2022-05-30 07:08

電気通信の昔と今(2) 太平洋がつながった

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スマートフォンに代表されるモバイル端末が情報伝達の主流となり、電子メールやSNSなどさまざまなコミュニケーション技術が花開いています、人間が言葉を持つ限り、1対1の音声通話は最も重要な情報伝達手段であることに変わりはなさそうです。

また、電報は、電話が使えるようになっても長らく緊急連絡に欠かせないツールでした。NTTの社名は今も「日本電信電話株式会社」です。

産経新聞に平成7年に連載された「戦後史開封」を基に現在の状況を加えて、電信と電話の昔と今を紹介します。案内役は落語家の柳亭市好さんです。

https://www.sankei.com/article/20220523-EOWDIIDL75FY5D7SFC64BCPLPM/?581334

記事はこちらから

 

【原作】 「戦後史開封」(「戦後史開封」取材班 /産経新聞社・刊) 
【脚本】  芳賀由明(経済ジャーナリスト)
【番組制作】産経新聞社

 

■この番組は
政治、経済、事件、スポーツ、文化、そして風俗・・・。
戦後の歴史の中から、印象深い出来事を再取材して、知られざるエピソード、報道されていなかった面に新たな光を当て、戦後を振り返ります。

 

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00:01
戦後史開封
電気通信の昔と今
第2話 太平洋が繋がった
案内役は私、落語家の劉邸一光です。
昭和25年に朝鮮戦争が始まると
在日アメリカ兵による本国への電話が急増し
国際電話はパンク状態だった。
当時の電話交換手はこう証言する。
日本で休暇を過ごすために
韓国から引き上げてくるアメリカ兵のピークはクリスマスでした。
でも冬は不安定な無線回線が
さらに悪くなるデリンジャー現象がよく起きるんです。
国際電話は無線を使っていたため
太陽の表面の爆発の影響を受けていたのだ。
当時は国際電話をかけられる国際通話所という施設があった。
電話が繋がるまで5、6時間待ちはザラだった。
1日2日と忍耐強く待つ人も多かった。
繋がっても回線はいつもザーッザーッと
波の音がして聞き取りにくかった。
回線の少ない国への通話はさらに大変だった。
エジプトの回路に通話するときは
スイスのベルン経由で申し込んで2、3週間はかかった。
やっと繋がったと思ったら
申し込んだご本人が忘れていたこともあったんですよ。
そんな状況が昭和39年の東京オリンピックを機に変わった。
東海道新幹線や首都高速道路などと同様
オリンピック開幕を前に通信インフラも整備されたのだ。
昭和39年5月3日。神奈川県二宮町。
相模湾の真ん中に位置する砂浜で
KDD、国際電信電話の作業員が沖に停泊する
アメリカの情報通信会社AT&Tの船から伸びた
海底ケーブルの陸上げ作業を始めた。
強風で波が高く作業は難航した。
陸上げ拠点の責任者だった
亀田治の当日の作業日誌にはこう書いてある。
二宮にて沿岸ケーブルの陸上げ作業を行う。
午前9時。作業開始。
波浪を高きため作業は困難を極め。
それでもVをつけた直径およそ7センチの
同軸ケーブルが無事砂浜に引き上げられて
午前11時40分には作業が終わった。
03:03
二宮の海岸から深海に沈む海底ケーブルは
グアムとハワイを経由して
アメリカ西海岸のカリフォルニアに届き
日本とアメリカが128回線分の
国際電話回線でつながった。
接続試験を経て6月19日に
開通式が行われた。
最初の通話は池田ハヤト総理大臣と
アメリカのジョンソン大統領の電話会談だった。
ジョンソン大統領が
ハロー。先週新潟で起きた地震の犠牲者に
アメリカの人々を代表してお悔やみ申し上げます。
と話すと池田総理は
もしもし、ありがとうございます。
今回新たに敷かれた海底ケーブルは
日米関係の促進だけでなく
世界平和と繁栄にも貢献するでしょう。
と答えた。
当時の新聞には
これまでのようにザーッという雑音ひとつない
まるで国内電話のようだ、などと
高品質な通話が驚きを持って書かれている。
日米間の通話は
短波無線だと1通話繋ぐのに
40分から50分かかっていたが
この太平洋横断ケーブルの開通で
5、6分に短縮された。
しかも相手の息が聞こえるほど
良質な通話ができるようになり
国際電話の需要拡大に大いに貢献した。
開通前は月24,000件だった
国際電話の申し込みは
1年後には8割増えた。
これを機に
国と国を結ぶ海底ケーブルが相次ぎ開通し
国際電話は世界規模で普及した。
その後、国際電話の料金は
昭和50年代半ばまで
日米間で3分3,000円を超えていたが
市場の自由化や技術革新によって
段階的に下落。
今では固定電話で160円。
大容量、高速の光ファイバを利用した
音声サービスなどでは
数十円程度で利用できるようになった。
亀田は平成24年に亡くなったが
生前、大変でしたけど
ほぼ満足いく仕事ができました
としみじみ振り返っていた。
亀田が携わった太平洋横断ケーブルは
平成2年に運用を停止したものの
今もケーブルには損傷はなく
日米の研究機関で
地震予知の海底観測などに活用されている。
06:01
第3話の次回は
失敗や予想外の成功を繰り返しながら
世の中に浸透した報酬電話の足取りを
現場の苦闘を通して紹介します。
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