今回は、夏目漱石の「草枕」。
この本は、小説の形をした漱石の芸術論です。
まだ漱石が新聞小説として活躍する前であり、ある意味ピュアに漱石が自分の書きたいことを書けた作品といえます。
美しい文章とともに、草枕のキーワイド「非人情」の境地を一緒に学んでいきたいと思います。
サマリー
このエピソードでは、夏目漱石の『草枕』を通じて、ケン・ウィルバーの五つの意識状態が考察されています。非人情と意識の深まりがテーマであり、さまざまな意識のレベルやその重要性について語られています。『草枕』を通じて、人間の存在や意識の多様性が探求されています。さらに、ケン・ウィルバーが提唱する五つの意識状態を絡めて、自身の人生や他者との関わりを深く理解することの重要性が強調されています。
意識の重要性
ありがとうございます。
ありがとうございました。
面白かった。
じゅうさん、どうでした?
よかったなぁ。
自分が、
最近もちょっと苦しくなっちゃう場面とかあったんですけど、
なんかこういうふうに、やっぱりこう、
なんだろう、
本当に、
誰にも怪我されることのない、
自分の意識状態ってあると思っていて、
そういうこの意識を持てる自分っていうのを、やっぱり作って眺めてあげるっていうのを、
なんかもっと、
自分も言いながら、別にほとんどできてるわけじゃなくて。
渦の中だとね。
渦の中だとできないよ。
できない。
今日こうやって改めて扱わせてもらうことによって、
今日一日もとりあえず、そうしてみたいなって思いましたし、
ちょっと意識したいなって、なんか思ったな、やっぱり。
怪我されることのない意識領域みたいな、すごい綺麗な言葉ですね、なんか。
そうだなぁ。
そっか、俯瞰しているところも、その俯瞰に立っている自分の底って、
怪我されることがないのか。
それは初めての感覚だな、それ言われてみたら、なんか。
ウィルバーの意識状態
ケイン・ウィルバーって言って、インテグラル理論っていうのを、
私一時期すごく傾倒してたんですけどもね、
ウィルバーなんかはね、
ある意識状態、ないしは瞑想状態っていうのを、
5つに分けてるんですよ。
グロス、サトル、コーザル、ウィットネス、ノンデュアル、
この5つに分けてるんですよ。
グロスっていうのは、すごく物理的なもの、洗い物。
洗い物?
洗い物を、素体って書くんですけど、漢字で。
洗い物を認識できる意識状態。
ここに体があるな、とかね。
で、次、サトルってなると、
微細って漢字で当てるんだけども、
微細なものをつかめる意識状態なんですよ。
それは、自分の体にも何かこの、
気の流れみたいなものがあるよな、とかね。
あー、そういうことか。
ちょっと肌に空気が触れてる、ちょっと毛が揺れてるとか、
もっとその、より微細なレベル。
でも、物理的な世界なんですか?その微細は。
でも、気の流れとかってどうなんですか?
