今日ね、俺は一個の説を持ってきましたよ。
説?なになに?
カネリン説。
フィラーに関する。
そうです。いいですか?フィラーはあったほうがいいという説です。
いいじゃないですか?その心は?
人間だもの。
だって人間だもの。言うと思ったよ。
逆によ、ちょっと今日はディスカッションしたい。僕はもう、じゃあそのフィラーは逆にカットしないほうがいいんじゃねえのっていう立場でちょっと話したいです。
でね、まあAIでこの間ポッドキャストができるようになったじゃない?ペラペラペラって。
あー結構衝撃だったよね。もう慣れた感あるけどね。
あれはさ、もうAIだからさ、ノイズもないしさ、フィラーもないのが普通でさ、逆にちょっとフィラーを入れてるぐらいじゃないですか。
かなり入ってるよね、意図的に。
意図的に。なぜかっていうと人間ぽくするために。
で、なんかこれから本当にAIでいろんなコンテンツがAIになってく中でさ、なんか僕らは違和感を感じるんですよね、やっぱり。
で、見る気なくなるんだよね、そのAIが生成したなとかって思うとさ。
今さ、あのAIが当たり前になってくると、あ、AIだなってわかるようにまずなって、で、まずなった後にそのAIの言ってることをどういう心持ちで聞くかっていうそのモードの切り替えにちょっとね、繋がっちゃってるような気がするんだよね。
あ、これどうせAIが言ってんだから正しいことをスラスラと言うんだろうなっていうふうに、まあ聞き流しててもわかりやすいっていうふうに俺はちょっと感じるし。
あとあの人間だったら早く確信をスラスラと言ってくれよっていうような感じになる人もやっぱいるんだよね。
まあ要するにですね、から結論までが1分かかるとかさ。
うん。なんでその今過渡期なんで、AIというものに僕らは過剰に反応して、AIだなって思うと読む気なくなるとか価値を低く感じてしまうっていうのがあるんだけど、
これもう5年も10年もして慣れてきたらさ、まあAIってそれは当たり前で、みんなパソコン使ってるよねぐらいのレベルで、あ、AI使ってるよねってなってくるからさ。
誰もわざわざ言わないよね。
そうです。言わないですよ。その時に僕らがどう感じるのかっていうのをちょっと想像して、今回の説にたどり着いてるわけですよ。
だって人間なもの説ね。
だって人間なもの説。だからその、編集をすればするほど作り物になってくんすよね。
そうだよね。
で作り物ってのは、AIがお箱なんですよ。
うん。
ってことはそこを勝負できるのは僕たちの生感とか本物らしさっていうところの方で勝負した方がいいんじゃないのかっていう話ですよ。
本物らしさもヘッタクレもその生身の人間が目の前で喋ってるっていうのが一番本物なわけだよね。
そうなんですよ。だからそのノートブックLMのポッドキャストっぽい番組の男女の会話はさ、意図的に学習して人間っぽいフィラーとかをあえて入れてるんだけども。
そう。それを真似する人もね、もう出てきたからね。
それを真似する人もね。
エンタメとしてね。
でも所詮それはフィラーの最適解であって。
そうだね。
寄せ集めのオリジナルではなく最大公約数じゃないですか。
うん。
だからさ、本当の生の人間のトークってさ、いきなり10秒ぐらい黙っちゃうとかさ。
うん。
いきなりわけわかんない虫飛んできて、なんだこれ。みたいなのが入ったりするわけじゃん。
で、それはすごく人間っぽくてナチュラルなコミュニケーションじゃない。
そうね。
そのナチュラルなコミュニケーションってものに僕たちはね、渇望感を持つ気がしてんのよ。
あー。
ここ5年10年。
もうデジタルデジタル人工物人工物で来るとね。
そうなんす。だからこの、今はね、今はコスパとかタイパとかっていう価値観だから、
YouTubeとか特にそうだけど切って切って切って切って情報詰めまくって、
いかに感聴率を上げるかみたいな最後まで聞かれるようにとかいろいろやってんじゃない。
なんかそれ聞くたんびにお金の匂いがしてしょうがないんだけどね。
まあ、そのビジネス的な最適化を求めるんだったらやっぱりその今のトレンドに合わせてそうなるんだけど、
それはPodcastでもそれは無視できない流れが来てると思ってるんですが、
俺はそこはだからたびたび言うんだけど、今の価値観に合わせてると今しか価値がなくなるから、
