今回は、小林秀雄さんの『ゴッホの手紙』。
小林秀雄さんはゴッホの「烏のいる麦畑」という絵に感動しました。
彼はゴッホの絵から何を感じたのか。この本から感動が伝わってきます。
ゴッホの関連の本を何冊も読んできましたが、この本が最も良い本かもしれません。
いや、ゴッホだけに限らず、芸術批評においても、この本を外すことはできないほど、芸術批評の魅力が詰まった本だと感じています。
サマリー
このエピソードでは、小林秀雄の『ゴッホの手紙』を朗読解説する。ゴッホが弟テオに宛てた手紙には、ゴーギャンとの共同生活の破綻や、弟の結婚に対する複雑な心境が綴られている。また、ゴッホの精神疾患や、彼が「正義」を求めて絵を描いたこと、そして死後、ポケットから見つかった未送信の手紙の内容が語られる。テオが兄の死を悼む言葉や、小林秀雄がゴッホの生き様と芸術を深く考察し、読者に生きる勇気を与える内容で締めくくられる。
ゴッホの手紙に見る苦悩と自覚
どうしようかな、でも結構お腹いっぱいになった感があるから。
なんか、こっからね、
ゴッホの手紙がたくさん引読もされてくるんですけれども、
やっぱり年を重ねるたびに苦悩が増していくから、
言葉もすごいものになっていくんですよ。
だから小林秀雄さんも、なんか言葉を失っていくんですけど、
よかったですね、読めて。
些細なことですけどね。
例えば、ゴーギャンと一緒に暮らすんですね、アルルでね。
で、その時、結局うまくいかなくって、
2ヶ月ぐらいだったかな、それで終わっちゃうんですけども。
で、その時の弟テオにあてた手紙にはね、
ゴーギャンは機嫌を悪くしていると。
で、ちゃんとわかったんですよ、そのことね。
でね、その機嫌が悪くしているっていうことをね、
僕が原因なんだっていうことも書いてるんですよ。
そういう自覚があるんですよ、僕にはちゃんと。
自分が悪いことしたって思わなかったらね、
また難しいですよ。
でも、自分に原因があるってことがわかってるんですよ。
でも、うまくやっていけないんですよっていう苦悩があるわけですよ。
でね、弟テオが結婚するっていうことになった時にね、
ゴッホってテオにずっと仕送りしてもらって生活できてた人だから、
最後の最後まで。
弟の結婚は本当に喜ばしいことだし、祝福したいんだけれども、
やっぱり家庭を持っちゃうと、自分にもう仕送りできなくなっちゃうんじゃないかっていう不安もあるわけですよね。
そういう不安に駆られちゃうんですよ。
なんだけども、弟の手紙にね、
君は結婚しないといけないよって言葉を書いてるんですよ。
でもね、その裏にはね、怖いんですよ。
もう仕送りしてもらえないんじゃないか。
どうやってじゃあ俺は生きていけばいいんだって。
そういう恐れもあいながら、弟への結婚への手紙も書いてるんですよ。
ちょっとこれ読みましょうかね。
弟の結婚とゴッホの不安
君は結婚をグズグズしてはいけないよ。これは大事なことだ。
結婚すればお母さんも安心するだろうし、幸福になるだろう。
君の社会的な、あるいは商売上の地位からしても、どの道結婚は必須のものだって言ってるんですよ。
いろいろなこと書いてあって、最後の言葉に。
ただ、君が結婚すればどんなに僕は嬉しいか、それを君はよく知ってほしいと思うのだって言ってるんですね。
弟は弟で、自分が結婚すると兄は不安に思うだろうってことがわかっている。
で、ごほも弟がそう思ってるだろうなってことをわかって躊躇するな。
君は結婚しないといけないって。僕はそれが嬉しいんだってことをちゃんと言ってるんですよ。
この言葉すごいなと思ったのが、君は僕の生活を支えるためにいつまで経っても貧乏をしている。
金はいずれお返ししよう。でなければ命を返上しよう。
思う自分だけでも感じちゃいますね。こういうのが後半沢山。
ゴッホの精神疾患と「正義」
特に最後の方に入ってくると、いよいよ病が激しくなってくるんですよね。
今の病石学っていうんですけどね。過去の病を研究していく学問をね。
そういう病石学の見立てだと、即答要転換っていう脳の病があって、急に恐怖感を強く感じてしまったりとかね。
そういうのがあったりとか。あとはそれに加えて統合失調症だったり、送局性障害だったり。
まあそういういくつかの精神疾患を持ってたっていうことが言われてるんですけれども。
なんかね、もう狂人が現れてきちゃうっていう。自分の中からもう。
狂人にならない時の自分っていうものがものすごく大事になっていて。
そういう時に絵を描いてるんですけど。そういう時に自分は正義だ、自分は正義だって言葉も描いてるし。
絵もそういう思いで描いてるんですよ。
俺が絵を描いているこの時だけは正義なんだ、俺は。
手紙はどんなコンディションの時の手紙が残ってるんですか?両方ともあるんですか?
