AIが考えた台本 / LINEのアイコン / ハンドルネームと本名 / 「TAZAWA」と「WATA」 / ビジネス用のプロフィール / 自己紹介が苦手 / ピエロを演じる / 本当の自分らしさは短所 / 「らしさ」は他人の視線によって育てられる / キャラと芸風 / ジャスティン・ビーバー / 「自分らしさ」って、SNSなかったら出てこなかった概念かも / 「他人と比べない」とは言うけど「らしさ」は他人がいるから生まれる / 芸術家と自分らしさ
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■ クレジット
Opening Theme : Composed by WATACover Artwork : Designed by WATA
CG Character : Modeling & Designed by WATA
Ending Theme : Composed by TAZAWA
©終わりかけのRadio番組
エンディングテーマ『life』
サマリー
このエピソードでは、「自分らしさ」について議論が展開され、AIがテーマを提供することで新たな視点が生まれます。特に、自己紹介や自己ブランディングの難しさ、そしてそれに対する考え方が掘り下げられています。ポッドキャストでは、自己紹介や自分らしさについての考えが語られ、他者の視線によって自分のキャラクターが形成されるプロセスと、内面的なコンプレックスとの向き合いが探求されます。このエピソードでは、自己紹介や自己認識の重要性が深く掘り下げられ、特にジャスティン・ビーバーの例を通じて、評価と自己表現の葛藤が自己認識に与える影響が考察されています。また、自己紹介やナティブアイデンティティーに関する議論が展開され、特に90年代の個性の重要性が強調されます。
AIからのテーマ提供
どうも、TAZAWAです。 WATAです。
今日の収録は、どの回も我々のアドリブ力が試される回になってきましたね。
TAZAWAさんはちょっと勘弁あるかもしれないですけど、全く基本的には会話の流れで話すことを決めてますからね。
今回は実は、それをあえてやる企画をね。 素晴らしいですね。
AIに議論のテーマを作ってもらったやつなんで。
そうすると、自分からはわざわざ喋ろうと思ってないようなネタとか出てくるんで、
無理やりそのテーマで喋ってみるっていうのもね、見たくなると思って。
いいですね。
こういうテーマでいい話ができるかどうかっていうところが、我々の掛かってますから。
練習試合というか、なんかいいですね、こういう。
トレーニング感がね。
我々も本気に臨んでいく姿勢をお楽しみいただければと思うわけですよ。
こういう振りが来ても話せるぞ、みたいな。かっこいいね、でもね、なんか。
トーク力良いですね、磨くのね。
判定してほしいというね、思います。
なるほど、まあ確かにこれは判断って皆さんなんで。
いろいろね、ちょっとね、また考えてもらったんですけど、AIにね。
もうタイトルから、もうタイトルがAIを決めてくれたんで、このタイトルまんまいきます。
実際のエピソードタイトルにします。
自分らしさって自己紹介できるものじゃない。生き方が滲み出るって何?っていうね。
自分らしさの探求
おお。
これでいきます。
自分らしさっていうものって、そもそも自己紹介できるもんじゃないでしょっていうね。
ことがなりがちできて、それに対していろんな観点でね、話していこうっていうね。
このテーマがなぜ面白いかっていうのをAIが説明してくれてるんですよ。
なぜ面白いか。
自分らしく言いたいってちょっと抽象すぎみたいな。
はいはいはいはい。
だからこれを話すと面白いと。
あとまあ自己ブランディングと自然体の境界線っていうところがいいポイントなんで。
ああ、はいはいはい。確かに。
AIが面白ポイントとしてあげてます。
結果的に学びポイントになる部分っていうのは、やっぱり自己概念の更新。
それをNarrative Identityっていうらしいんですよ。
かっこいいですね。
ラシさっていうのは見せるものでなくて積み重ねで滲むものでやるとかね。
SNSと本当の自分問題の向き合い方っていうところはね。
ああ、それはありますね。
我々のトークの後に学びポイントになるらしいんですよ。
なるほど。