100年後ぐらいを想像して、だからより本質的にはどうなのかっていうところを考えてコンテンツ作りをしたいよねって思うわけですわ。
そこよそこ。そこでしょ。そこよそこ。
だよね。だよね。
そうなのも、だからディスカッションなんねえんだよ、これ相手がいねえから。
2人ともこっち側だから。
俺はちょっと違うよ、それは違うよって言わなきゃなんねえんだよね。
ほんのほんだよね。まあいいよ別に言わなくて。
だから今の常識に従うと、フィラーはカットした方がいいしツメツメにした方がいいし、
冒頭はミュージック何秒も垂れ流してるとリドスされるかとか色々あるんだし、それは正解なんだろうけど、
それはきっと数十年後の正解じゃなくなってるから、今だけ消費されればいいですかって考えると俺は嫌なんですよ。
長くロングテールを狙いたいっていうことでしょ。
そうなんですわ。
こんなこと10年前に話してた人いたんだっていう、それになりたいわけですよ。
よく10年前でこれで出してたねみたいな。今でこそそうだけどさ、10年前ってこんなコンテンツ誰も聞かないじゃんねみたいな。
なんかこの前10年前のホリエモンのyoutubeとか見たら、うわあすげえなんか人間くさいこと言ってるなって感じはしたけどね。
あ、そうなの?何それ。
なんだっけ。
今と違うってこと?
いやいや、人間くささがやっぱり今の時代よりも昔の方が濃い気がするんだよね。
ああ、なるほど。
いろんなものにやられてない感じがするっての。
なるほど、まだ若い青いってことですか。
青いというか、周りの文化がそうだったんじゃないかね。
10年前ってそんな昔じゃないけどね。
だから10年前にはね、多分AIはみんな知ってるよね。
アーティフィシャルインテリジェンスっていう単語はみんな知ってるけども、いやあそんなのね、2040年くらいからポチポチ出てくるんじゃないの?みたいな。
そういうモードだったじゃない。
SFの中の話。
SFの話だったのよね。
今AIはSFですって言ったら、ああそういう人もいますよねって眺められちゃうっていうさ。
老害ですね。
老害ですねってなっちゃうけどさ。
これほどにもね、急にこのAIが入ってくるっていうのは全く予想できなかったというか、予想する必要すら何もなかったって感じじゃないかな。
そうしたらやっぱりみんな人間ね、生身の人間がどういうパフォーマンスをやるかっていうことで、ある意味切磋琢磨したりね、和術を磨いたりボイトレしたりね。
このさ、5年くらい前にさ、ビジネスショブームみたいなのあったじゃない。
あったね。
オンラインサロンブームっていうのかな。
で、その時にさ、その辺をさ、こう経て僕たちが思ったのってさ、なんかその著名人がよく言ってるのはさ、みんなと一緒なのがリスクだとかって。
よく言ってたね。
オリジナルで解かないみたいなこと言ってんじゃない。
僕はそこは同意なんですが、そこでなんかある程度みんなそうだよねってなってるはずなのに、なぜかAI使ってみんな似たようなことをしだすっていう。
意外とね。
だからなんかその、僕やっぱWeb3に入って出ての時にいろいろ打ちひしがれて思ったのと同じことなんだけどさ、みんな口で言ってるほど本心で思ってねえなっていうことなんすよ。
まあ言葉っていうのをね、フィルターで使った以上は、やっぱり大元を表してないじゃない。必ず劣化するじゃない。
情報劣化してますね。
言葉にした時点でね。
じゃあ今の感情を全部絵にしますとか音楽にしますって言ったってどっかしら劣化するじゃない。
これを劣化じゃなくてそのできた成果物に対してどんだけアートを感じるかとかエモさを感じてその後なんか行動したくなるかとかっていうのは全く別問題だとは思うんだけどね。
その成果物っていうのがほとんどがAIでできるようになりましたってなるとさ、フィラーをわざと入れてこられるのももう当たり前になっちゃったら、フィラーを取る取らないの議論っていうのを超えて何を求めるかっていう議論に早く行っちゃった方がいいような気がするよね。
そうなんですわ。だからそのフィラーがどうこうではなく、僕たちの空気に手を加えるなっていうことなんだよ。
そうね。
空気を届けてるんだから手加えた瞬間にそれは腐るみたいな。
あ、フィラーでね思い出したけども、この前ね落語を聞きに行ったんだよね。
あっちゃー。
ある新内さんのねちょっと聞きに行ってね。
羨ましいね。
