今回は、中野重治の随筆「素樸ということ」 素朴というものが最も美しく立派であると述べる。 では、素朴とは何であるのか。 それを様々な観点から深める。 仕事における態度や ドストエフスキー、ツルゲーネフなどの作家における態度も絡める。 |
Summary
このエピソードでは、仕事の価値について深く掘り下げています。中野重治の「素朴」というテーマを通じて、仕事が人間の生活にどのように生き返るのか、そして見えない貢献がどれほど重要であるのかを考察しています。
仕事の価値の探求
ここからね、仕事の価値の話にもっと入っていくんです。
読んでいくとね。
ここで僕は、仕事というものについての僕の考えを駆けつけることにする。
おそらくそれも、この素樸ということに関係してくるだろうから、って言うんですよ。
で、いきますね。僕の一人考えでは、仕事の価値は、それがどこまでそれを取り囲む人間生活の中に生き返るかにある。
僕の一人考えでは、仕事の価値は、それがどこまでそれを取り囲む人間生活の中に生き返るかにある。
生き返るってのは、あの生き返る。
できるに返る。
これちょっと例えば読んでみるといいと思うんですけど、
例えば、我々が論文を書くとする。その場合、その論文が重要な当面性を持っていればいるほど、論文を書いた当人にとっては、その論文自身が不要になってしまうことが大切なの。
ってことを言うんです。
ほうほうほう。
え、我々論文書かないですからね。わかりにくい例なんですけど、何か自分にとって切実な問題があって、
その、例えば、なんか、悪とは何だとかね、そういう切実な問題があって、それについて論文、この書いて、書いていく中で、ある気づきがあるじゃないですか。
で、そうすると論文自体が不要になってしまうんですよ。
当人からしたときに。
そう、解決されたから。
はい。
っていう。
それが、その人の人間生活の中に生き返るっていう表現をしてるんだと思うんですよ。
芸術家の役割
へー、その人の人間生活、当人の人間生活の中に生き返ってくる。
そう。
これちょっとね、えっとね、例えばね、ちょっとこっちの方がわかりやすい気がするんですけど、
芸術家は、彼の作品が永遠に残ることなどを目当てるべきではなく、
彼の作品などを必要としないような美しい生活が人間の世界に来ることを、
そしてそのことのために、彼の作品がその絶頂の力で役立つことを願うべきであろう。
もう一回読むね。
芸術家は、彼の作品が永遠に残ることなどを目当てるべきではなく、
彼の作品などを必要としないような美しい生活が人間の世界に来ることを願うべきである。
そういう美しい生活が人間の世界に来ること、そのために彼の作品が絶頂の力で役立つことを願うべきである。
いうことを言うんです。
素晴らしい。
素晴らしいね。
素晴らしい文章。
一番わかりやすい例がね、飛ばすとね、車輪の発明者を誰も記憶してない。
誰も車輪の発明者に感謝していない。
しかし、人間の残らずが車輪を使用しているということよりも立派な感謝状は一枚もない。
違いない。
こういうことを言ってるんだと思うんですよ。
そういうことを、そっか今、ちょっと戻ってさっきの、何て言ってくれてた?
無名の貢献
仕事の価値は、それがどこまでそれを取り囲む人間生活の中に生き返るかにある。
生き返るっていうのは純三的なという解釈?
車輪が今、当たり前のように私たちを支えてくれているっていうことが、
死んではないじゃないですか。
死んでたら、車輪はない世界なんですよ。
でも車輪が当たり前のようにあるってことは、車輪が我々を支えてくれているっていう。
なるほど。
人間生活の中に生き続けてくれているっていう。
生き返るって言うと、生き返るって書いてあるんだから、
何か元々あったものが、生き返ってくるって感じがあるんだろうね。
車輪が元々あったとは、言いにくいかもしれないんだけども、
なんだろうな、車輪が実現しようとしてくれている私たちの自由っていうものだったり、
美しい生活みたいなものは、本来実はあって、それが蘇ってきている。
そういうことに仕事は貢献することが価値なんだっていう。
そういう意味で生き返るって言ってるのかな。
課題解決型のNPOとか、よくこういうような表現されますよね。
貧困をなくす。
自分たちの団体がなくなることが、イコール貧困がなくなったことだから、
それが一番いいことなんだ。
ありますね。
自分たちが存在しなくなることがゴールであるって言い方をされる。
まさにそういう。
なるほど。
同じように永遠に残る作品をみたいな言い方もあるもんね、確かに。
あるね。
面白いね。
なるほど。
中野しりはらさんからすると、永遠に残るって、
なんかやっぱり偉大、偉大なもの。
素朴というよりかは偉大なんですよ。
素朴をテーマにしてるから、そうなると、
誰が書いたかもわからない、読み人知らずの歌が素朴なんだってことなんだと思うんですよ。
なるほど。
永遠に残る作品を作る、それも尊いことだと思うんですけど、
この読み人知らずの名も知れないけれども、誰もの役に立っているっていう、
これは尊いでしょっていう。
だからこれちょっと後半のところに読んでみていいですか?
