今回は、志村ふくみさんの「語りかける花」。
私自身、随筆の中で、もっとも敬愛している本の1つです。
この本は、ふくみさんの日常を描きながら、
花や色を通じて、人生に大切なことを語りかけてくれています。
サマリー
今回のエピソードでは、志村ふくみさんの著書『語りかける花』について語られています。この本は随筆形式で、日常の素朴さや美しさに目を向ける視点を提供しており、特に著者が68歳の時に到達した境地が描かれています。志村ふくみの作品『語りかける花』を通じて、花の中に仏性を見出す日常について深く考察されています。特にササユリの紹介を通じて、自然と人間の関係性や生への尊敬の念が芸術にどのように反映されるかが探求されています。志村ふくみの『語りかける花』では、花と自然との対話を通じて、生命の深い意味や日常に潜む仏性について考察されています。作品を通じて、具体的なエピソードが語られ、日常生活の中の不思議な体験が描かれています。
志村ふくみの紹介
朗読解説こんにちは。
阿世賀淳こんにちは。
朗読解説じゃあ、淳さん、今日は新しい一冊ということで。
朗読解説はい。今日はですね、志村ふくみさんの『語りかける花』です。
朗読解説あら、これは何か見たことあるぞと、今一瞬思ったんだけど、
朗読解説うんうん。
朗読解説もしかしたら、違うか。
朗読解説研本してくれたやつじゃないか、淳さんが。
朗読解説あー。
朗読解説出す図書館に。
朗読解説いや、この本です。研本したの。
朗読解説この本ですよね。
朗読解説はい、この本です。
朗読解説私の今住んでる町の図書館に、淳さんがワークショップで来た時に、
朗読解説うん。
朗読解説ちょっと場所借りるから、お世話になるからみたいな話もあって、
朗読解説研本をしてた本として、
朗読解説そうです。
朗読解説何か見せてくれてませんでした、それ。
朗読解説そうです、この本でしたね。
朗読解説でしたよね。
朗読解説はい。
朗読解説そうなんですよ、志村福美さんの本は全部想定がもう美しいんですよ。
朗読解説美しいね。
朗読解説本当に美しいですよ。
朗読解説これはちょっとみなさん見てほしいけどね、ちょっとウェブで調べて。美しい。
朗読解説ついに来ました、志村福美さんが。
朗読解説そっか、扱っていそうで扱ってないでしたっけ。
朗読解説そうなんですよ。
朗読解説もう淳さんにとって大事な人だというのは。
朗読解説そうです。
朗読解説何度か話にも出てるかな、文学ラジオの。
朗読解説そうかも。
朗読解説そうかもですね。
朗読解説僕自身も個人的に関係持たせてもらう機会があって、僕の詩集なんかもちょっと読んでいただいたりとかして、みたいなのがあるんですけれども、
朗読解説僕自身は、志村福美さんの随筆を本当に愛読してて、一番好きな随筆って言われたら、志村福美さんの随筆の本をあげると思います。
朗読解説何十冊も出してるんですけど、本を。
朗読解説そのうち、この語りかける花はトップ3に入るぐらい好きな本で。
朗読解説で、これ、僕2024年の時、毎日読んでたんですよ。
朗読解説えー、毎日?
朗読解説朝起きて、仕事する前にこの本を読んで仕事してたんですよ。
執筆と自己探求
朗読解説ちょっと一編読んでとか?
