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#101 セザンヌの絵に関連するボードレールのワーグナー論 / 小林秀雄『近代絵画』朗読解説その4
2026-04-04 33:56

#101 セザンヌの絵に関連するボードレールのワーグナー論 / 小林秀雄『近代絵画』朗読解説その4

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今回は、小林秀雄さんの『近代絵画』

日本でも人気の19世紀の芸術家8人の列伝。
ボードレール、萌音、セザンヌ、ゴッホ、ゴーガン、ルノアール、ピカソ。
ぜひ美術館にいく前後に聴くと良いかもしれません。
絵画と親しくなれる言葉が詰まっています。

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サマリー

本エピソードでは、小林秀雄の『近代絵画』を読み解きながら、印象派のモネとセザンヌの絵画における「実在」の捉え方の違いを解説します。セザンヌの絵画が持つ「建築的」あるいは「音楽的」な魅力について、ボードレールのワーグナー論を紐解きながら、音楽における近代的な革新と絵画との関連性を深く掘り下げます。さらに、詩における「非評価」の役割についても考察し、芸術における構造と表現の関係性を探求します。

セザンヌの絵画における「実在」と「建築的・音楽的」魅力
じゃあ、ちょっとモネはここまでにして。 ちょっとボードレールとモネもね、10ページずつですよ。短いんですよ。すぐ読めちゃうんで、よかったらなんかサクッとね、もう本当に美術館行く道中に読めちゃう感じなんで。
おすすめです。セザンヌはちょっと分厚いのね。
セザンヌの回面白いんですよ。ちょっとどこまで扱えるかあれですが、一旦今日行けるところまで行きましょう。
早速読んでいきますね。
セザンヌは光の波とともに浮動する印象主義の風景を何とかして安定させようとした。彼の目は自然の広がりより自然の奥行きに向けられ、瞬間の印象より持続する実態を捉えようとした。
そうして出来上がったセザンヌの絵の独特の魅力は、建築的という言葉で普通使われているが、それはやはり音楽的だと言っても差し支えないと思う。
いいですよね、これ。
まず、セザンヌとモネっていうのは全然違うんですよね。
これ何に実在を見るのかっていう、そういう違いって、モネはさっき言った映り行く光の波を実在だとしていた。光を実在だとしていた。
だからその瞬間瞬間を描きたかった。
で、セザンヌはそういうものよりもその映り行く奥にある持続するものがあるだろうっていう。そういうものを実態だとセザンヌは捉えた。
で、セザンヌはそういうものよりもその映り行く奥にある持続するものがあるだろうっていう。
で、セザンヌはそういうものよりもその映り行く奥にある持続するものがあるだろうっていう。
そういうことを言うんですよ。
建築的の方は結構絵を見るとしっくりくるんですけど。
本当ですか。
音楽的の方はすごい興味があります。なんでそう言ったんだろう。
ちなみに建築的ってなんかどんな感じがします?
