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#98 芸術の愚かさ偉大さ、レンブラントにみる近代性 / 小林秀雄『近代絵画』朗読解説その1
2026-03-14 26:27

#98 芸術の愚かさ偉大さ、レンブラントにみる近代性 / 小林秀雄『近代絵画』朗読解説その1

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今回は、小林秀雄さんの『近代絵画』

日本でも人気の19世紀の芸術家8人の列伝。
ボードレール、萌音、セザンヌ、ゴッホ、ゴーガン、ルノアール、ピカソ。
ぜひ美術館にいく前後に聴くと良いかもしれません。
絵画と親しくなれる言葉が詰まっています。

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サマリー

本エピソードでは、小林秀雄の著書『近代絵画』を取り上げ、19世紀の芸術家たちの列伝を通して、芸術の愚かさと偉大さ、そして近代絵画の精神に迫ります。ボードレール、モネ、セザンヌといった画家たちの作品や、パスカルやオスカー・ワイルドの言葉を引用しながら、絵画の見方や芸術の本質について考察します。特に、レンブラントの『夜警』を例に、主題の権威から逃れ、絵画の自主性を追求した近代絵画の歴史を解説します。

小林秀雄『近代絵画』の紹介
今日はですね、小林秀雄さんの近代絵画っていう本、持ってきました。
結構小林秀雄さんの中で有名というか、読まれてる方の本だと思います。
19世紀の画家たちが8人紹介されてるんですよ。
モネ・セザンヌ・ゴフゴ・ゴーガン・ルノワール・ドガ・ピカソっていう7名と、最初にボードレールが持って来られてるんですけど、ボードレールは詩人で画家じゃないんですけれども、
最初これ、近代絵画ってタイトルなのにボードレールから始まるって、それも何でかっていうのを後でちょっと読んでいくとわかるんですけども、その8名、本当に伝説的な芸術家たちの烈伝みたいな感じの本なんですよ。
そうなんです。この辺の19世紀の画家たちってすごい人気なので、いろんな本あるんですけれども、僕もいろんな本今読んでいってるんですけど、やっぱり小林雄さんがいいですね。
なんでなんすかね。小林雄さんいいっすね。
8名あって、それぞれボリュームが全然違うんですよ。
短いと10ページぐらいで終わるんですけれども、分厚いのだともう50ページとかぐらいあるかなとかっていう人もいたりするっていう感じで、濃淡がいろいろあるんですけれども、10ページぐらいでもすごい読みごたえがあって、作品展見に行くときとかに名前とか後とかに読んでみると、また多分味わいが深まると思うし。
でも近代絵画じゃなかったとしてもすごくいいと思う。小林雄さんって絵画を扱ってるのに、それを音楽によって解説しようとしたりしてるんですよ。なんだろうな。絵画の感動を音楽を使ってどうにかその感動を言葉にしようとしたりしてるんですよ。
で、ボードレールも出てくるから、詩人物話も出てくるから、小林雄さんとっては詩と絵画と音楽みたいなものが一つのものになるような深さで受け止めようとしているんで、そういう意味でも本当はこれ絵画に留まらずいい深みにある本になってるんですね。
そうなんです。エルさんもNPOの活動で絵描いたりするワークショップとかされてるから、ちょっとなんか着想があったりするかもとか思ったり。わかんないけど。
何か呼び覚まされるかちょっと楽しみです。
はい。それでね、今日はとりあえず最初の3人、ボードレール、モネ、セザンヌの3人、ちょっと扱えたらなと思っていて、ちょっとどれくらい時間かかるかわからないんで、ちょっと扱いきれないかもしれないんですけど、一応その3名ぐらい扱えたらと思ってますと。