現実には、物理というか。
もう絡んでるかもしれないけど、もうちょい工事な感じか。
そうそう、物理じゃないものとか。
まあ、シンプルにでも普段意識しないと気がつかないような、
物質のことももちろん含んでいる。
はい。はい。はい。
もうだいぶ過ごそうだけど、まだ2か。
そうなんですよ。
甲ザルってあるんですけれども、
これはね、漢字で書くとね、
原因、元。
元の因。
因の元。
因果の元ってことですわ。
仏教でいう空である、みたいな感じなんですけどね。
難しくなってきた。
難しいよね。
これはね、例で挙げてくれてるのは、
眠ってるときに夢さえ見てない状態ってあるでしょ。
はい。はい。
あれってもう、無の状態。
無だよな。
そうそう。それを甲ザルって呼んでる。
ほう。
面白いな。
あとはね、僕ヨガするんですけど、
ヨガした後最後シャバーサナつって、
安らぎのポーズするんですよね。
はい。はい。はい。
あのとき60分間ヨガして最後シャバーサナすると、
いわゆるサウナのあれに似てるわ。
ボトムーみたいな。
そうそうそうそう。
ときにもうなんか、
起きてるか起きて寝てるか分かんない。
無になる。
そういう無の状態みたいなものが、
甲ザル状態なんですよ。
おー。
いわゆる瞑想っていったときのイメージに近いよね。ある意味なんか。
そうそうそう。そうかもね。
無になる瞑想ってすごいけどね、
瞑想だけでやっぱりサトルにいけるけど、
確かに。もっと手前だよね。
甲ザルまで。
うん。
夢みたいなときの寝てる状態までってのは相当だな確かに。
そうだと思う。
もっと手前か。
なんかもう不老とか憎悪に入ってるみたいな。
我を忘れてるみたいな。
我をね。
こういう感じに近い。
のが甲ザルの意識状態ですよ。
詩とウィットネス
はい。
で、4つ目にウィットネスっていう意識状態があり、
これが目撃者なんですよ。
うんうん。
目撃者って言葉を当てられてるんですよ。
うん。
で、これは、
えーっと、
もう自分が完全に虐待化されて、
事故そのものを目撃してるんですよ。
へー。
今日扱ったあの話はまさにこの目撃者の意識状態なんですよ。
あー。
じゃあ今日扱ったやつはちょっとだからもう、
ちょっと俯瞰で見るとかの話じゃないのか。
そうそうそう、そうなんですよ、実は。
ちょっと俯瞰で見るぐらいだったらなんかもう悟るぐらいの話だ、話で。
はーはーはー。
そう。
ウィットネスはすごいな。
なんかもう臨時体験みたいだもんね、あれ。
そうそうそう。
そういうことそういうこと。
おー。
おー。
そうなんですよ。
で、まぁ最後、参考までに一番最後、ノンデュアルっていう。
かっこいいね。
かっこいいね。
これは非人間っていう。
へー。
まぁなんか、ワンニスっていう。
おーおーって。
こういう、ワンニスの意識状態。
おー。
うん。
なんだろうな。
そのー、これは、僕も瞑想をやって、一番深い瞑想を行ったときに、
自分というものが漂ってるんですけど、世界に。
もうその自分と世界が溶け合って、何かこう境界線区別みたいなものがなくなって溶け合ってるみたいな感じになるときが。
あって、まぁそういう感じに近い気がしてるんですけど。
うんうんうん。
そうだよね。
まぁでも、こん中でやっぱりウィットニスが大事なんだろうね。
で、まぁズルも大事なんでしょうけども、やっぱりウィットニスのこの意識状態の価値っていうのが、まさに今日は使ったところなんでしょうね。
おー。
でもさ、あのー、夜と霧とかでさ。
はいはい。
フランクル。
フランクルとかもさ。
そうだわ。
フランクルさんだっけ。
そう。
もう、そういうことだったのかな。
そうだね。
今思いながら聞いてたけど。
確かに。
あれもさ、もしこの後抜け出して、自分が人前にこの体験を何か語れる機会があるとしたら、みたいな。
なんか、そういう感じだったよね、確かね。
そうそうそうそう。
だからある種の。
ちょっとこう、俯瞰で。
そうだよね。
ものすごい苦しみのあの状況を。
確かにそうだわ。
この自由は持ってるもんね、人間は。誰にも奪えないっていう。
ここの。
そう。
