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2024-11-30 14:07

#13 創作・仕事における素朴な態度 / 中野重治「素樸ということ」その2

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今回は、中野重治の随筆「素樸ということ」

素朴というものが最も美しく立派であると述べる。
では、素朴とは何であるのか。

それを様々な観点から深める。
仕事における態度や
ドストエフスキー、ツルゲーネフなどの作家における態度も絡める。
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これ、それでね、さらに例を挙げてね、ロシアの作家で、ドステフスキーと、あと、ツルゲーニフってね、父と子とかね、書いてる。
これ、同時代人ですね。トルストイとかね、この辺ね。で、そのドステフスキーと、あのツルゲーニフのことを例に挙げてるんですけどね、読むとね、
ドステフスキーは自分の肉体で物語をこさえた。 ツルゲーニフは小説をこさえるために生活した。
ドステフスキーの作には、どこにもドステフスキーの血が称えられている。 ツルゲーニフのには、ツルゲーニフの何かは称えられていようが、
何か、何かは称えられていようが、血は称えられていない。って言うんですよ。 これからドステフスキーは
生活を叩き上げている。けれども、ツルゲーニフは生活を叩き上げていない。 あ、そういう意味ですか?って言ってるんですね、描写をね。
本当はね、ちょっとツルゲーニフファンの人にはアレなんですけど、中野茂原さんから読むと、そう書いてある。
ドステフスキーは自分の肉体で物語をこさえた。って書いてある。 だから、ドステフスキーの作品には血が称えられている。
血が充満している。彼の人生の苦悩とかが
称えられている。充満している。って言うんですよ。 一方、ツルゲーニフは小説をこさえるために生活した。
って言うんですよ。これね。
だから、逆なんですよ。さっきその
制作、まあこれ制作を訳して創作を叩き上げるっていうのと生活を叩き上げるっていうのがあって、ドステフスキーは
生活が節一だったから、おのずと創作も節一になると。でも、ツルゲーニフは
制作、創作、創作自体をまああのこさえることを第一にして、生活を叩き上げてなんかいないっていうことを言ってるんだと思うんですよ。
文学で詩小説ってあるじゃないですか。私の小説。あれって自分を主人公にして
その自分の実体験みたいなことを小説にしていくわけじゃん。で、なんか
あれで作家たちって
詩小説何個か出した後に、もう自分の大きい実体験は書いてしまったから、詩小説の形だと書くものがない。
だから自分が、自分のこのリアルな人生を、変なことを取り入れようとするんですよ。あえて。
なるほど。小説を書くために。書くためにね。そう。こういうことを言ってるんだと思うんですよ。そんなバカなことがあるかってことなんですよ、多分。
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なるほど。そんな小説を読むために、自分の生活を変なところに持っていくみたいなことは
そんなしょうもないことがあるかってことなんですよ。
ちょっと鶴毛伊夫が実際そうしたのかどうかわかんないんですけどね。意味合いとしてはそういうことなんだと思うんですよ。
そうですね、なるほどね。ここでは鶴毛伊夫がどうだったかっていうことはさほど重要ではないというか。
そこを大秘として、さらに深く説明してくれてるんですね。意味をね。
だからさっき言った、そういう詩小説を書こうとする、自分の生活をあえて奇妙な方に持っていくみたいなことはしなくても
やっぱり自分の人生に与えられている何かっていうのは、測り知れないものがあって、そこに何だろうな。
目を向けていることができなかったり、救えることができてないだけなんだと思うんですよね。
なんかそういう、自分が見過ごしてきたものに目を向けることができれば、
思わずと自分の生活から来る何か創作が生まれてくるんじゃないかっていうことを、なんか僕はここから感じたというか。
それはなんかジョンさんみたいにこう創作してる人とかからすると、
また何か感じることが多そうだ。素敵だよね、なんか。なのかなと想像しながら。
僕もそのね、師匠からは、
何だろうな、書きたいことがあるから書くんじゃねえって言われて、書きたいことがあってもなくてもまず書けとか言われてて、
書いていく中で発見していくから。
なるほど。書きたいことを頭で考え始めて、そこから書くんじゃなくて、それが書けと。
そう。
それもあって、なんか今ここをこういうふうに読めてるんだと思うな。
面白い。
それでね、もうちょっとだけね、
読むとね、ちょっと飛ばすんですけどね。 そこからして僕はまた、いい作家というものは新しい一つの仕事にそれまでの全ての仕事を打ち込むものだと思っている。
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いい作家というものは新しい一つの仕事にそれまでの全ての仕事を打ち込むものだと考えている。
例えば、
笠井善造っていう、この方も詩小説を書く
