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2026-03-11 24:18

わたしの育ちのこと…祖父母の話になりました

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私の両親のことを話してほしいというリクエストにお答えしようとして、祖父母の話になりました…!


【今回の内容】

私に何も、言わなかった/学校ごっことお箸の持ち方/戦争の話と英語への複雑な思い/尋常小学校と独学の電子機器、DIY/思い出の大判焼き/やる気に溢れていた祖母/集会所の習字とトロフィー/塾とIQの逸話があるんです

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サマリー

今回のエピソードでは、リスナーからのリクエストに応え、語り手の育ちについて、特に祖父母との思い出を中心に語られています。祖父母は戦争を経験しており、祖母は裁縫やお店の切り盛り、祖父はDIYや電子機器に精通していました。特に祖母は、語り手が習字でトロフィーを獲得するのを熱心にサポートし、その影響力の大きさが語られています。また、父親のIQの高さと成績の乖離に関するエピソードも紹介され、両親の育児方針についても触れられています。

はじめに:育ちのこと、両親の子育て
迫真のイドバタ番組、職業、主婦です。
主婦の目線で世間を見るイドバタ会議的な番組です。
縁の下から社会を支えている、けど意外と知られていない主婦の世界を
都内で子育て中の私、PIUがご案内します。
この番組は、有料メンバーシップサービス
ルームのメンバーの皆様のご協力で配信しています。
今回のテーマは、わたしの育ちのこと…
前に、わたしの両親、父と母が一体どんな人なのかっていうね。
それを聞きたいっていうことをメッセージいただいたにもかかわらず
もう一体それからどれだけ時間が経ってしまったのかっていう
はい、もう遅くなってしまいましてすみませんでした。
今回、タイトルは育ちのことっていうふうにしたんですけど
わたしの育ってきた過程をお話しするっていうことで
その中でね、わたしの両親がどんな感じで私を子育てしたのかっていうね
そういう話もできるかなと思ったんですね。
だから私から見て、わたしの両親がどういうふうに子育てをしていたのか
そういう子供目線の印象ということにもなるわけなんですけれどもね。
まず全体的な話で言いますと、わたしに何も言わなかった。
はい、あのね、今考えればわたしに対してね、わたしの選択に対して
うちの両親は基本的には何も言わなかったですね。
これは大人になって、いろんな家庭の事情を見聞きするようになって
その度にやっと気づいているんですけど、すごくありがたかったなと思います。
祖父母との暮らし:遊びと学び
昔からこの番組を聞いてくださっている方は、わたしの背景、
大体の背景はご存知かと思うんですけど、わたし田舎で育っているんですね。
小さい頃は、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に暮らしていました。
家事はほぼ全て私の母がやっておりまして、
だからわたしは夕飯までの間、基本的には毎日友達と遊んで、
その後の時間っていうのは、大体ね、いつも祖母と一緒にいたんですね。
おばあちゃんと小さい頃だとかくれんぼしたりとか、
あとおばあちゃん着物を作る人だったので、
家にあった古い昔ながらの足踏みミシン、あれを使わせてもらったりとか、
いらないボタン、いろんな服から取れたようなボタンも全部取ってあってね、
その中から選んで、自分でちょっとしたボタン付きの袋を作る手伝いを
おばあちゃんがしてくれて、一緒に作ったりとか、
あとは布を立つときに印をつけるチャコペンでしたっけ?
めちゃくちゃ平べったくて、楕円形をしている素材はチョーク?
チョークみたいな素材のカラフルなチャコペンがうちにいっぱいあったんですよね。
着物を立つときにそれで線をシュッシュッとつけて、それに合わせて布を切っていくわけですね。
そのチャコペンをチョーク代わりにして、当時あったすごく古い焦げ茶色の木の机に私が文字を書いて、