なんていうか、絵の全体重そうで、重量感があって。
確かに確かに。
確かさがあるっていうか、何て言うんだろう。
手触り感みたいなのもあるし、重そう。
こう一個一個に描かれているもの、生物画とかの花瓶とかリンゴとかその一個一個の重量感があるっていうか、重そうな感じがする。
まさにまさに。これちょっとね、建築的と音楽的両方ともここからだんだんわかってくるんですけれども、
セザンヌってね、独特な言葉遣いするんですよ。
この本には書かれてなかったと思うんですけれども、別の本だと、
セザンヌはタンペラマンって言葉とかも言う言葉があって、
それ英語で言うテンペラメントのことで、気質っていうこと、個性みたいなことなんですけど、
それもね、独特のニュアンスで使うんですよ。
しかも音楽的な言葉をたくさん使うんですよ。
例えば、モデレって言葉じゃなくて、モデュレだろうみたいなこと言うんですよ。
ちょっとごめんなさい、僕が発音全然違うと思うんですけれども。
一般的なモデルって言葉は嫌ったんですね、モデレってか。
それは多分、モデルにならって形を作り出すっていう意味なんですけれども、
セザンヌはもうちょっと音楽的にやりたかったってことです。
だから音楽の言葉を使ってるんですよ。
モデュレっていうのは音楽で言う転調のことなんですけれども、
曲の途中で転調したりして、ガラッとこの曲の雰囲気を変えるじゃないですか。
だけども全体としてはある一つの流れがあるっていう。
絵も、色彩も、色彩の絶え間ないこの転調変化みたいなものを構築したかったっていう、
そういうのがあるんだと思うんですよ。
それで音楽的だったってことをもうちょっと理解するために、
ボードレールのワーグナー論と音楽の革新
セザンヌはワーグナーを大変敬愛していたんですね。
ここからワーグナーの話に入っていくんですね。
ボードレールがワーグナーを論じてるんですよ、批評してる文章があるんですね。
このボードレールのワーグナー論を読んでいくことになるんです。
それはセザンヌはボードレールも好きだったから、おそらく読んでいる。
そういうのに影響を受けて彼は自分の絵を音楽的に回したかったっていう話に入っていくんですね。
実際セザンヌってタンホイザーっていうワーグナーの曲を主題にして絵を描いたりもしてるぐらいなんですよ。
それでちょっと一旦ワーグナーの話に入っていきますね。
ワーグナーも1813年なんで同じ19世紀の人ですね。
セザンヌが1839年なんで、本当にちょっと遅れてセザンヌって感じですよ。
ワーグナーについて読んでみます。
彼には演劇に音楽を当てはめるというような考えは少しもなかった。むしろ逆で、音楽から劇が流れ出したのである。
これいいんだよな。ちょっともう一回読みますよ。
これワーグナーね。
彼には演劇に音楽を当てはめるというような考えは少しもなかった。むしろ逆で、音楽から劇が流れ出したのである。
言うんですよ。
結構オペラっていうものから、ワーグナーって総合芸術に変えていった人なんだってこと言われるんですね。
オペラの起源ってルネザンスなんですよ。16世紀末にできてるんですよね。
まずオペラっていうものは、あれは物語が先なのか音楽が先なのかっていう話が混ざると思うんですよ。
オペラの誕生っていうのはルネサンス期のイタリアにできていると。
ルネサンスっていうのは、ルネっていうのは再びっていう意味で、サンスっていうのは誕生ってことなんですよ。
だから再び生まれる、再生っていうことなんですよね。
何を再生させるかっていうと、古代ギリシャを復活させるっていう、そういう動きがルネサンスだったと。
オペラっていうのは古代ギリシャの悲劇を復活させてるんですね。
ああいう時の古代ギリシャの悲劇っていうのは、音楽的に歌われていただろうというのもあって、オペラが生まれていると。
だから物語が先か音楽が先かっていうと、物語があるんですよ。ギリシャの悲劇が既にあるから。
ってなると、音楽っていうものは物語の場面を盛り上げたりするための脇役っていう感じなんですよ。
最初はそういうふうにいろんなオペラが作られてきたんだけれども、だんだんだんだんそういうふうなことを作っていくとね、音楽が先っていう話が出てくるんですよ。
ワーグナーがはっきりそれを確立させたわけなんですよ。
ワーグナーって自分で物語も書いてるんですよね。
ワーグナーにとっては音楽と物語が一体化されていて、なんだったら先にやっぱ音楽があるんですよ。
この音楽が語りかけてくる物語があるだろうって。
ということで、先に曲を作って、その後自分で物語も書いていったっていう、そういうことをした方なんですね。
だから彼には演劇に音楽を当てはめるというような考えは少しもなかった。むしろ逆で、音楽から劇が流れ出したのであるっていうことをやってる人なんですよ。
これもね、先に言っとくと、これもあれなんですよ。音楽における近代的な革新が起きてるわけですよ。
で、ボードレールはそれを見抜いて、ワーグナー論を書いてるんですよ。
で、スザンヌはそれに影響を受けて、俺も絵もそうでなければならないってことになってきて、新しい革新を挑戦している。
