1. 詩人の図書館 / 文学ラジオ
  2. #69 画家小野元衛が残した尊い..
2025-08-23 37:00

#69 画家小野元衛が残した尊い日記を味わう / 志村ふくみ『一色一生』兄のこと、『小野元衛の絵』朗読その1

spotify apple_podcasts

今回は、志村ふくみさんの「一色一生」から『兄のこと」。
また、その初出となった私家版「小野元衛の絵」を読みます。

芸術を試みる、魂を生きる人間にとって、小野元衛さんの存在に触れることは、感動とともに、大きな励ましをもらうように思います。

サマリー

このエピソードでは、画家の小野元衛の作品や日記を通じて、志村ふくみとの家族の複雑な関係や感動的なエピソードが語られます。志村ふくみは小野元衛への思いを深く感じており、その言葉を読み進める様子が描かれています。また、小野元衛の日記を通じて、彼の芸術観や人生観が紹介されます。志村ふくみとの対話を通じて、小野元衛の作品や陶器の美しさ、さらには家族とのつながりについての考察が深まります。小野元衛の尊い日記を通じて、彼の生命や絵に対する深い思いが表現されています。彼は仏を描くことで自己を立し、母への愛を表現しようともがいていたことが示されています。

小野元衛の紹介
こんにちは。
こんにちは。
じゃあ、淳さん。
収録自体、ちょっと久々ですね。
はい、そうですね。
ちょっと空いてるので、楽しみにしながら来たんですけど、今日はどんな一冊ですか?
今日はですね、こちら。
『小野元衛の絵』っていう本になります。
小野元衛の絵。
そうなんですよ。
小野元衛さん?
そういう方の絵は、ペインティングの絵って書いてあるのかな?
そうです。
これ、志村ふくみさんのお兄さんの名前なんです、小野元衛さんっていう。
なるほど。
この間扱いましたもんね。
そうなんですよ。
語りかける花でしたっけ?
そうです、そうです。
それもあって、今回お兄さんの、お兄さん画家だったんですね。
なんでこれ、画集なんですよ。
画集なんですけど、ここにいろんな方の文章が載っていて、そこで文章を読みたいなと思っているんです。
いろんな方の文章なんですね。
いろんな方の文章載ってるんですけど、でもね、主に志村ふくみさんの文章ですね。
感じになります。
で、とにかくね、そこには志村ふくみさんの文章も素晴らしいし、小野元衛さんの日記とか手紙の言葉が載ってあるんですけれども、
それがすさまじい言葉なんですよ。
もう本当にこれに、僕もう本当に深く感動して、全文書き写したぐらいなんですよ。
家族の複雑な関係
そうなんだ。
そうなんですよ。
でね、ふくみさん自体は2歳の時に養子院に出てるんですよ。
ふくみさんって本当は小野家なんですよ。
お兄さん小野元衛っていうのは小野家だったんですね。
なるほど。
で、どこに養子院に行ったかっていうと、お父さんの弟、おじさんのところに養子院に出たんですよ。
志村ふくみさんが。
志村家だったんですよ。
なるほど、なるほど。
なんですけれども、16歳、志村ふくみさんってね、4人兄弟の一番下なんですね。
お兄さんがいて、兄兄ふくみさんっていう形なんですけど、長男が今回紹介する元衛さん。
次男が忍さんって方なんですけど、忍さんがね、ふくみさんが16歳の時にもう病が熱くて、
亡くなってしまうというところで呼ばれたんですよね。
ふくみさんからすると、おじさん、おばさんの家にいるいとこがもう亡くなる。
でも実はそれが実の兄だったってことになるんですけども。
その16歳の時に、おばさんだった人から、いや、実は私が母なんですってことを告白されるっていうことが起きるんですよ。
ほうほうほうほうほう。
今複雑になったね。
ちょっと複雑だった。
どういうこと?