先生ごっこ?学校ごっこといいますかね。
私が先生になっておばあちゃんに教えるっていう、そんな遊びをしたことも覚えております。
その間、うちの母は夕食を作って、父は仕事をしてたんじゃないかな。
うちの父は自営業だったから、うちにいることも多かったと思うんですけど、祖父は会社勤めをしてましてね。
おじいちゃんは本当に夜ぴったり7時に帰ってくるんですよね。
なので、その時間そこでみんな揃って、食卓を囲んで夕飯を食べたと。
基本的には毎日そういう感じでしたね。
その食卓ね、当時父と母が、長方形の食卓で父と母が長方形の長い方の一辺に2人並んで座って、
その向かいに祖父と祖母が並んで座って、いわゆるお誕生日席、短い辺のところですね。
お誕生日席的なところに私が座りましてね。
私の右斜め前には母、左斜め前には祖父がいて。
母が言うには、近くに座ってた祖父が私にお箸の持ち方、すごく根気強く教えてくれたらしくてね。
もうそれに関しては、母はノータッチだっていうね、そんな話を聞いたことがあります。
祖父母の影響と戦争体験
こうやって言っておくと、どんどん両親のことからは外れるんですけど。
私の育ってきた家庭で大きな存在だった祖父母なので、ちょっと先に祖父母についてお話をしておきますね。
私が昔会社員だった頃に、出向先の会社の先輩から質問をされたことがあってね。
ピユさんがどのように育って今のピユさんになったのか、それを知りたいっていうことを言われたことがあるんですね。
だからそれで私の背景っていうのをいろいろお話をしてたら、その方が、
ああ、おばあさんと暮らしてたっていうことがね、かなり影響をしてるんですねっていう、そういうようなことを言われたんですよ、私にね。
それが印象に残ってて、私、おばあちゃんと暮らしたことが結構私を形作ってるのかなっていうね。
その方が何かしら納得されたっていうことが、今日お伝えできるかどうかわからないんですけど。
すいません、祖父母の話をしますね。
まずね、2人とも戦争を経験しているんですよ。
祖母は学生時代に戦争となりましてね、学校じゃなくて確か工場に行かされたっていう話をしていたこともあったし、
爆撃機が空を飛んでてね、爆弾が降ってきて、お急ぎで逃げてっていうね、そういう話も何度か聞きましたし。
あとはね、英語の話ですね。
私が何か英語を話したりとかかな、英語の話を祖母とすると、祖母としては学生時代、的確な言葉として学んではいけなかったんですよね。
そんな言葉が戦後、私たちにとっては学ばなくてはいけない言葉になったんですよね。
何かそこに複雑な気持ちを抱いていたっていう、そんな話をしてたのも覚えています。
祖父に関しては、国内の通信基地的なところに配属をされたけど、戦地にはいかないまま終戦を迎えたっていう、そんな話でしたよね。
あんまり詳しいことは聞いてないんですけど、よく覚えているのは、祖父がね、ピューちゃんと話しかけてきて、
究極的に眠い時と、究極にお腹が空いた時、人はどっちの気持ち、どっちを優先すると思うか。
人はというか、人間の体としてどっちが優先されるかみたいな、そういう聞き方だったかもしれないんですけど、
そんなようなことを聞かれたことがあるんですね。
うちのおじいちゃんとしては、確か朝から夜からずっと工場に行かないといけないみたいなことがあって、
線路を歩いてきたみたいな話もどこかで聞いたと思うんだけどな。
ともかく全然寝られない。どんどん食べるものもなくなっていく。
そんな状況で、お腹が空いて寝られないのか、空腹でも睡眠の方が勝つのか、そういう話だったと思うんですけど。
で、祖父の答えはね、そんな究極の状況だと睡眠が勝つということでしたね。
祖父は農家の5人兄弟の下の方だったんですよね。
祖父の器用さとDIY精神
だから当時でいう尋常小学校は出てるんですけど、ちょっとその後就職するまでのことは詳しくは知らないですね。
その間に、いずれにせよ戦争に関わって通信基地的なところに行ってる期間があるわけですよね。
長男じゃないから家を作っていることもないし、もともと戦争がなかったとしても、もしかしたら高等学校に入るっていうことが望めるような、
そういう経済状況の家ではなかったかもしれない。田舎だしね。
だけどものすごく器用な人で、手先が器用なんですよね。
