。
再読のきっかけと感動
で、もうほんと僕やっぱ柳宗悦さん好きすぎて、この南無阿弥陀仏の本も4冊持ってて、その。
ほう。
もともとの単行本ね、これ。
これがまあいわゆる初版みたいなやつ。
そうそうそう。1955年に出された本。
もうなんていうの茶色くてさ、いわゆる古書のこの箱に入ってるやつね。
そうなんですよ。
渋いね。
この南無阿弥陀仏っていう字がまたいいでしょうこれ。
すごいね、なんか書体っていうのかな。
これもね、これなんか和紙みたいな感じになってて。
はあ。ちょっと高級そうだね。
そうそう、この金のね、南無阿弥陀仏って書かれていて。
あー。
こっきいね。
木。
うん。
こういうのに影響を受けて、僕もなんかちょっとやっぱり自分の刺繍箱入りに金の箔をつけるっていう。やっぱりなってる。
なるほどね。確かにパッと見たときにその、じゅんさんのね、マニマニはなんか影響を受けてそうだなって感じは感じるね。
そうなんですよ。
うん。拍子の感じとかね。
柳文一さん、前週以外にも宗教先週、宗教の本ばっか集めた先週みたいなのもあって。
うーん。
先週バージョン、宗教先週もまた2つあって、保存版っていうのもあって、もうちょっとでかいのもあってね。
ほんとだ。
文庫本もあり、それぐらいなんかね、好きなんですね。
好きってことはめっちゃ伝わってきた。文庫は岩並みで出てんだね。
そうなんです、そうなんです。
うんうん。
僕これ読んだのがまだ5年前だった記憶があって、今回、再読する契機がまた来たっていう感じなんですけど、
まあちょっと響きましたね、ほんとに。
すごい良かった。
もうほんとに感動したなあ。
もう一回感動し直した。
そう。やっぱ再読する魅力ってここにあるなと思って。
なんか今やっぱ再読する契機がやっぱ来たんですよね。
なるほどね。それがこの文学ラジオの収録もあったのか、またちょっと違う人生のタイミングだったりしたのかな。
そうだな、いや文学ラジオの影響もあると思うんですけど、たぶんいくつかあって、
最も大きいものは、8月7日に祖母が亡くなったっていうのがあって、
で、あの時、朝父から知らせが入っていて、で、その時に犬一番で思い浮かんだのが大王女って言葉だったんですよ。
はい。
で、この日ほどこの大王女って言葉が身にしみることはなかったなあっていうぐらい、なんかこう、大王女ってすごいなあって思ってたんですよ。
人が天寿を全うしてね、命を燃やしきったっていう、限りなく美しくて大阪で、気高い言葉だなって思って。
なんかそこに、僕はだから祖母が亡くなった悲しみはもちろんあるんだけども、それ以上にこの生き切ったっていうことへの命への賛美みたいな人が込み上げてきて、
俺を大王女と言わずして何と呼ぶと思って。
で、おつや行った時にバーンって入ったら、部屋にナムアミタブツってでかく軸がかけられてあったんですよ。
でもそれを見た時になんかこう雷が打たれたかのように、なんかすごいって思って。
ちょっと感動したんですよ。
なんかね。
そうなんですよ。
で、それはこの本を改めて読んでいくと、このナムアミタブツというたった6時にどれほどの悲願が込められていて、
どれほどの温かい喜ばしい響きが込められているかっていうことがね、何々こう実感してくるわけなんですけど、
そのおつやの時には、なんかそれをあの見た瞬間直感したような感じがしたんですよ。
うーん。
で、おつやはやっぱりなんかこう泣いてたんだけど、うちの家族はみんな。
だけど僕だけはなんかちょっとやっぱり涙が出ず、なんか興奮してたんですよ、なんかね。
興奮ね。
おばあちゃんはついに浄土へ王女をしたかと、仏になったかと。
これはなんとめでたいことなんだろうかと。
ちょっとなんかそういう感じになったんですよ、僕は。
うーん。
で、それでそのおつやして、国別式して、初夏7日法要して、四十九日法要してって、うちの家はそういうの丁寧にやる家なんですね。
で、その時にうちの親がね、まあ冗談で、お坊さんの代わりにお前やったどうやねんみたいなことを、
ほうほうほう。
俺に言ってくるわけですよ。
うんうん。
それは俺が普段から仏教が好きで、で仏壇の前でお経も読んでるんですよ。
で、しかもソランジテ読んだりもするんですよ、いくつかは。
で、そういうのを見て、まあ冗談で言ってくれてるんですけど、
俺も冗談で、なんかやるわじゃっつって、なんか言うわけですよ。
ほうほうほう。
だけど、その冗談の中にはちょっとだけ本気が入ってるんですよね、やっぱね。
うーん。
で、その時に自分で、なんか自分で自分の大切な人を供養したいなって思ったんです。
うーん、その時?