フィラーのちょっとことがやっぱ気になったわけ。話し家さんの話し方って結構特徴あるでしょ。
あるね。
前振りの時なんかね。
昨日言ったわけなんですけども、とかわざと入れるんだよね。
はいはいはい。そうね。
ってなもんでして、これもとかね。
フィラーがないと成立しないね。そう考えると。
わざと話術の一部として入れてるんだよね。
どちらかというと後に入れるんだよね。
でそれをね観察してるとさ、フィラーを気にしないで聞いてる時よりも気にして聞いてる時の方が、うわやっべこの人たちのフィラーエモって思うんだよね。
これ人間から出てんじゃんって感じになるんだよね。
これもう本当ねつい先々週のことなんでね、まさかね今日ここで喋るとは思わなかったけども。
フィラーのエモさね。
だってあれだよ、もう親うちの人とかもさわざと入れるんだよね。
ってなもんですけども、おーっとかね。
フィラーというものに僕たちが出会わないよね。音声コンテンツってね。みんなカットしようから。
そう。だからこの和術和芸っていうような世界になると、フィラーをどう相手に響かせるか、その結果どういうエモーションになるか。
だからあえて残した方がエモいかどうか感じるかを別として、元に忠実ですよと。オリジナルに忠実ですよと。
だからその音声の編集も、それこそサウンドアーキテクトのウェブに言うのも釈迦に説法なんだけど。
何を目指してそこの設計にしていくかっていうことだけだよねって。
ただフィラーがありますカットしますだったらそれただのロボットなんで、そうじゃないでしょと。
この番組はこういう風でこういう空気を伝えたいんで、じゃあここのフィラーは詰めた方がいいよね、このままない方がいいよね、そのままの方がいいよねっていうのを設計していくべきなんですよね。
かなり高度な設計ですよ。
これ、うちらの放送を編集をするときにね、フィラーを必ずカットするケースなんてのもたまにあって、
無意味なフィラーが二つ重なるときとかね。
例えばそれがさ、いわゆるあのみたいなね。
そしたら最初の二つはもうカットして、最後のあのだけ残すと。
はいはいはい。
言ってること分かるでしょ。
さすがサウンドアーキテクトで考えてフィラーを残してカットして素晴らしいですね。
だから三つとか二つとかね、あったらどっち残すとかっていうのもちょっと考えるし。
それからフィラーの話してるときは今話したとこはね、ここは当然中身なんで変えられないし。
だから最終的に何を伝えたいかっていうね、とこだよね。
まあほら、これパロディ番組、これパロディじゃないんだっけこれは。
パロディ番組はまた別番組。
別番組なんでね。
これは大真面目な番組。
大真面目な番組なんでね、本当にカットしちゃダメなものはカットしちゃダメなところはあると思うけども。
ただそのアートを伝えたいんだったらそのアーティスティックに最後になるようにどうするのかっていうデザインをして、
カットすべきなとこはするし、しちゃダメなとこはしないしみたいな判断はいるだろうけども。
教養番組とかためになるとか、大真面目でビジネスのためとかいったらね、カットしまくりの方がいいに決まってるなんていう場所も多々あるだろうね。
目的によるということですね。
そう。
俺最初ね、音声だったらいくらでも切れるけども映像なんか切れるわけねえだろうっていう風な頭で昔いたんだよね。
ところがYouTubeがこんだけ世の中にバンバン出てきて、
それもビジネス系とかが出てくるとさ、むっちゃくちゃ切られてても別に何にも困らないしむしろそっちの方が効率がいいみたいなタイパーがいいみたいなね。
タイパー。
そんなイメージのものがこんだけ世の中で当たり前になるとは当時全く想像できなかったね。
映像なんか切ったらガクッガクッガクッってなるじゃんって言ってたんだけども、いやそれが何かっていう感じじゃない。
もう慣れちゃったもんねみんなね。
まだしばらくは続くんだろうなこういう価値観。
だからまあいい塩梅のところで落としていくしかないですわ。
あんまりぶっ飛びすぎても誰にも見つけられずに埋もれたまま100年後も埋もれてるからね。
そう。価値観っていうね、この漢字三文字の単語って俺結構好きでさ。
価値観が社会的に変わるのっていうのはやっぱり10年かかるんですよ。
なるほどね。10年で変わるんだでも。
一人一人が変わっていったその創傷が10年ぐらい続くとなんかね、