2022-03-18 11:22

第8話 再会

あなたは「拉致」をいつ知りましたか?

北朝鮮による日本人拉致を最初に報じたのは産経新聞でした。
40年以上前、若き一人の記者が凶悪かつ理不尽な国家犯罪を暴いたのです。
拉致報道の第一人者による著書「メディアは死んでいた」(阿部雅美著、産経新聞出版)を音声ドキュメント版でお届けします。

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第8話 再開
産経新聞社がお届けする音声ドキュメント
北朝鮮による日本人拉致事件
原作 産経新聞出版 安倍政美著
メディアは死んでいた
検証 北朝鮮拉致報道
検証 北朝鮮拉致報道
検証 北朝鮮拉致報道
2018年5月28日 初版発行
制作 産経新聞社
案内役は私 話科の劉廷一光です。
産経新聞は1997年2月
横田恵美さんが北朝鮮に拉致された事実を報じた。
安倍区産区民 謎の蒸発の記事から17年が経っていた。
安倍は、かつて取材した家族たちと再開する。
17年前と違い、今度は各市が後追い報道をした。
日本側が韓国側から少女拉致の情報を得ていることが確認できたからだ。
産経が恵美さん拉致疑惑を報じて約1ヶ月半が過ぎた。
被害者家族による結成
97年3月25日
東京竹芝の小さなホテルに被害者家族たちが集まった。
とんでもない事件に巻き込まれなければ
息子夫婦、娘夫婦や孫たちに囲まれて平穏な日々を送っていただろう。
純朴な人たちばかりだった。
様々な事情で産家を見送る家族もいたが、
福井の千村靖さんと浜本福江さん、
鹿児島の市川修一さんと増本瑠美子さん、
新潟の羽生池香さんと横田恵美さん、
そして、欧州滞在中に淀合犯の妻たちに拉致されたことが後日判明する兵庫の有本恵子さん。
被害者7人の親族が顔を合わせた。
家族たちは内緒で集まったわけではない。
25日に家族会を結成することは産家が10日も前に記事で大きく告知していた。
引用する。
昭和52年11月に、
北朝鮮の工作員に拉致された可能性が濃厚な新潟市の横田恵美さんや、
新潟、福井、鹿児島で起きた、いわゆるアベック拉致事件の被害者家族が、
25日に東京都内で連絡会を結成し、
政府などへ陳情活動や情報交換を行うことになった。
家族たちは初対面がほとんどだったが、すぐに打ち解け、
溜まり溜まった、積もり積もった思いを語り合った。
活動の広がりと支援
私は、3組のアベックの家族たちと18年ぶりの再会だった。
こんな日が来るとは思ってもいなかった。
あの時の、あの時は、会話は弾んだが、
長い間力になれずに来たことに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
誤解を恐れずに言えば、家族たちはみな明るく見えた。
なぜか、出席した方々の著書から引用させていただく。
辛さや悲しみは、同じ境遇に置かれている人たちに話したり、
逆に相手の話を聞いたりすることで随分と和らぐものです。
同時に会が発足して、具体的な活動の方向性が見えてきたことで、
勇気づけられる思いがしました。
発砲塞がりの状態ではなくなり、光が見えてきたのです。
蓮池徹さんの著書、「奪還・引き裂かれた24年から」
それまで、家族の方々は横のつながりもなく、
息子や娘、妹が行方不明のまま生き残され、
生死がわからないことだけでも苦痛なのに、
心を傷つけられるような噂にも耐えなければならなかったのです。
これからはみんなで励まし合って、
何とか家族が再会できるようにしましょうと話しました。
横田崎恵さんの著書、「恵み。お母さんがきっと助けてあげる。
今後、お互いに助けてあげる。
お母さんがきっと助けてあげる。」
今後、東京での活動が増えるだろうと、
最終的に関東在住の横田茂さんが代表職に就いた。
家族会の結成を機に、それまでひっそり暮らしてきた
拉致被害者家族の父や母が、街頭に立って署名活動を始めた。
「〇〇の父。〇〇の母。」と、
息子や娘の名前を書いたたすきを肩からかけて、
道行く人に声をかけるのは抵抗がある。
勇気がいった。
一時間でたった一人の署名しかもらえないこともあった。
看板を蹴飛ばされたこともあった。
ビラを受け取ってもらえないこともあった。
私もそうした切ないシーンに何度か出くわした。
しかしもう、心ない風評に対しのんでいた頃の弱い家族ではなかった。
応援してくれる人たちが現れたのだ。
後に、全国に広がっていく支援・救援活動の先駆けは、
家族会結成と前後して、新潟市で保島春則氏の手で発足した
横田茂さん拉致救命法記念会だった。
各市のこうした支援組織が一体となり、
北朝鮮による日本人拉致事件の背景
今日まで拉致被害者家族を支え続けている。
それが救う会。
すなわち、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための
全国協議会に形を変えていった。
新聞協会賞という、新聞、通信、放送の信用と権威を高めるような
活動の推進を目的として設けられている賞がある。
編集部門は、日本新聞協会加盟各社から申請のあった
記事、写真、映像を全国市やブロック市の編集局長たちが
審査して受賞者を決める。
マスメディア業界では、権威ある賞とされている。
原則、過去1年の報道が対象となる。
が、17年を隔てた2件のスクープとして申請した。
そして、拉致報道は新聞協会賞を受賞した。
受賞理由はこうある。
日朝間の歴史的暗部の一端を掘り起こして一石を投じたこのスクープは、
第1報から17年にわたる粘り強い追跡取材により、
日本政府に外交的解決を促した報道として高く評価され、
新聞協会賞に値する。
虚報誤報の汚名はやっと注がれたが、
先行過程で強く意を唱えた新聞社もあったそうだ。
新聞協会賞に輝いたスクープ
これがどうして協会賞なのか。
当時まだこうした認識の編集幹部や記者が大手新聞社にも少なからずいた。
これは音声ドキュメント北朝鮮による日本人拉致事件のシリーズ第8話です。
皆様から番組の感想をぜひ聞かせてください。
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この作品は、元産経新聞社会部記者安倍政美による著書
メディアは死んでいたを再構成したものです。
第9話 北朝鮮が拉致を認めた日
拉致問題がようやく動き出します。
では次回
あなたは拉致をいつ知りましたか。
11:22

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