大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行と酒が好きな原沢男性2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介しながらお話をしていきます。
内田です。 あるやです。 はい。
今回は、さざ波の出雲、縁結び、幽明の境を訪ねての4日目ですね。 はい。
なんか気づいたら雨が降りました。 雨が降りましたね。良かったね。雷も凄かったけど。 うん。
だから多分今回は、ゴロゴロしてないっていう。 そうだね。はい。
タイトルのこの回収の4日目っていう感じですかね。 もっかねてです。はい。
初めての4日目ですかね。 そうなんですよ。
確かにね、回るところがたくさんあって、結構移動もしてるけどね。 そうですね。
出雲の国全土を今回駆け巡ってるので。 なのでまあ、なかなか3泊も行けないよっていう方は、2回に分けていただくでもいいんじゃないかなと。
そうですね。 それだけの価値がありますので、出雲は本当に凄いです。
じゃあそれの締めとなる4日目ですね。 じゃあ紹介をお願いします。 はい。
前日、松江城から松江駅にかけてのホテルのどこかに泊まっているという想定。
車もね、空港で借りていますので、まだ返していません。 その前提でちょっとお話をしたいと思います。
で、4日目の最後のこの日はですね、もう松江の城下町の観光になります。 昨日飲んでるだけなのでね、松江はね。
でですね、早速なんですけれども、朝ごはんを食べに行きたいわけですが、 実はですね、この松江は朝から凄いんですよ。
目指す場所が松江城をまず目指していただきたいんですね。 松江城の敷地の中、もしかしたら前日水道路に行った方はね、メイン会社の一つなので行ってるかもしれないんですけれども、
朝改めて松江城の中に入ってほしいんです。 で、そうしますとですね、その敷地内に幸運画。
幸というのは起こす、没幸するとかの幸ですね。 興奮するの幸か。に雲は出雲の雲に画。金画銀画の画ですね。
幸運画っていう洋館があるんですよ。で、その中にですね、カフェがあるんですね。 これを亀田山喫茶室というんですけれども、この幸運画というのは明治40年に、
後に大正天皇となる皇太子様を迎えた時に建てられた芸品館。 これね、あの出雲市のお蕎麦の時に、県城蕎麦の話があったあのタイミングです。
松江でもね、一大おもてなしをしようということで、わざわざこの幸運画というのを作ったんですよ。
それがね、幸い今も残されているんですが、その1階部分にね、この喫茶店が営業してるんですね。
で、なのでもう100年以上前の建物のクラシックな洋館をそのままね、カフェとして使ってるんですよ。
これ写真見ててもすごいよ。 こんなところで朝食いただけるんですか?って感じだね。 そうなんですよ。
明建築で朝食をってパターンですね。昼食じゃなくて。 えーすごい。なんか恐縮しちゃうね、これ。 恐縮しますね。
本当に雰囲気がね、クラシックでいいんですよ。凛としてる感じで。 いやーでもいいですね。体験としてはやっぱりいいですね。
モーニングはすごく至ってシンプルなんですけれども、 フレンチトーストがね美味しいんですよ。あ、それかな?
綺麗なフレンチトーストだね、これ。厚焼き卵かなって思っちゃう。 そうそうそう。それかしっとりふんわりとしたね、フレンチトーストのモーニングがいただけるわけですね。
トーストもあったと思うのね。そこは好みに応じてだと思うんですけど。 これが朝9時からだったかな、確かやっていますので、それに合わせてね、行くとね、
松江城観光ではなくて、実はその前にこの朝ごはんを松江城の敷地の中で食べれるっていうことがね。
で、あの1階でカフェやってるんですけれども、2階があってそっちはね、いわゆる建物の見学が普通にできるわけですね。
で実際に皇太子様が、後の大正天皇が使った部屋とかまだ残ってるんですよ。 なのでそういった名建築を訪ねるという意味でも生きがいはあるかなという気がします。
上質なモーニングが続いてますね。 そうなんですよ。
ちょっとね、この建物もね、ライムグリーンみたいな感じでね。 ちょっとなんかね、かわいらしい色合いなんですよね、非常にね。
これが松江城の敷地の中にあるんです。 というのがね、まず亀田山区筆者室さんの話でした。
そしてそこから敷地の中を通って10分ほど行くと、いわゆる松江城の天守閣にたどり着くはずです。
これはね、松江の中でおそらく家淵は有名なね、観光地になると思うんですが、 いわゆる玄尊十二天守の一つとなります。
前も出てきましたね。 どこだっけ? どこだっけ?
