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スピーカー 2
どうも、TAZAWAです。
スピーカー 1
WATAです。
スピーカー 2
僕のいろいろ話したいことのメモから、ちょっと話していこうかなと思うんですけど。
スピーカー 1
はい、紹介していきましょう。
スピーカー 2
今日こそ本題に入れることを願って、前回前々回んと本題に入らないまま終わったんでね。
スピーカー 1
いやいや、ちょっと待って欲しいんですけど、本題に入ってなかったんですか?
スピーカー 2
そうですよ、だってファッションのやつは、最初にちょっとその話で掴みを。
掴みですか?
スピーカー 1
前説ですか、あれ。
スピーカー 2
その前の横浜も、あれで一本いくつもりはなかったんですよね。
スピーカー 1
勘弁してほしいですよ。
どういう台本でやってんすか?
台割りどうなってんすか?
スピーカー 2
意外と何喋ってもね、盛り上がる。
スピーカー 1
本題に行けなかったでも本末、伝統なんで。
スピーカー 2
今日こそね。
スピーカー 1
本題からちょっと切り込んできたら大丈夫なんだよな。
スピーカー 2
そうですね。
どうしようかな、仕事とか。
コミュニケーションの話でご機嫌を伺ってみようかなと。
スピーカー 1
ご機嫌をね、最近もう決め台詞になってますね、ご機嫌伺ってく感じに。
入らせていこう。
竹田さん、竹田さんのね、あれですけど、竹田さんが商標取ってる感じになってますよね。
スピーカー 2
仕事のね、コミュニケーションというか、気持ちのいいコミュニケーションというか。
これ前もしかしたら僕が、僕自身が心がけてるみたいなことでこの番組で言ったかもしれないんですけど。
スピーカー 1
そういうことを実際にされると、すごいやっぱり印象がいいなと思ったから、ちょっと紹介しようかなと思うんですけど。
スピーカー 2
なんか仕事で、誰かにわからなくて聞くことあるじゃないですか、当然。
そんで、聞いたけどその人がわかんなくて、
すいません、わかんないですってなって、ちょっと他の人に聞いてもらった方がいいかもしれないですみたいな感じになって、
また他の人に聞くことあるじゃないですか。
他の人に聞いて解決した場合、やっぱり最初に聞いた人に報告してあげるかどうかってところなんですよね。
で、僕は絶対するようにしてるんですよ。
最初わかんなかったっていう人に、すいません、誰々さんに聞いたら、実はこういうことらしいんで、一応報告させていただきますって絶対言うようにしてるんですけど。
これ意外とね、してくれない人多くて。
なんか聞かれて、逆の立場で僕が聞かれて、すいません、わかんないですって言ったときに、やっぱりわかんないってことは僕が気づいた瞬間じゃないですか。
だから確かにそれってどうなんだろうってもやもやちょっと若干するわけですよ。
スピーカー 1
だから解決したら教えてくれるとすごい僕も嬉しいというか。
スピーカー 2
だからなるべくするようにしてるんですけど、この間ね、それをされてる人がいて、
僕だから、わかんなかったからすいません、ちょっと他の人に聞いてもらっていいですかって言って、
他の人に聞いて解決してたらしいんですけど、それをわざわざ報告してくれましたね。
さっきの件なんですけど、聞いたらこれこういうことでしたみたいな。
すごいやっぱ、なんか印象よくなりましたね。
スピーカー 1
そうですよね。結局だから配慮もあるし、情報の共有もなしてるから、仕事としてはやっぱすごいスマートじゃないですか。
やり方もそうだし、印象のとこもそうだと思うんですけど。
スピーカー 2
普通、やっぱり自分が解決した瞬間にスッキリするから、それまでのことって忘れるんですよね。
でもそこであえてわざわざ教えてあげるところで、わざわざっていうのがすごくいいなと思う。
スピーカー 1
ステップとして、要は自分が物事を解決したっていうことじゃなくて、
タダさんもわかんないって言ってたなって、これを教えてあげると今後いろいろ、またタダさんに誰か聞いた時にもあれになるかもなとかね。
いろんな配慮が見えるじゃないですか。
された側としてはやっぱ嬉しいわけですね。気に留めてくれたというか。
スピーカー 2
一歩踏み込んだ気遣いっていうものができる人なんだなって思って、
わりと実はそういうタイプの人だと思ってなかったのに、わざわざそれをされると一気に印象良くなったってことが最近あったんで。
本当以上にいいので、こういうケースって結構あると思うんで、日常的に。
スピーカー 1
ぜひね、やってみるとすごく印象良くなると思う。
スピーカー 1