朗読解説そうですそうです。あの、随筆一つ一つが結構短いので、割とすぐ読めちゃうんですよ。
朗読解説へー。
朗読解説800文字から2千文字とかの間ぐらいで読めちゃうぐらいなんですよ。
朗読解説じゃあ短いね。
朗読解説そうそう。で、これでなんだろうな、自分のね、こう、コンディションを整えてるんですよね。精神のコンディションを整えてるって感じ。
朗読解説じゃあまた全部読んだらまた頭から読んでみたいな。
朗読解説そうそうそう。
朗読解説その日の気分で読んで。
そうですそうですそうです もう何回読んだかわかんないぐらい
読みましたねこの本 もう水みたいなもんだね朝こうやって
そうなんですよ 体に入れてというか そうなんですよ
はぁ 楽しみです
くんさんが志村福美さんの本を ついに扱うと
でこの本自体はねあの志村福美さんがね これ68歳の時に
出された本なんですね 一番最初に出した本がね一触一生
っていうね本なんですけど 有名ですねこれねこれがね随筆として
デビュー作で58歳の時 もう歓励満員出された本なんですけど
そっか だからそれぐらいでいいんですよねこれ
僕も随筆貯めていってんですけどね 多分志村福さんの影響があると思います
なんかそれぐらいになって出してもいいんだな ってなるほどね
福美さんのこの一触一生はもう2,30年ぐらいかけて書いてきた本を
一冊にまとめたのね そうなんだ
でその2冊目がこの語りかける花で これまた10年空いてるから
10年間書いてきたやつをまとめているという本になるんです
すごいね
あの志村福美さん68歳の境地でたどり着いたものが感じられると思います
おー
でね読書ってやっぱりそのトーンを合わせる必要があるんですよ
あのよく我々も聞き手としてセッションする時にあえてとトーンを合わせに行きますよね
それと同じで読書もトーンを合わせに行かないといけないんだと思うんですよ
なんかその今のnetflixの動画みたいに早いテンポでどんどんドラマチックに起きてくるみたいなことを期待しちゃうと
なんだこの本はってことになっちゃうじゃないですか
やっぱそれぞれの本に対するなんかこうトーンみたいなものがあって
志村福美さんはこれまでこの文学ラジオで扱ってきた本の中で言うと
やっぱ高田彩さんの木の随筆さん あれにやっぱ近しい感じなんですよね
はー
本当に日常の素朴なことの奥に潜むものを感じ取っていくっていう
そういう類の本なんですよ だから日常を美しむために毎朝これを読んで仕事を丁寧にやろうと思って
あの 去年読んでたんですよ
ちょっと見える世界変わるのかな読むこれを読むとちょっとこうわかんないですけど
まなざしが
普段見落としそうなものを見れたりするかもしれないっていう感覚になったりするのかな
うん 早速読んでいきましょうかね
ちょっとあのせっかくなんで後書きちょっと読んでみていいですかねまず
ちょっと読んでみますね 道のある場所では私は私の道を見失う
今朝私は多号具のこんな言葉に出会ったって書いてあるんですね 冒頭からこれね
道のある場所では私は私の道を見失う
いいですよね うん
ちょっと続きを見ますけど たくさんの文字の中から不意に呼びかけられたようだった
与えられた道失礼られた道は私の道ではない すべての人がそうであるように自分には自分の道しかない
10年余りの間あちこちに書いた小文をまとめて一冊の本にすることになった これが自分の歩んできた道だったのかと思ったとき
必然的にその先の道が見えてきたような気がした 道は細まり
いくらか急な坂に差し掛かった70の坂である って書いてるんですね
うーん いいですよね
いいねなんか いいですよね
使ってる言葉は一つ一つはね なんかこうなじみのある言葉というかそんな小難しい言葉使われてなくて
シンプルなんだけど味わいがゆかい感じがするね うん
自分の道を誰もが歩まないといけないわけなんですけれども この
志村くみさんの場合はこうやってね時折に書いてきた随筆っていうものをまとめてみると ああこれが自分の道だったのかって感じられると
うーん
これ大事ですね
大事って言うのは?
いややっぱり自分の実存を確かめるっていうかね
こういうことを何でできるかってこれ多分随筆だけじゃなくていいと思うんですよ ででも志村くみさんの場合は随筆でその道をはっきり実感することができたし
面白いのがそれを実感できると必然的にその先の道も見えてきたと 自分の歩くべき道も見えてきたと
うーん
すごいよ 68歳でおっしゃってんだもん
さらにその先の道をね うーん
そうか しかも志村くみさんはあれですよね 何だろうね 肩書きで言うと染色家になるんですか?
