2024-12-09 11:44

「メディアは死んでいた」 ⑨ 北朝鮮が拉致を認めた日 【戦後史開封特別編】

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拉致報道は平成14(2002)年春から一気に動きだした。
そして、ついに北朝鮮が拉致を認める日がやってくる。この年の9月17日、小泉純一郎首相が北朝鮮の金正日総書記と首脳会談を行ったのだ。
小泉訪朝とは何だったのか―。

【原作】 阿部雅美『メディアは死んでいた―検証 北朝鮮拉致報道』
【語り手】柳亭市好
【制作】 産経新聞社

■拉致事件を産経新聞が徹底取材した豊富な記事や写真はこちら(リンク)からご覧になれます。

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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サマリー

北朝鮮が日本人拉致を初めて認めた日が描かれ、その影響がメディアや政治に及んでいる様子が語られます。この出来事は、日本社会における拉致問題の認知を大きく進めています。

拉致問題の始まり
第9話 北朝鮮が拉致を認めた日
産経新聞社がお届けする音声ドキュメント 北朝鮮による日本人拉致事件
原作 産経新聞出版 安倍政美著 メディアは死んでいた 検証 北朝鮮拉致報道
2018年5月28日初版発行 制作 産経新聞社 案内役は私 話科の劉廷一光です。
拉致報道は2002年春から一気に動き出した。
そして、北朝鮮が拉致を認める日が来た。
北朝鮮による人権主権侵害の国家犯罪について
日本社会にかくたる世論が生まれる分岐点は
日光紀、ヨドゴー・ノットリハンの元妻、八王女組元スナック天使の2002年3月の事況にあったと私は思っている。
有本恵子さんを騙して北朝鮮へ拉致しました。
拉致に懐疑的だったメディアが一斉に方向転換し
拉致報道が急増激増したことは新聞各種の祝撮版をめくれば一目瞭然だ。
日朝国交正常化を優先すべしといった一部政治家たちの声は聞こえなくなった。
2002年8月30日
小泉純一郎首相の包丁が突如発表された。
日本の首相として初めて国交のない北朝鮮へ行き
キム・ジョイル国防委員長と首脳会談を行う。
電撃的という表現は応用ではなかった。
会談予定内容などは発表されなかったが
拉致問題で再び暗証に乗り上げていた
国交正常化交渉の再開と拉致問題の打開をセットにした会談になるだろう
との観測が一般的だった。
拉致問題の解決なくして国交正常化はありえない
と繰り返していた小泉首相の包丁に国民の期待が膨らんだ。
小泉包丁の評価は大きく分かれる。
曲がりなりにも北朝鮮に拉致を認めさせ
謝罪させた上で被害者5人を日本へ取り戻すに至ったのだから
成功という人がいる。
いや、交渉のハードルを低くして包括的な解決を遠のかせた
北朝鮮ペースの会談は失敗だったという人もいる。
それぞれに利があるように思うが
もし小泉包丁がなければ果たして今より良い結果に至っていただろうか
包着状態を打破できる政治家が現れただろうか
とても満足いく成果ではなかったが
拉致が日本社会に認知さえされず
メディアや政治カラーも阻害されてきた。
首脳会談の実施
長い歳月を知る者としてはそれなりの評価をせざるを得ない。
ただし疑問も抱いた。
時には出たどこ勝負のような首脳会談もあるだろうが
それにしても1年近くの水面下交渉に加えて
包丁発表から20日間近い準備期間がありながら
なぜ次のような天末になるのか。
9月17日小泉首相一行7人は
平壌国際空港から首脳会談が行われる百貨園芸品館へ向かった。
日本からは先乗り同行合わせ100人越えの取材団が包丁していた。
会談に先立つ事務レベルの折衝で
日本側が予期していなかったことが起きた。
拉致被害者14人の安否情報が北朝鮮から示されたのだった。
5人生存、8人死亡、1人入国なし。
小泉包丁の裏側に関しては様々な憶測、詮索があるが
どこまでが本当なのか、今も闇の中だ。
関係者は墓場まで持って行くつもりなのだろう。
事務レベル折衝で
拉致被害者8人死亡と通告を受けた日本側は慰労を成した。
きちんと説明してくれ。
控室で待機中に報告を受けた小泉純一郎首相は
しばし沈黙して呟いた。
どういうことなんだ。
根耳に水だった。
間もなく始まった首脳会談の冒頭。
小泉首相は金正イル国防委員長に迫ったという
日本国民の利益と安全に責任を持つ者として
8人死亡は非常にショックだ。
強く抗議する。
破族の気持ちを思うといたたまれない。
北朝鮮側は一緒に昼食をと提案したが
日本側は断り、持参したおにぎりを食べた。
拉致したという白状、謝罪がない限り
平安宣言の調印は考え直すべきだ。
拉致を認めなければ席を立って帰国しましょう。
後に首相となる安倍晋三官房副長官の意見に
小泉首相も賛同し
日本側の方針が決まった。
これは裏を返せば
安否情報に加えて
拉致を認めて
謝罪さえすれば宣言に調印する
ということでもあった。
控室の北朝鮮による盗聴を警戒し
大事なことは筆談する打ち合わせになっていたが
安倍副長官はあえて声に出したという。
これが北朝鮮側にどう伝わったのか。
午後に再開された首脳会談で
金国防委員長が切り出した。
拉致問題について説明したい。
拉致という言葉を初めて使った。
遺憾なことであったことを率直にお詫びした。
拉致はありえない。
レッチ上げ。
捏造等。
幾度となく繰り返してきた北朝鮮のトップが
いきなり事実と認め
謝罪したのだった。
特殊機関の一部が
盲導主義
英雄主義に走って行ってきた。
一つは
特殊機関で
日本語の学習ができるようにするため
もう一つは
人の身分を利用して
韓国に入るため
反抗動機までさらりと明かした。
これで日本側が
平安宣言に調印しない理由がなくなってしまった。
にわかに用意したハードルは
軽々と超えられ
宣言は調印された。
私が上天したのは
北朝鮮が示した
拉致死害者14人のアンピリストに
22年前に書いた
三組のアレックや
5年前に書いた
横田めぐみさんの名前が含まれていたことではなかった。
8人死亡
であり
北朝鮮が
拉致を認めたこと自体だった。
自らの国家犯罪を認めるなどということはない。
ずっと
そう考えていたからだ。
これは
音声ドキュメント
北朝鮮による日本人拉致事件の
シリーズ第9話です。
皆様から番組の感想をぜひ聞かせてください。
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この作品は
元産経新聞社会部記者
安倍政美による著書
メディアは死んでいたを再構成したものです。
第10話
拉致事件は未解決
現在進行形
大きく動き始めた拉致事件ですが
解決にはいたっていません。
では次回
あなたは拉致を
いつ知りましたか
11:44

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