2024-07-29 07:16

電気通信の昔と今 ① 最大100万通、議員が地元に打つ〝解散電報〟

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スマホなどモバイル端末が情報伝達の主流となり、メールやSNSなどさまざまなコミュニケーションツールが誕生しています、人間が言葉を持つ限り、1対1の音声通話は最も重要な情報伝達手段です。
また電報は、電話の登場以後も長らく緊急連絡に欠かせないツールでした。NTTの社名は今も「日本電信電話株式会社」です。
産経新聞に連載された「戦後史開封」を基に、電信と電話の昔と今を紹介します。案内役は落語家の柳亭市好さんです。

【原作】「戦後史開封」(「戦後史開封」取材班 /産経新聞社・刊) 
【脚本】芳賀由明(経済ジャーナリスト)
【番組制作】産経新聞社

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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サマリー

モバイル端末やSNSが情報伝達の主流となり、電報は緊急連絡に使われています。戦後の電信と電話の昔と今を紹介しています。

00:07
戦後史開封
電気通信の昔と今 第1話
電報の役割と状況
解散だ! 電報だ!
スマートフォンに代表されるモバイル端末が、情報伝達の主流となり、
電子メールやSNSなど、さまざまなコミュニケーション技術が花開いています。
人間が言葉を持つ限り、1対1の音声通話は最も重要な情報伝達手段であることに変わりはなさそうです。
また、電報は、電話が使えるようになっても長らく緊急連絡に欠かせないツールでした。
NTTの社名は今も日本電信電話株式会社です。
産経新聞に平成7年に連載された〝戦後史開封〟をもとに、現在の状況を加えて電信と電話の昔と今を紹介します。
案内役は私、落語家の劉廷一公です。
先の大戦末期の昭和20年4月22日、東京大手町にあった中央電信局の5階で、
宿直勤務に就いていた通信士、小熊英一のもとに、ドイツ担当の同僚がこんな伝聞を持ってきて見せた。
今、ソ連軍の砲声が聞こえる。これが最後の通信だ。
ドイツ万歳。日本の健闘を祈る。
同盟国ドイツの電信局がベルリンの陥落を知らせてきたのだ。
受け取った小熊は、体から力が抜けるような気持ちで同僚と話した。
日本も、もう終わりかもしれない。
やはり、もうダメですかね。
シッ、声が大きいよ。
小熊の予想通り、8月15日に終戦を迎えたが、その数日前に彼は、
カンブラが若い通信士を取り囲んで、ジュネーブに重大電報を打っているのを見ていた。
あれが、ポツダム宣言受諾の電報だったのか。
しばらくして、GHQから、
これからはアメリカの新聞通信をやるように、と命令が下った。
連合国の記者が書いた原稿を本国に送れというのだ。
文字をモールス信号に変えて、紙のテープにパンチする、
参考機と呼ばれる機械を叩いて電信を打つのが、小熊たちの仕事だった。
しかし、叩いても叩いても、目の前の原稿の山がなくなることはなかった。
参考機は熱を持つと動かなくなる。
機械を冷やす間休んでいると、
どうして叩かないんだ、と記者の苛立つ声が英語で飛んできた。
小熊たちは48時間ぶっ通しで働いて、24時間休んだ。
よく止まる機械にイライラしていた記者連中も舌を巻くほど働いた。
アメリカの記者は、
日本のオペレーターは朝来ても夜来ても毎日同じ顔だ。
実によく働く、という記事を本国に流して感心した。
こうして小熊たちが日夜叩き続けた電信原稿を通じて、
占領下の日本の惨状や復興の状況が世界に配信された。
電報は政治の世界ではなくてはならないものだった。
議員による解散電報
元衆議院議長の佐方満さんの秘書を長年勤めた渡瀬範明は、
衆議院が解散になるたび、電報局に飛び込んだ。
昭和23年、汚職事件で逮捕された若木日の田中角栄衆議院議員は、
放置場の中で解散を知り、地元の新潟に電報を打って、
すぐに立候補の意思を示した。
投票日10日前に捕捉され、滑り込みで再選を勝ち取った話は有名だ。
渡瀬は、「地元の熊本に電話を頼んでも3、4時間待ち、
一方で電報が夜中に届けば地元の規制が上がるんだ。」と振り返る。
渡瀬が打った伝聞はこうだ。
「今、解散しました。万全のお手配こう。」
ぼやっとした伝聞ではなく、「解散だ!それ!」と
震い立たせるような伝聞を考えるのも、秘書の重要な仕事だった。
上には上がいる。
田中角栄の子参秘書が打った電報は、こんな簡潔な内容だったという。
議会解散す。頼む。
議員が一斉に地元に打つ解散電報は、最大で100万通を超えていたという。
NTT東日本によると、令和2年度の館内の電報取扱い件数およそ200万件のうち、
選挙の激励や祝典などは1万件、衆議院選挙のあった平成29年度は5万件だった。
山梨2区では自民党幹部の代理戦争が話題になった。
政調会長だった岸田文夫と、幹事長だった二階俊博が、
それぞれ応援する立候補の出陣式に派手な激励電報を送ったのは有名だ。
総理大臣になった岸田は、令和3年10月14日、
衆議院を解散し、激励電報や祝典が飛び交った。
自民党政調会長、高市さなえの秘書、高市智次は、こう話した。
今や解散電報はどこも売ってないですよ。情報発信はSNSがありますからね。
解散電報は過去のものになったようだ。戦後紙開封、電気通信の昔と今。
第2話の次回は、国と国をつなげるコミュニケーション確立に汗を流した男たちの話をお届けします。
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