養子に行った先のおばさんだと思ってた方が?
養子に行ったから、ごめんなさいごめんなさい。
養子に行ったから、志村家で自分は生まれたと思ってるのね。
だから尾の家はおじさんおばさんだと思ってるわけ。
本当の実の父母はおじさんおばさんだと思ってるわけ。
あーそうか、志村福美さんが記憶がないんだ。
もう自分の親だと思ってるんですね、志村家の。
もう2歳の時に養子に出てるから記憶ないんですよ。
あーそういうことか。
うん。
なるほどなるほど。
そう。
だから16歳の時に実のお母さんから、私が母なんですってことを明かされたんですよ。
はいはいはい。志村福美さんからすると、おばさんだと思ってた方からってことか。
そうそうそう。
そういうことですね。はいはい。
なるほど。つながりました。そうかそうか。
で、その衝撃たるやすごかったみたいなんですよ。
うん。
そこで、いとこだと思っていた人が実はお兄さんだったということに。
そっかそっか。
その時系の忍さんが亡くなってしまい、長系の本江さんとは時間を取り戻すかのように深く関わるんですよ。
うん。
小野本江さん自体も病で亡くなってしまうんで。
あ、そうなんですね。
そうなんですよ。
何歳くらいのときなんだろう。
福美さんで言うと16歳でそのことに知って、21歳でお兄さん亡くなってる。
お兄さん自体は28歳で亡くなってるんですけど。
うんうんうん。
だから実の兄ということを知って、5年間しか一緒に過ごせてないんですね。
日記を通じた感動
なるほど。
家族の生活とかを一緒に見て、看護してっていう。
おーおー。
僕何度か話したかもしれないんですけど、お兄さんの枕辺で読んだのがカラマズフの兄弟だったっていう。
どこかで順さんおっしゃった。
そうです。
で、お兄さん亡くなった後にね、福美さん32歳のときに大見八幡の小野家でお兄さんの画集とかを整理したときに、
これをちゃんと一冊の形にしようって言うので、柳木文義さんに相談したんですって。
柳木文義さんたちと大見八幡家ってその交流があったんですよ。
それで柳木文義さんが出しましょうって言って、これ屍かばんの本なんですよ。
あーなんかね。
でこれ、このね、よくあるんですよ、この蒼亭って。柳木文義さんの屍かばんってこの蒼亭多いんですよ。
茶色の。
茶色というかね。
タイトルが真ん中に入ってて。
そうそうそうそうっていう。でここに、ここはじゃあ金になっててっていうのがね。
あー文字に金がね。
そうそうそう。だから序文とかも柳木文義さんの言葉が載ってるし、蒼亭も柳木文義さんが語ってくれたと。
へー。
感じなんです。
じゃあそんなすられてないんじゃないですか。
二役部ですね。
二役部。
これをね、僕もね、古書を集めて三千里って書いてますけど、古書集めに集めまくってこれはなかなかないですよ。
そうでしょうね。
なかなかないですね。
たまたま見つけた。
そうです。そうです。僕ずっとネットの分は毎日ウォッチしてるんですけどね、リアルの店舗行くの好きなんでリアル行きますけど、
日本の古本屋っていう古書の大きいサイト、ショップとかECとかあるんですけどね、そういうのとかヤフオクとか見てますけどね、
まあ上がってこないですね。
僕二、三年一回も上がったこと見たことない。
前にチェックしてるけど。
リアル書店でたまたま見つけたんですね。
そうです。そうです。
感動しましたね、これ見つけて。
軽く二、三万ぐらいした記憶がありますけれども。
そうなんですよ。
この本はね、実はね、手に入らないじゃないですか。
なんで、しむらはくみさんの一番最初の随筆、一色一章っていうね。
はくみさんの中で一番もしかしたら売れてるのかもしれない。
有名かもしれないですね。
ここに兄のことっていうタイトルで載ってるんですよ、同じものが。
同じものが。同じものっていうのは。
ごめんなさい、ここに、この画集の中に文章いくつか入ってるんですね。
柳宗義さんの文章も入っているし、他にもいろんな方の文章入ってるんですけど、