で、頭は良かったですね。
新しい電子機器がすごく好きで、その年なのにね。
ワープロ、電子辞書、パソコンとかも早くから使ってましてね。
自分で老人会のカラオケ大会の目録みたいなのを、みんなが使えるように打ち込んで冊子にしたりとか、書く字も丁寧で貴重面で。
漢字ですよね。これは多分母が言っていたんですけど。
そういうことで尋常小学校は出てるけどっていう、そういう学歴と言いますか、学んだ経歴なんだけど、おそらく独学でいっぱい漢字を学んだんだと思いますね。
家の中にもいろんなところに祖父が、本当に貴重面だからいろんなものを分類してるんですよね、ちゃんと。
そこにいろんな、ちゃんと漢字を使って、難しい漢字を使って、っていうとあれですけど。
そういう高学心のある祖父でしたよね。
貴王っていうところ、家に祖父の今で言うDIYですね。
そういう工具なんかもいっぱい置いてあって、机があって工具があって、そんなDIYの部屋っていうのがありまして。
そもそもその部屋自体も、自分で家にくっつけて、家をちょっと改造する形で、自分でその部屋を作ってしまったっていう、そういう人でして。
東京の秋葉原みたいな場所が、名古屋で言うと大須っていうそういうところがあるんですけど。
大須に通っては、電気関係のものをいろいろ見て回って買ったりして、私当時全然わかってなかったですけど、いろいろやってましたよね。
これも何もかも独学ですよね。
私自身も大学生になって初めてパソコンが欲しいってなった時は、祖父と一緒に大須に行きましてね。
祖父にパソコンを買ってもらったんですね。
祖父は生き慣れてる様子でして、当時そういう電気店で値段交渉の文化があるっていうことを知らなかったので、私は。
だから祖父が店員さんとそういうやり取りをしているのが新鮮だったんですよね。
だから今でもその様子が目に浮かびます。
祖父はいつも大須に行くたびに大須に大盤焼きのお店があってね。
そこで大盤焼きのセット、10個ぐらい入ってたのかな。10個、12個。
そのセットを買ってきてくれてまして、だからそれがうちにあると、ああ、おじいちゃん大須行ってきたんだなっていう、いい思い出ですよね。
ちょっと普段、なかなかね、おじいちゃん、私のおじいちゃんを振り返るっていう時間もなかなかないので、なんか久しぶりにね、いろいろ思い出しますね。
祖母のバイタリティとお店の経営
おじいちゃん鉄道会社に勤めていたんですけど、そのうちその趣味がこうしてですね、
近くの人たちの電化製品の修理とか、あとテレビの設置とか、そういうのを副業でやるようになりましてね。
で、それを祖母が自営業として営業するっていうことになったんですね。
祖母は時代が違ったらめちゃくちゃバリバリ仕事をしていたタイプだと思います。
もう完全に田舎で戦後で、だからもう様々に制約があったと思うんですけど、その電気関係の仕事を受け負ったりね。
修理をするのは祖父なんですけど、おばあちゃんが取りまとめと言いますか、お店を仕切っていたわけですよね。
で、そのお店でクリーニングも始めてみたりね。
おばあちゃんの性格的に社交的だし、人前に出ることも厭わないしね。
気も強くて、やる気にあふれてて、就事だ民用だっていう趣味も多いし、
あと当時の女性としては相当珍しかったみたいなんですけど、バイクも乗りこなしていたんですよ。
着物を作るくらいなので、おばあちゃんも手先は器用だったんですよね。
私自身、習い事というと、小学生時代ってピアノと習字しかやっていないんですね。
習字と祖母の熱心なサポート
で、そのうちのピアノはほぼほぼ練習はしてなかったから、
だから家で誰かに教えてもらうっていうこともなかったんですよね。
でも習字の方はですね、1ヶ月に1回村の集会所に先生が来てくれるんですよ。
そこに自分で書いたものを持って行って、公表をしてもらって、それを提出するっていう。
そういうサイクルで、何年やってたのかな。
でも幼稚園の頃にやりたいって私が言い出したって言ってた気がするから、小6まで続けたのかな、どうかな。
ちょっと詳しくは覚えてないんですけど、かなり長い間先生のところに通っていたんですよね。
先生にこうした方がいいとか、その場でアドバイスを1人ずつもらいまして、