だからやっぱり関わった人、関わっている人の顔を浮かべて、コミュニケーションっていうのを目的達成っていう意味じゃない形で関係の情勢じゃないですか。
そういうふうに捉えられると、やっぱり人の顔が浮かぶかどうか大事じゃないですか。
自分の目的よりも人の顔が浮かべば、そういう配慮みたいな気遣いみたいなのが生まれたりするからね。
スピーカー 2
そういうので似たやつで、この間たまたま僕がそういうケースがあって、僕が実際やったことなんですけど、
例えば自分が教えたことがきっかけで、トラブルになるというか、トラブルとまでいかなくても、自分が教えたことが実はよくちょっと間違ったかというか、
僕に聞いてくれて僕が答えて、それを元に他で喋ったときに、それはちょっと別のあれなんで違いますみたいになったときに、
そこは自分が前に出て、すいません、これは僕が言ったやつなんでって言うことってすごく大事だなと思う。
そこで逃げると、そういう人だと思われるから。保身の人だと思われるから。
でも結果的にどっちが得するかって言ったら、前に出て謝ったほうが自分が言ったことなんで、この人は僕の言った通りにしただけなんでって言ったほうが、結果的には印象よくなると思う。
スピーカー 1
これ本当に、僕の場合かもしれないけど、本当によく見るね。
この結局、多分この人のせいじゃないんだけど、たぶん会議とかに同席してる、この人が言ってたやつを代わりに言っただけだけど、
何というか、出席されてるみたいな光景をめちゃくちゃよく見て、でもさ、あれ本当に言わない人多いよね。
ほとんど言わないですよ、普通。 言わないよね、あれ。
でもさ、周り気づいてるじゃん。あれ、これ、この人が言ってましたよ、みたいな。あれだから損ですよね、あれね。
スピーカー 2
それ、自分のせいになりたくないから逃げてるんだと思うんですけど、あれは逆で。
スピーカー 1
あれ逆だよね。あれめちゃくちゃ損だと思うよ、あれ。
あれだって、みんな気づいてるからね、しかも。いやいや、これあの人が言ったやつだから。
なんであの人言わないな、今みたいなね。みんな思ってるからね、あれね。
スピーカー 2
あと逆にみんな気づいてなくて、握れるケースでも言った方がいいと思う。
まあそうだね。 あとわざわざ言うんだ、この人ってなるから。言わなくていいのに。
スピーカー 1
そうだね。だからそこはちゃんと、そのね、事実関係をつまびらかにできる人っていうね、印象に変わるから、
ポジティブなブランディングしかないわけですけど、大体でもやっぱり逃げのね、逃げの工場というかさ、
こう守りの姿勢。守りと逃げの姿勢に陥りがちですよね、ことビジネスシーンにおいては。
スピーカー 2
だからなんかこういうコミュニケーションの仕方って、昔も今も変わらないはずでね。
うーん。
なんかこういうところの仕事術というかコミュニケーション術みたいな話って、昔より今の方が若干希薄なような気もするから。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
なんか大事、逆に大事だと思いますね。目立つからちゃんとしてる人が。
スピーカー 1
そうなんですよね。なんかこう、特に私とタダさんのいる業界って、やっぱり物事の見方とか捉え方とか、
あとはやり取りってすごいドライじゃないですか。基本的にやっぱちょっとドライすぎると思うんですよ。
で、なんかそれが結構良しとされてるというか、あんまりそのウェットに捉えないこと自体が、さもクールな感じというか、そっちの方がクレバーとか合理的だみたいな、
そういう感覚すらあるんですけど、だからこそすっごい大事になってくるんですよ。
スピーカー 1
なんていうんだろうな、合理性みたいなところでみんなコミュニケーションすれば、仕事もできると思われるし、仕事ができてるという評価にもつながるみたいな、
っていう中で生まれてるコミュニケーションって、本当に信頼性を損なっているコミュニケーションが日々めちゃくちゃあると思ってるんですよ。
もうちょっとしたやり取りでも、信頼性を得るよりも信頼性を失っているコミュニケーションをしまくっている人は、
すごいいるだろうなっていうのは、別に偉そうに言うわけじゃなくて、みんな多分これ感じてると思うんですよ。
なんで今これでこれ言うとか、ちょっとした配慮なんですよ。
それって仕事ができてる、できてないじゃなくて、人に対しての配慮があるかどうかっていうのを、みんな結構、実は気にしてるし、
そういう場所で働くと、自分の精神的な衛生面も良くなる、ポジティブになるっていうのは、みんな分かってると思うんで、
意外とみんなそういうとこ見てるよっていうのを、気づかずになのか、結構だから一等的なのか分からないけど、真逆のことをやる人多いですよね。