どこだ? すごく作るのに苦労をしたのに残ってて報われたねって話をしたの。
すいませんね、本当に覚えられなかったね。
山内勝豊が作った高知城ですよね。 大雨で山というものが段々こしらえなきゃいけないし、
調査壁がなんか怪しい動きをしてるしみたいな中でどうにかこうにか作って、 高知の街を開いたっていう。
そうか、高知城ね。 高知城も一つですが、なので玄尊十二のうちの二つ目がね、このポッドキャストにおいては登場しました。
松江城ですね。 松江城を築いたのは堀代義晴という武将です。
この人はね、実は山内勝というの友達だったんですね。 土佐藩のね。
共に徳川家康側に関ヶ原の戦いでついて、それまではやっぱり秀吉に仕えてたりってキャリアも同じ感じで歩んできて、
共に家康側についたのでご褒美で堀代家は出雲をもらった。 山内家は土佐をもらった。
ということでね、その二人がやりました。
ちなみに大河ドラマ、光明月寺、山内勝というのが主人公の時は、 生瀬勝飛沙さんが堀代義晴を演じてね、最後までずっと出る役でね、いい友達として最後までいました。
堀代義晴はね、入ってきたはいいんですけれども、 その時ね、実はまだ松江という街はなかったんですよ、あんまり。
その当時の出雲の中心地は合山戸田城です。
毛利がね、それまで関ヶ原の西軍の総大将である毛利がね、 治めていましたので、中国司法での一員を。
毛利がそれで西軍で負けたので没収されて、出雲があって誰もいなくなって、堀代が入っていった。
けど毛利家はまだ合山戸田城、天越の名残でずっとそこで使っていましたので、 松江の街は全然まだなかったんですが、
先ほど見たように合山戸田城というのは、 要塞としてはもう十二分というかもう凄すぎる要塞だったんですけど、
もはや瀬戸原の戦いが終わった後なので、 戦いが起こることは多分あまりないだろうと、平和の世の中になった。
ってなると、逆にあの山の上にああいうものがあっても、 なかなかちょっとあんまりかなっていうふうに思ったね。
それよりはむしろ、今後は経済とか物流がより促進されて、 それぞれの藩はそういった産業元になり立てていかないといけないから、
やっぱり経済とかのね、政治っていうことをより考えなきゃいけないだろう。
そうしたときに、やはり出雲の治めるにあたって、 最大限生かせる長所としては水なんですよ。
水運というのは最大限生かせる場所はどこかといったら、
西に新宿、東に中海、その二大岸井湖の間に挟まれている一帯しかあり得ないだろうと。
それが末裔だったんです。
なるほどね。それはそうだね。
これは高知城と同じ理屈ですが、 川の中にそのお城を築くって大変なんですよ。
地盤が弱いので。
ところが末裔には幸いこの山がね、丘みたいのが一つありましたので、ここに建てようということで、
堀尾義晴時代からこれを建て始めたんですね。
これが1611年にできた国宝の天守です。
これ実はね、国宝になったのは割と最近の話なんですよ。
ここ10年くらいの話であって、なぜかというと、
それまでは松江城が江戸時代の初期からあったことは分かってたんですけれども、
何年に建てられかったかという明確な記録が証拠がなかったんですね。
ところがとある調査をしていた時に、柱だったかと思うんですけど、
この1611年という年号を刻まれたものが出てきたんですね。
つまり1611年という年代を確定した。
そうすると実はこれめちゃくちゃ早かったんですよ。
原宗中林天守の中でも特に早い部類に入る。
さらに南に行くと、西洋圏はね、その辺りにもあるんですよ。
なので徐々にホテル側に帰ってきてるっていうイメージなんですね。
ああ、なるほどなるほど。
ここでね、ホテルに1回帰って、預けていた車と荷物をピックアップして、
ここから車移動になります。
で、そこから車で10分ほど行ったところに行くのが、
寒田庵というところに行きたいと思います。
これは草冠の菅さんの菅ですね。
田んぼでいおりと書いて寒田庵です。