もちろんおばあちゃんも書いて、おばあちゃん自身はおばあちゃんのものを提出してるんですね。
その作品の提出したものを先生の方で吟味して、1ヶ月に1回冊子が発行されましてね。
そこでその時の優秀作が載ったりとか、誰々は何級に上がりましたみたいな、そういう名簿も載るんですよ。
私も結構優秀作で載せていただいて、最後はもう壇も終わって特大生っていう形になっていたんですけど、
その提出をするための就職をやるときはね、必ず祖母と一緒にやっていました。
手取り足取りね、すごい私のために時間を使ってくれてましたね。
私も一人だとやる気が全然出ないんですけど、もうすぐ締め切りだっていうときになって、
先生に会う日が近づいてきたなってなると、祖母におばあちゃん就職やろうって言って声かけをして、一緒にやってもらっていました。
だから結構小学校中学校で習字の表彰をされたことがあるんですけど、トロフィーもらったりとか、これはもう完全におばあちゃんのおかげですよね。
だって先生なんて本当にちょこちょこっと月に一回ちょこちょこっと口で言うだけだもん。
だから指導を実質してたのはおばあちゃんなんですよね。
もともとおばあちゃんっていうのは母親時代、私の父が子供だった頃は、今でいう教育ママと言いますかね。
父親の塾体験とIQの逸話
おばあちゃん自体が張り切ってたし、やる気に満ちていたわけですよ。
だから子供にもいろいろさせようとしたんでしょうね。
でもそれがうちの父には響かなかったみたいでして、もう父のこと塾に入れたはいいけど、
1日でうちの父は塾を辞めてきたっていうね、そういう逸話もあったりしてね。
だから私が中1で塾に入るっていう時に、確かその時、月謝を払うのか、でも1年払いにするとちょっとお得なんですね。
それを選べたんでしょう。
でも父はね、自分の経験があるからね。
塾入ったって続かないかもしれないから、辞めてくるかもしれないから、年払いは辞めたほうがいいんじゃないかっていうことを言ったんですよね。
その後どういうお金の払い方をしたかは知らないんですけど、私は塾は3年間辞めませんでした。
実は父で自営業を継ぐっていうことだけを示され続けてきた人生だったっていうこともあって、親への反発っていうのもあったんでしょうね。
というか反発だったんでしょうね。
学校の勉強をしなくなったわけですよね。
どうせ専門的なことが学べる学校に進学するっていうことは決まってたわけなので、他の選択肢はないっていうことだったしね。
だから学校の勉強に意味を見出せなかったっていうのもあるんでしょうね。
これも逸話と言いますか、当時IQテストってあったんですよね。
私自身も学校で何度も受けさせられまして、何度も毎年でもなかったような気もするんだけど、
記憶力のテストとか立体的な図形を見るようなテストもあったと思うんですけど、それを学校で受けて結果は知らされないんですよね。
先生だけが把握している。
父が中学生の時にもIQテストをやって、その時にその結果を見た先生が慌てて父のところに飛んできたっていうね。
お前こんなにIQがいいのに、なんであんなに学校の成績が悪いんだっていう風に先生が飛んできたっていう。
これもね、父は本当に学校の勉強を全然やってなかったんでしょうね。
というところまで結構長くなってしまいました。
まとめと近況報告
本当はこのまま父母の話に入っていきたいんですけれども、最初に言った私に何も言わなかったっていうところ。
この辺りを詳しくはまた次回以降お話をさせていただきたいと思いますので、またお付き合いいただけましたらと思います。
最後まで聞いてくださってどうもありがとうございました。
最近の我が家の大ニュースとしましては、長男がホームステイに行ったということですね。
こんなに長期いないのも初めてなので、どう暮らしてるかなって心配もあるといえばあるんですけど、
とにかく元気にやってくれていることを楽しく過ごしていることを願うばかりであります。
ハクシンの糸端番組、職業主婦です。
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それではまた。
24:18

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