大体それ言ったら物質系な感じにならないっていう言い方を、あえてしちゃってる人とかいたりとか、会話だけじゃなくてテキストのやりとりとかでもよくあるし、
別にその言い方、あえてその言い方しなくてもいいんじゃないかなみたいな。でもそれを言うことで、丁寧に仕事ができてる風にしてる私っていう、
多分そういうイメージでやられてるんだと思うんですけど、人に対してはすごい失礼な物言いになっちゃってるとか、すごい冷たい物言いになっちゃってるみたいな、
往々にしてあるんで、かなり意識的にやれば、やらないと変わらないのか逆に言うと、っていうのは感じますけどね。
スピーカー 2
仕事の能力なんて意外とみんな変わらなくて、だけど実際大事なのは、この人と仕事がしたいって思われるかどうかなんですよ。
その差ってめちゃめちゃ人によって違うんですよね。能力が云々を考える前に、信頼される人になろうとする方が圧倒的にコスパが高いから。
スピーカー 2
勉強になって知ってるふりするとか、本当は知ってたりとかそういうのってすごいわかるんですよ。ダサいから。やっぱりそういう態度を取っていくと言いにくくなるから、この人にはちょっと、僕もいますもん人によって、この人リアクションいいから何でも教えてあげたいって思う人もいれば、めんどくさいからもう言うのやめようって思う人もいるんですよ。
そうでしょうね。
そうなってしまったらもったいないからね。やっぱそれは、最近僕習い事をやっぱりよくやってるなと思って僕、この番組でまだしてないからボイストレーニングにね、もう半年前くらいからかかってるんですよ。
その前からボクシング行ってて、ボクシングもあれ結構習い事的要素が強くてね、ちゃんと一対一で教えてもらったりするから。そうするとね、習い事をする意味って僕やっぱそこにあるなと。これ話前もしましたけど、改めてボイトレも通いながらボクシングも行って、はしごしてるから一日でね。
スピーカー 1
どんなはしごなんだって感じですけどね。
スピーカー 2
そうそう。だからまず発声とかね、いろいろ指摘をされて、その後にボクシング行って体の使い方をいろいろ指導され、自分なんて持っちゃダメだからもうもはやね。
だからそこのなんか、自分をなくす意味というかね、すごい感じながらやってて。やっぱね、めちゃめちゃいい生徒であろうという風に僕は思ってますよ。
スピーカー 1
生徒力ね。
スピーカー 2
生徒力。やっぱり教える人にとって、こんな生徒がいたら理想的だなっていう都合のいい生徒になれるかどうかなんですよね。
やっぱりそのためにはどうしたらいいかなというか、言われたことをしっかり次の次回までに努力して高めようとしてる姿勢をね、ちゃんと作っていくとかも含めて、教えてる側としてはね、やっぱり嬉しいことだと思うし。
で、そうしてやっぱり理想的な生徒になって、で、教えてる側も気持ちいい関係になったら、結果的に僕も成長してることになるし、なんか人間関係として習い事してるなっていう感じを大切にしてますね。
スピーカー 1
でもなんか、そうなんですよね。指定関係とかまさにそうだと思うんですけど、思想力も大事だけど弟子力も大事。
これ以前話したような気もするんですけど、なんかね、良い意味での予定調和って僕すごいでも大事だと思うんですよ。
ありがちなのが、大学とか、社会人スクールとかでもあるけど、気をてらってじゃないけど、師匠も気づいてない観点を提案することに躍起になる人っているじゃないですか。
スピーカー 2
遺跡を閉じるじゃないですけど。
スピーカー 1
だからまあ、それはね、キャラクターとしてありの部分もあるのかもしれないけど。
スピーカー 2
それ、その時やることじゃないから。
スピーカー 1
そうなんですよね。結局そうなんですよ。なんかこう、それってすごい、ある意味めっちゃナンセンスだし失礼なことでもあるみたいなとこはあるから、
なんかね、それをあえてしちゃうみたいな空気になった時に、割ともう破綻してるような感じもある気がするというか。
スピーカー 2
やっぱり、間違いを指摘しやすい生徒でいたいなってすごく僕は思ってて。
そういうふうに思われる努力をしてますね。言いやすい。だから言われた時にちょっと言い分けしたり、いやちょっとみたいなことを言うのって本当に良くないんですよ。
もう言いたくなくなるというかね。
だからもういかに間違いとか言われた時にいいリアクションをとれるかというかね。
なるほどっていうかね。確かにそういうとこあります。だから僕はね、自分の言葉でね、もう一回復習をして、確かにこういう感じでやってたから、
多分そういうふうになってたと思いますみたいなことを言うようにしながら、教えてもらったりとかしてますけど。
だから僕ボクシングでね、さっきの話はボイトルですけど、ボクシングの方でも結構僕ね、他の会員の人にすごいアドバイスもらえるんですよね。