どんだけ手足縛られようが。
こっちに行く理由はあるもんね。
そうなんですよね。
いいな。
これは鍛えていけるんでしょうね、やっぱりね。
面白かった今日のジュース話も、詩を書くときもそういう感覚から今の自分を俯瞰して。
それがその詩を書くって行為と繋がってる。
面白かった。
だから俯瞰になってるから詩が生まれるのはそうなんですけど、別に詩を書こうと思ってるときに俯瞰になれてなくて、ウィットニュースになれてなくて。
書きながらだんだんとウィットニュースになれていってるっていうことなんですよ。
はいはいはいはい。そこに鶏たまごなんだ。
そうそうそう。
書くっていう、詩を書くという行為を通してがウィットニュースになることに手伝ってくれたりするということもあるしね。
そうそう。だからそういうときって最初にいきなり詩の言葉は生まれてないんですよ、もちろん。
バーって書いていって、どっちかっていうと自分の感情を吐き出すような感じにジャーナリングしてるっていうときもある。
あーなるほどね。
でもそれで落ち着いてきたときとか、そこに潜んでることに気づき始めてきて、だんだんとこのウィットニュースになって、詩が生まれていくっていう。
どういう時間ってやっぱでも、取るの難しいね。
やっぱ詩を読んだり、それこそ何か芸術に触れるっていうのはその一つなのかな。
やっぱ日常生活の中でそういう美しさに気づくっていかに難しいか感じました、今今日。
これあれかな、今話しながら。セッションしてるとき、人の話を聞かせてもらうセッションしてるときって、ウィットニュースあるのかもしれないですね。
いわゆるグロスって言ってるのは、話してる言葉をキャッチしていく。
サトルって言ってるのは、どっちかと言うと非言語情報をキャッチしていく。
感情とか。
そうそう。
トーンとか。
あとこの人の言葉になってないことまで汲み取っていくみたいな。
ウィットニュースまでなると、何かこの人に宿ってるものだったり、この人が今体現していることの美とかにつけたりみたいなことってやってますよね、我々ね。
意識状態の考察
いやそこまでいけないけど、そこはあるね、ポテンシャルとして。
そんな全ての層だとは思えないけどさ、セッションが。
うんうん、もちろんもちろん。
いけるよね、でも多分セッションって。
そうかも。
俺なんかありがたいなって思うとき、やっぱ目撃者の意識状態までいけたときかもしれない。
聞いてもらってて?
自分が聞く立場のときに。
あー聞けた、一緒にそこに行けてっていうこと?
そう、聞かせてもらってありがたいってときは、自分が何か大事なものを目撃させてもらったっていう。
うわーその感覚、確かにそこちょっと面白いなー。
なんかインタビューさ、ここら辺言語化しててさ、人生側方の声を聞く行為になれたらいいなーって思ったんですよ。
その人の人生?
そう、その人とかもっと深い、広い意味の人生、多分人生は個人の人生と、多分もっと広義の人生があるわけだと思うんだけど。
集合的な、この人を取り巻いてる家族とかも含めた。
含めた、もっと命とかもっと広い意味のライフとかあると思うんだけど。
そっからの声はもう相当すごいけど。
ちょっとそこまではまだ自分は至ってないけどさ。
時々さ、この渦の中で暮らしてると聞こえないさ、自分のライフ、自分の人生側からの声が、
例えばインタビューでゆっくり自分の人生を振り返りながらさ、聞こえてくるみたいなことにたまーにやっぱ立ち会えたりするじゃん。
その時は嬉しく聞かせてくれてありがとうって気持ちになるし、
なんかビットネスに近いのかなと思った。
人生観で捉えていく。
それが人生側からの声を聞くに近いかもしれないなーって今ちょっと思った。
いや、相当そうだと思う。
で、セッションでも多分内面を深く扱っていくことで、結果的にもちろん人生とつながってる話だし、
そこにポンと飛び出てくるみたいなことがあるのかな。
そうだね。聞かせてもらう、我々が目撃者になれることは当然なんだけども、
その語ってる本人がそういうふうになれるって時もあるじゃない。
それが一番すごいことだと思うんだけど。
