1. メディアは死んでいた -検証 北朝鮮拉致報道-
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2022-03-20 11:04

第10話 拉致事件は未解決、現在進行形

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あなたは「拉致」をいつ知りましたか?

北朝鮮による日本人拉致を最初に報じたのは産経新聞でした。
40年以上前、若き一人の記者が凶悪かつ理不尽な国家犯罪を暴いたのです。
拉致報道の第一人者による著書「メディアは死んでいた」(阿部雅美著、産経新聞出版)を音声ドキュメント版でお届けします。

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北朝鮮による日本人拉致事件
第10話 拉致事件は未解決 現在進行形
産経新聞社がお届けする音声ドキュメント
北朝鮮による日本人拉致事件
原作 産経新聞出版 安倍政美著
メディアは死んでいた
検証 北朝鮮拉致報道
2018年5月28日 初版発行
制作 産経新聞社
案内役は私 話科の劉廷一光です。
産経が報じてきた拉致を北朝鮮が認めた。
世論 メディアも大きく変わったが
解決には至っていない。
2002年9月17日の日朝首脳会談で
金正イル国防委員長が認めたことで
北朝鮮による日本人拉致は動かぬ事実となった。
もう誰も否定のしようがない。
あったかなかったか
進学論争のような議論は何の意味も持たなくなった。
多くの国民が8人死亡で受けた衝撃とは
全く異質なショックを受けて頭を抱えた人たちが
日本社会には少なからずいた。
言うまでもない。
拉致を産経などによる捏造
でっち上げとしてきた人たちであり
確証がない
疑惑の段階に過ぎないと
北朝鮮よりとも取れる発言
メディアと拉致問題
順調を続けてきた政治家、文化人、学者
そして一部マスメディアだった。
あるいはどう転んでも
北朝鮮が認めるはずなどないのだから
どうせうやうやのうちに終止符が打たれる
と鷹をくくっていた人たちだった。
いきなりはしごを外された思いだった一概ない。
それにしても
この時点で政府が認定しているだけでも
11人の日本人をさらっていった国家犯罪が
その国のトップが認めることによってしか
被害国の社会で事実とされない。
1980年来の産経の報道は事実
と証明してくれたのはキム・ジョンイル
まるで真犯人の出現で
権威が晴れた容疑者にも似たような心境だった私の
真を書く思いだった。
8人死亡によって北朝鮮に対する日本国民の
生きどおりが文字通り爆発した。
事実となった人権侵害、主権侵害の国家犯罪への
怒りはもちろんとして
まだ当時ほとんど20から30代の男女8人が
水難事故、交通事故、病気などで
相次いで死亡したというのだ。
著しく説得力を欠く北朝鮮側の説明には
多くの不自然な点がすぐに次々と見つかり
火に油を注いだ。
国交正常化どころの話ではなくなった。
潮目は完全に変わった。
マスメディアも火事を切った。
象徴的だったのは北朝鮮の国名呼称だった。
日本の新聞は北朝鮮側の要請もあり
従来北朝鮮を朝鮮民主主義人民共和国
北朝鮮と表記し
テレビは北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国
とアナウンスしてきた。
産経は横田恵美さん拉致疑惑発覚前の
1996年から原則北朝鮮と単独呼称に切り替えた。
読売も99年そうした。
テレビの中では富士テレビだけが早くから
北朝鮮としてきた。
朝日NHKをはじめとする他の主要メディアが
相次いで原則北朝鮮と変えたのは
拉致被害者5人帰国の2002年秋以降だった。
ただし民主主義人民共和国という実態にそぐわない故障は
読者・視聴者の抵抗が強いなどとは言わない。
拉致被害者の帰国とその後
朝日新聞は北朝鮮という呼び方が定着した上
記事簡略化も図れることからと説明していた。
2002年の有本恵子さんの拉致発覚と
小泉首相の北朝鮮訪問を境に
マスメディアはそれまで報道してこなかった穴を埋めるかのような
大量の北朝鮮報道を始めた。
内閣府の外交に関する世論調査によると
北朝鮮の関心事項のうち
2000年に68.6%だった拉致問題は
2003年10月調査では90.1%に跳ね上がっている。
曲説はあったが
2002年10月15日
蓮池薫さん
奥戸幸子さん
千村靖さん
浜本福江さん
荘賀一美さんの生存者5人が
羽田空港で政府チャーター機のタラップを降り
ほぼ四半世紀ぶりに
故国の土を踏んで
家族と再会を果たした。
5人の帰国から5日後
皇后陛下が誕生日に際して
区内記者会の拉致に関する質問に
次のように文書回答された。
悲しい出来事についても
触れなければなりません。
小泉首相の北朝鮮訪問により
拉致事件の現在
一連の拉致事件に関し
初めて真相の一部が報道され
驚きと悲しみとともに
無念さを覚えます。
なぜ私たち皆が
自分たち共同社会の出来事として
この人々の不在を
もっと強く意識し続けることが
できなかったのかとの思いを
消すことができません。
今回の帰国者と家族との
再会の喜びを思うにつけ
今回帰ることのできなかった人々の
家族の気持ちは察するに余りあり
その一潮の寂しさを思います。
富山 福井 鹿児島 新潟
アベック拉致を追って
人気のない海岸を歩いた昔を思い出していた。
もしあの時あなたが取材に来なければ
帰国したアベックの家族から
身に余る言葉をいただいたこともあった。
一新聞記者として
井戸を掘る手伝いはしたのかもしれないが
私が飲める水は未だ出ていない。
拉致問題を解決することができるのは
政治の力以外にはない。
相手がいかなる国であれ
世論をおばっくに
あらゆる手段を講じて
時代を打開し
北朝鮮の工作員によって
理不尽にさらわれた人々を取り戻す。
与野党を問わず
国民から信託を受けた政治家
外交を担う政府の仕事だろう。
最後はマスメディアの責任に戻らなければならない。
拉致事件の報道史
東西冷戦時代の社会主義国への
バクとした幻想と共感。
みんなで無視していれば怖くない式の奇妙な連帯。
政府発表や警察発表を報道のメインとする
発表ジャーナリズム。
初期の拉致報道
すなわち報道しないことには
当時の多くの日本メディアを覆っていた
負の側面が凝縮されていたように感じる。
拉致事件は未解決。
現在進行形であり
重要なのは過去のあれこれではなく
これからです。
機会あるたびにそう話してきたが
メディアに携わる者は
拉致報道の異様な経緯を
人ごとのように
忘れ去ってはならないと思う。
あなたは拉致を
いつ知りましたか?
ズレますか?
11:04

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