今回は、中野重治の随筆「素樸ということ」 素朴というものが最も美しく立派であると述べる。 では、素朴とは何であるのか。 それを様々な観点から深める。 仕事における態度や ドストエフスキー、ツルゲーネフなどの作家における態度も絡める。 |
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はい、こんにちは。
こんにちは。じゃあ、じゅうさん、今日はどんな一冊を。
今日はね、こちら。
おー。
中野重治の本ですね。
はい。
ちくま書房から出てる、ちくま日本文学全集っていうやつがあって、
それの中野重治さんの本を持ってきました。
ちょっと恥ずかしながら、中野重治さん、私存じ上げてない。
本当ですか。中野重治さんってね、1902年に生まれてるんですよ。
小林豊さんと同じ年に生まれてるね。
なんていうのかな。
小説家であり、詩人でもあり、批評家でもあったっていう方で。
あとね、議員さんもやってた、ちょっとだけ。
共産党の議員とかもやってた。
そういう方。
その一冊について。
ここからね、これは中野重治さんの詩集とか、随筆とか、
そういうのも小説も入っているんですけれども。
アイソロジーじゃないですけど、全部集められてるやつ。
そうなんです。
ここからね、今日はね、僕の好きな随筆があって、
そぼくということっていう随筆があるんですよ。
いいでしょ。
いいですね。
そぼくということ。
その、そこの随筆から今日はちょっと持ってきたって。
持ってきました。
持ってきてくれた感じなんですね。
この随筆がいいんですよ。
ちょっと冒頭読んでみていいですか。
だいたい僕は世の中で、そぼくというものが一番いいものだと思っている。
こいつは一番美しくて一番立派だ。
こいつは僕を感動させる。
こいつさえ捕まえればと、そう僕は年中考えている。
僕が何か芸術的な仕事をするとすれば、僕はただこいつをめがける。
もちろん大抵はめがけるだけだが。
っていうところから始めます。
これいいね、なんかね。
いいでしょ。
だいたい僕は世の中で、そぼくというものが一番いいものだと思っている。
こいつは一番美しくて一番立派だ。
こいつは僕を感動させる。
一番って、もうね、そう言いたくなるくらいそぼくは大事なんだっていう。
そういうことなんだと思うんですよ。
いきなりちょっと引っかかりがあるね。
引っかかりがある。
普段こうやって忙しく生きている人間から、現代のね。
そぼくが一番美しいんだとか立派であるんだって。
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うん?って引きつけるものがあるね。
何をこの方が語っているんだろう。
そんなん。
僕が何か芸術的な仕事をすれば、僕はただこいつをめがけるって言うんですけど、
でももちろん大抵はめがけるだけだって書いてあるから、
やっぱり自分もそぼくを体現できてないって。
でもこいつをめがけてるって言ってる。
それくらいそぼくってものが奥深いもんだんだってことがあるわけなんですよ。
そぼくって世の中的にはどういう定義なのか、ちょっとググってみていいですか。
ぜひぜひ。改めて考えてみるとね。
確かに。これ中野しげらさんのそぼく論みたいなもんなんですよ。
じゃあその随筆通して、タイトルもね、そぼく。
そう。これ今ググってみたら、
1、性質などが飾り気なく自然のままであること。
2、考え方などが単純で深い検討を経ていないことって書いてある。
なるほど。
これどうですか、ジョリさん。随筆読んだ身からするとこの定義。
これね、2番は考え方が単純で深い検討を経ていないことは真逆のこと言ってるね。
面白い。気になるね。
真逆のこと言ってるね。
これちょっと飛ばしてね。中野さんの定義があるんですよ。
読んでみるとね。
僕の好きなそぼくということは結局、中身の詰まっている漢字であることになる。
この中身の詰まっている漢字というものをもう少し説明すると、
それは僕のひとりがてんでは中身の詰まり方が実にかっちりしていて、
そのためにあえて包装を必要としないというようなのが一番にいいのだ。
っていうんです。
中身が詰まっているから、あえて包装、外側で装飾する必要がないんだ。
なるほどね。
こと言ってるんですよ。
だから人から見たときに、いわゆるそぼくに見える。
飾ってない。
飾ってなく見える。
それは中身がかっちりしてるから。
中身が詰まっているから、そもそも飾る必要性がないって言ってるんです。
興味深いですね。
そういうことって言いたい。
気になるって。
でもなんか素敵じゃない?
うん。
なんかすごく引きつけられます、やっぱり。
いいよね。
はい。
いいよね。
でね、ちょっとじゃあ中身入っていくんだけどね。
中身が詰まっているってのはどういうことかみたいなこととかが、
もうちょっとこれ、いろんな例えで出てくるんだけども、
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例えば、今これソ連の社会評論家のソスノフスキーという方がいらっしゃるらしいんですよ。
で、読み上げるとね。
ソスノフスキーの場合、それは文字通りに哀悼の言葉であり、
それの持っている嘆きの調子が人を討つほどに素朴に現れている。
それは、仲間の死を悲しんでいるのであって、
死んだ彼にどの意思を許そうかと考えているのではない。
こういう切羽詰まった状態は中身が詰まっている。
で。
おお。
え?