でね、さっきからちょっとちらちらに読ませてはいるんですけれども、
松江という町のね、1つ大きな特色があるんですが、
これはですね、お茶です。
佐渡の聖地として松江が有名なんですね。
なぜ松江にお茶が有名なのかというと、
これはね、日本の歴史上においても極めて奇妙な現象なんですが、
1人の人物がによってここまでのことになるってなかなかない文化なんですけど、
その正体というのがですね、松江藩の藩主、松平春里。
春里というのは伊見田なんですけれども、
合して不満という人物、松平不満として今歴史上長残っている人物なんですが、
この人のおかげで、実は今松江はお茶の町になってるんですね。
お殿様だったんですよ。
松平不満というのは、大体18世紀の終わりから19世紀の始めにかけて生きていた人物なんですけれども、
松江藩の藩主として家徳を継いで、
最初は松江藩はその時ちょっと状況がやばかったんですよ、経済状況が。
なのでどういうかして財政立ち直さなきゃならないって言って、
有能な人たちを投与して、朝鮮人参とかを栽培し始めたりして、
薬になりますから、それを生産して奨励して輸出することで、
財政の立ち直しを図って、結構それに成功するんですね。
明君として、なので慕われていたんですけれども、
ところがですね、彼には困った趣味があって、
それがお茶に目がなかったんですよ。
茶器に目がなかったんです。
お茶が大好きで、オタクだったんですよ、マニアだったんです。
せっかく財政を立て直したんだけれども、
お金が少し余裕できたら、
茶器を全国のあるいはあらゆる名機と言われているものを、
コレクションし始めちゃうんですね、お金払って。
で、茶器の大名物と言われている、
日本の宝みたいなものを手元に収集し始めて、
それの図鑑みたいのを自分で作っちゃったりするくらい、
お茶に成功を傾けた人なんですよ。
なのでせっかく立ち直した財政をそうやって、
何なんだって話をいろいろ家臣から不満は出るんですけど、
それにも一切耳を貸さず、自分の道を貫いた人なんですね。
なので、政治上は名君としてもいっぱい言われているんですけど、
その後半戦においては、茶器を集めすぎたせいで、
また財政が悪くなっちゃったりもして、
それ自体がこの美術館になるというように。
そして新宿の景観、松江の人が愛するこの新宿の景観を壊さないように、うまく調和して、水のそのまま続いているようなイメージでね。
ちょうどなので湖のこのカーブに沿って建築もカーブしていて、低い軒でね、そのまま波が続いているような感じで作られているというのが、
この島根県立美術館。
なんか不思議な形だけど、それが渚を表現しているっていうことかな。
そういうことですね。
そして、やっぱり何よりここの見どころというのが夕日です。
これはね、本当にすごいです。
これ、この美術館のページのトップに結構ね、でっかく書いてあるんですけど、
開館時間がね、日没後30分までになっているんですね。
で、本日の日没ということで、今日は19時26分になってますけど、
ってことは19時56分まで開いてますよってことね。
日没を見てくれと。
こういうところなんですよ、松江のすごいところって。
まあやっぱ自慢なんだね。
自慢です。いや、これはね、一度見るとね、忘れられない。
本当にすごい。
俺今までいろんな夕日見ましたけど、ここが一番だと思った。
それぐらい感動します。
このね、県立美術館から続いていける広場みたいなのがね、新宿の広範にあるんですけど、
そこがですね、夕日の名所としてね、名高い歩道になっていて、
もちろん季節によってね、やや方角が変わる時ありますけど、
新宿がね、西に面していますので、
その西の新宿の中に墓していくような夕日がね、見られるんですね。
いいですね。だからこの新宿にね、夕日の反射があって、
こう夕日からまっすぐこう夕日の道みたいな感じになってて。
そうなんですよ。
いいですね、これは。
この道がね、しかもこう綺麗にできるその理由というのは、
僕が今ね、海の近くに住んでるので余計それを感じるんですけど、