メイン、しむらはくみさんが兄のことっていうふうに書いてる文章が一番分厚くあるんですよ。
このしむらはくみさんの兄のことっていう随筆というか、これがそのまんま一色一章にも載ってるんで。
なるほど。
こっちで読めるんで。今日もこの一色一章の方を読みますけれども。
じゃあ気になった方、そっからまずは読んでもらうのが。
そうです。
200部しかないしね、それを探し当てるよりは身近に触れられるってことですね。
そうなんですけど、この小野本屋の絵の方もこの200部の方の柳宗義さんの序文も本当に素晴らしいんで、
これ最後にちょっと読みたいなと思います。
それ以外はちょっとこの一色一章の方から、兄のことっていう文章を読んでいきたいなと思っております。
まあね、お兄さんの言葉メインで読んでいくんですけれども、お兄さんの言葉すさましいですね。
本当に魂に入ってくるって感じがする。
お兄さんの言葉読んでいくとね、あのお兄さんの言葉なんだけどもね、
どこかカラマゾフの兄弟で扱ったゾシマ長老のお兄さんに近いところを感じたり、
はたまたサマセッドモームのね、ツキドロクペンスで扱った主人公、チャールズストリックランドっていうね、あの画家にもちょっと似てる気がするというかね、なんかね、彷彿しちゃいますね。
全然違うんですよ、野本家さんは。全然違うんですけど、やっぱりそれぞれの人物と重なるね、部分がちょっとあるんですよ、やっぱ。
どこか重なりがね、感じるものがあった。楽しみですね。これまで扱ってきた本たちとちょっと繋がるように感じるってこと。
ちょっと触れてみたいですね。
いきましょうか。
はい。
まずじゃあ、この兄のことっていうのを、副題ついてで、その日記よりって書いてあるんで、野本家さんの書いた日記をバーって並べてくれてるんですけど、ふくみさんがちゃんと繋いでるんですよ、言葉を持って。
ちょっと不思議な個性というか。
そうそうそう。でもこのふくみさんが繋いでくれてる言葉もね、もう素晴らしくて。
なんでまぁちょっと冒頭これまずふくみさんが書いてる文章から入りますね。
はい。
読んでいきます。
死が与える夏の真昼のような静寂と平和。兄自身、亡くなる前年の日記に録したその言葉のごとく、昭和22年8月24日厳しい真夏の太陽の下に田園の一木一草が声もなく祝禅と唸られるとき、兄はその短い激しい生涯を閉じました。
再度病に倒れた晩年の兄は、いついかなるときも死と向き合い、その網の目を通して、いわば生と死の霞の淡いに立って、この世を見つめていたような気がします。
それはあるときには恐怖と絶望による遠征の眼差しであり、あるときは深い安らぎの垂れ込めた中で、神に優越を乞う、英辞のような眼差しであったように思われます。
その中で、求め貫きたいと願ったものは、我道への一筋の精進であり、仕事への病みがたい熱でありました。
ていうところから入るんですね。
我道への道。
我道への一筋の精進であり、仕事への病みがたい熱でありました。
美しい文章ですね。
美しい文章ですね。
そうなんです。
我道か。
その一文だけ触れるだけでも本当に縁に生きた方だったのかな。
そうなんですよ。道なんですね。茶道、武道でありますけれども。
我道ね。
あんまり聞いたことないですけどね。
確かに。
さっそくお兄さんの言葉を読んでいきたいんですけど、まず一番最初に、
お兄さんが高校に入るときの言葉みたいですね。
お兄さんは学科なんですけど、最初陶芸家になろうとされたんですよ。
それで京都第二工業陶磁器科に入学することになったと。
そういう科があるんだね。陶磁器を学ぶ。
陶芸を学ぶ。そこをそのときに書いてた日記の言葉を読みますね。
だから本当普通の学生が自分のために日記を書いてた言葉ってことですよね、そもそも。
そうなんです。
読みます。
陶器の美と芸術観
誰もが振り向きもしない荒れ果てた土地から土を掘り、捻り、世にも稀なる美しい陶器を作る。
いかにその作家は幸福なことか。