言いやすいんだろうなと思ってるから、僕はそこが良かったなと思ってますね。
僕はボクシングの方ではさほど、何だろう、あんまり考えてなかったんですけど、結構マスボクシングとかで一緒にやってくれた人に、
僕が言えるようなことでもないかもしれないですけど、こういうとここうするといいかもしれないですって毎回誰か言ってくれるんですよね。
スピーカー 1
それはありがたいなと思って。
だから、言って響く人じゃないと言いたくならないこともあるからね。
だけど、基本的にこれ冒頭の話と一緒で、基本的には言われないようなガードを作りたがる人って。
そうなんですよ。
これデフォルトで。
スピーカー 2
これは、そうですね。
だからこれは努力しないとガードって解けないから。
スピーカー 1
そうね。
スピーカー 2
だから本当に難しくて、ガードしてない、言いやすい、好きがある方がかっこいいっていうか、人間として優れてるという感覚を無理やり持つことが大事だと思って。
スピーカー 1
これはだから、最初の方の話、合理的に考えてこの方が得みたいな方につながる話なんですけど、
やっぱり突っ込まれた時に面倒くさくならないように処制する、処制術っぽい感じって、ビジネスシーンにおいてはすごいあるなと思うんですよ。
要は、今おっしゃられた通りですけど、言われないようにするというか、言われないようにするのが一番楽、自分的に楽というか、
要は自分の都合になっちゃうみたいな話なんだけど、
だいたいそういう処制術にはなってますよね。
もうそれが一番合理的で、面倒くさくない。
スピーカー 2
ていうかね、もう言われなくすることなんて簡単なんですよ、そんなの。
言われてない人が能力があるから言われてないって思ってるかもしれないけど、それはね、勘違いで、それ言わせないなんて誰でもできるんですよ。
スピーカー 1
本当に、この歳になったらね。
だから、さっきのガードを作るのもそうだし、あとは極端に存在感を消すとか、無の存在になるみたいなのもできるじゃない。
もちろんあんまり人とそういうところでコミュニケーションを取りづらい人もいるだろうから、一概に責められる部分ではないんですけど、
割とこう、現代的な感覚でいうと、そっちが正解の攻略法になりつつありますよね。
なるべく気配を消して、目立たないようにして、指摘をされないようにする。
スピーカー 2
もちろんだから、僕が言ってるのは、成長したい人に限るって話ですよね。
スピーカー 1
成長したいんだったら、やっぱガードしてたらね、ていう。
でも、成長を望まない人においても、ある意味逆説的に、シチュエーションが、なるべく目立ちたくないとか、
別に私良くないんですっていう状態はわかるんだけど、
でも、刺激されて、その方が結果的に良かったって気づくときって、後々ありませんとか、
親から怒られてたことが、後々聞いてくるみたいな話ですけど、
口うるさく言われてて、当時うんざりしてたけど、結果あの時言ってもらっといて良かったなみたいなのって、割とあったりするんで、
結果的にやっぱ、嫌かもしんないですけど、ある程度指摘なり、いろいろ被弾しておくというか、予防接種しておくみたいなの方が良い気がしますけどね、個人的にはね。
スピーカー 2
だって最終的に判断ってどこかでされるかって言ったら、最終的には自分の能力で判断されるわけだから。
スピーカー 1
そう、そうですね。
スピーカー 2
でもまあ、本当に、僕がだから良い生徒でいたいというか、思えるのは、この人に教えてもらいたいって人に出会って良い関係が作れてるからこそではあるから、
だから今のね、僕のボーイトレの先生の方がすごいなと思ってて、僕は本当に尊敬をね、しながら通ってて、
なんかこれはあの、ちょっと前に英語のね、オンラインスクール帰った時に、厚英語師ね、厚英語師がもうストイックすぎて、
もういやここまでストイックで勉強してる人が先生やってて、生徒の誰よりもリアルタイムで勉強してるから、
こういう背中を感じ取りながら、関係を作っていくっていうことが、教えてもらうっていう関係性として理想だなって思うんですよ。
ボーイトレの今の先生もやっぱりそうで、なんかね、2週間に1回行ってるんですけど、行くたびに新しいメソッドを言ってくるんですよ。
アイテム作って。
なんか先生が言うには、やっぱり歌って感覚的なことだから、口で説明したりとか、いわゆる教科書的なことを言ったってわからないから、
身の回りにあるボールとか、いろんなものを使って、体感しながら体の使い方を覚えるのがいいっていうことで、
毎回ね、行くたびに100円ショップで買ってきたグッズを組み合わせて、オリジナルグッズ作って、ボールと和ゴムとかでヨーヨーみたいなの作って、
