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#102 セザンヌのモチーフとは?ガスケとの対話から見える芸術のモチーフ論 / 小林秀雄『近代絵画』朗読解説その5
2026-04-11 20:32

#102 セザンヌのモチーフとは?ガスケとの対話から見える芸術のモチーフ論 / 小林秀雄『近代絵画』朗読解説その5

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今回は、小林秀雄さんの『近代絵画』

日本でも人気の19世紀の芸術家8人の列伝。
ボードレール、萌音、セザンヌ、ゴッホ、ゴーガン、ルノアール、ピカソ。
ぜひ美術館にいく前後に聴くと良いかもしれません。
絵画と親しくなれる言葉が詰まっています。

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サマリー

このエピソードでは、小林秀雄の『近代絵画』で紹介されているセザンヌの「モチーフ」に関する独特な解釈を探求します。セザンヌは、ガスケとの対話の中で、モチーフを掴むという動作で表現し、それは絵画制作における全体性の追求や、自然の持続性を捉えようとする試みと結びつけられます。また、モチーフと画題の違いや、芸術における普遍性の追求について、音楽や文学との関連性も交えながら考察します。

セザンヌの「モチーフ」概念:ガスケとの対話
こんにちは。 前回に続いて近代絵画のセザンヌの書いて、ちょっと残ってたのがモチーフっていうところを扱いたかったんで、今日そこを扱えたらと思ってます。
で、あのセザンヌのモチーフの話って、ガスケっていう詩人とセザンヌが対話した本が残ってるんですね。
岩波文庫からセザンヌっていう本が出てるんですけど、ガスケが書いた。
これ小林秀雄さんも読んでたみたいで、その談話を引用して紹介してくださってるんです。
で、独特な意味合いで彼はモチーフって言葉を使ってるんですね。
これがちょっと興味深いんですよ。
ちょっと読んでいきますよ。
こういう動作を繰り返しながら彼はこんな風に説明したそうだ。
こっからセザンヌの言葉ですね。
こういう具合にモチーフを捕まえる。
こうならなくてはいけないのだ。
上に出しすぎても、下に出しすぎても、何もかもめちゃくちゃになる。
少しでもつなぎが緩んだり、隙間ができたりすれば、感動も光も真理も逃げてしまうだろう。
わかるかね。
私は自分のキャンバスを同時に進行させる。
どこもかしこも一緒に進行させる。
バラバラになっているものを取り集めて、
すべて同じ精神の中に、同じ信念の中にぶち込むのだ。
私たちの見るものは、皆チリジリになる。
消えていく。
そうではないか。
自然は常に同じだ。
しかし何一つ残りはしない。
目に入ってくるものは何一つ残りはしない。
自然はその様々な要素と、その変化する外観と共に持続する。
その持続を輝かすこと、これが我々の芸だ。
人々に自然を永遠に味わわせなければならぬ。
その下に何があるか。
何もないかもしれない。
あるいは何もかもあるかもしれない。
わかるかね。
こんな具合に私は、迷っている両手を組み合わす。
私は左から、右から、ここから、あそこから、いずこからでも、色調や色彩や影が持ってくる。
そしてこいつを固定する、一緒にする、すると線ができる、物になる、岩になる、木になる。
そうしようと考えているわけではないのだがね、そいつらが、自らボリュームを装う、
明度を手に入れる。
そういう私のキャンバスの上のボリュームとか明度とか、私の眼前にあるプランとか、色の反転とかに昇合するなら、占めたものだ。
私のキャンバスは両手を握り合わせたことになる。
ぐらつかない。
上にも下にも行き過ぎない。
真実であり充実している。
だがもし、少しでも気が散ったり、気が弱くなったり、特にある日映しすぎたと思えば、
今日は昨日と反対な理論に引きずられたり、描きながら考え込んだり、要するに私というものが干渉すると、全ては台無しになってしまう。なぜだろう。
って言って、ここまでが引用なんですね。
なんか、この興味深いこと言ってるんですね。
うん。
で、これ、この後小橋寺夫さんが、セザンヌの書簡にも、また色んな人によって伝えられたセザンヌの経験や理論の中にも、私の読んだ限り、こんな面白い言葉はないと思った。
って言ってるんですね。
うんうん。
こういう言葉は、彼の言葉を読んでいるというより、彼の絵を見ているような感じがする。
絵を描くという仕事の他は、何も本当には信じていなかった。
いかにもそういう人の言葉の感じが現れている。
モチーフという言葉も、両手を握りしめなければ、彼には説明がつかないのである。
そういうことを言ってるんですね。
うんうん。
セザンヌ自身も、自分の制作の革新みたいなものを、言葉じゃなくて、この両手を固く握りしめるという動作で表現せざるを得ない。
それが一番しっくりきている。
こういう面白みがあるじゃないですか。
うんうん。
気持ちはすごい伝わってきます。