じゃあ僕はやっぱハードル上げられてる感じなんですけどね。
学べるかな。
AIがこんな感じで話を展開していくと深まるよって言ってくれてるんで。
ああ、なんかそういうあれですか。文脈を作ってくれてるんですか。
まずね、僕が和田さんにね、自分らしさって受講紹介できるものなんですかねって聞くんです。
そうすると、その後和田さんがあるあるトークで笑いを挟んでいくんですよ。
なるほど。
その後に矛盾をつく哲学パートが入ってくる。
で、その後に自己観察トークを交えて最後にほのぼのした結論で締める。
そう。いいですよって教えてくれてるんで。
なんかちょっとやっぱ腹立つな。
全部考える。
お前らいつもできてないから考えてやってみたらなんか。
すごいおでんだてされてる感じがなんか。
もう5年間やってきてますけど。
お前らの番組ぐだぐだだから俺が台本考えてやったみたいな。
で、いくつか視点書いてくれてるんでちょっと一つ一つ言ってみましょうかね。
自分らしさを言語化しようとした瞬間に嘘っぽくなる問題。
そうですね。
名詞に欠けるらしさって薄くないって言ってます、AIが。
厳しいね。鋭いよね、でもね。
自由人ですって言ってる人ほど割とカチカチにルール守ってる説って言ってますよ。
当時に大体痛いってめっちゃ意識してるじゃんってAIが言ってます。
めちゃくちゃ皮肉言ってくるじゃん。
プロフィールと自己表現
皮肉と嫌味。
ズバズバ来るね。
プロフィールに、確かにプロフィールで性格出るのはあるじゃないですか。
出ますよ。
結構自分らしさを欠ける人っているから。
僕欠けないから全く苦手なんで。
あとちょっとずれるかもしれないけど、僕らよく話しますけど、
LINEのアイコンね。
で、割とコンテクストが読めるんじゃないですか。
性格出るって言いましたよね。
パターンあるじゃないですか、動物。
後は後ろ姿なのか反眠なのか分かんないけど、顔がよく映ってないやつ。
あとめちゃめちゃ引いてる遠い写真のやつ。
あとはバキバキ詳細写真みたいな。
芸能人の仙台写真みたいな写真の人。
あとは無事みたいな。
無事の人言っていますよね。
言っているよね。
一切個性を出したくない人ですね。
LINEのプロフィールで無事とか写真を設定してない初期状態の人とかって、
SNSもやってない傾向が強い気がしますね。
あと聞いたのは、LINEのプロフィールの名前を本名にしてる人は、
SNSでも本名でやってるっていう傾向があるらしいんですけど、
確かにそうだなと思いました。
確かに。
それ何なんだろう。でも僕もそうなんですよ。
それってやっぱりキャラを使われたりできない性格なんじゃないかなって思うんですよね。
僕キャラを使われられないんですよ。
分かりますよ。
SNSでも匿名で発信できないんですよ。
っていう性格があって、どうしても本名にしちゃうっていう。
ペンネーム、何て言うんだろう。架空の人格みたいなのを持つ人ってたまにいるじゃないですか。
ペンネームじゃないけど、別の人格がいて、それがアーティスト作品を作ってますみたいな。
ああいうのは確かにできないよね。
なりきれないし、もしやったとしてもムズがいくなってきちゃう自分がいるというか。
僕も思いますよ。僕はいいけど、TAZAWAがどう思うかだっていう感想があります。
なんかどっかで聞いたことあるような響き。
すごい音説まで全部聞いたことあるような音説でしたけど。
そういうことですよね。
違うか。
TAZAWAさんが例えばね、TAZAWA直人じゃないですか。
直人インティライミー。
直人インティライミーだったら、やっぱり僕この関係性保ってるって感じがしますもん。
はいはいはい。
やっぱりTAZAWAさん、TAZAWA直人だから確かに僕は付き合えてるような気がしてて。
僕ギカ音楽やってたときに一回別の名前したことは言ってたじゃないですか。
でもやっぱりしっかりこなかったですね。
なんか不気味な感じでしょ。
やっぱり人によるんだと思いますね。それがいける。
もちろんそれはよしよしで、全然そういうパターンの人もいるからね。それはいいと思うんだけど。
だって渡田さんだって渡じゃないですか。
うん。
それってある種、なんかそういうとこないんですか。
まあそれが普通のニックネームか。
あーでもなんかSNS、いわゆるみんなと共有してるSNSとかLINEは本名ですけどね。