神田屋さんの影響
はいそうですね そういうお仕事の中のその道もある中で もうやっぱ書くとかその随筆ってもので見えてくる道もあったのかねなんか
ねー これ道のある場所では私は私の道を見失うってこの言葉に
ふと呼びかけられたようだったって書いてあるんですけど この年齢になってこのこの言葉の深みっていうものを実感されてるんだと思うんですよ
志村くみさんも30前後ぐらいで30超えてかったかな 染色の道に歩まれてまずは一通りこの朱梁 その道の朱梁の朱から入っていき
みたいなことを重ねてきて きっと
ねー 論語の言葉じゃないんですけれどもやっぱこの70にして なんかこの
この深みに何か立ってるんでしょうね 立ってるんだよね
まあそれでねその続き読むとねこれちょっとこの文章があったから紹介してかったんですけどね そんな時
神田屋さんの木と崩れを読んだ これね
出てくるんですよこれ すごい まさかね 神田屋さんの木が出てくるんですよこれ
木と崩れって二つまあ似てる作品なんですけどねこれ 読んだ神田さんは70を過ぎてずいぶん遠隔の山深く木に会いに行き
崩れを目の当たりにしようと出かけていった 体力気力の限界をかけてものをしっかり見届けよう
辛くとも今言わなければならないことがあるという気迫に打たれた 何か書こうということの姿勢を問われている気がした
自分はものを通してしか書けないとすればもっとものの奥に入って行き これだけは見届けたい伝えたいというものに突き当たるまで
筆を取ってはならないような気がした って書いてるんですね
いやまずこれちょっと同じ文章をまず読んでるっていうね なんかこう
嬉しさもあるとともに いややっぱり神田屋さんの木って素晴らしいものだから
福美さんもやっぱ読んでたんだなぁ そこで何を感じたかっていうと
福美さんなりには 各姿勢この気迫
ものをしっかり見届けようと辛くとも今言わなければならないことがあるという気迫に 打たれたと
言ってるんですよ もっとものの奥に入っていきこれだけは見届けたい伝えたいというものに突き当たる
まで筆を取ってはならないような気がした こう言われちゃうとね僕ら書けなくなっちゃうから
気にしなくていいんですけど 気にしなくていいんですよ
書きたいと思った人はね 書いていく中でね
書いていく中でこういうことに出会えることが時よりあるってことでいいんですよ 別に
まあでもやっぱりこの70のね 随筆者としての70の熟練に至ってくるともうやっぱり寿命を預かになってくるから
もうこういうもっと気迫に打たれるようなものを奥に入っていってこれだけは伝えなければ って思うものを書かねばならないという気になって迷いになっていってるのかなという気がするんですけど
何年も随筆書かれてきてるしねここまででそのまでもね時間で言ったらね そういう境地に立っていると
だからこれね本当に 確かにそうなんですよこの作品一つ一つがね
あの これはね
志村ふくみさんじゃないと もしかしたらつかめなかったことを現代においてはつかめなかったことがこれここに書かれてある
じゃないかって思うところ多いですよ
志村ふくみの日記の魅力
それこっから扱っていけれるやつそうです
楽しみだなぁ ちょっと読み手としてもね書かれてやることの奥にあるものをちゃんと受け止めていきたいなと
思っております
節字が伸びますのか じゃあね早速いくつか読んでいきたいんですけれども
はい ちょっとねこれ随筆じゃなくてね日記が書かれてある日記が最後挟まってるんですよ
随筆もあるけど日記が最後入っていると そう日記が日記もある日記もあると
随筆はねやっぱり他社に向けて書かれている 日記は
自分が自分のために書いているっていう だからもうちょっとほんとメモ書き走り書きみたいなものがちょっと出席化されているようなもの
な感じなのか 誰に見せるつもりもなく書いてたものなのかな
そうなんじゃないかなぁ
随筆はね結構ね毎日新聞だったり朝日新聞だったりに依頼されて寄稿している文章なんですよこれ実は
もちろん未発表の随筆もいくつか入ってるんですけど 日記なんかっていうのはもちろん未発表なんですね
それが書かれてあると でも僕なんかはね日記がたまんないんですよ
