2024-12-16 11:04

「メディアは死んでいた」 ⑩ 拉致事件は未解決、現在進行形 【戦後史開封特別編】

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産経新聞が報じてきた日本人拉致事件を北朝鮮が認めました。世論やメディアは大きく変わりましたが、解決には至っていません…

【原作】 阿部雅美『メディアは死んでいた―検証 北朝鮮拉致報道』
【語り手】柳亭市好
【制作】 産経新聞社

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「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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サマリー

北朝鮮による日本人拉致事件は、2002年の日朝首脳会談を契機に国民の関心が高まり、事件の真相が徐々に明らかになります。しかし、依然として多くの問題が未解決であり、メディアはその報道の責任を果たさなければなりません。

拉致事件の認識
第10話 拉致事件は未解決 現在進行形
産経新聞社がお届けする音声ドキュメント 北朝鮮による日本人拉致事件
原作 産経新聞出版 安倍政美著 メディアは死んでいた 検証 北朝鮮拉致報道
2018年5月28日 初版発行 制作 産経新聞社 案内役は私 話科の劉邸一光です。
産経が報じてきた拉致を北朝鮮が認めた。 世論、メディアも大きく変わったが解決にはいたっていない。
2002年9月17日の日朝首脳会談で キム・ジョイル国防委員長が認めたことで
北朝鮮による日本人拉致は動かぬ事実となった。 もう誰も否定のしようがない。
あったかなかったか侵略論争のような議論は何の意味も持たなくなった。
多くの国民が8人死亡で受けた衝撃とは 全く異質なショックを受けて頭を抱えた人たちが
日本社会には少なからずいた。 言うまでもない。
拉致を産経などによる捏造、デッチ上げとしてきた人たちであり
確証がない、疑惑の段階に過ぎないと 北朝鮮よりとも取れる発言、論調を続けてきた
政治家、文化人、学者、そして一部マスメディアだった。
あるいはどう転んでも北朝鮮が認めるはずなどないのだから
どうせうやむやのうちに終止符が打たれると 鷹をくくっていた人たちだった。
いきなりハシゴを外された思いだった一概ない。
それにしてもこの時点で政府が認定しているだけでも
11人の日本人をさらっていった国家犯罪が
その国のトップが認めることによってしか 被害国の社会で事実とされない。
1980年来の産経の報道は事実と証明してくれたのは
まるで真犯人の出現で権威がはれた容疑者にも似たような心境だった私の
品を書く思いだった。
8人死亡によって北朝鮮に対する日本国民の生きどおりが文字通り爆発した。
事実となった人権侵害、主権侵害の国家犯罪への怒りはもちろんとして
まだ当時ほとんど20から30代の男女8人が
水難事故、交通事故、病気などで相次いで死亡したというのだ。
著しく説得力を欠く北朝鮮側の説明には
多くの不自然な点がすぐに次々と見つかり火に油を注いだ。
国交正常化どころの話ではなくなった。
潮目は完全に変わった。
マスメディアも火事を切った。
象徴的だったのは北朝鮮の国命故障だった。
日本の新聞は北朝鮮側の要請もあり
従来北朝鮮を朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮と表記し
テレビは北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国とアナウンスしてきた。
産経は横田恵美さん拉致疑惑発覚前の1996年から原則
北朝鮮と単独故障に切り替えた。
読売も99年そうした。
テレビの中ではフジテレビだけが早くから北朝鮮としてきた。
朝日NHKをはじめとする他の主要メディアが
メディアの責任
相次いで原則北朝鮮と変えたのは
保泉法庁、拉致被害者5人帰国の2002年秋以降だった。
ただし民主主義人民共和国という実態にそぐわない故障は
読者・視聴者の抵抗が強いなどとは言わない。
朝日新聞は北朝鮮という呼び方が定着した上
記事簡略化も図れることからと説明していた。
2002年の有本恵子さんの拉致発覚と
小泉首相の北朝鮮訪問を境に
マスメディアはそれまで報道してこなかった
穴を埋めるかのような大量の北朝鮮報道を始めた。
内閣府の外交に関する輿論調査によると
北朝鮮への関心事項のうち
2000年に68.6%だった拉致問題は
2003年10月調査では90.1%に跳ね上がっている。
曲説はあったが2002年10月15日
蓮池薫さん、奥戸幸子さん、千村靖さん、
浜本福江さん、荘賀一美さんの生存者5人が
羽田空港で政府チャーター機のタラップを折り
ほぼ四半世紀ぶりに故国の土を踏んで家族と再会を果たした。
5人の帰国から5日後、皇后陛下が誕生日に際して
区内記者会の拉致に関する質問に
次のように文書回答をされた。
悲しい出来事についても触れなければなりません。
小泉首相の北朝鮮訪問により
一連の拉致事件に関し初めて真相の一部が報道され
驚きと悲しみとともに無念さを覚えます。
なぜ私たち皆が自分たち共同社会の出来事として
この人々の不在をもっと強く意識し続けることが
できなかったのかとの思いを消すことができません。
今回の帰国者と家族との再会の喜びを思うにつけ
今回帰ることのできなかった人々の家族の気持ちは
察するに余りあり、その一塩の寂しさを思います。
富山、福井、鹿児島、新潟
アベック拉致を追って人気のない海岸を歩いた昔を思い出していた。
もしあの時あなたが取材に来なければ
帰国したアベックの家族から身に余る言葉をいただいたこともあった。
一新聞記者として井戸を掘る手伝いはしたのかもしれないが
私が飲める水は未だ出ていない。
問題を解決することができるのは政治の力以外にはない。
相手がいかなる国であれ、世論をおばっくに
あらゆる手段を講じて時代を打開し
北朝鮮の工作員によって理不尽にさらわれた人々を取り戻す。
与野党を問わず国民から信託を受けた政治家
外交になる政府の仕事だろう。
最後はマスメディアの責任に戻らなければならない。
東西冷戦時代の社会主義国へのバクとした幻想と共感。
みんなで無視していれば怖くない式の奇妙な連帯。
政府発表や警察発表を報道のメインとする発表ジャーナリズム。
初期の拉致報道、すなわち報道しないことには
当時の多くの日本メディアを覆っていた負の側面が凝縮されていたように感じる。
拉致事件は未解決、現在進行形であり
重要なのは過去のあれこれではなくこれからです。
機会あるたびにそう話してきたが
メディアに携わる者は拉致報道の異様な経緯を
人ごとのように忘れ去ってはならないと思う。
あなたは拉致をいつ知りましたか?
釣れますか?
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