はいはいはい。
だから渡田さん自分のアイデンティティーとして渡を持ってるわけじゃないってことですよね。
そういうことですね。
渡と言われてるだけで。
言われてるだけですね。
俺は渡であるっていう。
いや渡が、渡は渡の判断によるみたいなそういうのはないってことですよね。
渡がどう思うか。
どう話しても矢沢が出てくるかもしれない。
いやまあだから、なんかやっぱ使い分けてるとこはあるのかもしれないですけど、まあそうでしょうね。たぶん今言ってくれた通り。
あとなんかそのプロフィールのね、これ僕もうほんと苦手なんですよね。プロフィールっていうものが。
なんかそうですね、結構このIT業界はビジネス系だと自分のプロフィールがっちりしてる人いますよね。
めちゃくちゃちゃんとしてますよね。
あれできないんですよね。
できないのね。もう肩書きとかそれこそなんて言うんだろう、ちゃんとしてるよね。
あの本当に全部こうちゃんとブランディングされてるというか。
だからよくいるじゃない、メガベンチャーとかの、例えばヤフー、LINEヤフーのチーフクリエイティブディレクターみたいな、わかんないけどそういうなんか、
なかなか言えないじゃん、自分で。
だってLINEヤフーの看板を背負うのも僕らでは嫌だし、なんかなかなか言えないんだよ、自分で。
仮にそうだったとしてもなかなか自分で言えないよね。
だから逆にそれを言える覚悟を持って発信してるのは、ある種言えないなと思うところもちょっとある。
そうだね、だからその看板の責任を負ってる感じあるもんね。
でもなんかやっぱどうしても下駄履いてる感じがしてさ、なんか言えないですね。
過去の経歴も全部その矢印で書いてるとかね、いますよね。
経歴いますよね。
そう、Xフリー、Xボイシーとかなんかすごいいっぱい書く人いるよね。
だいたいあれ勲章なんでしょうね、やっぱね、ある種。
いや僕できなくて、僕今どうだったかな、昔からプロフィールを一両ウェブサービス作ってます。
めっちゃやる気ない人。
そうそう、でもそれしかないですよ。
いやでもわかります、僕もでも料理が好きですとか。
でもね、僕仮にどんな経歴があっても、一生ウェブサービス作ってますとしか書かない気がするんですよね。
いやだから、でもそれがやっぱり、なんか没個性なふうに見られがちですけど、めちゃくちゃアイデンティティがあるってことだと思うんですよ。
だからこれもある種、自分がどうあるかっていうところを考えてる気がするんですよね。
そうそう、さっきのAIが指摘してたブランディングみたいな観点で言うと、
ある種そういう没個性的なものもブランディングではあるんだけど、やっぱり我々の業界は特に知名度とか利害関係で、
そのためにちゃんと肩書きとかをブランディング作るみたいな、そういうのってあるじゃないですか、常トークとして。
やっぱりそういうのに乗っかりたくないっていう、ある種ちょっと中二病っぽいのかもしれないんだけど、僕らは。
なんかあんまちょっと、それに乗っかってなんかやりたくないっていうのがあるんですよ。
だからやっぱり僕もカウンターなところは、そういうところはあるんですよ。
誠実層的には保守ですけど、普通に生きていく上では結構カウンターなところがあるから。
そうだよね、確かにね。僕も。確かに。
いわゆるこの、私たちがいる業界の王道のことは絶対やらないもんね。
そうそう。
生き方は左なんですよ。
確かにね。反対性が。
そうそうそうそう。
自己紹介の難しさ
あ、そうか。だからそういう意味では確かにリベラルですよね。なんかそのなんか、こう、なんていうんだろう、こう、すごい自由主義というか。
そうそうそう。だからそうでありたいってことなんですよ。だから自分もね。
いやでもそれは僕もそうだなあ、でもなあ。
そうですね。まあだから、毎回言ってるように、本当に自分らしい言葉を意外と他人の方がわかってるっていうね、言葉があるんで。
なんか、うーん、そうですよね。なんか自分、自己紹介って僕苦手だから、なんかこう、しなくていい世の中なんないもんですかね、自己紹介って。
そうですよね。
いや、僕はもう本当にピエロになりきる自信はあるから、ピエロはするんですよ、当然ながら。当然やりたい、みんなやりたい人はあんまりいないと思うけど。