僕なんかはねって面白いんですよ ファンとしてはね日記がたまんないんですよ
そうだよね 一冊目の一色一章にもちろん日記入っててね
そんなのにはねもう30ちょいぐらいの 染色を始めたばかりの時の日記なんかも書いてあって
たまんないっすね 今日読むのはねもうこれ67歳とかねそういう境地の日記なんですけど
ササユリの出会い
まだまだ違いはたまんないです この違いもね
どうなるんだろう67、8歳の方の日記って覗き見る機会ないから楽しみだ その観点でも楽しみだし
ちょっとじゃあ 見ていきますね
はい まず日記から ちょっとあえてマニアックな日記借りかしてください
いきますよ はい これ何年だ1991年だな
読みます 6月24日
この山荘に来て初めて昨日ササユリに出会った ササユリっていうのがあるんですよごめんなさい
ササユリってなんだっていうのなんかねちょっと見てもらった方がいいかもしれない その思い浮かばない方は
お花だよねきっと そうちょっとそれが気になってくる気がするから 中田さんにはねちょっと画面共有するけれども
みなさんにはちょっと見えないですけど みなさんもちょっと良ければねお手元でこれ
少し白ベースでピンクがかった そうそうそう
ササユリのつぼみって言ったらこんな感じでこれがちょうど開いたらあの花になると ゆりの花になると
あーなるほどね これゆりの花なんですけどそうそう
笹みたいなんですよここが葉っぱがね だからササユリなんですよ
なるほど葉っぱが確かに笹っぽい これササユリの話なんですね
あの高田家さんが木を見てまさにあの小林寺を見る 見えてくるってあの話に近い話が同じ話は
福美さんはやっぱり植物とか木に見ていく 今回はササユリの中に見ていくんですけどね
ちょっともう一回読んでいきますね
この山荘に来て初めて昨日 ササユリに出会った
シダや包着草の茂る中腹の草むらに腰を下ろして ふと手に触れたのが
小さなつぼみをつけたササユリだった 毎日実に出かけた
少しずつ薄紅の明かりが灯るように膨らんで ついに開いた
星 地上に降りてきて梅雨に濡れている星なのだ
気がつけば私の家の前の 森陰にも一輪
たけたかく3つのつぼみをつけている 静かにおかしがたい花の奇品が
つぼみを山村物のように思わせる 毎日あるかなきかにつぼみを膨らませ
薄紅が奥の方から差してくる まるで
花の奥に仏がいますようだ って書いてあるんですね
うん いやーすごいな
これね僕ね 随筆
を読んでこれ見るとねより凄さが感じると思うんですよ そうなんだそうだから
これねー 今日ちょっと随筆紹介した後にもっかい読んでみてもらえるとすごい
感じるもなると思うな
日記だとは信じがたいぐらい作も作品 じゃないすかって
そうこれを自分の日記に書いてるんだね そうなんですよ
これねー あの
つぼみの段階から 薄く薄紅が奥の方から差してきてると
うん 言ってるんですよでね
そのそこにおかしがたい奇品みたいなものを感じるんだと で
まるでそのつぼみを見ていると三尊仏のように思われると 三尊仏という
その3つの尊い仏三尊仏 あー3つのお寺お寺に行くとさその
3つ仏が並んでるのあれ三尊仏って言うんですよね そうなんだ
うーん この3つのたけたかく3つのつぼみをつけていて
そそのつぼみが仏のようだって まるで花の奥に仏がいますようだって言うんですよ
うん すごくないですか笑っちゃうなんか美しい
なんかいやーもうすごいすごいが軽い すごいっていうって言ってるだけで
なんか
あのー 以前ね運命のことみそみの中で
あの著者の松永先生が お母さんがの中に仏のようなものを垣間見たっていう話がありましたね
人間の中にあるこの仏性って言ったらいいんでしょうか仏の仏性みたいなものを見ると でそれそれすごいことなんですけどこういうことって花の中にも見える
見ることができるんですね 志村くさの場合はこの花の中に見ているわけですよ
甲田さんの場合は木だったね そうそういうことなんですよ
仏教の言葉でね有名な言葉で 草木穀土湿灰成仏っていう言葉があるんですよ
草木草も草と木 穀土国の土だから草も木も大地も
湿灰っていうのはことごとく皆
仏になる 成仏