こういう芸術家たちの工法があるんですよね。
面白い。
これね、こういう感じでこうしてるようにやっぱり描いて、紹介してくれてるのが、小林秀夫さんのやっぱりこれ、近代絵画の魅力なんですよ。
それでね、ちょっと続き読ませてくださいね。
ベートーベン以来、和製の転調や音の色彩の利用が急速に発達して、和製の機構あるいはダイナミックが拡大し複雑化し、
ワーグナーに至って音楽はその表現力の万能に八機電ばかりになったって書いてあるんですね。
ワーグナーって一世代前のベートーベンをめちゃくちゃ敬愛してるんですよ。
ベートーベンもまあ偉大じゃないですか。
ベートーベンの話をちょっとだけすると、ベートーベンもすさましい人で、音楽っていうのは貴族が楽しむ優雅なものだったわけですよ。
で、それをベートーベンはそういうものから作曲が自身の思想とかっていうものを埋め込んでいった人なんですよ。
だから非常に近代的な音楽なんですよ。ここで言うと近代精神の表れなんですよ、もうベートーベンっていうのは。
だからベートーベン自体も自分の思想を表そうとした人だから、これまでになかった音楽になってくるわけですよね。
そうなってくると非常に複雑なこの展開とか不協和音とかが含むような曲状になっていったということですよ。
例えば後曲第5番の運命、ダダダダーンってやつとかは有名ですけど運命が扉を叩く音なんですよ。
で、あれ単調で書かれてますよ。だからものすごい不気味な感じなわけですよね。
単調で最初始まっているんだけれども、第2章に入ってくると変異長調になり、重くし雰囲気からだんだん心温まるような雰囲気に変わってきて、そっから波長調に変わったりしていって、
どんどん明るく希望の音楽に変わってくるっていう、そういう展開があるわけですよね。非常にダイナミックに。
それはやっぱり彼自身が耳が聞こえなくなってきたっていう、もう音楽家にとっては致命的なものの絶望の中にあったってことが、もうこれ現れてるわけなんですよ。
ワーグナーももうベートーベンの大工にものすごい感動していて、大工も第4章のところで不協和音が流れてくるんですよ。
っていうものすごい不協和音のやつがあるんですけど、あれが当時の人たちからすると衝撃だったみたいで。なんだこの不協和音はみたいな。それが口になるんですよね。
ベートーベンっていうのはそういう今までになかったものを、自分の思想を入れようとするがゆえに生まれてきている人なんですよね。
だから非常にダイナミック。そういうものになってきて、ワーグナーに至っては、その音楽はその表現力の万能で八機嫌ばかりになった。
ワーグナーはもちろんそれを引き受けているわけなんですよね。
ちょっと続きを読むと、いわば音の感動の振り幅が極限に達した。
そういう時に音楽現象をそのまま音が演ずる劇と、ワーグナーが感じるのは極めて自然だった。
だからさっき言った音楽から劇が流れ始めるっていうのは極めて自然だったってことなんですよ。
だってもうベートーベンが物語を作ってるから。だから実に自然だったわけですよ。
ワーグナーからすると。そこから劇が生まれてくるというものは。
受け取ってますもんね。
続きを読むと、極めて自然だった。表現力の万能が八切れて、従来の歓迎楽の表題音楽的観念を突破し、舞台の上で継承化するに至る。
そういう風に音楽を感受したのも、ワーグナーには自然なことだった。
っていうんですね。これもう一回読むと、従来の歓迎楽の、従来のオーケストラの表題音楽的観念を突破しって書いてあるんですけど、この表題音楽的観念っていうのは、あらかじめ決められた物語のことだと思うんですよ。
さっきのその表題、課題がから離れていくっていうのと同じことだと思うんですよ。
そのオペラっていうのも、すでに古代ギリシャの悲劇があるじゃないですか。それからもう離れちゃうんですよね。
それから離れちゃって、音の構造そのものが世界を立ち上げて、そっから流れ出す物語があるだろうと。
やっていく。これもう先に言うと、セザンヌも結局そういうことをしてるんですよ。
セザンヌも色によって、色の見事な調和によって、世界を作り上げ、そこから生まれてくる物語があるだろうって、そこから流れてくる音楽があるだろうってことをセザンヌは込めてるんです。
なるほど。
なんか、モネとの違いがまたわかってきました、今ので。
なんか、モネはね、光が目の前に作り出すこの景色っていうか、光が与えてくれるこの景色、眺めを何絵に残すかみたいな。
それを何枚も何枚も、その瞬間瞬間映ろう、それをすくい取って絵にしていっているんだけど。
モネはだから、絵の中に建築して、絵の中に物語を生じさせるっていうか。
セザンヌね。
ベートーヴェンからワーグナーへ:音楽表現の進化
セザンヌ、セザンヌ、セザンヌ、セザンヌは。
ああ、そういうことかって、絵の中に実体を生じさせているんだみたいな。
そうなんですよ。
ああ、伝わってきました、すごく。
だから、小林秀夫さんはセザンヌを見て、音楽を聴いているような感覚になっていってるんですよ、おそらく。
なるほど。
これすごいことなんですよ。
みんなそんな風に見てるんですか?それともこれは小林秀夫さんの見方なんですか?