できるんですけど、まあただなんかすごい、その後ちょっと落ち込むんだよね。ピエロになってなんかちょっとなんか変なね、滑ってるコメントとかをこう入れて。なんか、もう全てが恥ずかしいじゃん、そのプロセス。
WATAさんでもそれだけ上手にやるんですよ、僕。そのイメージありますわ。そうなんですよ。WATAさん上手いんですよね、そういうところ。
そうですかね。いや、それ全く。
確かにWATAさんって、自分でわざわざ発信とかしないけど、その、発信しなくちゃいけない会社とかで、あのそういうプレゼンみたいな。させられてる時に、仕方なくやってる時に、めちゃめちゃ面白いことやるんですよね。やっぱりだから能力あるんですよね。
いやいやいや、どうなんすかね。
そうそう、そのイメージはあるな。
いやだからなんか、そういうこう、僕の場合はこう合わせるタイプなんで、あえてその社会性としてそのコントに乗っかっちゃうんですよ。でも乗っかった結果、その後すげえこう自己嫌悪というか、なんか落ち込むんですよ、なんかその。
なんか会社、前一緒に会社の時に、外部の人呼んでなんか、うちのデザイナーがなんかやるみたいな時にWATAさん喋ってて、すごい面白かった印象があります、僕は。
なんか喋りましたっけ、もう全然記憶がないですけど。
ただやりがちで、僕、前に勤めて会社でもそういうなんか、やりがちなんですよちょっと。そういうちょっと自虐ではないんですけど、僕割とこの番組でも政治キャラみたいな、ちょっと痛いとかあるじゃないですか。
そういう会社でわざと出しちゃったりとか、ちょっとするんですよ。そういうこう、ダサン的になんか一番やらしいと思うんですけど、ダサン的にそういうふうにピエロを演じるみたいな、ちょっとね、そういうこう痛いとかあるんですよ、なんか。
でもなんか、これもちょっと自己紹介だから嫌なんだよな。なんかこの、なんかさ、うがきみさとっていうアナウンサーがいるんですけど、うがきみさとがなんか、すごい綺麗で可愛い人なんですけど、どうしてもちょっとだけ好きになれないところがあって、
なんか私ちょっと痛い女なんですアピールがすごいすごくて、なんだっけな、あのこれ、あのゲーム配信者のタヌカナっていう女の子が動画で語ってましたけど、あの私あの自分の犬、犬の名前テンプラって言うんですけど、そういうのつけちゃう女なんです。
っていう感じで、こうなんかテンプラっていう、ちょっとだからその、ちょっとこうひねった名前をつけちゃう、ちょっとこじらせた、ちょっと痛い女なんですっていう、でもいい女なんですっていうアピールが気持ち悪いよねっていうのをタヌカナが言ってて、まあまあ気持ち悪くしかわかるなみたいな。
タヌカナがテンプラってつけといて何もおかしくないと思ってくる人の方が面白いからね。
そうなんですよ。
実はそういう人いるからね。
いるから、その属性は属性でいるんだよ。普通におじさんとかがテンプラとかつけたりするし、それっちの方が全然面白いんだよ。おじさんがテンプラつけてるやつは本当に、本当にテンプラっていう、テンプラが好きでとかそういうのつけたりするから、
お餅とかっていう名前よく、お餅っていう猫とかワンちゃんはいいんですけど、よくいじられる名前ですよね。お餅ってつけてる私みたいな感じの、だから別にね、それもアイデンティティだから全然それでもいいと思うんだけど、
なんか、その、そういうことに対して共感性周知を感じちゃう自分の、なんかこの、この感じ?このモヤモヤとしてる感じというか。そういう自己嫌悪が、その自己紹介の後に僕は出るんですよ。
なるほど。
ちょっと演じて、痛いやつっぽく見せちゃったなというか。
だから本当の自分らしさじゃないっていうところだからですね。
短所と魅力の逆説
そうなんですよ。
それも微気味さがあるんですよ。
そのね、さっきの人もね、そういう自分でいようとしてるところの現れですからね。
そうなんですよね。そうそうそうそう。
だからで、もう一個のね、やや言ってるトピック、これいいなと思ったんですけど、自分らしさってむしろ自分の中で一番しょうもない部分なんじゃないかっていう説。
あーはいはいはい。
要するにこう、自分から言ってる自分らしさってこうで痛いっていう、そういう作ってる部分じゃないですか。
本当その人らしさって、本人はいいと思ってないところだったりするんですよ。
そうなんですよね。
だけど周りから見たらそれは魅力的に見えてるっていう。