でもじゅんさんが詩を書き始めていくと自然とビットネスに、
書くって声がビットネスを助けてくれるみたいな話と、語るっていうことが一緒だよね。
語りながらビットネス、語るってことがそれを助けてくれることがあるってことなのかな。
だから俯瞰の問いかけって大事なんですよね。
目撃者の意識状態にまでいける可能性があるから。
そうだよねそうだよね。
より早くいけるって感覚なのかな、俯瞰の問いを使うと。
俯瞰の問い使わなくても究極いけるのかな。
いやーこれ難しいね、だって俯瞰の問いってさ、投げかけてもさ、
俯瞰できてない人ってやっぱたくさんいるじゃないですか。
でも俯瞰できちゃう人もいるじゃないですか。
もうあれはやっぱりその本人がやっぱ俯瞰、目撃者の意識状態をやっぱり日頃から
自分自身の理解
やれてるか否かに結構寄ってるというか、
そういう筋力があるかどうかな気がするというか。
あ、そっかそっか。どんだけそこまで一気に飛べるかのこの張力みたいなものが。
ある種の慣れとか。
そうだねー。
もちろん場の力もあるとは思いますけど。
確かに飛べちゃう人いるもんね。
いるねーほんとに。
あー確かに確かに。
慣れてないと渦から出るのむずいよなーとかね。
あーコンディションもあるし。
そうだね。
いやそこまで、だからそこまでセッションで行くことがやっぱ難しいなー。
なんか自分の場合は。
うん。
あーなんだろう、僕がやっぱそこに慣れがない。
なんか得意不得意なのかなー。
セッションで、だからそこまで行ける人やっぱすごいなって思うなー。
面白い。
そういう意味で考えるとさ、他者のさ、セッションしてて本当に感じるんですけど、
他者をさ、目撃者の意識で見るってさ、もともと他人だからさ、見れるというかさ、
なんだろうなー、そのー、第三者の視点に立てるわけだけども、
自分が自分の人生に対して、自分自身に対して目撃者を作れるかってやっぱり難しいよねー。
だから他者の力借りていいしってことでいいと思ってるんですけれども、
でもやっぱり自分が最後自分の目撃者をちゃんと作ってあげる、
自分の人生に向っている真理をちゃんと起こしてあげるってことは、
これはやっぱり自分にしか課されない、自分だけの使命な感じしますよねー。
あー確かにねー。そうだよねー。
自分にしかできないと言えるし、自分にだけ残されている自由とも言えるし。
そうそう。
うんうんうん。そうだねー。
でも一回それ味わったら戻ってきやすいことはあるよねー。
何だろう。そこに美を見出したらさー。
確かに確かに。
例えば何だろう、さっきの食卓の例で、その食卓そのものは美しいんだって、
例えば思えた瞬間が人生の中であったらさー、
まあ普段は忘れるけどさ、365日中のほとんどは、
どっかにまた戻ってこれるチャンスはなんかあるっていうかさー、
なんか戻りやすくはなるもんねー。
だから、聞くって行為はやっぱり他者の価値からを借りながらそれにまずは出会うっていうか。
確かに。
うーん。
確かに確かに。そっかそっか。
そこでそういうふうなことを得られると、今度自分一人でもまた戻ってくれるってねー。
そっか戻りやすくなったりするのかなー。
確かになー。ほんとだねー。
うーん。
うん。いいねー。どんどん聞いてもらおう。
どんどん聞いて、どんどん聞いてもらおう。
美しいものを見つけていくってこと。美と繋がったのが面白かったです。
だから正直言うと今日は。
うん。
それが、うーん。そっかそれ美なんだーっていうか。
うーん。
確かにね。美にもいろんな次元があるからねー。
はいよー。勉強になりますよ、ほんとに。
ここで言う今日美や使った美は本当に心前美を本当にもう一つのものとした美というかねー。
もうすごい。僕にはもうわからん。わからんけどいい。わからんけどいいなーって感じ。
本当になんか味わいがあるわー。
ありがとうございます。
ありがとうございましたー。
ありがとうございました。
ありがとうございましたー。
19:03
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