そのボールがヨーヨーから離れてくるときの感覚、戻ってきたときの勢いで声を出すっていうところで声を前に飛ばす感覚をとか、
そういうのを毎回新しいアイテム作ってくるんですよ。
で、僕も同じやつをちゃんと100円ショップに行って買って、今僕、おもちゃだらけなんですよ。
で、それ本当に先生すごいなと思って、生徒としてちょっと生意気ながら、いや、でも先生本当クリエイティブすぎません?って言って、
スピーカー 1
すごいですねって言って、そしたら、いやだってさ、生徒のみんな困ってんじゃんって言うんですよ、かっこいいなって。
スピーカー 2
困ってんじゃん。
いやだからそういう姿見ると、やっぱり先生が頑張って、だからリスペクトできる先生につけるから、つくからこそ、やっぱりいい生徒でいたいなと思う関係もできるなと思って。
スピーカー 1
確かにね。
スピーカー 2
やっぱそういう関係でね、なんか習い事できてるのが幸せだなと思うし、やっぱ大人になってね、こういう習い事する意味ってこういうところあるかなってやっぱ改めてね、思いました。
スピーカー 1
でもなんかその、確かに教える側の熱意とか、指摘する側の熱意ってすごいでも大事だなと思うんですよ。
だからこう、割とさっきの話で言う、指摘を怖がっちゃうとか嫌がっちゃうとか、あるいは合理的にそういうのを回避する生き方をするみたいなのって、やっぱり経験として、
そういうもしかしたら熱を帯びない、指摘にもいろんな種類があると思ってて、だからそういうあんまりポジティブな方じゃない指摘を受けた経験が、現体験が操作しちゃってるかもしれないから、やっぱさっきの弟子力思想力で言うと、思想力が高い人と出会うとその辺が変わるなかもしれない。
だから熱量が伝わったら、やっぱり答えたくなりますもん、だって普通に。で、その熱が、もしかしたら低かった自分の熱量を上げてくれるかもしれない、起爆剤になるかもしれないから、やっぱり思想力高い人と出会うっていうのがやっぱりすごい大きいポイントなのかなっていう。
だからそういう人とやりとりすると、やっぱり答えたくなるというか、ポジティブになるし、みたいな。でもそれは僕も去年学校行っててすごい感じましたね、やっぱ。熱量低い先生で一人もいなかったんですけど、答えたくなりますよね、やっぱね。
スピーカー 2
それなりの本気で向き合ってくれてる人として、本気で打ち返したいなみたいな気持ちは出るから、なるべく手を振りに来たくないみたいな。
まあね、でもそういういい先生っていうのに出会えるってこともあくまで欠陥のあるべきかなと思ってて、いい先生と出会うのを待ってたら、ただの多席になっちゃうから。
スピーカー 1
そうですね。確かにそうですよね。しまあ、そうなんですよね。いい先生だけならいいけど、決してそうではないですからね。
でもそれは行動の総量でいい先生と出会える確率は変わるわけですからね。そこは能動的にやらないといけないんですよね。
スピーカー 2
だから僕は普通のプライベートの人間関係の仕事も習い事も、やっぱり人間関係だから、一緒にいる人をサプライズするつもりでというか喜ばせるつもりでいると、結果的にその仕事も習い事も自分の能力も上がるとは僕は思うんですよ。
仕事のことだって一緒にいる人たちをハッピーにしようと思ってコミュニケーションを取ってたら、結果いいアウトプットをしてることになるだろうし。
習い事だって先生をサプライズするつもりで結果出してやろうと思ったら、自分も先生だってハッピーだしだと思うんですよね。やっぱり対人であるっていうことが大事かなと。
スピーカー 1
そうですよね。これだから過去にも話したかな。過去のいろんな話に繋がってるやつなんですけど、負の感情をどうするんだ理論。負の感情をどう処理すればいい説みたいな。
それは教える側、いわゆる立場が上の方もそうだし、下の方もそうなんですけど、下の方というか受ける側もそうなんですけど、あれちょっとまだ僕も答えが出てなくて。
怒りながら指摘するみたいな。行動としては普通自然だし、人は怒ってるっていう感情は何かの裏返しで怒ってるわけで、それをストレートに怒ってるからこう言ってるんだっていうのは間違いじゃない気がする。
親子の関係って親がそれをよくやるじゃないですか。こういうことで怒ってるんだみたいな。お前のために思って怒ってるんだみたいな。あるけど、それは理屈とかその成り立ち自体は間違ってないし、自然だと思うんだけど。
スピーカー 1
仕事において負の感情を振り回した時の、負の感情が、負のオーラ、組織的なオーラを含んでいくみたいなのは、日々今もそうですし、昔からも感じるんですけど、