そうなんですよね。これはありますよね。大にしてね。
なんかよく言われてるというか、人は長所で尊敬されて短所で愛されるっていう。やっぱ本当その通りだなって思うんですよね。
確かに。愛されるポイントね。
そうそうそうそう。
まあその短所って要は隙というかさ、その、まあ本人の自己認識としてはちょっと恥ずい部分だったりするところが短所になるわけでしょ。
それを短所として言ってるってことは、自分のコンプレックスみたいなところもあるわけじゃない。でもコンプレックスがあった方が人から愛されるってこの矛盾なんですよね。
だからWATAさんも僕も自分なりにこういうところ嫌だなコンプレックスだなって思ってるとこあると思うんですけど、それが周りから見たら魅力的に見えてるってことですよ。
悲しいからね。
そうそうそうそう。
その自己認識と合わないっていうこと。
一生合うことがない。
なんかその会社とかの社長とかでいい社長って、その会社の社員に自分の部下に外でうちの社長ってこういうところがあって困ってるんですよって言われてる社長が一番いい社長って。
まあそうですよね。いじられてる。
いじられてる。そうそうそうそう。
だからそうなんですよね。だから結局ある意味その弱みとか隙とかナチュラルなとこも見せつつ、それを変な意味で狙ってやってるんじゃなくて、ナチュラルにそれができてるっていう人間性の現れでもあるから。
だからやっぱりそういうのって、わりとビジネスの世界だと、さっき言った通り、肩書きで全部隙間を埋めちゃったりとか、あとは論破みたいな。
常に論破するみたいな人いるじゃないですか。会議とかでツメツメで言ってみたいな。
あれはやっぱりそういう隙を埋ませない。しかもさっきの天ぷらじゃないですけど、そのパターンの人って、わざとすげえダサン的に隙を作ってるところがあって、実は犬がすごい好きで、奥さんとは会話がないんですけど、犬とは毎日会話してますみたいな。
夫婦関係はうまくいってないんですけど、みたいな。すごい特定の誰かを言ってるみたいな。よくないかもしれないですけど。なんかね、そういう隙の部分もダサン的なんですよ。計算された隙というか。
まあリアクションが最初から求めてるリアクションが決まってる。 そうそうそう。全部場をコントロールしようとしてるっていうのが透けて見えちゃうんで、だからやっぱりあいつはいけすかねえやつだみたいな感じに思われやすいというか。それはそれでキャラなんで、全然いいと思うんだけど。
他者からの影響
隙を作らない人ってやっぱいて、あれは自己紹介とか、会社で何かの発表があるときに簡単な自己紹介するときあるじゃないですか。ああいうときすげえ出るなって思いますよね。やっぱりよく見せたいっていうのはわかるし、
その自己認識を他者の認識で覆い隠したいというか、こういうふうにブランディングして、本当の自分はこうだけど、周りからの評価としてこう見られて、そうすることによって自分のこのコンプレックスを覆したいみたいな感情ってあるじゃないですか。気持ちはわかるんですけど、
それってたまに透けて見えちゃうときがあるから、そういうときにちょっとやっぱ、わかっちゃったり気づいちゃったりすることもあるから。だから、そういうのを考えるとどんどんどんどん僕は自己紹介ができなくなる人間になっていくんですけど。
でも、いろいろ決まってる自己紹介聞いたら、でも僕らでもおお、すげえって思っちゃいません?とはいえ。
肩書きがどうとかさっき文句言っちゃったけど、なんだかんだそう見ちゃってる自分がいるのも悲しいよね。なんか、やっぱこれちゃんとした人なんだなみたいな肩書きで。それはやっぱり肩書きっていうのは信頼性みたいなのにつながるから、一定ファクトとしてみんな使ってるっていうのはあると思うけど、そういうのに左右されちゃう我々というかね。それも物悲しいですよね。
ウェブサービス作ってますよね。多分損すると思うんですよね。その意味では。
まあ。
そう、スリルとはならないじゃないですか。少なくとも。
まあ、実績は言ってないもんね。あるのに言ってないみたいな。
手摺りのトピックですけど、らしさは他人の視線によって育てられる説っていうのを見てて。
その要は、らしいねって言われた経験が、逆に自分のキャラを決めてるんじゃないかっていう。そういうとこらしいよねって言われたら、あ、そうなんかって思って。自分はそういうキャラだって思うみたいな。