で、セザンヌがですね、やっぱりこの本の中で一番読まれてる箇所だと思うんです。内容もめちゃくちゃ面白いんで、ちょっとセザンヌも扱いたいんですが、その前にボードレール、モネって来た方がより深まっていく感じもあるんで、最初ボードレールから扱いたいなと思ってます。
はい。
「近頃の絵はわからない」という問い
ちょっとじゃあ最初にボードレールのこの本、本当に一番最初のところ読んでみますね。
はい。
近頃の絵はわからないという言葉を実によく聞く。どうもバレーショらしい。バレーショってジャガイモですね。バレーショらしいと思って、下の題名を見るとある男の顔と書いてある。極端に言えばまあそういう次第で、さてわからないということになる。
絵は何かを描いたものでなくてはならない。そして、この何かは絵を見ない前から私たちが承知しているものでなければならない。誠に当たり前の考え方であって、実際、画家たちは長い間、この当たり前の考えに従って絵を描いてきたのである。って始まるんですよ。
近頃の絵はわからないと。ジャガイモだと思って見たら題名を見るとある男の顔って書いてある。極端に言うとまあそういう次第でわからないと言ってるんですね。
ここに書かれている19世紀の近代絵画はなんとなくわかると思うんですけど、やっぱりキュビズムとかシュールレアリズムとか抽象画とかに入ってくるとよくわかんないくなってくるじゃないですか。
何が書いてあるかよくわかんないってことになってきていると言ってるんですね。これだから、絵画の見方として何回か話してきたかもしれないんですけど、
一旦誰が描いたかとか作品さえタイトル名さえももう見ずに、いいよ見て自分で勝手に感じて勝手にタイトルつけてもいいと思うんですよ。
そういう自由さっていうものが近代絵画からやっぱりそういうことができるようになってきていると思っていて、それより前はやっぱり宗教画だったりするからあまり自由に見るっていう感じじゃないんですよね。
何か聖書の何かが書かれてあるとかそういう話になってきちゃうから。でも近代絵画はみんな画家たちが自分の自由に描いているもんだから、受け取っても自由に受け取ったらいいっていうことになってくるんですよね。
なんだけども、でもその何の絵かわからなすぎると受け取る方はもう受け取れないというか、これ何なんすかねみたいな感じになっちゃってよくわからんなーみたいなことになっちゃうじゃないですか。
そういう時に、やっぱり画家がどういう思いで描いたかとかどういう思想をそこに込めていったかみたいなことを知ることで、絵が味わえるってこともあると思うんですよね。同時にやっぱり別の見方としては。
ちょっと当たり前のこと言ってますけど。このひまわりっていうのがあの一人のために描かれたんだってことを知るだけでグッと入ってきたりするってこともあると思うんで。
そういう情報をバイアスと捉えて全く見ず知らずに見るってこともいいし、そういう情報を得てそれを通じて見るってこともいいし、両方あってもいいんですけれども、やっぱり何の絵かわからないとなったらやっぱり情報を得た方がもしかしたらもうちょっと味わえるかもしれないってことがあると思うんですよね。
だから今回この小林市長さんの近代絵画もそれぞれの人の精神みたいなものを扱っているんですよね。それを触れてから絵を見るとやっぱり味わい深くなるっていうことがあると思っていて。
そういう意味でこの本はやっぱりいい近代絵画入門の本だなぁと思っているわけなんです。
パスカルの画家論と人間の愚かさ
ちょっと続き読んでみますね。
例えばパスカルはこんなことを言っている。
本物は平凡で誰も褒めやしないが、その本物をいかにも本物らしく描くと褒められる。画家とはなんと虚しいつまらぬ職業だろう。
本物は平凡で誰も褒めやしないが、その本物をいかにも本物らしく描くと褒められる。画家とはなんと虚しいつまらぬ職業だろう。
これ聞いてどう思います?