だから、すごい不安なやつ。負の感情を持って怒っちゃった人が、例えば誰かすごい偉い人でいて、その方が伝染して組織的にネガティブな空気になるみたいな。あるあるだと思うんですけど、あれがいまだに僕正解がちょっとわからなくて。
だから、かといってポジティブに、すごいトゲトゲしいことを言わないマイルドな組織にしていくのも、それはそれで違うと思うし、ただやっぱ負の感情に支配されてネガティブになっちゃったりとか、大人しくなっちゃったりとか、さっきの保身に走るみたいなムーブは、結構さんざんばら見てきて、でもあんまり自分でも解決策がないやつなんですよ。
どっちがいいのか悪いのかって話じゃないかもしれないけど。
ネガティブな伝染は、自分で止めるかっこよさを自分で自覚するっていうのはあって、ネガティブだから自分もネガティブでいいかっていうのは、そうなりがちだけど、あえてここで止めた俺かっけーってなることが大事なんですよ。
スピーカー 2
これは悪口でそういう考え方を聞いたことがあって、やっぱり自分で止めるかっこよさを自分でわかっておくっていうかね。
スピーカー 1
そうそうそう。だからなんか、要はその、例えば誰か不のエネルギーを持ってバーってやっちゃった人がいると、それはしょうがないじゃん。そういうことはあるよ。
けど、受け取る側がその学面通り受け取っちゃうことがほとんどなんだ。だからこういう世の中になってるのかなって今最近思ってるんですけど、世の中とか社会的な状況もそうだし雰囲気もそうだけど。
そうなんですよね。だからその受け止める側が、それをこう逆にエネルギーというか、起点に変えてポジティブに変えちゃったら、これはまあすごいこう逆に言うとすごいエネルギーになるわけですよ。
これね、さっきね、あの大阪、話がどちらかってことなんですよ。さっき僕の旅の話で大阪編の時に話そうと思ってた話があるんですけど。
大阪人ってお笑い好きじゃないですか。あれ、なんでお笑いっていう文化が大阪にあれだけ土着というか定着したのかって、
要は大阪は江戸と違って武士とかが江戸は強かったんですけど、大阪って商人が一番強くて、すごい資本主義のね、日本で言うと一番資本主義な場所だったわけで、
そういう経済的に、そういうのを合理的に回そうってなった時に、すごいね、やっぱね、その武士だったら武力で強かったらOKなんだけど、商売って難しいんですよ。人間関係とか、
あとは商売上手くするアイディアとかなんかいろいろこうあるじゃないですか。そういう中で、その商売系がこう、なんかこう、
商売系がすごい強くなっていくと、そのコミュニティとか社会の空気がめちゃくちゃ悪くなっていく、悪くなってたんです。大阪の場合、そういう商業、
飽きんど精神っていうものが、すごい良いところではあったんだけど、ギスギスしたそういう社会というかコミュニティの空気を生み出しちゃって、これを何とか
良い空気に変えなきゃいけないって言った時に、その人はこう、人々はこう、お笑いという、そのなんか例えば何かを突っ込むとか、その偉い人に対して何かを突っ込んで、それを起点にして、
こう笑いに変えるとか、だからネガティブな空気だったからこそ、それをポジティブに変えなきゃいけないから笑いを使ったっていうルーツがあるらしいんですよ。
それが文化的にお笑いが定着した理由だっていう、すごい逆説的で僕すごい好きな理由なんですけど、だからネガティブな状況になった時こそ、ポジティブに笑って打ち返さないといけないんだと思う。
そのマインドを受け手側が結構持たないと、どんどん暗くなるし、それだと結局大阪が商業的に発展した理由って、ネガティブな空気をポジティブに変えられたからっていう側面があるわけでしょ。
スピーカー 1
それはビジネスシーンにおいて最も大事なことになってくるし、真面目に真摯にネガティブに、さっきの弟子力でいうと、単純にそれを言われたことをやればいいとか、言われてシュクシュクと真顔で悲しい顔をしながらやってっていうのじゃうまくいかないわけじゃない。
それをどうエネルギーに変えていけるかみたいな話だと思うから。だからおっしゃる通り、受け手側のいかにポジティブに打ち返せるかっていうのが、これね、受け手の話ってすごいでも大事ですよね、この今。
スピーカー 2
だから、これね、前も言いましたけど、いろいろ言ってる人がいたとしても、いろいろ自分に言われたとしても、その人がそう言ってるだけだから。
だから、決めつけだ押しつけだとかっていうのって、やっぱり決めつけ押しつけっていうのは、押しつけられたと思ってる人にしか存在しないんで。
スピーカー 1
そうなんですよね。
スピーカー 2
そんな事実はないから。
スピーカー 1
だからまあ、言っちゃった規制事実みたいな話なんですよね。
スピーカー 2