客観的事実として自分のパーソナリティを確立していく。
で、あ、このキャラで行こうって無意識に選んでるんじゃないかって。
確かに。そうなんですよね。確かにね。それすごい鋭いね。結局、個性がとか自治ががとか個人主義がとか言うけどさ、大体ないじゃん。
大体の場合、そんな主張ないじゃん。だからそれをキャラ付けするみたいな。それを誇張したのが芸能人とかああいう世界だと思うんですけど、インフルエンサーとか。
確かに基本的にない中でどう色付けしていくかっていうときに、他者からの評価をヒントにして、あ、そうかこの路線でこういう見方されてるからこういうふうに振る舞えばこう思われるんだみたいな。
そういう逆説的なリバースエンジニアリングみたいなセルフプロデュースを。
リバースエンジニアリングみたいなセルフプロデュース。
久々に言ってましたね、横文字の。元は自分の、言ってそんな個性ないじゃないですか、人なんて。大体何かの受け売りで構造化されてるわけだけど。
あえてそこを確かにそうだよね、周りからの言葉とかを引っ張ってきて作り込んでいくみたいなのがあるよね。
求められてる自分になっていくっていう。
それも後々辛くなっていくんでしょうね。
自己認識の葛藤
辛くなっていくんだよね。でも本当そうだよね。でもさっき言った芸能人とかインフルエンサーってそういうことでしょ。
そうでしょうね。
結局評価で自分のセルフプロデュースをしていくから、どんどんきついよね。
で、本当の自分じゃないのにめちゃくちゃ叩かれるんだもん。
違う、私そういうんじゃない、本当は違うんだよっていうことで、めちゃくちゃ嫌われたりとか叩かれたりするっていう。確かに病むよね。
自公認識が一生確立されないんだから。
あと演じなきゃいけないし。
そうですよね。
ああ、的確ですね。すごいね。
今言ってる事例としては、落ち着いてるよねって言われ続けたせいでテンション上げられなくなった時期あった、俺みたいな。
すげえリアルだ。
リアルかつ嫌味っぽいなよ。
それに対して一緒に喋ってる人は、確かにらしいって言葉ってある意味呪いでもあるかもみたいな会話の事例はあります。
うまいですね。
らしさね。らしさの十字架ね。
これ落ち着いてるよねって言われ続けたせいでテンション上げられなくなったって、別に僕遠くないんですよね。
僕、割と僕のキャラクターって思い込みで決められてるタイプなんです。結構。
だから変な事、確かに僕できない。しないけどできない気もするな。
でもTAZAWAさんの謎の周りからの先入観ってあるじゃないですか。スポーツで死なそうとか、飯食べてなさそうとか。
そうそうそう。全部ひどいですよね。
そうなんですね。捉え方によってはだいぶ抽象とも捉えられるような事を言われたりするわけなんだけど。
そうそうそう。
それやっぱ引っ張られちゃってあるんですか。そういう大人しい食いようとか。
そうなん。そうですね。でも自分はそういうキャラなんだっていうとこもありますね。確かに。
テンション急に上げないみたいな風に思われてるだろうし、急に上げたらびっくりするかなとか。
それはびっくりする。ちょっとみんな怖がると思う。
そうっすよね。前元お笑い芸人の人と喋った時に、その人のそういうキャラってお笑いの芸風と考える時にすごい大事だって言われてて。
だから僕みたいなタイプがお笑いやるとなって、一発ギャグとかそういうことやっちゃダメなんですよ。引いちゃうから。
キャラクターとしてそうなんですよ。期待してないし。
激しいから。そっちの違和感の方が勝っちゃう。
確かにな。ただ逆にギャップでめちゃくちゃ面白いから。全然思ってたのと違ったみたいな。急にインディアンスみたいなノリで一発ギャグやられたら相当びっくりしますね。
それで言うと、アンジャッシュの渡辺が一発ギャグめっちゃ面白いんですよ。
あの感じで。
はいはいはい。シュッとしたあの感じで。
知的なコントやる癖ですね。ギャガ、実はギャガっていう。
でもそうね。だからそういう魅力もあるよね。あえて外してっていうね。
でもそうなんだよな。結局だからそういうズレというか思ってたのと違ったみたいなのも魅力につながっていくから、やっぱりこの難しいよね。
この自己確立っていうのはさ、なんか期待されてるものだけ答えていっちゃうとありきたりになっていくわけじゃない?