草木穀土湿灰成仏 草も木も大地もことごとく皆すべて仏になる仏性を持っているんだっていう言葉なんですけど
これをね見出されてるんですよね 志村くみさんって結構この草木染めをして
はい 草木から草木から色を取り出して
糸を染めて そっから織り戻していくというお仕事されてるじゃないですか
草木染めを通じてねやっぱりこう自然の生命とずっとかかり続けた人なんですね
であの
例えばね僕印象深い話があってね残ってるのはね 桜のね
木をねこう染めるじゃないですか そしたら桜色みたいなものが出てくるわけですよ
ごめんなさいちょっと桜色だったからちょっと何色が出てくるのかごめんなさい ああいう風なんですけどまあ色が出てくるわけですよ
でその時にね その花を桜の花を染めても色は出ない
で その桜の花が咲いている木を染めても色は出ない
なんだけども 桜の蕾の状態の木を
木の状態で切ってしまって染めるとね 色が出るんですって
うーん っていうとね
えっとね 桜はさ
咲かそう咲かそうと思っているのに 咲く前に切っちゃうわけなんですよ
うーん とかね例えばまあ見る人が楽しむにしている中で
切ってしまうわけですよねこれ っていうことになると何か
桜の命みたいなものをね 自分は奪うというかねもらっているというか預かっているというかね
まあでも奪うという感覚があるかもしれないですね
でそれを何とか この糸に染めて織物の中にもう一度蘇らせることはできないだろうか
花を咲かせることはできないだろうかって 命を預かったからにはそういうことができないだろうか
っていうふうに思ってされている人なんですよ
だからこういう 花とかそれこそね
自然との対話
蕾の状態の中にもこの命が脈打っているみたいなこととかを
やっぱり僕らとは違う感覚で持ってるんだと思うんですよね
はぁ
普段お仕事でねその段階のものから預かっているっていうことを何度も何度もやられていらっしゃるから
僕らたちがまなざしで見てる そうかもしれないですね
そうなんですよね
でね花からちゃんと取ったからには
ちゃんと大事に扱ってほしいみたいな思いももちろん感じてるからね
そういう 草木から自分はまあ見られている
あるいは見守られているっていうそういうある生き栄の人を感じていて
草木に対して謙虚になったり感謝の念を持ったり
みたいなことを持っていらっしゃる
何だったら何かこう祈りのようなものを感じていらっしゃると思うんですよ
だから 仏に見守られているかのように
草木からも見守られているっていう感じがあるんじゃないかなと思うんですよね
だからこういう境地なんですよ
これ 自分なんかだと本当花っていうとね花びらばっかり見ちゃうけど
もっとその奥から来ている命とかなんだろう もっと花って言っても花びらはあくまで一部で
そのつぼみとかその奥にあるものとかね そういうのってあんま考えたことなかったけど
確かに染め物をされていると また感じるものがあるんだろうね
花っていう一つとってもね そうなんですよね
ね ちょっとこれ続き読んでいきましょうかね
正常な空間に 梅雨が降りて花がかすかに揺らぐのを
私は自身がつぼみの中に潜み 全身で開花の予感を受け止めているような気がしていた
その朝私は佐賀へ帰らねばならなかった 車に乗る前もう一度その花の前に立った
なぜか全身に哀れというような旋律が走ったって書いてあるんですよ
これなんかこう不思議なことですねこれ なぜか全身に哀れ
というような旋律が走った
旋律 まああるこの旋律っていうのは恐れ
恐れなんですねこれやっぱりね 異形の人の方の恐れ
でもあるし恐ろしい方の恐れかもしれない それもなんか旋律だから混じってそう
ね 以前トリソニーの最後にシュバイツァーの言葉を紹介しましたけど
生への異形 命への異形の人みたいなものを少し触れましたけれども
福美さんはここに何か 今これ異形の人を強く感じたんですね
この日
続きを読んでいきますね 佐賀にいる間ずっと思い続けていた
今朝はきっと咲いただろうあの森の中に3つの星は降りただろう それを山のしぐれが濡らしているだろう
3日後やっと帰ってきた すぐ飛んでいった
けれど笹百合はどこにもなかった 目を疑った