仕事に喜びと楽しみを感じる。
何の不満気もなくいつも笑顔で、この人はいかに幸福なことか。
素晴らしい子供の笑顔のように潤いと希望を与えてくれる陶器、至難家。
美しい娘のように澄み切った健康の上薬。
こんな陶器を作る人はいないのか。
私は叫ぶ。芸術は教わるものではない。自分で学び、道を切り開いていくのだ。
俺は勉強する。父のためにも母のためにも、姉、弟、妹のためにも。
という文章です。
すごいね。中学3年生とか高1年生ぐらいの人が日記で書いてる文章、とても思えない。
そうなんですよ。
誰も振り向きもしない荒れ果てた土地から、土を掘り練り、世にも稀なる美しい陶器を作る。
その作家はいかに幸福なことか。
日記っていうよりは、図筆とか作品みたいだよね。
そうですよね。
素晴らしい子供の笑顔のように、潤いと希望を与えてくれる陶器。
陶器をそういうふうに感じてるんですよ。
この人みたいなことを書いてたのは陶器のこと?
この人みたいなことをその一文の前ぐらいに書いてたのか。
いかにその作家は幸福なことか。
仕事に喜びと楽しみを感じる。何の不満気もなくいつも笑顔で、この人はいかに幸福なことか。の文かな。
これはつまり陶器を作るものは、いかに幸福なことかってことですよ。
そういうことか。なるほど。
小野元衛の家族と影響
だって陶器は、素晴らしい子供の笑顔のように潤いと希望を与えてくれるから。
すごいですね。
なんかその元江さんのこの人生も少しずつ遡りながら触れられる感じもしていいですね。
元々最初はそういうところから始めた。
でもこれ、素晴らしい子供の笑顔のように潤いと希望を与えてくれる陶器、しなんかって書いてあるわけですよ。
だからそれを作ることは、いかにしなんであるかってこともわかってるんですよ。
美しい娘のようにすみきった健康の上薬、こんな陶器を作る人はいないのか。いないってことなんですよ。
でも俺は作るって。
その年齢でその困難さみたいなものにもう生き続いてるのもすごいですよね。
ちょっとすごすぎるんですよ。
もうちょっと思い上がりそうじゃないですか。何でもできた、できると思ったり。
そうなんですよ。
思想で考えたら。
そうなんですよ。そんな簡単でしょみたいなね。僕でも作れますよみたいなね。
そうそうそういう時期もあるじゃないですか。
じゃあないんですね。
この文章自体も何か自分を奮い立たせようにとしてるようにも思えるもんね。
そうですよね。
もうなんかもうちょっとクロートなんだよな。なんか芸術について。
ある一定のところまで行ってる人の文章なんだよな、すでに。
芸術は教わるものではない。自分で学び道を切り開いていくのだ。
そういうお家だったんですかね、お父さんお母様とか。そういうことでもないのか。
なんでこの年齢でそこまで。
これはね、お父さんお医者さんなんですよ。
ほうほうほう。
だから時系のしのぐさんってね、お医者さん目指してたんですよ。
で、お母さんは商業、秋内やってる家で。なので厳密にはそういう家じゃないんですけれども。
あのね、学校がね、そういうね、文化学院とかって言ってね、自由教育とかね。
要は芸術を重んじるような、人間の精神性みたいなものを重んじるような学校に行けてたっていうのが大きかったみたいですね。
そうなんだ。
ごめんなさい、あとね、お母さんの存在大きいと思いますわ、これ。
お母さんがあれなんですよ、前回も少し話したかもしれませんけど、お母さんがそもそも染色家だったんですよ。
千浦福美さんとお母さんが引き継いでるんですよ。
そっかそっか、そうですね。
お母さんって人間運動に関わってたんですよ。
だから柳森義さんとか、富本健吉さんとか、河合寛次郎さんとか、とっても親しかったんですよ、人間運動の人たちと。
なるほど。
そうそう、その影響もとってもあると思います。
なるほどね。
福美さんはもう明らかにお兄さんの影響めちゃくちゃ受けてますからね。
命の尊さと芸術の道