自分も合わせてるだけだから、一向にアイデンティティが確立されないっていう。
確かに確かに。
でもちょっとズレとか痛さみたいなのが必要になってくるからね。
そういう意味で過敏になる人とならない人で別れるというか、やっぱりなる人がやんでいくんでしょうかね。
ジャスティン・ビーバーの例
なと思いますね。本当でも本当そうだよね。
話ずれちゃうけどさ、ジャスティン・ビーバーがすごい小さい中学生ぐらいからやってきて、ずっと延々とパパラッチに追いかけられすぎて、
最近ちょっとおかしくなってきてて、結構本当に気候というかさ、ちょっとおかしくなってきてるんだけど、
すごい小さい頃のジャスティン・ビーバーも同じようにパパラッチに追いかけられてるんだけど、
すごい小さい頃のジャスティン・ビーバー本当可愛くて、本当こんなに注目されてることがやっぱり自分がスターとして見られてるっていうことの実感につながるから、
結構写真撮ってくれて嬉しいよみたいなことをパパラッチに撮られながら言ってる映像とか見てて、
涙が出そうになるんですよ。それが結局今めちゃくちゃパパラッチに追いかけられて、
マニマニマニマニマニマニマニマニマニとか言って、お前らは金、結局あれだろ俺の写真を撮って金だけが目当てのお前ら、
お前らは目先の金しか興味ないんだろうみたいな、俺なんか興味ないんだろうみたいなことをパパラッチに対して言ってる映像とかがバズってて、
だからもうその自己認識がさ、どんどんどんどんずれてって、極致まで行っちゃったみたいなのがやっぱり僕はジャスティン・ビーマンだと思うんですよ。
だからすごい純粋無垢なあの少年、だからその時は自己紹介、そういうセルフプロデュースもありのままだったけど、
どんどんこう他社からの評価でどんどん崩れてっちゃったみたいな。
よくあるじゃん、ハリウッドセルフ、なんか子役の子って大体こう、みんなこう、高齢カルキンじゃないけどさ、どんどんこう、
その周りからのイメージとあの時の、そこからのこう、自分のブランディングからこう抜け切れなくて、
もう自己認識がずっと合わないまま、人生がこう、どんどんどんどんやばい方向に進むみたいな。
だからこれ自己紹介ってすごい大事ってことですよ、自己認識、自己紹介って。
SNSと自己表現
そうですね、だから確かにその芸能人あるあるじゃないですか、そこのクッチャップで苦しいなと思って、
でこれAIがね、こう言ってて、意見としては、自分らしさってSNSなかったら出てこなかった概念かもって言ってんすよ。
あるほどね。
確かに、SNSによって芸能人がやってた感覚っていうのを僕らがやってるんですよ。
いやこれそうなんすよ、ほんと素晴らしいね、この意見ね。
さっきも言ったけどさ、基本的に僕らなんて別にそんな自我とか自己主張とかなかったんだよね、そもそも。
そういうの発信する場もなかったからっていうのもあるし、それは別世界の話だったんだけど、
それが自分にもスポットライトが浴びる機会があるっていうのを認識しちゃったから、そういうふうな。
比較ってものを知ったってことなんですね。
知ったってことなんですね、これはすごいですね、ほんとに。
だからこれまたエアーが言ってるのは、他人と比べないってよく言うけど、らしさって他人がいるから生まれるよねって。
いや深いね。
比較があるかららしさが生まれる、皮肉。
いや深いっすね。
逆にほんとに誰とも比べてなかったら、自分の形って見えなくないって。
いやこれ深いっすね、これすごいねやっぱ。すごいこと言ってるよ。
要はその闇がないと光がないみたいな話で、やっぱりすごい表裏一体なんだよね、たぶんねこの話ってね。
そう考えると難しいよね。
確かに他人と比べながらも自分の落とし所を見つけるって難しいですね。
難しいよね。
僕は他者と比較して自己認識はどっちかっていうと否定派なんだけど、
ただ難しいのは他者と比較することで、自分の幸福とか自己認識もある種チューニングしていけるみたいなとか客観的に把握できるから、
必ずしても不幸なことではないよなっていうのをちょっと今思っちゃって。
僕はSNSとか写し鏡的なとこもあるし、それに引っ張られちゃうみたいなとこもあるから、あんまり好きじゃないみたいなのはあるんですけど、
ただ一方で自己確立みたいな側面で言うと、他者からの評価があって、そこで初めて、それって別にSNSじゃなくて、なんか自己表現したい人ってそうじゃないですか。
表現して、それに返ってくる反応を見て、自分をどういうふうにしていくかっていうのを決めていくっていう作業だから、
やっぱり一概にそれがない世界っていうのもちょっと寂しいのかなみたいな思いますよね。
本当自分だけで生きていくみたいな感じになっちゃうじゃないですか。3人の評価なんて関係ねえみたいな。
確かにね。僕今趣味で個人開発してアプリ作ってるんですけど、やっぱりUI UXとか色々考えてる中で、自分らしさと戦ってますね。
いや普通に作ってて、いやこれ果たして自分らしいかなって色々苦しんでますね。
僕がこれ作って、これTAZAWAさんらしいわって思われるものを作りたいって思っちゃってるとこで戦ってるんですよ。
で、全然普通だなみたいなところで進まないみたいな。