波がないからなんですよ。
ああ、なるほどね。
一つに言うと、相模湾はね、すごい波が結構高くてね、
だからあれは月がまた綺麗なんだけど、
まあそういう意味で言うと、やっぱりこの静かな波が立ってない湖だからこそっていうのはね、
大きいポイントだと思うんですね。
で、この公園にはね、野外アートみたいなものも結構邪魔にならないくらいにね、
展示されていて、それとともにこう夕日の写真を撮ったりするとね、
すごい幻想的なものが撮れたりとかしますし、
何よりね、やっぱりこのまあさっき内田がね、
自慢なんだねというふうに日没後30分の話してくれましたけど、
あの僕住みたいと思った理由、これもういろんなとこあるんですけど、
平日に僕行った時に学校帰りの子たちとかがここにこう普通に寄って夕日見て、
そこでアイスとか食べたりしてなんか帰って行ったりとか、
おじいさんとかが犬の散歩してワンちゃんをこう遊ばせておきながらこの夕日を見てたりとか、
あとジョリング帰りのお父さんとかね、
っていうのを当たり前のようにこのすごい光景が生活の一部になっている、
こんな贅沢な街があるだろうかと。
なるほど、いいっすね。
静かで、綺麗で、開けていて、
そしてこの彼方に出雲大社があるんですよね、方角的に言うとね。
だからまあラフカディオハーンの時代の人からね、そうだったと思うんですけど、
東の日が昇る時には中海の方にみんな大橋川から手を合わせた。
そして一日が終わる時、新宿から漁船が帰って行く時はみんなこの夕日に向かってね、
拝んだ。それを出雲大社大国主を拝しながらね、拝んで一日を終えていったっていう光景がね、
松江寺にとっての当たり前だったようですね。
これは確かにね、ここじゃないとない体験だよね。
そうなんですよ。なのでまあ今回の旅はね、だいたいここは5時くらいに行く想定になっていますけれども、
その時々の日没に合わせてね、目一杯ここは時間を取った方がいいと思います。本当に離れられないです。
これ一度見始めると。でまたその湖面を渡ってくる風が気持ちよいんですよね。
いやーいいなぁ。
というのがね、島根県立美術館ということでね、すごい超オススメです。
これでもうね、旅の目的地は概ね終わったんですが、最後出雲空港の方に帰って行く時にですね、
車でだいたい30分くらい、県立美術館からはかかります。実は空港に行く前にですね、とっておきの最後おまけでお土産スポットをご紹介して終わりたいと思います。
それが、ラ・ショコラテリーナナイロさんです。
ショコラテリー、なんか我々の番組だと割と珍しい感じですけど。
そうなんですよ。僕個人でね、これは言ってるのは、皆さんとはあまり言いませんけどね。
これはどういう、チョコってことですよね。
クラフトチョコレートの工房兼カフェになっていまして、なんといってもね、デザインが僕好きなんですよ。
このパッケージがね、木加工模様があってね、デザイン性が高いという感じですよね。
実はね、このデザインは期間限定で変わるんです、色々。
あーなるほど。
今はなので、我々見てる木加工模様ですけど、これ僕今日初めて見ました。
僕が行った時はですね、虫が絵の具であしらわれてるようなね、ちょっと幻想的な虫の世界、テントウムシとかカブトムシがね、あしらわれてるようなね、
淡い絵だったんですけど、今回は木加工模様になってますね。
っていう、これでデザイン変えるっていうのがまた面白いんですよね。
なぜそしてここまでデザインにこだわるかということなんですけど、
これ面白いのがね、実はここを運営してる会社は、食品会社とかじゃないんですよ。
え?
映像制作会社なんです。
え?そうなんですよ。
何?どういうこと?
あのね、これはね、大阪市に本拠を構える映像制作デザイン会社が運営されていて、
今ね、この工房の代表、このショコラデリーのやってる方が趣味で作っていたチョコレートが社内で評判を呼んで、
社内新規事業みたいなことでね、チョコレートを作り始めた。
ええ?