これ、このソスノフスキーさんの哀悼の言葉を例に出して、
彼の哀悼の言葉は実に嘆きの調子を帯びている。
だから、人の心を討つほどに素朴なんだと。
で、仲間の死を悲しんでいる。
そういうのが切羽詰まった状態なんだよね。一つのね。
で、死んだ彼にどの意識を許そうかなど考えていない。
こんなの悲しんでないわけですよね。
彼はソ連を代表する批評家であったとかね。
そういうのを多分どの意思に許そうかみたいな、そういうことでしょう。
そんな冷静じゃないことなんだと思うんですよ。
この切羽詰まった状態ってのが中身を詰まってるってことを言ってるんですね。
うん。
一つの例として。
うーん。
これ、もうちょっと読むとね。
こういう切羽詰まった状態は中身が詰まっている。
中身の詰まっていない切羽詰まった状態なんてものはどこにもない。
つまり、切羽詰まったらもう中身が詰まってるっていうことなんですよ。
ほうほうほう。
そして、中身が詰まっているということは、その仕事に当人が身を打ち込んでいること、全身で歩いていることに他ならない。
僕の考えている素朴というものはそういう態度を指している。
って言うんです。
ほうほうほうほうほう。
素朴は中身が詰まっていて、中身が詰まっているっていうのは要は切羽詰まってそうだと言ってくれてる。
そう。
うーん。
で、それはまた言葉を変えると、仕事においては仕事に当人が身を打ち込んでいること、
全身で歩いていること、っていうわけなんです。
うーん。
うん。
だから非常に紳士な、全身全霊をとすような、
切羽詰まった、だからもう切実ななんか、
どうにもならない状態っていう状態は、文字と中身が詰まってる。
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ほうほうほうほう。
へー。
でもそうかも。
あ、そうかも。
なんか。
うーん。
うーん。
なんか、いや、これさっき哀悼の例があったけどさ、やっぱりさ、なんだろうな。
うーん。
考えてきた文章を、その、長字で読むとかよりも、
なんかその人の今、もう震える心のものを出してもらったほうが、
なんだろうな。
響くじゃないですか。
そうですよね。
うん。
確かに。
うん。
考えすぎたスピーチで失敗したこと何度もあります。
うふふふふ。
うーん。
はい。
うーん。
手ごともそういうものか。
そうなのよ。
これね、これ後半仕事の話に入ってくるんですよね。
そうねー。
そっきりあるよね。スピーチはなんかこう、ずっと入ってきたもん。
ねー。
これ、受け止めたら何か役に立つかも知れないし、
こうなっていくのも面白くなって思うところってやっぱあるよね。
そうだよね。
仕事ってどういうこと?
そうだよね。
うん。
これちょっと順にもうちょっと読んでみていい?
ぜひ。
えっとね。
うーんとね。
うん。
芸術家とか詩人とかいうものは
彼が、芸術家とか詩人とかいうものから
ことの 政策をどこまで叩き上げるかということは
生活をどこまで叩き上げるのかということを基礎にしない限り いくらやってみても堕落だと思う
というのです もう一回読むとね
これ続きの文章なんですよ そこでそこからして僕は若干キテレツな次のような考えを持っている
それは芸術家とか詩人とかいうものは彼が芸術家とか詩人とかいうものからどこまで 自分を切り裂いていくかというところにその価値がかかってくる
政策をどこまで叩き上げるかということは生活をどこまで叩き上げるかということを 基礎にしない限りいくらやってみても堕落だと思う
って言うんですね 芸術家とか詩人っていうのは自分の生活を叩き上げろってことを言ってるんですよ
それを基礎にした上で 政策
創作活動というものが磨かれてくるっていう こと
これが芸術家における切羽詰まった状態だろってことを言ってるんだと思うんです
おー
前回紹介したの月とロックペースのさ
ストリックランドまさに生活を叩き上げてるじゃないですか 煮詰めてるでしょ自分をね
っていうことをやったがゆえに政策 創作活動が叩き上げられてるっていう
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切羽詰まった状態なんだよね まさにそうでしたよね
っていうふうに なるほどね
なかなか厳しい 厳しいのを感じるんですか 塩さんは詩人としての
そうだねまあ だから
いやでもねー その通りだなってやっぱ思う部分が多いやっぱりその
その 作者がやっぱり切実かどうかってことが
なんか作品の 作品が人の心に打つかどうかがやっぱり決まってくるなって感じがあるから
僕で言うとやっぱその切実さっていう感じがあって その切なるものがもう切羽詰まった状態ってことであれば
なんか ちょっと確かになって感じるとこあるね
そうなんだー
もちろんそうじゃないことも多いしね そうじゃない作品もあっていいんだと思うけれどもね
でも中野茂原さんからすると 優れた芸術っていうのはそういう切羽詰まったものから生まれるんだってこと言ってんだよ
ビジネスもさ ちょっと近いところあるかもなーって思って
共通の友人のさ あの親汁やったさ
竹ちゃん仲間さ ある意味なんだろう俺がやるしかないって言って
しかもねー 売上がすぐ立つかどうかわからない状態で
ある意味切羽詰まってるじゃないですか いや本当にね切実さを持ってね
そこをそういう切羽詰まった状態にやっぱり価値が生まれてくる
ここではじゃあ一旦ちょっと素朴を少し置いといて その切羽詰まるみたいな
切羽詰まったものに価値があるみたいなところに
いやこれ 素朴っていうことは
あのー いろんな側面があるんだけれども
一つ素朴が現れる
もののうち切羽詰まった状態ってのがあるんだ
切羽詰まった状態になるとものすごく素朴になるんだ
でもその素朴は価値があるんだっていう
うん ちょっと面白いですね本当あんま僕なんか聞いたことない
はい
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