そう。
ほう。
で、だけど、そんなの僕が引き受けられるだけの修練がなかろうと。
これは改めてもう一度やっぱり、なんかこう理解していく必要もあるし、
何らかの修行が必要だろうと思って、再読し始めたっていうのが、なんかきっかけだった気がします。
本書の特徴と仏教思想
なるほどね。
うーん。
その修行をしていこうって時の、まずは一歩目としてというか、もう一回再読してみようかなってとこから入ったって感じ?
そうなんです。
うーん。
それは個人的な僕の流れに過ぎないんですけど、一応でもこのラジオでもね、
志村福美さんと野本英さんで仏の世界に触れてきたし、
で、志村福美さんもこの南無阿弥陀仏読んで感動したって随筆残してますからね。
うーん、そうなんだ。そこも繋がってんだ。
共通するなんか世界観があるし、
この文学ラジオって、なんかすべての中に仏を見出していくみたいなことを大事にしているラジオでもあるんで、
そういう意味では実はど真ん中の本なんだとは思ってるんですね。
うーん。
なんで、ちょっと南無阿弥陀仏という六次から仏の世界に触れていきたいなというのが今回でございます。
いいですね。
はい。
はい。楽しみです。
で、ちょっと最初にこの本の位置づけみたいなものを少し話しておきたいなと思ってるんですよ。
うーん。
その、仏教の入門書ってめちゃくちゃ多いんですよ。
確かにね。
本屋行くといっぱいあるよね。
いっぱいあるね。
仏教専用のコシアもあったりするしね。
そうなんだ。
うーん。
で、まあ仏教の、浄土宗は使う本っていうのもめちゃくちゃあるわけ。
浄土宗だっけ。あ、なるほどね。
うん。やっぱ法人神羅にもう心を動かされた人ってたくさんいるんですよ。
うん。
しばり太太郎もそうだし、五木博之さんもそうだし、本当もう歩みるとキリがないぐらい本書いてるんですよ。
で、その中で柳文義さんのじゃあこの南無阿弥陀仏っていうのは、なんかどういう特徴を持ってるのかってことを考えたときに、
好きな本を読んだらいいんですけど、僕はやっぱりね、なんだろうな、柳文義さんが書いているって本当にこの一点に尽きるんですけれども、
なんかね、まず一つは文体がやっぱめちゃくちゃいいんですよ。
文学の魅力って文体に尽きるって言ってもいいぐらいだと思ってて、
なんか仏教の入門書って、なんだろうな、優しくなるがゆえに、なんかね物足りなさっていうのがどうしても出てきちゃうんですけど、
柳文義さんってね、入門でありつつ神までちゃんと触れてくれているし、文体が何とも美しいんですよね。
うーん。
っていうのが僕なりにやっぱ一つ魅力に感じていることの一つね。
これは多分この後触れられるね。
そうですね。読んでいくんでね。
もう一つはやっぱ柳文義さんが書いているって本当にこの一点に尽きるんですけど、柳文義さんって60数年、この仏教思想っていうのを体現して生きてきた人だと思うんですよ。
そうやって生きてきた人だからこそにじみ出る言葉遣いだったり、仏教の理解の深さだったり、捉え方の豊かさだったりっていうのがあるんですよね。
うーん。
今日冒頭言った柳文義さんって民芸の活動している人だっていう印象があるじゃないですか。
はい。
でも本当は若い時は宗教哲学者だったと。だから柳文義さんの古くからの友人っていうのは、お前なんで民芸活動なんかしたんだと、宗教どこ行ったんだとっていうことを言うんだけど、柳文義さんからするとね、いやいや俺は同じことをやってんだってことを言うんですよ。