すごいな。
そうなんですよ。
趣味から始まっちゃうんだ。
そう。
で、その映像会社、親会社自体が出募に進出するっていう時、まあ会ってたみたいなんですけど、
あのチョコレートのね、工房作っちゃったんですね。
すごいな。
はい。なのでやっぱり本業がそもそもデザイン会社なので、デザインのプロがやってるんですよ。
だから食品の、今はプロでもあるんだけれども、チョコのプロでもあるんだけど、出発点はデザインなんですね。
なるほど。
なので、これだけやっぱりすごいデザイン性を担保できるというわけなんですね。
もちろんチョコの味自体もすごくて、もともと好きでやってたチョコマニアの方だと思うのでですね、
カカオ豆1つを取ってもすごくしっかりと工夫が凝らされていて、
かつ面白いのはこれもやっぱデザインなんですけど、フレーバーノート、今ちょうど見てますね。
これがどういう味なんですかっていうのでね、
もちろん産地とか書いてあるんだけど、この文章が文学的なんですよね。
非常に詩を読んでるように独特の言語表現をすることが僕は面白いなと思っていて、
これとそのパッケージのデザインが合わさった時にね、ちょっと唯一無二の魅力を持っているチョコだなと思うんですね。
面白い。
本当に田んぼの中にあるんですよ、これ。
へぇー。
そのシーズンごとにね、味も違う感じなんですね。
そうだね、豆が違うんだね、やっぱね。
僕が言ったのはこれですね、2022年10月、レインツリー、これがさっきの虫のやつだ、これだったと思いますね。
やっぱそのシーズンごとにテーマがあって、それに合わせたデザインのパッケージになってるっていうことなんですね。
そういうことです。
面白いんですよ、これすごく素敵なんです。
そのバックグラウンドも含めてすごく個性的で面白いんですね。
そう、まして映像制作会社ということでね。
僕はいつも、これ出雲空港から車で5分くらいのところにあるので、最後飛行機乗る直前にここで寄ってお土産を買ってっていうのがいつものパターンなんですけれども、
カフェ利用もできるはずなので、イートインでチョコだったり、確かにカカオドリンクとかも飲めたはずなんですよ。
なのでお土産じゃなくてもイートインでも楽しめますので、そのあたりは柔軟に。
ただちょうど出雲空港の前というところがね、非常に嬉しくて、7時までやってるのでね、おそらく飛行機の時間にも間に合うと思います。
あとは総括というか、タイトルの話も含めてなんだけれども、
出雲の歴史を見ていたときに、
一つ本当に不思議なことではあるんだけれども、
隔離よっていうものの存在がやっぱりどうしてもついて回るんですね。
そもそも大国主の見事の話から始まって、
目に見える世界、見えない世界っていうのは、
目に見える世界が我々の今生きている現世で、
目に見えないのは何なんだろうっていうところも謎なんですけれども、
それっていろんな説があるし、いろんな解釈ができると思うんですよ。
わかりやすく言えば、生きている時間と死んでしまった時間の話なのかもしれないし、
あとは目に見える歴史と目に見えない神話の世界と言えるかもしれないし、
あるいは人の体表情とその中に宿ってる心の話なのかもしれないし、
あとは極端なし、昼と夜かもしれないんですよね。
目に見える昼と目に誰も見えなくなる夜の世界、
っていうのも一つの写し世と隔離世の話なのかもしれない。
っていうことをいろいろ考えていったときに、
出雲っていうのは、その我々が生きている写し世から
目に見えない世界、大国主がいるはずと隔離世まで、
架け橋というか一瞬だけその写し世の方に、
その隔離世というのが一瞬だけ開かれた現象が起こる世界なのかなと思うんです。
で、ごくごく稀に出雲人の中で特に感度の高い人が、
その隔離世に通じる心を持っている人がたまにいる。
で、それはノンノンバーであり、小泉八雲であり、小泉節さんであり、
そしてそれを受け継いでいった美月茂さんも一人だと思うんですけど、
それがやっぱりノンノンバーのセリフにあったように、
都合のいいときだけ拝んでもダメなんだと。
常日頃からその隔離世、目に見えない何かがいるっていうことを信じているからこそ、
そういった現象に気づくことができるんだよっていうふうな話をしたと思うんですね。
で、それのヒントとチャンスっていうのがたぶん出雲にはね、
実は我々の気づいてないところにいっぱいあるんじゃないかと思うんですよ。
ラフカディオ・ファーンもね、そもそも柏で打ったことに不思議を覚えて、
そこからその隔離の世界というのを知っていったわけなので。
でも柏で打つのはたぶん出雲の人ならではだったと思うんですよ、その時にね。
それを日頃からやっていたっていうのはね。
とかってことを考えたときに、このサザナミの話なんですけれども、
これは別の出雲とは全く関係ないとある小説で言われていたことを今回アレンジしたんですが、
要は新宿の夕日がね、県立美術館で最後見る。
それでこう波が立っていない世界だから綺麗にすごい見えると思うんですけど、
要は我々はそういった現象を見てるわけですよね。
あの夕日が湖面に映っている。
その中にふとした瞬間に風がバッて吹いた時に、