これはね、今ね、ボードレールの書いているワーグナロンを読んでるんですよ、今ここで。
そうかそうか。
だから、ボードレールはワーグナロンをそういう風に受け止めていますね。
画家が自分の絵を音楽的だと感じている人はいるんだと思います。
例えばゴッホも色彩のオーケストラだって言ってるんですよ、自分で。
だからこういう音楽に影響を受けて絵を描いている画家はたくさんいる。
でも見る人がそこに音楽を感じるかって。
これはまたどうなんでしょうね。
でもボードレールはそういう風に読んでたかもしれないですね、ボードレールぐらいになるとね。
小林秀夫さんもそういう風に見てたんでしょうね。
いいですよね。
その物の見方をこうやって共有してもらえる、シェアしてもらえるのはすごいことですね。
すごいことなんですよね。
これもうちょっと読むとね、続き。
バレーのない過激っていうワーグナーの舞台があるんですよ、オペラがあるんですよ。
腹を立てた当時のパリ人に抵抗してボードレールが完破したのは、ワーグナー過激のそういう原動力だったって言うんですね。
これちょっと僕も勉強不足なんですけど、これおそらくワーグナーがね、当時のオペラの中にはバレーがあった。
バレーを見に来ていた、観客は。
でもワーグナーからしたら音から物語が生まれてくるから、バレーがないんですよ。
この物語にはもうバレーがないってことになってきた。
そうするとバレーを楽しみにしてきている当時の常識人からすると、バレーを楽しみにしてきているパリ人にしてみたらバレーがないっていうことを目にしたときに腹を立てて、何だこれはって怒るわけなんですよ。
だけどもうボードレールはそういうことじゃないんだって言って、これワーグナー論を論じてる。
本当にやっぱボードレールの役割って大事なんですよ、批評家としての。
さっき言った過激の原動力っていう、音から生まれてきてるからそれが当然なんですよっていうことを言ってる。
彼が動かされたのは、ボードレールが動かされたのは、ワーグナーの音楽の文学化されたあるいは視覚化された姿ではない。
音楽の影響を受けて普通な意味で音楽的な詩を書こうとしたのではない。
そんなものなら誰でも書いているのである。
彼が音楽から詩のために奪おうとした富とは、彼に続いたサンボリスト詩人たちの仕事を見れば明らかなように近代音楽の内部構造そのものだったのである。
セザンヌの音楽に対する同型にも同じ性質のものがあったと考えて良いって言ってるんですね。
もうちょっとこれ分かりやすく言うと、ボードレールに続くサンボリストの詩人たち。
これはボードレール、マラルメ、ベルネーヌ、ランボーといってこういう象徴派詩人たちっていう方々が、このワーグナーから受け止めた富とは近代音楽の構造そのものだったって言ってるんですよ。
これはさっき言った通り音で世界を立ち上げていき、音から流れてくる物語を作っていくっていうこういうことだったんですね。
だからこれらの詩人たちっていうのも、詩の構造によってまず世界を立ち上げていくっていうことを試みた。
言葉の配置とかを変えると実に違う意味合いが響きとして帯びてくるっていうことが詩の世界にもあるわけなんですよね。
っていうことを極めていった人なんですよ。
前々回ぐらいに新井孝子さんの詩集でこんなにも詩が段差があったりするんですねって話があったじゃないですか。
マラルメとかってああいうのめちゃくちゃ極端にしてるんですよ。
ああいうのも構造なんですよね。構造から意味を立ち表せようとしているっていう人なんですよ。
ボードレールもめちゃくちゃ影響を受けているわけなんですよね。こういうワールナーに。
ボードレールの詩論と「非評価」の役割