そうっすよね。でもわかるなそれ。それもでもいい話ですよね。なんかすごい大事な葛藤なような気がするんだよな。
いわゆるクリエイティブっていう世界の話ってやっぱ大事なんですか。作家性というか。誰が作ったかってすごい重要だと思うんですよ。
でもこれあれなんですかね。有名なアーティストとかミュージシャンとか画家とか含めて、その人らしいじゃないですか。いつも作品が。
もう絶対にその人が作った曲だなって分かってるじゃないですか。
分かりますね。
あれってやっぱり自分らしいかどうかってこだわりながらやってるんですかね。
いやこれね。だから僕はそう思ってる派で、っていうのも僕ちょっと前まで学校行ってましたけど、その学校がやっぱただのデザインの学校じゃなくて、
いわゆる作家さんなんですよ。デザイナーというよりどっちかというとアーティスト寄りに近いというか、めちゃくちゃ意識してましたよみんな。
どれくらい自分の領域っていうのをちゃんと自分で認識して他社と比較して確立できてるかっていうのをめちゃくちゃみんな考えてましたね。
なるほど。
やっぱすごいアイデンティティーを意識してるなっていう。僕なんか商業デザイナーだからさ、アイデンティティーなんか出せないわけですよ。仕事では基本的に。
作家性なんてクソほどにも価値ないんで。だからなんかそういう世界から見た僕から見るとめちゃくちゃ意識してましたね。だから自分が作る意味とか。
でもアイデンティティーを意識すべきタイミングというか、要するに素人、全然未熟の時からアイデンティティー意識したところで何それってなるじゃないですか。
なりますね。
だから逆に言うと、最初の頃こそそんな意識せずに思いつくままにやりまくって、結果的に周りがそれっぽいって認めてきた時に初めてらしさに自分で気づくぐらいでちょうどいいんじゃないかなって。
確かに確かに。研ぎ澄まされていくというかね。だから結構これもパターンがあって、僕は基本的にバンドとか音楽とか特にそうですけど、
野良というか師匠とかは別にいないし、いきなり始めて自分で研ぎ澄ましていくじゃないですか。そのパターンもあれば、例えば師匠みたいな。
90年代の個性の重要性
アートとかデザインとか芸事で言うと師匠がいて、師匠の系譜を持つみたいな。血をちょっと預かるみたいな感じで、そこから自分のアイデンティティを作っていくみたいなパターンもいるし、デザインの業界は割と師匠性が多いなっていう気がしてるけど、
音楽はやっぱりちょっと違うよね、またね。本当に独自というか、すごい独立して戦わなきゃいけない感じはありますよね。誰かに支持するとかあんまりないもんね、本当に。
確かに黒い目の清原が言ってたんですけど、自分らの世代、90年代ってみんな癖だらけだったんですよ。で、やっぱりあれ分かってたって言ってました。癖がなかったら売れないって言ってた。
本当ですよね。でも本当でも、今よく個人の時代個人の時代とか言うけどさ、90年代の個性の強さって異常でしたよね。
だいぶ調べられましたよね。すごい、よくも悪くもみんなクオリティ高いからですね。すごい一定以上のみんなちゃんとしてる感じというか、やっぱり90年代ってちゃんとしてるかどうか、みんなちゃんとしてる人も多いけど、すごい悪というかさ、ちょっとでも変わったことはしようみたいな
例えばモノマネされるぐらいの個性っていうのがあの時はあったんですよ。
だからそれが結局フックというか売れるきっかけになったりっていうのはあるからね。本当そうっすね。
どうでしたかね。
これね、すごいね。さっきの結構痺れましたよ。他社からの評価に比較することで自分が浮き彫って見えてくるみたいなのが、すごい僕からは出てこないはずなんですよ。
確かに僕も出てこない。議論の稼がさせる材料としてはすごくね。
すごいっすね。さすがですね。観点の鋭さがやっぱり。
ナティブアイデンティティーはどうでしたかね。
ナティブアイデンティティーはあんま分かってないんですけど。でもちょっと分かったのは、自己紹介っていうのはただの形式ばったものというよりは、どちらかというと相対的に研ぎ澄まされていくものでもあり、
僕は批判的な方なんですけど、なんかちょっと粋なところを感じたというか、見方によっては面白くなるなっていう。そして色んな人にそういうことをプレゼンすることによって、いい影響も及ぼせるんじゃないかなっていう。
ちょっとカッコつけすぎずにピエロになってみたりとか、そういうのも悪くないかなと今ちょっと思いましたね。
企画の進行
移行時だったからちょっとチャッピーに言われるまでは。本当に苦手だから自己紹介なんですけど。
素晴らしいと思います。
そんな感じでね。こういう企画ね、ちょこちょこやっていこうかなと思って。
これいいですね。いいネタを提供してくれて。
ネタを作らせるための指示とかがいろいろ工夫しなきゃいけないんで大変だったんですけど。
そうですよね。ここまで来るのがね、確かにそれはありますよね。
はい、ということでね。じゃあそんな感じで今日は終わります。ありがとうございました。
ありがとうございました。
39:45
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