そう、自分の言い訳として都合よく受け取ってるだけだから。本来、相手と自分は関係ない話だから、この人こういう態度を取ってるだけだって済むはずなのに、伝染させる必要ないですよね。
スピーカー 1
だから、日本の今の社会的な風潮もそうじゃないですか。あくまで被害者、もちろん被害者っていう状態は感化できない状態ですよ。
被害者という事実で、そこだけを強調させて、被害とされてる被害というか、加害側も含めた、そういう社会的な空気の方を是正しなきゃいけないみたいな、そういうカウンターカルチャーっぽい風潮があるじゃないですか。
結構連動してるような気がしていて、結局、捉え方と受け取り方とそれをポジティブに変換する力で、その事実って結構、見え方とか捉え方が世の中的にも変わるんじゃないかなっていうこと。
ただただ悲観的な事実で、もう社会が悪い、世界が悪いみたいな捉え方をした時に、そうなっちゃうじゃん。そういう事実になっちゃうっていう世界観になっちゃったから。だから今、こんだけマスコミとかね、報道とかSNSとかがのさばって、そういう風に社会的な空気を作ってたりするわけだけど。
スピーカー 2
だからまあね、僕とかがこういうこと言うと、でも自分がそういう態度取ったからって何の得があるんですかってなるんですよ。だからそういう風に、そういうことじゃなくて、もうね、生き方として自己満足でいいんですよ、こういうのって。
まあ、そうでしょうね。 こういう判断をしてる自分がかっこいいなと思ってるだけで全然良くて。ネガティブに、そんな理由探してネガティブだから生まれるあれだからね。
スピーカー 1
そうなんですよね。だからそういう考え方の方が合理性で言っても合理的な感じはするんですよ。なんかこう自尊心的な話で苛まれなくて済むようになる気もするんですよね。
それは誰かから守らなきゃいけない状況で守られてないかわいそうな私から抜け出せるというか、要は自分の捉え方次第で状況っていうのが結構こう、いかようにでも変えられるっていう自信がつくわけじゃないですか。
客観的な事実だけとか客観的な評価だけで自分を判断するしかないからつらいわけで、それ自分の捉え方で変えちゃえばいいっていう。魔法みたいな話ですもんね、ある意味。
スピーカー 2
ネガティブ だから歯車であることを文句言うために歯車になりに行ってるから人は。
まあそうね。だから本当にそうですよね、そういう時に生まれる不幸というかさ、前田田さんが呪いっていう言葉で表現してくれましたけど呪いの話ですよね、結局呪われちゃうというか。
スピーカー 1
だから呪われた方が合理的というか、そういうとこあるよね、結局言葉選び難しいけど、虐げられてしまった方の、いわゆるマイノリティ的な感じの、これは守らなきゃいけないんだっていう方に乗った方が合理的だみたいな考え方が今ちょっとあるのかなと思うんですけど。
どっちかというと自分で事実を変えられていく、それもしかも自分の考え方次第で変えられていく方が絶対合理的ではあるわけじゃないですか。誰にも頼らずにそれできるわけだから。
スピーカー 2
だから呪いにかかってる方がいいっていうのは、鎮痛剤飲んでるみたいなだけだから。
スピーカー 1
対象療法だからね、ほんとね。それはありますよね。会社にいてもおつやみたいな会議みたいなのあるじゃないですか。
おつやをね、おつやみたいな会議があってもいいんだけど、おつやで終わらせる風潮みたいなのがあって、しかもみんな感想としては、おつやみたいな会議だったよねみたいな感想なんだけど、
それって終わり方とか締め方一つで変わるじゃないですか、おつやの会議って。笑いに変えるみたいなムーブがあってもいいし、もうちょっとポジティブに最後こう、わかんないけど、すごいくだらないしょうもない終わり方をしてもいいわけですよ。
それ一つで結構雰囲気って変わったりするんじゃないかなと思ったんですけど、やっぱね真面目だからねみんなね、すごいもうセオリー通りおつやをやるんだよね。
そうですね。
スピーカー 2
会議に関しては、おつやになってても僕が何かしてどうこうしようというモチベーションにならないじゃないですか。今の話だとWATAさんがそれできるか知らなきゃいけない話じゃないですか。笑
スピーカー 1
でもね、努力したいなっていうのがあるんですよ。会社の人ともこの前話したのはこういう話題になってちょうど。すごい賢悪な空気になりましたよねみたいな感じの話なんですけど、
やっぱこれ誰かが変な天然ボケみたいな人がいて、間に入って変な陽気な答えを返すだけでだいぶ変わりますよねみたいなことを話したから、まあ確かにねそういう空気読まない。
陽気なおばさんおじさんみたいな人がいて、それを打ち返すだけでも全然空気が変わるのかもなみたいな話をちょっとしたんですけど。
ちょっとすみません、だいぶ話が。これ本題に行ってます?