で、さっき言っちゃったけどもセザンヌも同じ性質のものがあるんだと言っていると。
これね、ボードレールのめちゃくちゃ有名な言葉があるんですよ。
で、読むと、
非評価が詩人になるということは驚くべきことかもしれないが、詩人が自分のうちに非評価を増しないということは不可能だ。
私は詩人をあらゆる非評価中の最大の非評価とみなす。
っていう言葉があるんですよ。
続きもうちょっとだけ読んじゃうと思う。
彼の有名な言葉は、ワーグナーロンの中にあるという言葉が大事なのであるってことを読むんですね。
小林史上さんは。これ、もう一回さっきの有名なボードレールの言葉を読むと、
非評価が詩人になるということは驚くべきことかもしれないが、詩人が自分のうちに非評価を増しないということは不可能だってことを言ってるんですよ。
世の人は、その非評価が詩人になるってことはびっくりするんだけれども、
いやいやいや、詩人っていうのは、本来自分のうちに非評価を持ってるんですよ。
私は詩人をあらゆる非評価中の最大の非評価とみなすってことを言うんですよ。
これはね、いろんな解釈をされてきた。
でも小林史上さんが、この彼の有名なことは、この彼のワーグナロンの中にあるということが大事なんだってことを言うんですよ。
つまり、詩を書くってことも、何かすごく感覚的で感情に任せて書かれているっていうふうに普通は思われている。
だけども、詩っていうのもボードレールたちがそうしたように非常に建築的なんですよ。
冷徹な知性でもっていろいろ分析し、一つ一つの言葉を厳格に選んで組織化する感じなんですよ。建築を組み立てるような感じなんですよ。
そういう高度な操作が詩を書くってことにはあるって言うんですよ。
それはまさに非評価の目そのものなんですね。
だから詩人のうちには、非評価が本当は増しているんだってことを言っている。
ちょっと僕は本当にこれ見たときびっくりして。
僕らの感覚からすると、非評価と詩人の仕事って全く別だし、別のスキルが必要にされているとも思っている。
僕もそう思ってた。この文章を読むまでは。
だって文芸非評価の人が、じゃあ詩を書いてるかって言ったら詩を書いてない。
詩人の人が、非評価を書いてるかって言ったら書いてる人少ない。
もちろん両方やってる人はいますよ。
でもね、そういう人少ないし、別々だと思われてる。
でもね、日本でもね、例えば吉本龍明さん、吉本貴明さん。
この人とかは詩を書くし、非評価でもあるんですけど。
まさにこれはボードレールが言った通りの人だなって思って。
なんか彼の詩ってね、もう頑竹があるんですよ、本当に。
すんごい詩なんですよ。
僕が書いてる詩っていうのは、ボードレールとか吉本さんから見たら、詩じゃないって思われちゃう気がする。
いや別にいいんですけどね、そういう詩回っていいと思うんですけど。
彼らが作ってる詩っていうのはね、本当に深いんだよな。
もう実に考え抜かれている。哲学者的な感じを感じる。
今僕は、だからこの実感がわかるようでわかってないんですよ、あんまり。
確かに自分も詩を書く営みの中で、僕は詩を書くときにまずバーって書いた後に、どっちかっていうとすごく構成し直したりしていってるんですよ。
それは非評価的な感じなんですよ、実は。
読者の目となって、そこにある重要な一節を見抜いていったりする、みたいな感じだから、実は非評価的な営みをしてるんですね。
だからそういう意味では半分はわかってるんですけれども、
だけども、たぶん自分がこの非評価的な目を持って死ねば死なうほど、自分の詩が変わっていくだろうなってことを読めるときに感じているんですよ。
僕はちょっと今、非評価の仕事を始めようとして書いていっているんだけれども、
