| 今回は、マルクス・アウレリウスの『自省録』です。 本書を取り上げたのは、三谷隆正さんの高弟である神谷美恵子さん訳だからであります。 本書は、マルクス・アウレリウスの手記、いわゆる日記のようなものであり、 それゆえに、後世の人々に響くものになっています。 私のお気に入りの箇所をピックアップして、叡智を探求できればと思います。 |
サマリー
このエピソードでは、神谷美恵子の日記の魅力や意味について考察されています。文学的要素がどのように作品に深みを与えているかが語られています。また、マルクス・アウレリウスの『自省録』も取り上げられ、日記文学の独特な表現方法についても触れられています。
神谷美恵子の日記の魅力
いやー、俺この本選んだのは、やっぱりこの三陣高松先生に捧ぐってところがあってからなんですよね。
いやー、そこがそんなにね、大きい役割果たしてたの初めて見た。
いや、いろんな本にあるじゃん。
確かにねー。
ここ、一応見ますけど、毎回どの本も。
なんかさ、本で終わって、アンディーとマイケルに送るみたいな。
そうねー、知らないからね。
知らないから流れ足踏んだけど。
そういうことか。確かに確かに。
思い一文に人生詰まってるなと思って、すげーちょっとワクワクしちゃいました。
そう。いやーだから中田さんが、これはどういうことなんだろうって言ったのは、本当その通りで、分かんないんだけど、でもその分からなさがいいというかさ。
そうそうそうそう。本当そう感じました。分かんないままでいいし。
でも知りたいから日記探し始めるみたいな。読み始める。両方の。
この両方のね、矛盾がいいね。結局分かんない人ですしね、究極、本当の。
ね。
なんなら神谷さんも分かってない可能性もありますしね。
ねー、本当に。
欠かされたっていうか。
でも冒頭紹介した神谷美由子さんの日記がいいですね。
いい。
いいですね。
いいですね。あれでもじゅんさん、あそこから入ってくれたおかげでよりなんか深まりがあった感じもしたし。
あ、本当ですか。
うん。あそこから入ってくのが文学ラジオなんだなと思った、なんか。
うん。
うん。いいなーって。確かに確かに。
あの日記も読みたくなりました、普通。
あの日記は使ってもいいかもしれないですね、いつかね。
文学と哲学の深み
そうね。
これもある意味神谷美由子の自生録ですからね。
確かに。いやそうっすよね。そうなんですよね。
もうここになんか神谷美由子さんのこの態度というかね、そういうのも伝わってきますよね。
いやそう、多分そこそうそうそう。
なんかさらっと読んじゃうとさらっと読めちゃうけど、じっくり味わうと今じゅんさんが言ったようなとこって、
伝わってくるものがあるんだろうね。
ねー。
神谷さんだったらさ、朝起きれなかった日のことなんて書くんでしょうね。
多分あーは書かないじゃん。
神谷さんだったらどう書くんだろうとか思って。
でもね、面白いよ。例えばそれで言うとさ。
うん。
例えばさ。
1944年4月19日水曜日。
昨日も今日も雨が降り、風が抜けずにグズグズしていた。
両日ともに朝1時間サボる。
って書いてあるんですよ。
あーいい。いいでしょ。最高。
うん。
神谷美恵子さんもね。
いやもう今日無理だ。ちょっと風まだちょっと残ってるし無理だ。
朝1時間両日ともに朝1時間サボるってめっちゃいい。
しかもサボるがカタカナなんですよこれ。
なんだろうなんだろうこの予想。
いいでしょ。
何がいいんだろう。めっちゃいい。
ちなみにこの日記ね、その後ね。
昨夕、鶴さん和彦さんに連れられてきたり、
勉強について質問を持ってきた。
その節、和彦さんから三谷先生の語彙調、幸福論を譲っていただく。
一切の元気を抜け、元気ってこれあれだな。
他人に自分の才能をみらかすような気持ちのこと。
元気を抜け切って一段と力を増した文章。って書いてあった。
おー。
その続きで、さっきのサボるのやつの?