いいコンディションの時が多いんじゃないかな。なんかここ読んでる限り。
でも自分は正義なんだって訴える言葉がね、多いんですよ。
それぐらい、やっぱりこの狂人になってしまうっていう病と戦ってたっていうね。
なんか肖像画とかもね、そういう思いで描いてるんですよ。
これが正義の時の俺だってね。
テオが綴る兄への追悼
最後に扱ったところ、これ一番最後のところだけ読んで終われたらなぁと思ったんですよ。
今の話はまた読んでもらえた方がいいかなと思って。
一番最後ですね。
後方亡くなってしまいますと。
それは自殺とか多殺とか、多殺というか事故なんだけどね。
とかいろんなことが言われてるんですけれども。
一般的には自殺っていう風に思われている。
で、弟が後方が亡くなった後に書いてる母親にあてた文章の一節があって。
それちょっと紹介しますね。
手を寄り母親手の手紙の一節
この悲しみをどう書いたらいいかわかりません。
どこに慰めを見つけたらいいかわかりません。
この死には続くでしょう。
私の生きてる限りきっと忘れることができますまい。
ただ一つ言えることは彼は彼が望んでいた休息を今は得たということです。
人生の荷物は彼にはあまりに重かった。
しかしよくあることだが今になってみな彼の才能を褒め上げているんです。
ああ、お母さん。実に大事な兄貴だったのですって書いていると。
弟の手を折ってこれでね、お兄さん亡くなってから半年で精神がおかしくなっちゃって亡くなっちゃうんですよ。
追いかけるように。
この一節、この一文だけでも本当にいいなと思って。
ただ一つ言えることは彼が彼が望んでいた休息を今は得たということです。
人生の荷物は彼にはあまりに重かった。
自殺と思われていて、自殺だと今もですけど今年も自殺になっていて
自殺するとね、キリスト教の中では自殺って良くないことだからミサをあげてくれないんですよ。
神から与えられた命を自ら落とすっていうことは神を否定することだっていうふうに思われているから。
だからミサもあげられなかった。葬儀をあげられなかった。
だから自分たちであげたんですけども。
そういうものに対してね、そういう一般常識がある中でテオはそんなふうには思ってない。
彼はようやく彼が望んでいる休息を今得れたんですって。
彼はよく生きたんですって。
小林秀雄の評論とゴッホの遺書
それでね、これ本当に小林秀夫さんの一番最後の文章ね、この本を閉じるところ。
小林秀夫さんが言葉を書いて最後に御法の言葉を引用して終わるっていう感じではあるんですけど、ちょっと読みますね。
私はこんなに長くなるつもりで書き出したのではなかった。
それよりも意外だったのは、書き進んでいくにつれ、評論を加えようがためにあらかじめ思い巡らしていた諸観念が次第に崩れていくのを覚えたことである。
手紙の苦しい気分は私の心を凝し、批判的厳重は私を去ったのである。
もう書く言葉がなくなっていったんだって。
小林秀夫さんって本当の美っていうのは人を黙らせるって言うんですけどね。
まさにそういうことが起きていったと。
手紙の朱の式が近づくにつれ、私はもういわゆる述べて作らずの方法により他にないことを悟った。
読者はこれを量とされたい。
さて、次の引用は葬儀の当日、意外のポケットから出てきた手当ての手紙の部分である。
意外のポケット、だから亡くなったご夫婦のポケットから出てきた手紙。
送られてない手紙ですね。