これ読んでいくとね、福美さんをちょっと感じちゃうぐらい、なんか。
あ、そうなんだ。
それくらいなんかね、そうなんですよ、お兄さんすさまじい、本当に。
すごいね、だって一緒に過ごしてる期間です。
その時間だけ見たらそんな長くなかったわけですよね、お兄様とね。
そうです。
でも受け取ってるものがすごいたくさんありそうってことだよね。
そうなんですよ。
福美さん随筆の中で亡くなってからね、ずっと兄が見守ってくれてたんじゃないんだろうか、みたいなこととかね、書いてますよ、よく。
でも今、じゅんさんが読んでくれた一文もさ、妹って言ってたよね、最後。姉、妹。妹はこれもう福美さんのことだよね。
だから。
だから認識してんだよね。
そう、知ってるんですよ、こっちの小野家のみんなは。
小野家のみんなは知ってたんだ。
うん。
で、ある種、そこにも入ってくるってことは、離れ離れで暮らしてるけど、小野本栄さんの中では福美さんの存在は感じてたし、あったってことだよね。
そうなんですよ。
うん。
福美さんもね、その16歳の時に告白されて、その時に脱点が行くわけですよ。そういうことだったのかって。
うん。
なるほど。
どうもいとこだけに終わらない何かを感じてたみたいなね、直感があったと思うんですよ。
なるほど。
じゃあちょっと続き読んでいきますね。
はい。
次はね、19歳の時ですね、この京都の高校を卒業して、その時の日記です。ちょっと読んでみますね。
あの河合勘次郎さんってね、統計家の方いらっしゃるんですけど、柳森吉さんと一緒に民間運動をした人なんですけどね。
その河合さんと会った時の話なんですよね。
うん。
昨日は京都の河合先生のお宅で実に素晴らしいお話を伺った。実に万歳だ。
自分は幸福を求めない。自分自身幸福そのものだ。
今まで自分は生命というものをこんなに深く考えていなかったが、生命ほど尊い深いものがどこにある。
この尊い神から与えられた生命をおろそかに考えていたことは自分の間違いであった。心の底より改める。
自分の魂をよく考えてみよう。目では美しい芸術が見える。耳では世にも尊い話が聞こえる。そして大好きな音楽も聞こえるではないか。
私は神の恵み、慈悲によって生かされつつあるのだ。
そのことを忘れて、我あるゆえに我ありと自我の思いに固まっていた自分は愚かだった。
神にひれ伏す気持ち、真理に対する忠説、信仰に生きる一日、神や名誉にこだわってどうする。
上滑りな快楽を貪ってどうする。
神の人間になろう。温かい心の人間になるのだ。
っていう劇ですね。
いやーいいねー。
いいです。
いいですね。
すごい択感した部分とさ、若さのあるほとばしって感じもあるのもいいね。
共存してる感じがしました。
そうなんですよ。
なんか起き方だろうね。
その師先生、河合先生。
その日の会話。
何かピカッとくるものがあったんだろうね。
そうみたいだね。
命について、生命について。
いいですね。
我々でいうとね、運命のことに住みやすかった時も、
なんかそういう命の尊さ深さみたいなものを感じましたけれども。
河合さんのせいでからどんな話聞いたのかわからないんですけど、
何かそういうことだったのかわからないんですけど、
とっても大事なことですよね、この辺りね。
大事なものと向き合おうとしているっていうか、
感じが伝わってくる。
19歳にしてですよ。
めちゃくちゃ考え切ったものをある種提示してる感じっていうよりはね、
すごいきらめき感、直感みたいなものとか。
なんかその感じがいいよね。
そうなんですよね。
なんかわかっちゃったかもみたいな、世界の秘密みたいな熱も感じるんだよね。
なんかすごい美しい文章の中に。
そうなんです。
いや、それでね、この19歳、20歳あたりの時に、
絵を描くことにも目覚めていくんですって。
へー。
何か書いたんだね。
ねー。
ごふくみさんの文章ですけどね、
兄は影響を受けた新しい段階の表現を絵画の世界に求めたって書いてあるんですね。
新しい段階の表現、段階ってフェーズ?