へー。
自分のこの宗教哲学ということを自分の人生に引き受けて実践した一つの形が民芸だったんですよね。
ほー。
だから俺が大事にしていることは一貫して変わってないんだよっていう風に言ってるんですね。
だから柳文義さんの民芸運動って実はその宗教、仏教思想っていうのが根底にあるんですよ。
うーん。
で、なんだろうな、本当に興味深かったのは、民芸ということも柳さんの中では浄土の思想だと捉えてるっていう話が出てくるんですよ。
ほうほうほう。
こういう話は他の人には絶対出てこない。やっぱ柳文義さんがだからこそ語れるんですよね、この辺の領域って。
そうかもね。
独自の捉え方がある、なんか。それは独自というよりかは、仏教思想をいい意味で解釈をとても広げてるんですよ。
へー。
今日ちょっと最後にそれ触れていきたいと思うんですけど、そういうものもやっぱり面白いし、あとは柳文義さん自身は、どこかの宗派に属してる人じゃないんですよ。
うーん。
それもどの立場から書かれてるかっていう意味ではとても大事なことだと思っていて、普通、例えば浄土教のことを語るのであれば、浄土教の僧侶が語るのが適切だろうというふうに普通は思うじゃないですか。
はい、そうっすね。
柳宗悦と浄土教の核心
だから柳さんの、柳さんが浄土教を語るというのは立場不徹底ではないかと思われるんですが、それに対して柳さんは言うんですよ。その捉え方を変えると、宗派に自らを限るというのもまた不徹底だろうと。
おお?面白そうなことをおっしゃってるぞ、ちょっと。
だから浄土教を真に掴むには浄土教以外にも触れていくことによって浄土教を掴めるわけだから、柳さんはこの宗派に属していないということが、一つ自分なりにいろんな宗教を見てきたかゆえに掴めた本質みたいなものが入ってる気がするんですね。
柳さんが若い頃はキリスト教とかにも熱心に読んでたし。
なるほどね。相対的に見れるしというか。
そうそう。そういうところも柳さんの仏教理解の深さみたいなものを生んでる要素な気がしていて。
また別の入門書とは違う見方とか切り口とかそういうのが出てくるのかな。
そうなんですよ。
楽しみじゃないですか。
そうなんです。
これ本当に細かいことなんですけど、僕浄土門っていうね。浄土教と言わずに門、浄土門っていう言葉使いがとっても好きなんですよ。
うんうん。
で、柳さんは多分意図的に浄土門浄土門って言うんですよ。
浄土教のことをイコールとして浄土門っていう。
ネットで調べると浄土教と浄土門は同じ言葉になってます。意味としては。
へー。
で、これ僕が勝手に受け取ってることですけれども、浄土門と浄土教ってやっぱ違うと思ってて。
ほうほうほう。
なんかね浄土教って、やっぱ宗派って感じがしちゃうの。
うーん。
宗教的枠組みの中でのその一宗派っていうのが浄土教って感じがしてて。
はいはい。
で浄土門って言われると、門だから、なんだろうな、開かれてる感じがするんですよ。
あー確かに。
うーん。
で入り口っていうかね。
そうそう。
そっから入ってって何かそこにあるみたいな感じなのかな。
門っていうとイメージするものがまたちょっとね。
うーん。
違う感じしますね。
そうなんですよね。
純算的に開かれてるってことが重要って感じ?