言いたいこととか、でもそれは言葉になる領域じゃなくて、
動きとか、いろいろ尽くして表現してるんだけども、そこは言葉の領域ではできないみたいな。
でも全身で表現しようとしていることは、こういうことが言いたいんだろうなっていうのは伝わってくるんです。
ただそれを、私も表現できない。手が動いちゃう。
へー。
セザンヌの絵画制作における全体性と持続性
なんかセザンヌってやっぱり、これセザンヌのあくまでモチーフの考え方なんですけれども、
セザンヌはやっぱり自分の絵っていうのを建築的、音楽的っていうところがあると思うんですよ。
うんうん。
だから両手を固く握りしめるって、建築的でもあるし、オーケストラみたいでもあるしっていう、そういうことなんだと思うんですよ、おそらく。
セザンヌの目に飛び込んでくる自然のいろんな諸要素があると、影だったり蓄彩だったり、
そういうものを自分の意識の中で一つも隙間のない固い結合体を作っていくと。
うん。
っていうことを自分はやっていると。
なんとなくこういうイメージね。
うんうん。
私は音楽の方ですごく来ましたね、なんか受け取りが。
なんかその音楽が、今この瞬間なっているタイムラインっていうのかな、わかんないけど。
はいはい。
楽譜の今この瞬間っていうところに音が散りばめられてて、楽器が散りばめられてて、っていうその、なんか音楽家がその楽器や音符でやるその瞬間を、セザンヌは絵を描くタイムラインでやってるんだなって思うし。
そうね。
ね、でそこに一拍でもズレがあると、取りこぼしちゃったりとか。
そうそうそうそう。
自分の自分のエゴが入って。
そうそうそうそう。
タイとか作為が入っちゃうと、そのものが崩れちゃうっていうことを言いたいんだなとか。
そういう意味なんですよ。
うん。
えりさんすごいっすね、ちょっとよく初見でそこまでなんか掴み取られますね。
いやほんとそうだと思うんですよ、これ結構大事なのが、私は自分のキャンバスを同時に進行させる、どこもかしこも一緒に進行させるって言ってて、これまさにオーケストラみたいな感じなんだと思うんですよね。
うんうん。
なんかそこにエゴが介入すると、場が崩れちゃうっていうのは、すごくこう、自分も普段なんていうのかな、フリアに?なんていうのかな、見たいなって気持ちがあるからすごいそこは重なって入ってきました。
そうですよね。
これ近代絵画には触れられてないんですけど、僕もガスケのスザンヌって本読んだんですけれどもね、なんかこんな言葉があって、
なんか自分はあくまで観光板、光を反射させる感じる板なんだってことを彼は言ってて。
そう。そこでいろんな数多くの感覚を受け取っていき、受け取るためには自分は沈黙しないといけないし、自分のいろんな偏見の声は黙らせないといけないし、そうすると余すことなく引き受けて、景色全体が消されていくんだって、そういうことをスザンヌは考えていたみたいですね。
うんうん。
これなんか僕、文章を書くときに、詩だったり随筆だったりもそうなんですけど、ずっと連続で書いていけるときもあるんですけど、やっぱりそうじゃないときも多くて、急に最後の方の言葉が出てきたりとか、
全然違う話、テーマ、そういうものが出てきたりとかっていうこともあるなみたいな。それはそれで置いておいて、またなんかのときに使おうみたいな感じ。ちょっと違うかもしれないけど、なんかちょっと自分に重ねるとそういうところあるかもなみたいな。
なんかこれ僕、モチーフと、画題の主題ですね。っていうのは、別々なものだと捉えてるんですよ、自分の中では。
で、画題って言ってるのはサブジェクトのことで、モチーフって言ってるのはモチーフなんですよ。これはモチベーションとかとラテン語同じ語源なんですけれども、だからモチーフっていうのはもうちょっとそのモチベーション的で動機となるような感じが、僕としてはしているんですね。
で、これ文章書くときも全く同じだし、僕みたいに、例えばコーチングとかでセッションするときとかも同じで、コーチングセッションとかと相手の方が話し出した内容って、本当のテーマじゃないんですよ。最初に出てきてるテーマは仮のテーマに過ぎなくって、もうちょっと深いテーマがあるっていう感じがしてて。
だから僕も、画題はもうちょっと表層的なもので、モチーフはもうちょっと深いものな感覚のイメージを持ってるんですね。
なるほど、なるほど。
そう、だから自分の文章を書きながら、あれ、俺はこのテーマについて書こうとしてるんだけども、本当のモチーフって何なんだろう、自分のみたいな。なんで俺はこれを書こうとしてるんだろうかとか、何を俺は求めてるんだろうかみたいなこととかが、なんかモチーフっぽいなと思って。
なるほど。
なんかそういうことって結構ありますよね。なんか表面的に動いてることに目を奪われて、その奥の本当に扱いたかったものって何だろうってものが、時々こう、なんていうのかな、そこから、そこに留まれなかったりしてるところに、はっと傷ついたりとか。
なんかあるなって思いました。