スピーカー 2
行ってます。5つぐらい話すうちの1つ目で。笑
全然これで大丈夫です。
スピーカー 1
盛り上がらなかったら次々行くアレで言ってたんで。
これは我々の良くないところですね。
スピーカー 2
これは大丈夫ですよ。僕ちゃんとしゃべりたかったんで。
スピーカー 1
よかったよかった。
本題じゃないところでこんな盛り上がってるって。国境も裸々しいですけど。
スピーカー 2
なんでね、どうまとめるのが良かったのかななんて思いつつね。
スピーカー 1
まとめるのは難しいですよね。
スピーカー 2
まあまあ、自分次第ということですね。
スピーカー 1
そうですよ。
さっきの最初に戻るとコミュニケーションのところで、
自分っていうところも大事だけど、人との関係、関連性みたいなのを考えると結構、結局自分にも良いことが起こるみたいなね。
スピーカー 2
そうですよね。だからその先の存得というよりは、それをやってること自体が楽しいなって思うことが大事だから、
そうね。
それが良いことであるっていうふうに知ること、そういう価値観が良いことだって知ることが大事かなと思うんですよね。なので話しました。
スピーカー 1
これは大事ですよ、本当に。
やっぱり社会と我々の生活って、なんだかんだフラクタルな構造。
連動してる感じはあるような気がするんですけど、そういう受け手側の、受け手側というか、
そうね、あんまり人が関与しない時代になっちゃったからかもしれないけど、ネガティブな空気が漂ってるような感じがしたんで、
僕もすごい今ノリノリで、ちょうどそういう空気を感じているというか、これは課題感としてどういうふうに向き合えばいいのかみたいな。
スピーカー 2
でもネガティブなことだというふうに認識しない方がいいんじゃないですか。
僕だって普通に、僕はあんま思わないな。
それは大事かもしれないですね。
言われたらそうかもしれないけど、おつやみたいな会議を見ておつやだなとは思わないと思う、リアルタイムで。
スピーカー 1
だからおつやと感じてるから、おつやっぽい空気を出しちゃうわけですよ。
スピーカー 2
おつやだなって思うから答えちゃうでしょ。
スピーカー 1
本番のおつやをみなさん想像してるんですけど、おつやでジョーク言えないじゃないですか。
本番のおつやで。だからみんなおつや側になっちゃうんですよね。
確かにそれは捉え方の問題っていうのはある。
スピーカー 2
これは今回のテーマと違いますけど、おつやだと思っちゃうと自分暗くなるから意味ないってだけだから。
スピーカー 1
まあそうなんですね。
おつやと捉えずにブレイクスルーしていけばいいわけですよね。
ブレイクスルーってこと?
スピーカー 2
ちょっといいですか、フラクタルってなんですか?
スピーカー 1
これフラクタルは今年の久々に言ったでしょ。
スピーカー 2
そうなんですよ。一個前のね、旅の回でもフラクタルっておっしゃってたんで。
スピーカー 1
フラクタルはね、今年の流行語大賞取りますよ。
スピーカー 2
フラクタルって言うかなんとかって言ってたから。
スピーカー 1
フラクタルは、僕もこれ完全にその、僕は最近横文字はそういうメディアから完全に受け売りで使ってるんで、受け売りですけど。
フラクタル構造っていう言葉があるんですよ。フラクタル構造。
例えば人間の脳の遺伝子と遺伝子の形状とかと、宇宙の形は大きいものと小さいものが構造が似てしまうっていう。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
これフラクタル現象っていうのがフラクタル構造っていうらしいですよ。
大きいものと小さいものがなぜか連動してしまうっていう感じなんですけど。
ちょっと本当にね、訴えますよ。出るとこ出ますよ。
失礼。失礼な対談。
スピーカー 2
聞いてる方も気になってると思う。
スピーカー 1
間違いなく気になってると思う。
スピーカー 2
フラクタル。
スピーカー 1
フラクタル?フラクタル?ってね。