なんかポップとか日常にあるなんてことないものに対してなんとも思わないのにそれが上手く描かれた絵は素晴らしいっていうね。
そうそうそう。ありますよね。
ほんとあるなと思って。
それをパスカルはもう画家とはなんと虚しいつまらぬ職業だろうと。
一周する秀夫さんの言葉も面白いっていう感じ。
当時一般に絵というものがどう考えられていたかが明らかに現れている。
いやこれほんとその通り。
このパスカルがどういう思いで描いてたのかちょっとよくわかってないんですけど、
でもこれ受け止め方としては、画家が虚しいつまらぬ職業というよりかは、本物を見過ごして絵で受け止めてるっていう、
そういう人間の愚かさってことを言ってる気もするんですよ。
これなんか僕も全く同じこと思ってました。
僕家に彫像があって、初めて買った彫像なんですよ、それが。
十数万もお金払って買った、初めて高価な買い物した彫像なんですけど。
クルノマタカトシさんって今も生きていらっしゃる、僕よりちょっと上ぐらいの年齢の人なんですけど、
その人の個展見に行ったときに半日ぐらいそこにいたんですけど、あまりにも感動して。
それ見て帰り道に、同じようなこと思ってて、そこには人間の顔が彫られてるんですけれども、
人間の顔の美しさみたいなものを本当にまだまだと感じて、
自分は近くにいる人間をこんなに美しいと思ったことがないと。
生身の人間をこんなに美しいと思わず知って、
なんで俺は彫像なんかに美しいと感じてるんだ、バカか俺はって、
自分の愚かさみたいなものを感じてた。感じながら描いてたっていうのがあって。
だから芸術は偉大なんだなと同時に感じてたんですけれども、
でもわかる。本物を褒めずに、本物らしく描かれたやつを褒めるって、なんてバカなんだって思ってましたよ。
なんで、なんだろうって今すごい、その2つの違いというかね。
本物と描かれた、再解釈された絵っていうのの違いは、なんだろうってすごい興味津々な感じ。
そうですよね。
オスカー・ワイルドの逆説と芸術の役割
これね、オスカーワイルドっていうイギリスの作家がいるんですけれども、
彼が、自然は芸術を模倣するって言葉を残してるんですよ。自然は芸術を模倣する。
これちょっとね、意味わかんないと思うんですけど。
普通はね、逆なんですよ。芸術は自然を模倣する。模倣ってわかりにくいから、芸術が自然を映すんですよ。
絵画は自然を描くじゃないですか。だから芸術は自然を模倣するんですよ。
でもワイルドは逆のことを言ってるんですね。
その真意はどういうことかっていうと、私たちは芸術作品を通じて初めてその対象の美しさに気づくんだっていう。
現実の中で見過ごしていたその対象、自然なりなんなりを初めてそこで発見することができる。
そこで発見したがゆえに、現実世界でもその美しさを実感できるようになってくるっていう。
だから芸術っていうのはものすごく大事なんだっていう、そういう話の言葉を言ってるんですよ。
もうちょっと言うとね、芸術が人生を模倣するよりも人生が芸術を模倣する。
このことから当然外界の自然もまた芸術を模倣する。
そういう言葉があって、これは人生と芸術の関係においても同じ、そういう関係にあるから、芸術も人生がそうなんだったら芸術もそうだろうってことを言っているんですよね。
人生と芸術っていうのも、実は人生に込められている豊かさというものに自分では実感できないんだけれども、
それが芸術によってまざまざと描かれたり現れてきたりすることに形付けられたことによって、自分の人生を初めて受け止められるってことがあるだろうっていうことも言ってるんですよね。
だからこういうことなんですよね。
写真で見ると、あのシーンに私もいたのに、プロのカメラマンの方がそこに一緒にいてくれて、
写真で切り取ってくれたそのあの瞬間みたいなものを後から見たときに、なんて自分は素敵な場に身を置いてたんだとか、再解釈されるようなことが結構あって、
今のお話を聞きながらそういう体験が蘇ったりしてました。
そうなんですよね。
文学ももちろん芸術だから同じで、文学ラジオで扱っていることを文学で感じ取れるから初めてこの現実世界でもそうやっていろんなことを見れたりするっていう。
だからパスカルにはそういうふうに理解していいっていうね。
そういうことというか、なんですよ。
レンブラントに見る近代絵画の兆し
それでね、近代絵画って、これ近代絵画っていう言い方が時代で区分しているわけ方ですよね。
古代、中世、近世、近代、現代って仮にじゃあ分けてみたときに、この期間近代にしましょうみたいな、そういうことなんですよね。
でもその近代、いつから近代なのかっていろんな文脈で話せたりするわけなんですけれども、
一旦この本では仮に19世紀だとして、19世紀の近代絵画が持つ、近代というものの精神みたいなものに小林秀夫さんは迫っていて、
その近代の精神っていうのは、でも19世紀より前からいくつか現れてきているっていうことを言ってるんですね。
