2024-06-10 10:10

トイレットペーパー騒動 半世紀前の発信源はどこなのか

新型コロナウイルスの感染が広がり始めたころ、「トイレットペーパーがなくなる」というデマが流れ、品薄になる事態が起きましたが、半世紀近く前にはもっと大きな買い占め騒動がありました。
昭和48年の秋、第4次中東戦争をきっかけに日本を石油危機が襲いました。ガソリンや灯油など石油製品の値段が上がっただけでなく、石油と直接関係ないトイレットペーパーや洗剤が店頭から消えたのです。
デマの発信源はどこだったのか―。産経新聞に連載された「戦後史開封」を基に音声でお届けします。

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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00:09
戦後史開封
トイレットペーパー騒動
発信元はどこだったのか
新型コロナウイルスの感染が広がり始めた頃
トイレットペーパーがなくなるというデマが流れ
品薄になる事態が起きましたが
半世紀近く前にはもっと大きな買い占め騒動がありました。
昭和48年の秋
第四次中東戦争をきっかけに
日本を石油危機が襲いました。
ガソリンや豆油など石油製品の値段が上がっただけでなく
石油と直接関係ないトイレットペーパーや洗剤が
店頭から消えたのです。
平成6年に産経新聞に連載された
戦後史開封から音声ドキュメントでお届けします。
案内役は私、ナレーターの徳光亮子です。
奥さん、紙がなくなるらしいで。
え?早く置こうとかなあかん。
昭和48年10月31日から11月1日にかけて
産経新聞など全国紙の大阪本社版は
大阪府豊中市と水田市にまたがる千里ニュータウンで
トイレットペーパー騒ぎが起きていると報じた。
トイレットペーパーがなくなるという噂に
シェフたちがスーパーに長蛇の列を作り
白い巻紙はあっという間に店頭から消えていった。
これがトイレットペーパーをはじめ洗剤、砂糖など
全国で起きた日用品の買い占め
物不足の発火点のように言われた。
だがトイレットペーパーがなくなるという噂は
もっと早くから流れていた。
関西大学教授だった山川勝美は
騒ぎから1年後の49年秋
千里ニュータウンの住民748人を対象に直接調査し
どこからその噂を聞いたか探ってみた。
一番初めの情報の発信源までは
突き止められなかったんですが
なくなるという情報は
セルシーを中心に広がっていたようです。
セルシーとは豊中市寄りの千里中央地区にあった
大型商業施設だ。
店や特定の友達のグループから
得意先や家族、ご近所などを通じて
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広がっていたと見られる。
さらにほぼ半数の359人は
11月初めにマスコミ報道されるずっと前から
口コミによって情報を得ていた。
実際、すでに10月18日の
産経新聞東京本社版の有冠には
馬車にトイレットペーパーを積んで帰る
東京高島平団地の主婦の写真が載っている。
消費者たちの間には
石油危機のきっかけとなった
10月6日の第4次中東戦争没発直後から
トイレットペーパーはなくなると感じられていたのである。
水田市消費者問題研究会長だった木村光子は
石油危機が言われ出してから
主婦たちが緊迫した感じを受けていたという。
特にニュータウンは全部推薦だから
トイレットペーパーは買っておかなければ
明日の生活が困るというのが主婦の本音でした。
関西でのトイレットペーパー騒動は
11月3日兵庫県天ヶ崎市で
けが人まで出てピークに達した。
通算省で紙を担当する課長だった村岡茂雄は
この日午前大阪通算局からその報告を受けた。
そこから普段は通算省でも地味な存在だった
紙を担当する課長の悪戦苦闘が始まる。
解決のためには群衆心理を抑えるしかないと考え
愛媛県などから関西に向けて
トイレットペーパーを大量に緊急出荷させた。
村岡は
当時は4ロールパック180円ぐらい
生産コストもペイしないくらい安く
在庫は多くありましたと話す。
だが関西の騒動は半月後には関東に飛び火した。
村岡は今度は静岡県富士市に行き
生産組合の役員4、50人を前に緊急出荷を要請した。
しかし
大阪に出荷して在庫がないという答えで
夜の11時ごろまで話をしても拉致が明かない。
交渉打ち切りという雰囲気になった。
この時村岡は
惜しいことをしましたね。
油を無限に供給してあげようと思ってたのに。
と言って帰ろうとした。
これを聞いた理事長が
ちょっと課長、今何て言った?
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と呼び止めた。
本当の話か。
こっち来て。もう一度座んなさい。
と態度ががらりと変わった。
重油はトイレットペーパーを作る過程で
髪を乾かすための必需品だったが
これも入手しにくくなっていたのだ。
村岡はみんなの前で同じことを言った。
すると
無理をしてでも供給しましょう!
ということになった。
だが通産省の方針は
石油の消費抑制だ。
本当は市課長の判断で
そんな約束ができるはずがなかった。
東京に帰り村岡は
なんとかある石油会社を
重油供給の世話役にしてもらい
役員と交渉した。
しかし村岡の姿勢に役員が怒ってしまい
資源エネルギー庁に
あいつを変えろと言いに来た。
この時ある課長が
村岡さんは次の石油計画課長になる人です。
と言った。
嘘だったが
その言葉の威力は絶大だった。
その後
重油はどんどん供給されるようになった。
物は十分あるのに
不安から買い占めが起き
物がなくなる。
そんなパニックは
ついに金融機関にまで飛び火する。
年末の12月13日から15日にかけ
愛知県の信用金庫で
取り付け騒ぎが起こったのだ。
3日間で
およそ5000人が
およそ15億円近くを引き出した。
これはトイレットペーパーの場合と違い
愛知県警などによって
ほぼ情報伝達の過程が解明されている。
信用金庫が危ない
という電車の中での
女子高校生の冗談が原因だったことは有名だ。
京都大学名誉教授の木下富夫は
騒ぎの一報を聞き
現場に駆けつけ
その様子を見ていた。
信用金庫では混乱を抑えるために
窓口に札を積み上げたんですが
駄目でした。
行列している人に新聞記者が記事を見せながら
賃金がつぶれるのはデマですよ
と話したんですが
効果はなかったんです。
木下はその後
町民445人を対象に調査をした。
その結果
法律知識に乏しい者や
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トイレットペーパーの買い溜めを多くした者ほど
騒ぎに加わった傾向が高かった。
人々は石油危機によって
石油に支えられていた生活が
崩れ落ちるんじゃないかという
疑いを持ちました。
その不安が
噂のベースになっていたんです。
不安に
実態を与えると
火がつく。
冗談から取り付けが起こっても
おかしくなかったんです。
木下は
そう振り返った。
お届けしたのは
音声で聞く戦後史開封
トイレットペーパー騒動
案内役は
私、ナレーターの
徳光良子でした。
産経新聞社が発行する
有感富士のポッドキャストがスタート。
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その日の記事や担当記者の解説でお届け。
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