2024-06-17 06:40

インスタントラーメンの進化「世界初、チキンラーメン誕生」

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【今回の戦後史開封は】日本が生んだ革新的食品、インスタントラーメンの進化について、産経新聞に過去に連載された「戦後史開封 即席ラーメン」など過去の記事を基に、最近の情報を加えて全5話の音声コンテンツでお届けします(登場人物の肩書などは取材当時のものです)。登場人物のセリフをLUNA SEAのドラマー真矢さんが担当します。

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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サマリー

インスタントラーメンは、戦後の最も革命的な食品であり、受験生や独身サラリーマンの心強い友人となっています。この商品は生活パターンを変え、次々と登場している多彩なインスタント食品の導火線となっています。

インスタントラーメンの登場
戦後史開封
インスタントラーメンの進化
第1話 世界初チキンラーメン誕生
戦後の食生活で最も革命的だったのは、インスタントラーメンの登場だと言われます。
僅かなお金で空腹を満たすことのできる日本が生んだこの商品は、受験生や独身サラリーマンの心強い友人となりました。
経済が急速に成長する中で、需要に応じて次々と登場した多彩なインスタント食品の導火線となり、生活パターンすら変えていく存在となりました。
産経新聞に平成6年に連載された戦後史開封など、過去の記事をもとに現在の状況を加えて紹介します。
案内役は私、俳優の内田健介。
セリフは私、ルナシーの深夜です。
一杯のラーメンを手にするために、人はこんなに努力するものなのか。
終戦直後の昭和20年、秋、大阪駅前。
疎開先から帰ってきた安藤桃福は、一面のやけの原の中に立つ無数の屋台に群がる長い行列を眺めていた。
安藤は、
食が足りてこそ世の中が平和になる。
と実感した。
やっぱり、日本人はパンじゃなく麺だな。
アメリカからの救援物資の小麦は、麺に使うべきだ。
昭和32年、理事長を務めていた信用組合が破綻し、安藤は即席麺作りに乗り出した。
製麺は未知の分野だった。
大阪府池田市の自宅裏に小さな小屋を作り、
古道具屋で買った製麺機を備えつけて実験場にした。
原料の小麦粉は自転車で買いに行った。
長く保存ができ、お湯をかけるだけで2、3分で食べられる。
おいしい即席麺を作ろう。
安藤の試行錯誤が始まった。
現在のインスタントラーメンは、味をつけた麺に熱湯を注ぐタイプと、
粉末化したスープを別に添えて鍋で煮るタイプに分けられる。
安藤がゼロから作ろうとしていたのは、味付け麺タイプだった。
しかし、長期保存のために麺をどうやって乾燥させるかという課題が解決できず、
頭を悩ませていた。
答えは1年ほどで見つかった。
安藤の妻が家で揚げていた天ぷらがヒントになった。
天ぷらの衣は小麦、麺の材料も小麦だ。
熱い油に入れた小麦粉の衣は泡を立てながら水分を弾き出します。
それを麺で試したんです。
水で溶いた小麦粉で作った麺を熱い油に入れると細かな穴が前面に開いて、
水分が抜け、長期保存ができる乾燥状態となりました。
それにお湯を注ぐと開いた穴に湯が行き渡り、
短時間で茹で上がり状態に戻りました。
世界初の味付きインスタントラーメンの誕生だった。
屋台のラーメンよりもおいしいくらいでしたよ。
昭和33年6月、東京有楽町の阪急百貨店に見慣れない食品が並んだ。
お湯をかけて2分間でできる魔法の食品。
と歌ったチキンラーメンの最初の試食即売会だった。
用意した500食はあっという間に売り切れた。
東京での試食会は大好評だったが、大阪の食品どん屋の反応は冷たかった。
うどん玉が1個6円、食パン一斤が30円という時代に35円という価格が軽減されたのだ。
しかし、どん屋の予想に反して消費者は35円のチキンラーメンを受け入れた。
東京での試食会から2ヶ月余りが過ぎた。
売れ行きは爆発的だった。
安藤は会社の名前を日清食品とした。
安藤が振り返る。
高槻の工場の周りをどん屋のトラックが取り囲んでいた。
アジツケインスタントラーメンの開発が始まった時代は戦後の混乱期が過ぎ、
経済白書にもはや戦後ではないと書かれた時代で、
日本は世界中が目を見張る奇跡の黄金時代、高度成長期に突入する。
人々の生活は急速に忙しくなっていた。
一箇所で買い物ができるスーパーが登場し、流通経路も整ってくる。
インスタントラーメンに代表される食のインスタント時代の幕が開けた。
次回第2話は麺と粉末スープを別にしたスープ別添えタイプの登場です。
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