例えばそれがレンブラントっていう画家にも現れてるだろうという話が出てくるんですよ。
レンブラントって17世紀の人なんですけれども、例えばレンブラントに夜景っていう有名な絵があるんですよ。
ちょっと検索してみてもらったら。
夜の警官の刑ですね、警察の刑。
夜の警察の刑に。これなんか教科書とかにも載ってたと思うんですけど、っていう絵があるんですね。
レンブラントって若い頃から肖像画家として人気だったんですよ。
そもそも肖像画っていうものが流行していて、こういう集団の人たちも描くっていうことが増えてきていたんですよ。
この夜景っていうのはね、当時のアムステルダムを守る射撃隊を描いてるんですね。
アムステルダムの射撃隊の組合員から注文が来て描いたと。
これが面白くて、これ真ん中の2人しかちゃんと描いてないんですよ。
あとの人たちはみんな暗い背景の中に押し込まれてしまってるわけですよ。
組合員の方からすると、これでお金取られてめちゃくちゃ腹を立てたんですよ。
レンブラントはこれでたちまち評判が悪くなってしまって、肖像画の注文がパタリと止まってしまったっていう話があるんですよ。
これがね、なんでそんなことしたかっていう話なんですよ。
レンブラントはね、分かってんですよ。そんなことしたら怒られるってことは。分かってんですよ。
でもレンブラントには、絵っていうものはね、その外部のものを対象を模倣するっていう、この当時の常識を超える画家の本能みたいなものがあって。
そんなこんな十数人の人物を描くよりも、2人だけに絞ってしまって暗くさせてしまった方が美しいんじゃないかって。
その美しい絵を描きたいっていう画家の本能が、この怒られるって分かっていながら、この常識を打ち破ったっていう絵なんですよ。
ここに小林伊藤さんは、近代絵画の方ががるっていうことを言ってるんですよ。兆しがあるってことを言ってるんですよ。
今までの絵画っていうのは、やっぱり主題が決められてたってなんですよ。
父中世の絵が分かりやすくって、宗教画が多いじゃないですか。対象が大事だったんですよ。何を描くかっていうこととか。
これも肖像画を描くってことが当たり前の時代に、肖像画にしないっていう、自分が美しいと感じることを描くっていうことを優先したっていうことをやったんですよ。
レムブランドはここから生活を困窮していくことになっちゃうんですよ。
彼は消費癖があったからね。そういうものはもちろんありますけれども、でも確実に仕事が減っていったっていうことでもあるんですよ。
これすごくないですか。
すごいすごい。女の人まで描かれてる。
そっか、なるほどね。
そうなんですよ。
絵画ってそういう存在だったんですね。
温めて。
小林寺さんの文章ちょっと読みますとね。
夜景を見る私たちの目にアムステルダムの射撃隊などは何の意味もないが、絵はその美しさのゆえに何らかの意味を語りかけてくるように思われる。
つまり私たちはレムブランドの絵を近代的に眺めるようにならされてきたわけだ。
この夜景が描かれた当時の人々はそこにアムステルダムの射撃隊っていうその具体的なものを見てるんですよ。
その人たちが果たした役割もわかってるわけですよね。
だからその感謝の思いとか出るだろうし、そういう主題を見ているし、主題から意味を受け止めているっていう、宗教側もそういうふうにやってるわけですよね。
でも私たちは近代絵の見方っていうのは主題から切り離して、絵画にある自律的な美っていうものを見てるんですよね。
だから私たちはどうでもいいっていうことで、アムステルダムの射撃隊なんかは何の意味もないっていうことで。
だからレムブランドの絵っていうものは近代の絵画じゃないんだけども、でももう近代的に見れる、自分たちの自由に見れるっていうことができるようになってる。
そのレムブランドがもう近代絵画的に領域にまで入ってきてるから、あまりにも美しく描いてくれてるから、その美しさから私たちはいろんなことを感じることができると。
続き、近代絵画の運動とは根本のところから言えば、画家が扱う主題の権威、あるいは矯正から逃れて、いかにして絵画の自主性あるいは独立性を作り出そうかという激しい工夫の歴史を言うのであるってことを言ってるんですよ。
なるほど。
そういうことなんですよね。
なるほど。だからジャガイモになって、ある男っていう有名なジャガイモとか、工夫の跡なわけですね。
ちょっとだけ待ってもらっていいですか?宅急便来ちゃって。
受け取っていいですか?
全然大丈夫です。
まさにいたしまして。近代絵画はね、自主性あるいは独立性を作り出そうという激しい工夫の歴史を言うのであると。
レンブラントのこの例を取ると本当にオチがけなんですよね。
当時の常識を打ち破っていくから。
自分は食べていけなくなっちゃうわけですもんね。
そうなんですよ。
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