絵の世界でもなるほど、そういうのと向き合ってるんだなとか、なんかすごい、あ、同じなんだって、今、新鮮に感じます。
これちょっとだけ続け読むと。
こんな面白い言葉はないと思った。こういう言葉は彼の言葉を読んでいるというより、彼の絵を見ているような感じがする。絵を描く仕事の他は何も本当は信じていなかった。いかにもそういう人の言葉の感じが現れている。
もちーふという言葉も、両手を握りしめなければ、彼には説明がつかないのである。スザンヌは番人、エミール・ベルナールという若い画家と親交があったので、絵画に関するスザンヌの意見が、ベルナールによってたくさん伝えられているが、どうもそういうものは、質問責めにあったスザンヌの困客を表しているように思われる。困り果てることを表しているように思われると。
例えば、自然を円筒と球と円スイートで処理すること、という有名な言葉にしても、その一つだが、まるで後になって、キュビズムの理論家たちによって誤解されるのが目的で、言い残されたように見えると言ってるんですね。
自然を円筒と球と円スイートで処理するという有名な言葉で、これをその後のブラックとかピカツとかが、これじゃないかということで、キュビズム的な絵が生まれてきたみたいなね、そういう感じなんだけど、それはあくまで誤解されているというか、誤読なんですよと彼らのことを言っていると。
この流れでこの言葉を読んでいくと、僕の解釈なんですけれども、彼はいろいろ変化していく様々な自然の中の奥にある持続するものを描きたかったって言葉があったと思うんですよ。彼は自然の中の持続する実態をつかみたかった。
その持続を表すために対象の骨格みたいなことを言っているのかなって僕は捉えてるんですよ。円筒とか球とか円スイートみたいなものは。
これ僕の勝手な解釈ですよ。イリアみたいなものが骨格として見えてきているっていう、そういうことなのかなみたいな。持続をつかみにいくとそういうふうに思えてきてるんじゃないかなみたいなね、思ったんです。
あーすごい同じように受け取りました。なんか普遍とか本質みたいなものを形として表すならばみたいなことで円筒とかスイートかってことを言ってくれてるのかな。
ちょっとわかんないんですが、セランヌの言葉使いが独特だから。っていうところでした。一旦ちょっとこの本ですね、ボードレールから始まって、モネス・ザンヌときて、本当はここからゴッホ、ゴーガン、ルノワールドがピカソって続くんですけれども、ちょっと今回はこのあたりにしとこうかなと思っているんです。
はい。
なんか改めて読んでみて久しぶりに。
どうでした?
面白かったですね。やっぱりまず一つは、画家の本能みたいなものが常識とかをぶち破っていく。レンブラントの話だったり、ウッチャロが遠近法を書いてみたりとか、たまらなかったですね。
それと、なんか僕やっぱりゴッホにしてもスザンヌにしても、絵について絵の先人たちだけから学んでるわけじゃなくて、やっぱり音楽だったり文学だったりっていうところをたくさん読んでた人だし、そういうところから学んでいたと。
で、小林秀夫さんも、このそれぞれの画家を語るにあたって、やっぱり音楽家とか文学者とかを出してきて、その人を語ろうとしているっていう、この感じがすごいいいなって思って。
なんか僕も今、もうちょっとこういう絵とか音楽とかみたいなものに触れていくほうが、なんか自分の書く言葉とかも、なんか豊かになりそうだなって感覚を持っていて、そういうところもなんか良かったですね。
芸術における普遍性の追求と分野横断的な学び
いいですね。
えりさんなんか収録跨いじゃったんですけど。
なんかそうだな。まずはその、遠近法とかもそうなんですけど、先人たちがそうやってこう、写真の登場の前後によって、絵ってものに対する新たな発見とか、新しいこう、なんていうのかな。
そういうふうに来てるっていうことを、私は全然気づいてなかったので、目を開かせてくれたというか、なんかこう解像度を上げてもらった感じはあったのと、
あとはその、どんな分野でもどんなことをやっていても、具体と抽象みたいなところ、目の前で手を動かしてやっていることの奥に音質や普遍があって、そこにこうトライするというか、
トライするっていうのは、どんな分野でも共通してるんだなっていうふうにも思いましたし、だからこう、なんていうのかな、私がやったことのないようなことを、たとえば絵を描くとか私はあんまりしないんですけど、
その中でも、こう、葛藤していることだったりは自分と重なってくるとか、なんかそういうのは改めて思ったのと、それを小林秀夫さんがその切り口で語ってくれることで、受け取れるっていうかな、届いてくるっていうか、なんかそういうのはすごく感覚としてありましたね、面白かった。
またね、見に行くときとかに読んでみたりとかするといいのかもなと思ってます。
じゃあそんな感じで終わりますか。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
はい。
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