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2025-05-12 06:24

【NotebookLM】哲学から始める「言葉のズレ」と「言葉にする」練習

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サマリー

今回のエピソードでは、言葉の意味の不安定さについて、哲学や言語学の視点から考察しています。特に、多動迷子の状態にある人々が自分自身の指針を見つける手助けとなる実践的なアプローチを探求しています。

言葉の意味の不安定さ
こんにちは。あのー、会話してて、あれなんか糸がすれ違ってるなぁとか、自分の気持ちにピッタリの言葉が見つからないなぁとか、
あるいは、ある言葉の本当の意味って何だろうって考えて、かえって混乱しちゃうことありませんか?
今回の探究ではですね、言葉の意味っていうのは、辞書にあるみたいにカチッと決まってるんじゃなくて、実はいつも揺れ動いてる。
私たちの解釈に大きく左右されるものなんだ、という考え方をちょっと深掘りしてみたいんです。
手元にある資料だと、この意味の不安定さを哲学とか言語学の視点から解説してくれてます。
特に、いろんなことに興味があるんだけど、なんだか方向性が見えないなぁって感じてる方。
いわゆる多動迷子の状態にある方が、じゃあどうやって自分自身の指針、羅針盤みたいなものを見つけるかっていう、結構実践的な問いにつなげているんですね。
そうですね。言葉の意味が不安定なんて聞くと、ちょっと難しく聞こえるかもしれませんけど、
でも、この意味が一つに定まらないっていう考え方を理解することが、案外外部の定義に頼るんじゃなくて、あなた自身の内なる羅針盤を築く、その第一歩になるかもしれないんです。
今日はそのつながりを探っていきましょうか。
はい、お願いします。まず、核心にある考え方として、言葉の意味は他の言葉との違いによって生まれる、と。
で、完全な意味の把握は常にちょっと先送りされるんだ、というのがありますね。
哲学者のジャック・デリダが、サエン・ディフェランスと呼んだものですね。
そうです、そうです。
絶対的な意味の拠り所っていうのはないんだ、ということですよね。
辞書で言葉を引いても、その説明にまた別の言葉が使われていて、その言葉をまた引くと、さらに別の言葉で、というふうに、どこまで行ってもこれだっていう最終地点には、なかなかたどり着けない、そういう感覚ですね。
なるほど。
そして、この視点って、デリダ一人だけじゃないんですよね。
例えば、ウィト・ゲンシュタイン。彼は、言葉の意味はその使われ方にある、言語ゲームだと考えましたし。
ガダマーなんかは、理解っていうのは、読み手の持つ背景、地平と呼んでますけど、それとテキストの世界が対話するプロセス、地平融合なんだと。
バルトに至っては、作者は死んだと。
有名な言葉ですね。
意味を生み出す重心は、もう書き手じゃなくて読み手の方にあるんだ、と主張したわけです。
ということは、私たちは単に言葉を受け取るだけじゃなくて、むしろその意味を作り出す能動的な参加者なんだ、ということですね。
まさにその通りです。
そしてですね、この絶対的な正解がないとか、意味は常に揺れ動くんだ、という感覚。
これが、情報がすごく多い現代で、次に何をすべきかとか、自分が本当に何をしたいのか、ちょっとわからなくなってしまう。
あの多動迷子の状態と、どこか重なる部分があるんじゃないかと。
多動迷子。
新しい情報とか可能性に次々惹かれるんだけれども、なかなか焦点が定まらないという感覚ですね。
なるほど。哲学的な話がすごく現代的な個人の感覚につながってくるんですね。面白いです。
でも、だとしたら意味がそんなにフワフワしてるってわかったとして、それがどうやって自分の羅針盤を作る助けになるんでしょう?
不安定さがわかっても余計に不安になりそうな気もしますが。
そこが面白いところなんです。逆説的なんですけど、外の世界に絶対的な正しさとか固定された意味をある意味で諦める。
この哲学的な洞察が、逆に自分自身の内側に目を向けようというきっかけになるんですね。
なるほど。
資料で紹介されている多動迷子コーチングというアプローチは、まさにそこをついているわけです。
つまり、外の不安定さ、それはそれとして受け入れた上で、じゃあ私にとっては何が大事なんだろうとか、私はこの状況にどういう意味付けをしてどう動きたいんだろうっていうのを自分の中で明確にしていく。
自分の内側に軸を作るみたいな感じですか?
多動迷子コーチング
そうですね。これは先ほどのウィトゲンシュタインの、言葉の意味はその使われ方にあるっていう考え方にもちょっと通じるかもしれません。
決まった意味がないからこそ、自分で状況に応じて意味や価値を定義して行動していくと。
なるほど。
コーチングというのは、その自己理解とか、自分の価値観をはっきりさせるとか、そしてそれを具体的な行動計画に落とし込む、そのプロセスをサポートするものなんですね。
哲学的な視点が単なる知識で終わるんじゃなくて、すごく実践的な変化の激しい世界を生きていくための具体的なツールになり得るということですね。
はい、そう思います。外部のある種正解みたいなものに振り回されるんじゃなくて、自分の中にしなやかな軸を作るというイメージでしょうか。
しなやかな軸、いいですね。
そしてもう一つ。もしかしたら、意味が固定されていないっていうその不安定さ自体を理解して受け入れること、それ自体が変化の多い状況の中で、かえって自分を支えるある種のアンカーというか、強さになるのかもしれない。
不安定さを受け入れることが強さに?
ええ、完璧な答えがないからこそ、自由に自分なりの答えを探求していけるとも言えるんじゃないでしょうか。
なるほどな。今日の話を聞いて、特にそのいろんなことに興味関心はあるんだけど、方向性がなかなか定まらないっていう多動迷子の感覚。
これに心当たりがある方にとっては、この多動迷子コーチングっていうアプローチは、更に深く知ってみる価値がありそうですね。
そうですね。資料によりますと、この多動迷子コーチングに関して、より詳しい情報とか、自己理解を深めたり、自分なりの羅針盤を作るための具体的なヒントなんかを、公式LINEとか、あとメールマガジンで発信しているそうなんです。
メールマガジンですか?
ええ。ですから、もし今日の話から一歩進んで、あなた自身の方向性を見つけるための何か具体的な手がかりを探してみたいということであれば、そちらをチェックしてみるのも良いかもしれませんね。
より詳しい情報は、ウェブサイトでsub.pessham.comスラッシュメール。こちらで得られるとのことです。
ぜひ関心がある方はアクセスしてみてください。
さて、今回の探究はここまでとしましょうか。あなたの知的冒険のまた次の一歩に繋がることを願っています。
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