の部分である。読みます。
さて、僕の仕事のことだが、僕は仕事に命を賭している。
そしてすでに僕の理性はその中で半ば崩壊した。
それはそれでよろしい。
だが君は、僕の知る限りそこいらにいる商人どもの仲間ではない。
君は未だ人間らしく行動する方を選ぶことができる。
と僕は思う。
しかし、果たしてその甲斐があるか。
さて、僕の仕事のことだが、僕は仕事に命を賭している。
そしてすでに僕の理性はその中で半ば崩壊した。
それはそれでよろしい。
だが君は、僕の知る限りそこいらにいる商人どもの仲間ではない。
君は未だ人間らしく行動する方を選ぶことができる。
と僕は思う。
しかし、果たしてその甲斐があるか。
君は未だ人間らしく行動する方を選ぶことができる。
それは、結婚するとか、そういうことですよ。
人間らしい生き方。
一般的な人間らしい生き方ですよ。
しかし、果たしてその甲斐があるのか。
長く続く人間的な人生が良いのか。
短くとも何かに捧げ燃え尽きる人生が良いのか。
もちろんそうすれば、僕の理性は半ば崩壊した。
それぐらいまで言っちゃうんですけど。
小林さんがこれを最後に引用したのは、
後方の、まあ最後の言葉でもあるしっていうのもあるんだけど、
後方が生きて、それこそ行為に導く内的沈黙って言葉がありましたけど、
なんか語ろうとしてくれてる言葉な気がします。
まるで僕らに当てられた手紙のように。
ゴッホの生き様と芸術
いいですね。
後方って絵が、絵じゃなくて生き様がもう芸術家だった。
存在そのものが。
亡くなって初めて完成する作品があるわけですよね、そういう意味で。
後方自身は憧れたというか、憧れたイエスのように、
結果としてはもうそうなってますよね。
それに近しいような、
もちろん一緒に生きてる人たちを大変な迷惑をこう思ってきたわけですけど。
だからそんな後方意味嫌いの人たくさんいるわけですけど。
ねえ。
だから後方のように生きるってことが、
いいって決して言えない側面はたくさんあるのはもちろんそうなんですよ。
とても危険な生き方だし。
なんだけども、
自分が自分の人生を生きるって時には、
これぐらいの戦いが避けられないっていうことだと思っていて。
なんか勇気尽きられるんだよなあ。
そういうふうに生きるための勇気を励ましよう。
後方からもらう。
その上でどう生きるかはもちろん自分が決めたらいいんですけど。
日本では小林秀夫さんがこのように後方のことを、
こういうふうな眼差しで捉え、表してくれてるじゃないですか。
他の世界では他にも何人もいるんですか?
武者の康二さんとかも描いてますしね。
小川邦夫さんとか。
本当に名立たる人が描いてますよ。
どれも味わい深いですけどね。
でも小林秀夫さんいいですね。
文体もいいし。
今こういうふうに描けないもんな。
最近も後方の本いっぱい出てますよね。今もね。
今の本は読みやすいし、わかりやすいけれども。
小林秀夫さんの本って今の人からするとわかりにくい本だし。
ですけども、やっぱり小林秀夫さんじゃないと出せない響きっていうのが出てますよね。
ゴッホが生前求めていたように、
永遠の命によって自分が死んだ後も、
自分の生きた頃のことを受け取れていたらいいなって願っちゃいますね。
そんなところで終わります。
良かったですね。
良かったです、本当に。
ありがとうございます。
ではでは、また。
20:30
コメント
スクロール