はい。
例えば演劇の歴史についても、演劇の歴史にしても、
その中に寄り込められて素人には見えない演出の歴史、建築の歴史、証明の歴史などを忘れている。
忘れているどころか、僕なんぞはだいたい少しも知らない。
そしてその無知からして、我々自身の文字となって残るような仕事だけを仕事と思い込み、
それがそれとして、人の目に映るために千万無料のお金を被っている、
目に見えない仕事、瞬間に消えていくような仕事を仕事だと思わないようになる。
ああ、言うんですよ。
それは間違っている。
相手の仕事は目に見えない、瞬間に消えていくような仕事です。
確かにね。
だからそこに、無知って、どこまで行ってもいろんなことを知ることはできないけれども、
そういう目には見えない、誰かが作ってくれてるんだなってことを感じることを忘れるなよっていう。
まさにシャリンもそうですし、
だから考えもしないですよね、そういうお仕事に。
そうなんですよね。
日常の中でね。
そうなんですよ。
うん。
俺も土日、一瞬餃子食べてるんですけど、餃子食べながら、餃子って誰が考えたんやろ。
餃子考えた人、シェフ呼んできてくれよ。
ほんとそうだね。
あらゆることがね、無名の中で。
その夕食で餃子を囲むという美しい世界もあるわけじゃないですか。
それは続いてるもんね、みんな誰が作ったかも知らない中で、その世界が実現されてるんだもんね。
僕も今回刺繍作ったじゃないですか。
これから発売かな?
そうそうそう。
密かに考えてたことがあって、著者名をどうするかって問題があるなと思って。
一応、詩歌版だから好きにできるじゃないですか。
著者名?普通だったら自分の名前出す?
著者名を入れずに出そうかなって思ったんです。
こういう本を読むとさ、名を残したいがために何か書くって素朴と間違いじゃないですか。
でもさ、誰も聞こえないと思うのよね。
僕の名前入れるとさ、僕の友人とか読んでくれるじゃん。
だからさ、今回はさ、入れとくと思って入れたんですけど、ちょっと考えたね。
そういう葛藤もあって入れたけど、すごい考えたんだ。
そういうの考える人あんまりいないです、多分。
本当ですか。
あのね、明確に、今回27編ぐらい僕入れてるんですけど、
やっぱり1,2編はね、明確にね、これはもう僕が書いたって思わないで読んでほしいなって思いたくなっちゃうものがあるんですよ。
多分それぐらいね、あまりにも大きいテーマがあって、
なんかね、自分の名前が邪魔しちゃう感じがちょっとしちゃって。
さっきの呼び人知らずじゃないけど。
そう、呼び人知らずの方がこの作品が真に力を発揮するんじゃないだろうかって感じちゃうんですよね。
それもあって、どうしようかなと思って。
その1,2編はさっき前段で言ってた1,2編とはまた違う1,2編?自分がさ。
そうだね、違うね。
違う1,2編なんだ。
それが扱ってるテーマの調子が持ってるその1,2編って、これは名前ない方がいいぞって。
そう、そうだね。
なかなか、もう僕だったら普通に何も考えずにいれちゃうからね。
それもんだよ、なんで。
そういうことまで考えて、今回は最終的につけたというようになったんだ。
そうだね。
ということでございました。
いやー、素朴。
なんかいい文章に触れると見え方が変わるよね。
あ、ほんと?
そのあとここから映るものが、これ聞いてくれた人ももしかしたらそれでもあるかもしれないけど。
ね。
ちょっと何か変わるよね、その見過ごされてる椅子とかさ。
そうだね。
今目の前にあるものみたいな机とか。
そうだね。
素朴じゃん。
うん。
うん。
ねー。
それがさ、なんかさ、なんか当たり前のように思ってるし、なんか大したことないと思ってるかもしれないけれども、
そこは中身が詰まってるんですよね。
詰まってるって。
中身が詰まってる。
これをねー、何にしたいですね。
うーん。
中身ってなんだろうとかね、また新しい問いがね、からまれてきて。
ねー。
いいね。
うん。
いやー、よかったです。今日回も。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
12:52
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