そうそうそう。
で、幸福論を手にした日だったんだ。
そう。でも次はヤスパースの。
もうだからこれ幸福論に関してはもうこの1秒だけ。
すげー。
1分だけ。
一切の元気を抜け切って一段と力を増した文章。って。
へー。
もうね、これ読んだ時に、ああそうかと。
神谷美恵子さんはもういろんなことをもう三谷さんから教わってるから、もう影響を受けてるから、もう。
作法の本に書かれてあることをもちろん語ってくれたこともあるだろうし、
もうやっぱその言葉の奥にある何かってものをもう魂と魂で受け取ってるんですよね。
うーん。
なんかなかなか読書感想を書いてるわけじゃないってことか。
そうそうそう。そうなんだと思うんですよ。
さっとね。
うーん。
そっかそっか。書いてないことにもやっぱり意味が。書いてないことによることからのメッセージもあるね、やっぱね。
そうなんですよ。
いいね、なんか。
しかもそういうすごく大事な1日の朝はサボってたみたいなのもなんかすげーな、いいなー、そういうもんだしなー、みたいな。
ねー。
うーん。
だから神谷さんの方の日記は結構ほんと、淡々とって言うと変だけど、こう、なんかこすーって流れていく感じがいいね、なんか。
いいですねー。
さっきの方のやつはものすごいもう自分を奮い立たせよってやつ。
そうだよね。
これはこれでいいけど。
そうだねー。
神谷美恵子さんももちろんこれ無くなった後に出てる。
うーん。
なんか日記っていう形態にちょっと面白みを感じますな。
うーん。
ねー。
なんか雑談だけどさ、
うーん。
なんか日記っていう形態にちょっと面白みを感じますな。
うーん。
ねー。
なんか雑談だけどさ、インタビューっていう方法が受け取りやすいのとちょっと似てる部分あるなと思って、なんか日記の。
いや、でもさ、他者に向けて言ってないです。
インタビューで言うとそのインタビュアーに向けて言ってますって話と日記の場合はもう自分に向けて書いてますって話を、それを他者が見るっていう構造。
で、そうすることでなぜか受け取り方が変わる。
表現方法としての日記
同じことを言ってたとしてもって。
うーん。
うーん。
なんかだからこそそこで表現できることがあるんだなーって今感じた。
うーん。
うーん。
そうだよね。
そんなこと聞かれないと普段言わないんですけどって言って語ってくれる言葉があるんだよね。
そうそうそうそう。
で、それを他者が見る。
それはなんか直接言われると重い言葉かもしれないけど、日記みたいな構造とかインタビューの中の形で言うと受け取れちゃうみたいな話。今日の時勢録もそうだったし。
うーん。
あれ朝、様々なLINEに届いてたらちょっと重いじゃないですか、本人から。
そうですね。
なんかその構造が面白いよなーとか、その構造の表現の形式の可能性ってあるんだなーってすごい思った。
日記文学みたいなのもありますもんね。
あるね。
なるほどなー。ニーチェがさ、いかなる偉大な哲学よりも自分の身体により偉大な英知が存在しているっていうことがありますけど。
この日記にもいろんなジャンルというか次元みたいなものがあるんでしょうけども、こういう神谷美恵子さんやマルクサウルリウスの、特にマルクサウルリウスの日記とか手記というかは本当に英知を掘り起こしているもので。
インタビューの次元にも英知を掘り起こすっていうのがあるのかもしれないですね。
しない道だけどあったらいいなー。
あるんだろうね。でもそれインタビューに限らずなんだろうね。いろんな営みの中でできるんじゃない。
僕もそうかも。まあ詩なんてまさに絶対そうだし。
ちょっといっぱい喋っちゃうからちょっと終わっとこうか。
終わろう終わろう。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
また楽しみに。
09:14
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