フェーズ。
フェーズ。
フェーズ。
フェーズ。
フェーズ。
フェーズ。
フェーズ。
新しい段階の表現、段階ってフェーズ?
フェーズっていうか。
何か次の表現に、ステージに行こうとしたみたいな感じなのかな。
ねー。
で、20歳の時の文章、読んでいきますね。
はい、本栄さんの文章。
本栄さんの文章。
はい。
昭和14年1月1日。
僕の憧れは銅鑼如来にある。
僕の汚い、臭悪極まるこの魂において、仏様の御尊像を描くとは、冒毒の限りである。
なぜ僕があえてこの冒毒を犯して、この本願を樹立するかというと、
僕がこれによって、仏様の温かい、温かい愛の恵みによって、
少しでも良き、真ある人間としてこの世に生き得たいこの願いと、
また、私の心を込めて描く銅鑼如来が、
自分をここまで、ただただ愛の心を持って育てあげてくださった母を、
これによって少しでも慰め、喜んでいただければと思う私の心の現れである。
私は決して、この本願が不純なる動機によりなされるものではないことを、
私の真心より描きおく。
って書いてます。
うんうん。
ちょっとじゅんさんの解説もいるかもな。
銅鑼如来とかね。
初めて。
そうですよね。
銅鑼如来って、如来像が銅鑼、子供っぽく映っているっていうものなんですけどもね、
それに憧れているんですと。
でね、僕の汚い、醜悪極まるこの魂において、
おいて、仏様の御尊像を描くとは冒涜の限りであるって言うんですよ。
まずこれ二十歳にしてですよ。
自分が汚い、醜悪極まる魂だって思えているって、どういう認識なんだって思いますよ。
ね。
なんかここにさ、カラマズフの兄弟のさ、長男ドミートリーを彷彿しちゃうんですよ、なんかこう。
ドミートリーの方ね。
まあでも、座島長老のお兄さんとかでもいいかもしれない。
自分は罪深き者なんだって言うでしょ。
それに近いと思うんですよ。
その自覚がね。
そう。
うん。
まずここにちょっと驚きがある。
小野元衛の思い
そうなんですよ。そうなんですよ。
でもさっきね、一個前読んだ文章がさ、命ほど、生命ほど、尊い深いものがどこにあるんだって。
これをね、この尊いものを神から与えられたってことを知らずに、おろそかに生きていたことは、考えていたことは自分の間違いであった。
悔い改めないといけないというところから、自分はなんと収穫極まる魂なのかって。
ちょっとその感覚がすごいんですけどね。
ね。
想像ができないかもしれない。
二十歳だもんな。
そう、そうなんですよ。
何を見続けたら、何を触れ続けたら、そこに至るんだろうなぁ、すごいなぁ。
そうなんですよね。
特に現代でこんな風に思ってる人なんてそういないでしょう。
ねえ。
尾本絵さんってこれ、あれよ、1919年に生まれて、1947年、戦後、間もなくには亡くなってる。だから戦争中ですよ、これ。
そうだね。
そんな100年前くらいの話ですよ。
そうだね。
これ昭和14年ですよ、だって。
その時代にこんな風に感じる人が生きてたんだって、すごいよ。
そうだね。
尾本絵さんはその絵を描こうとしてるのか。
そうなんですよ、仏の絵を描こうとしてるんですって。
うんうんうん、尾本絵さんが空気入っちゃって、なんか言おうとしてくれてましたよね。
いやいやいや、そんなことないですよ。
絵を描こうとしてるんです、仏の絵を。
それはね、暴徳の限りだとわかってるんです。