詩を書くのはいっぱいストップしているんですけど、これをしていくことが、やっぱり自分の詩を豊かにしていく感じもあるし、
自分がでも詩人からスタートして非評価に移っていくっていうことが、今までになり非評価のエッセンスを持ち込んでいるかもしれないみたいなことを何となく予兆しながら今書いているんですね。
僕はこのボードレールのこの言葉を心の拠り所にしながら、自分も芸術家が踏み入れるべき大事なところに導いてもらっているんじゃないかなみたいなことを思いながら、僕はこの言葉を大事にしている言葉なんです。
一旦ちょっとここで一区切りして、本当は次にモチーフという話に入っていくんですよ。
モチーフの話、スザンヌのモチーフの話ってめちゃくちゃ有名なんですよ。
小林秀夫さん大好きなところなんですよ。
これちょっと次回の収録にさせてもらうとして、ここで改めて音楽的とか建築的って言葉の意味をもう一回整理して今日終わりたいんですけれども、
近代以前の音楽って民謡がわかりやすいと思っていて、民謡の歌って人間の呼吸に合わせているし、人間の身体とか生理的なものに動きに合わせてメロディーが作られているんですよ。
でも一方でバッハ、ベートーベンとかこういう近代になってからは、楽器も発達してくるし色々と音楽理論も発達してくるしってなってきて、オーケストラが生まれてくるみたいなことになってくると、人間の生理的とか身体的なものを超えてくるじゃないですか。
すごく高度なシステムが生まれてくるわけなんですよ。
同時に色んな楽器がバーって演奏されて、色んな理論がバーって活用していくってことになってくると。
それはまさに建築的なものだと思うんですよ。この音楽の流れそのものも。
音楽自体も民謡っていう単に一個人の身体の呼吸とかそういうものに作られていたものから、実に建築物かのような複雑な構造物を作っているっていうオーケストラが生まれてっていうことになってきているということなんです。
絵画自体もそのようになっていくっていうことなんです。
だからセザンヌの絵が音楽的だっていうことは一応そういう意味なんですよ。
彼が音楽的な精神を持って作っているっていうことであると。
このセザンヌは第1節、第2節、第3節で続いていくんですけど、第1節の最後の部分だけちょっと読んで閉じたいんですけど。
モネはね、小鳥のように歌いたいって言うんですよ。
これすごい良い絵って名誉なんですよ。モネの絵ってそういう感じなんですよ。
徹底したリアリズムの道を歩こうとして、小鳥のように歌ってしまった。そういう意味ではモネの絵は音楽的だ。あるいは序章的、感情的みたいなことですね。序章的と言ってもいいかもしれない。
しかし彼の絵を前にしてシンフォニーや室内楽を思うことはできない。
モネの絵ですね。モネの絵を前にしてシンフォニーや室内楽を思うことはできない。
印象派の影響家に描かれたセザンヌの初期の生物化にしろ風景にしろ、視覚上の不安定を示しているものはない。
閉俗な意味で音楽を思わせるようなものはない。
生物、生物画のことですね。生物は意識に構成された室内楽のようになっているのである。
セザンヌの絵っていうのはそういう風にオーケストラのような絵なのである。
言って欲しいということなんです。
次回からもうちょっとそこを感じていきましょう。
セザンヌの絵画と近代芸術の構造
こんな風に高度に発達していくって、こういう風な道をたどって、
芸術っていうのは高度な発達を遂げたんですね、近代。
近代。
面白い。
紹介ありがとうございます。
ありがとうございます。
じゃあまたちょっと次回、よろしくお願いします。
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