そう。
もう現代において宗教っていうのはどっちかっていうとやっぱり宗派に限らず、しかも別に入門するとかをせず探求できるっていうことが開かれてるじゃないですか。
うーん。
だから多分自分にもしっくりくるし。
うーん。
そうなんだよな。
門っていうことに何か美しさを感じるんだよな。
門っていう概念、言葉に。
うーん。
その開かれている入り口。
本当に誰でも入れる場だしっていう。
その開かれてるってことがやっぱ大事なんだろうな。
それがなんかより門にした方が響きとして浄土に合ってる気がするっていうのかな。
うーん。
っていうね、なんかこの辺も言葉遣い一つとっても、その柳さん独自のやっぱり言葉遣いみたいなもの。
浄土も別に一般的に言われてる言葉なんだけども、やっぱり選び方がやっぱ柳さんの選び方であって。
うーん。
そういうのもなんかね、いいんですよね。心地よく入ってくる。
はあはあ。
まあその一つ一つの裏付けというかその柳さんのなんかあるんだろうね。
その言葉を選ぶ配慮ですね。思想がね。
あると思う。
うーん。その滲み出てくるものとかも感じ取れると面白いですね、今日ね。
そうなんです。
うーん。
じゃあちょっと読んでいきましょうかね。
『南無阿弥陀仏』の魅力
はーい。
これ最初にね、主旨って言って、はじめにみたいなものとかっていう位置付けだと思うんですけど、そことてもいい文章だったんで、ちょっと読んでいきますね。
はーい。
はい。
いい文章ですよね。
いい文章ですよね。いい文章ですね。柳さんなんか上手いんだよな、なんかこの、我々がこう思ってることとか、我々が思う問いみたいなものとかを出してくれるんですよ、ちゃんと。
うーん。
だから多分スッと入ってきやすいんだよね。
読み手の問いが。
そう。
うーん。
今もう時代に合わない言葉とか古臭いって思ってるじゃないですか。
あーだから書いてくれると、うんうんついて眠るもんね。
そうそうそうそう。
うんうんうん。
ほんの6時に詰まってんだ。
そうなんですよ。人類の思想史に起きる最も驚くべき出来事の一つだと言ってよい。人間が考えた宗教思想の一つの極地がここに見られるっていうね。
プレゼン上手すぎますね、ちょっと。
上手すぎる。
柳さんね、このパワーポイント上手すぎてちょっと。
そう。
すげー気になるよね。
そうなんです。
続きを見ますね。
念仏は司策に長けたインドに発し、シナに来て実際的な信仰に熟したが、一宗派をこの上に混流したのは実に日本で、しかもこの国に来て、6時の意義が最も深まり、極めて独創的な内容に達した。
不思議にも、朝鮮には大きな発達の跡がなく、日本に来てこれ以上には登れると思われるほどの高さにまで司策が徹した。
しかも我々の国で培われ、育ち、熟したいくつかの思想のうち、おそらく最も深く温かいものは、この南無阿弥陀仏の6時に包まれる宗教思想であろう。
歴史を鑑みると無数の魂が、この6時によって救われ、今も救われつつあるのである。
なぜそんなにもこの6時に秘力、秘密の力、秘力があるのか、何をそれが意味しているのか、当然道を求める全ての人々にその真意が知らされてよい。
って書かれてるんです。
素晴らしい文章ですね。
いいですね。
たまんないですね。
文体って言ってた意味が、ちょっとここだけでもなんかね。
そうなんです。
いいな。
いいですね。
何なんだろうね、このいいって感覚はね。いいですよね。
そうなんですよ。
いやなんか、仏教の本本当にいろいろ、僕も一応読んできつつあるんですけど、少なからず。
そのタイトルもね、やっぱりね、無阿弥陀仏ってつけるっていうね。
うん。
なんかね、これもまたいいんですよね。なんかもう。
うーん、ちょっとまた違うの?他の本とかと。
他だとさ、まあ神乱っていうねタイトルの本多いし。
あー確かに。
うーん、まあどうだろうな、玉城幸四郎さんっていう仏教の研究者の方、僕も好きなんですけど。
無料受教永遠の命っていうタイトルとかね。
まあ素敵なんですけどね、それぞれね。
でも、無阿弥陀仏の六次がすごいっていう話をしてるから、もう無阿弥陀仏。
そうだよね。
そう。
だからこの本のコンセプトがもう明確でもうここに伝わって、今のの趣旨でもうそれが伝えられていて、タイトルも無阿弥陀仏。
そう。
一貫性があるっていうか。
そうなんですよね。
この六次の起力みたいなものを。
そうなんですよ。
そうなんですよ。
うーん。
それをちょっと今日感じていきましょう。
素晴らしいね。
うーん。
ご視聴ありがとうございました。
23:23

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