きっと 通りがかりの人が積んでいったのだろう
誰のものでもない 今その森陰に幻の笹百合が咲いている
あの時これがお別れ と百合は叫んだのだろう
私の中でも手を折られることを予感していたのだろう あの旋律は確かな百合と私の応答だった
って言ってこの日記が終わるんですよ たまんないっすね
花と語らう日常
たまんないなぁ たまんないっすねこれは たまんないって純さんが言ってた意味が
たまんないねー すごいなぁ
すごいですね すごい境地ですね
ほんとに
すごい境地だなぁなんかこれがねーなんかねー 嘘だとは思えないやっぱり
うん あーそのこの書いてる感覚とかが作り話じゃなくて
いやーそうっすね 思えないね
これねほんとに その
やっぱり今回この本を通じてね植物とか やっぱり色とかねそういうものに対する
深みみたいなものをふくみさんはやっぱり 教えてくれようとしてくれているんですけれども
この本やっぱり語りかける花でしょ 徹底的にね花が語りかけてくるんですよっていう
話がいろんな切り口でいろんなエピソードで語られてるんですけれども
まあこれあえてちょっと不思議な体験だから日記ということにしてるんです けどもねこれは何か随筆という形で言うよりかは
もはやこれは随筆でもあるし詩でもあるんですけど
日記ってのもまたでもいいね いいですね
味わいがあるなぁ これがふくみさんの日常なんだなぁという感じがしてくれます日記と書かれると
日記書いたことないし読んだことない 出来事としてはささやかだよね旗から見たら
なんか大事件が起きてるわけでもないし 起きてることは凄まじいよね
凄いなこの日記
ね まあいやー
すごいなぁ
ちゅーさんもね 読みながらまた審査員審議とね
僕らもねまぁちょっとここまでいかないけどでもね何かわかる経験してきていると思います やっぱり
なんか最近の僕で言うとねあの庭の畑しているんですけれどもね この蝶とかガーとかの幼虫芋虫がね
まぁいるんですよ でそのそのちょっと芋虫なかなかあのビジュアルがちょっとね
きついものがあるんですけど あのぶっとくなってくるんでねで結構トマトとか茄子とか食っちゃうしね
あの 結構食っちゃうんですよだから
害虫なわけです一応 害虫と人間には呼ばれてますね
でまぁちょっと僕もせっかく育ててるんでねちょっと排除しないといけなくって まぁちょっとどうしようかなぁと思ってまぁちょっとその僕いつも農家さんに野菜届けてもらってて
農家さんに相談したらいやもう僕もあのだからもう取って手で取って殺してますって言ってて うん
いうんで まあそうかと思ってまぁちょっと手で触れないんでスコップですくってね
ぶちゅって殺したんですよしかもね10匹ぐらいいましたよ でもねなんかね殺すのちょっとはばかれたんですよねなんかね
申し訳ないことしたなあとごめんって言いながらね ぶちゅってやったんですけど
でなんか俺それねその日朝やったんですけど 1日何回もそのことを思い出されて
でね俺夜になってねそうだあの 管理されてない裏山になんで持っていかなかったんだろう俺
って思ってちょっと食いたいですね あー殺さずねー
じゃあなんかねやっぱ夢に出てきましたね あーほんと
なんかねー
うん 全然違う話なんだけどなんだろうなうん
なんかやっぱり 命みたいなものをやっぱり自然の中から感じるっていう経験誰もがしてきてると思うし
うん 海さんの言葉を借りるなら応答がね
じゅんさんとイモムシの間にあったのかなっていう いうことを感じましたけど
ん
そしてその虫にすら魂を見るみたいなまあそもそも日本人の音ことわざ中にもあるし そういう心っていうのはあるよね
うーん そういう心が出てくる瞬間もあれば何にも気にせずさあかとかパーンってとこ
ブーブー言うよねそうなんですよ 感じる瞬間が時々訪れるっていうのはそうですよね
誰にとって誰にもある経験かもしれないよね
ちょっともう一つだけ日記紹介していいですか せっかく気になりますねちょっと次の日記
命の尊さを考える
これもすごいに行きなんだよなぁちょっと いけますね
33:43
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