作家さんなんですけどね。 笠井善造さん、笠井善造のような作家の態度の中には、こういう点に関して学ぶべき貴重なものがあると考えるのだ。
最後の作の中へは、その一つ手前までの一切をぶち込む。 全ての経験、
全ての既に取り扱われた対象、既に取り扱われた取り扱い方、
全ての大にから小手先までの技術、そういうものが、そういうもの一切をぶち込む。
もう一つ、ル・メルテンって、ちょっと僕もこの方知らないんですけど、ル・メルテンなどもその点そういうやり方を行っていると思う。
彼女の単行譜など、僕はしきりに感心していたが、この頃トルソなどを読んでみて、
彼女がその作にどれだけ彼女の全体を叩き込んでいるのかを見て、感心した。
そして僕の考えによれば、このすべての瞬間に一切を叩き込むという態度こそ、最も素朴な態度なんだ。
うわぁ、僕の脳、すげぇ、何かすごいことが書かれているということがわかるのと、
多分、私がついていけないっていう、これが面白い。
俺、さっきまでその素朴っていうものの一つの側面として、その切羽詰まってる状態なんだ、切羽詰まるとおのずと素朴なんだっていうことを話してて、
で、今回はこれは、その瞬間に一切を叩き込むっていう態度でも、素朴は現れてくるっていう。
切羽詰まるってことと、また近いものを言えるよね。
確かに、そうなんだよ。
これ、作家たちを例にして、今作っている作品はこれまでの作品のすべてが入ってるって。
それね、頭では、言葉では理解できるんだ。
何かこう、わからなさがあるなぁ、僕には。
これでも、作家で言うと、ドストエフスキーとかはね、勝手に僕が感じていることですけど、最後のカラマー族の兄弟って、
なんか、あの、ドストエフスキーのこれまでの作品のすべてが入ってるって感じするんだよなぁ。
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ほんとに、あらゆるテーマが、あらゆる問題が入っている感じがしてるから。
すべてのエッセンスが入ってるって感じ?
うん、そう。
テーマが入ってる。
まあ、ここで言うと、ほんとにすべてだから、取り扱われている対象、モチーフ、テーマ入ってるし、
そういう今まで培ってきた技術ももちろん入ってるしって。
でも、仕事もね、ある意味そういう部分がある気がしてて。キャリアとかもさ。
あぁ。
僕もなんか、あの、コーチングとかを仕事にし始めた時に、
自分の、あの、今まで生きてきた人生のすべてがここに生きてきたんだっていうことをめちゃくちゃ感じたんだよね。
へー、感じる瞬間があるって感じ?
そう、あれをやり始めた時に、何だろう、自分の、この、人生観とか世界観とか、すべてが聞き手の態度として問われてるってことを感じて、
何だろう、今まで生きてきたすべてがここに入ってんだなっていう感じとかね、したなぁ。
そうだよね。
なんか、総動員しないと向き合えないぐらい、総動員するものなんだなって思う瞬間は確かにあるじゃん、仕事してて。
なんかその、総動員するってことと、このすべてを詰め込むってことが、
なんか自分の中では私と違う感覚に聞こえて、新鮮に思えたっていうのがありましたね。
今の二つの違いって、もうちょっと言うと、どんな感じですかね。
すべてが詰まっこまれた時のアウトプットって、どういう状態なんだろうっていうのが興味があったんですか。
例えば僕がインタビューの仕事をしてる時に、インタビューっていうのも、やっぱり自分の人生、すべてがそこにたぶん現れるだろうなって思うんですよ、自分の人間の生身でやってるから。
って思うことと、例えばこの一本のインタビューに、僕のこれまでの仕事のすべてが詰まってるって思えることって、なんかまだ僕の中ではちょっと返りがあったんですよ。
なるほどなと。
そこに、まだ自分がそこまで詰め込めれてないと言えるかもしれないし。
そうだね。確かにこれちょっとどう捉えるかですね。僕も作品作る時に、この作品は自分のすべてが詰まってるって言いたくなる作品が生まれることって本当にレアなんですけど、僕の記憶の中では1つか2つぐらいなんですけど、100個ぐらいある中の。
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でも残り99、98は確かにすべてが詰まってない。すべてのテーマが入ってるわけではないけれども、でも自分のなんかこの全身全霊で、何かこのテーマと向き合ってるっていうのはなんか感じる。
すごいね。
確かになんだろうな。自分の生きてたことなんて、計り知れないものがあるから、それが何かここに詰まってるって言うほど、なんかそんななんだろうな。
あの、深白なもんじゃないんだと思うんですよ。もっとやっぱり奥深いものがあるから。
だからこの作品に全部が詰まってる、この仕事に全部が詰まってるとは、なかなか言い難いんだけれども、でもここまで歩んできた、この今の自分が全身全霊を尽くしているという点では、なんかあるかもね。
なるほどね。自然と滲み入れちゃうものもあるもんね。
そうだよね。
でも純さんだから1、2本、そういう意味で言うと少し特別な作品があるわけだし、今の中野さんで言うと他社がそれを感じ取ってしまうぐらいの作品がやっぱりある。
何か違うのかなと思ったりね。その辺は面白いよね。
そうなんだよ。
そっか。
ちょっと次行ってみていい?
はい。
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