自分なんかが描くっていうのはね。
だが、その暴徳を犯してまで、どうしても描きたいっていうこの本願を、なんで充実するのかっていうと、
自分自身が、少しでも良き、真意ある人間としてこのように生き得たいという願いがあるんだ。
ほうほうほう。
自分は汚い醜悪極まる魂がゆえに、仏を求めざるを得ないんです。
だから仏を描きたいんですって。
描くことによって、自分もそのように生きてみたいって思ってるんです。
そして、また、また私の心を込めて描く道元如来が、
自分をここまで、ただただ愛の心を持って育てあげてくださった母を、
これによって少しでも慰め、読んでいただければと思う私の心の現れなんです。
なるほどね。
お母さんもね。
すごいですね。
ねえ。すごい。
なんかでもちょっとわかる気しません?
え、どういうことですか。
なんかちょっとわかる気もします。
僕はもうちょっと36になってるんで、
20歳の時にはこうは思えてないですけど、
なんか自分も詩を書いたのを母に捧げているところはあるし、
少しでも良き真意ある人間としてこの世に生きたいという願いで書いている気がするというか。
中田さんもそういう思いで仕事されてるというか。
なんかね、ここまであれ何か立派なものじゃないかもしれないけど、
どこかそういう願いはある気はしますよね。
そうですよね。
皆さんそれぞれそうかもしれない。
よく生きるみたいなこととかね。
そうそう。ここまで言葉にはしてないですけどね。
そうだね。
なんかそれを聞くと、だからこれを書いたわけですよね。
本江さんは誰に見せるでもなく。
そうなんです。
この書いたか飾るを得なかったのかもしれないし、書きたかったのか、
どんなテンションかは計り知れないけど、
この書いて残してある誰に見せるでもなくってことそのものも何かを映してますよね。
そうですよね。
本江さんの当時のその瞬間の。
これだから、主心を残しておくみたいな感覚なのかもしれないなっていう気もしてて。
自分が仏を描くってことは、の原点はここにあるんですと。
で、やっぱ絵を描いていくと他にも不純なる思いがいろいろ混ざってくるんだけれども、
それをやっぱり取っ払って、ここに戻ってくるんだって。
私は決してこの本願が不純なる動機によりなされるものではないことを私の真心より描きおくって書いてあるんで。
ここに残しておくぞと。
未来の自分にみたいな感じもあるのかな。
描くことによって自分の魂に刻んでいるっていうか。
どこか自分の弱さとか、自分のその矛盾した部分とか、
なんかそういうものをめちゃめちゃ知ってた方でもあったのかなっていうのを聞いてて思った。
そうですね。
すごくだから。
それも自分の弱さ、葛藤、不純な部分も全部わかってるから、
何かここに書くことで自分を立するじゃないけど、何かこう導こうと自分をしてるようにも思えるんですよね。
勝手ながら感じた。
それが本当そうかわかんないけど。
そういうことなんですよ。
次行きましょうかね。
絵を描くことの意義
はい。
これあれですね、さっきの日記よく思うと1月1日に書いてるから。
ちょっとその、そういうのもあるかもしれないですね。
ちょっとこう、年書の初心表明みたいな。
そうそうそうそう。
じゃあ次の文章3月15日ですね。
37:00

コメント

スクロール