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2022-01-04 30:54

第50回「君が代の真実」国歌と成るまでの歴史

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誰もが知っている国歌「君が代」は、
明治以降とそれ以前では解釈の仕方が異なる歌。
そんな君が代の歴史について話しています。
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朝、目が覚めると、なぜか泣いている。
明けましておめでとうございます。
大人の近代史、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
何の話ですかね。
なんか、映画のフレーズみたいな。
あ、そうそうそう。あ、これわかる?
いや、なんか聞いたことあるような。
これ、あの、映画、「君の名は?」の三葉が言ってた言葉。
あー、見たけど覚えてないな。
ちょっとマニアックなとこだもんね、これ。
そうそう、あのさ、「君の名は?」ってさ、日本映画の中でもさ、全世界工業収入、今現在で2位なのよ。
そう、1位はね、最近抜かれたあの劇場版鬼滅の刃、無限列車編の方。
あー、鬼滅か。
そうそうそう。で、今日ちょっとなんで冒頭これを言ったかっていうと、
君の名は?っていうさ、この題名、「君」ってさ、あんま今使ったりしないよね。
まあ、「君」ってちょっと失礼な感じもあるしね。
そうそう、相手に対してさ、意味はわかるけども、使わないよね、なんか、なんとなく。
使わないね。
そうそう。で、今回のね、テーマが、君が世の歴史について。
おー、君つながりですかい。
そうそう、君つながり。この君が世ってさ、さっき君の名でも言ったけど、この君っていう捉え方が明治以前と明治以降でだいぶ変わってきてるっていうのがあって、
大きく解釈の仕方が変わってきてるっていうのがあるんだよね。
うーん。
そうそう、まあそんなのも踏まえて今日は話していけたらいいなと思ってます。
はい、お願いします。
はい、ということで、君が世の歴史をさかのぼると、905年に古今和歌集っていうのが世に残ってるんだけど、
で、ここに君が世の歌詞にある文章が最初にもう記載されてるんでね、この時に。
で、まあこの時ちょっと今の君が世の歌詞と違うのは、最初の君が世はで始まらずに、和が君はで始まってる。
へー、ちょっと微妙に違うんだね。
そうそう、微妙に違う。
あ、で、ちなみにこの古今和歌集に収められたのは、そもそも古今和歌集ってあの醍醐天皇の命によって木野貫之が和歌を集めたんでね。
そうそう、で、この和が君はで始まる、まあ今の君が世の歌詞と同じようなものなんだけど、
これはね、代知らず、読み人知らずっていうふうに紹介されてるの。
要は代名もなくて、誰が読んだかもわからないっていうような紹介なんだ。
そうそう、まあこれはね、いろんな説がある。なんで誰が読んだかもわからないのを載せてるんだっていうのもあるんだけど、
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まあ当時は身分が低かった人がそれを作ったからとか、いろんな解釈とか説があるんで、ここはちょっとはっきりしないとこなんだけど、
で、この歌詞についてちょっと触れたいんだけども、前文を読むと、和が君は千代に八千代にさざれ石の岩を隣りて苔の娘で。
なんだよね、まあ今のその君が世はの冒頭の以外は全部一緒。
そうだね、一緒だね。
そうそう、ここで最後さ、苔の娘までって終わってんじゃん。
うん。
これさ、なんかすごい途中で終わってるような感じすんじゃん。
まあ確かにそうだね。
そうそう、例えば、好きなんだけどみたいな。好きなんだけど何みたいな。
途中で終わってるみたいな。
そうそう、でもね、これって和歌の技法なの。で、説明しすぎないっていう、余韻をこう残すっていう言い方なの。
だからさ、あのなんだろう、はっきり言ってよとかさ、例えば、結論最初に言ってよとかよく言われる時とかあるじゃん。
これって、でも昔の日本の考え方からすると、だいぶ欧米の価値観が入ってんじゃないかなって、これをやってて思ったんだけど。
でもそうだよね。結局、主語、述語でその後に続くのが、ほら、修飾語とかそういうのが英語の作りじゃん。
そうそう。
日本語ってほら、述語が最後に来るからさ、その辺からもやっぱ結論って最後なんだよ。
そうそう、だからなんだろう、好きなんだけどって言ってる人を責めないでほしいっていうね。
いや、苔の娘までって好きなんだけどじゃないからね。
例えばでちょっと言ったんだけど。
で、ちょっとね、一つ一つね、まず最初に意味をね、いろんな捉え方もあるんだけど、ちょっと簡単に説明していこうと思うんだけど、
我が君はっていうのは、これがね一番の問題なんだけども、何を指してるのかっていうと、一つとしては、その当時第五天皇の時代だった。
で、第五天皇に捧げるための歌だとしたら、第五天皇じゃないかっていう説もあるの。
だけど多くは今の解釈としては、不特定人物のあなたに対して歌ってる歌。
何でかっていうと、古今和歌集のこの347番をちょっと長丸見てもらいたいんだけど。
全くピンとこなかったよ。
古今和歌集って千いくつあるんでね、結構収められてて。
その中の347番を見ると、天皇が僧侶に対して君って呼んでる和歌が載ってんの。
ということはもうここの時点で、単に君っていうのはあなたを意味してるだけで、天皇を意味してないっていうのはわかるんだよ、こっからも。
なるほど。
だからこれは天皇にっていうことでは必ずしもないってことなんでね。
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で、次に千代にや千代にって続くんだけど、
これは千年も、さらに幾千年もっていう非常に長い年代を表してるような言い方。
で、次がサザレ石の岩大となりてっていうんだけど、
サザレっていうのはサザ並のサザで小さいっていう意味なの。
そう、だから小さい石が岩大っていうのは大きな石になるっていう例えなんだよね。
で、このね、どういうことだっていう解釈がね、大きく分けて2パターンあるんだけど、
一つ目は石の中の石塊が溶けて、その石塊が小石をくっつける働きをすることで、大きな石にこうなっていくっていう。
なんかすげー理科っぽいね。
理科っぽいでしょ。
次の2番目っていうのは、一つの石が人間や動植物が成長するように実際に成長して大きくなるっていう解釈。
おそらくこっちの後者の方が有力なんだよね。
というのは、さっき言った中村が言った1番っていうのは今の現代の人が思う考えじゃん。
当時はそんな理科とかそんな科学も発達してないし、石っていうのが本当に生きてるのか死んでるのかさえもそんなわからない時代だから。
でね、石にはこの当時ね、心霊が宿っている石っていうのは年とともに成長するっていう民間信仰が実際にある。
だからその時代に歌われた歌だから、この後者の実際に小さい石が成長して大きくなるっていう解釈の方が妥当だろうっていうのがあるんだよね。
なるほどね。
実際に今でも神社とか仏閣で石が信仰の対象として祀られてるっていうのがあるんだよね。
それぐらい石っていうのは特別な存在だった。
最後にその苔の結までっていう、これは苔が生えるまでの本当に長い間っていうような意味。
これをトータルで訳すと、あなたは千年も幾千年も小さな石が大きな石に成長するまでも長生きしてくださいって最後になるんだよね。
苔の結までが長生きしてくださいって、結局長い時間をずっとサザレイ氏から言ってるのよ。
これ何でかっていうと、要は長生きすることを祝う歌なんだよね、君がやってるのは。
当時人生において一番おめでたいことっていうのは長生きすることだったんだって。
なぜかっていうと、特に赤ちゃんとか幼児の死亡率って異常に高かった時代で、今とは比べもならないくらいこの生と死っていうのは隣り合わせだったんだよね。
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だから寿命も短い時代だし、長く生きることっていうのが喜ばれてた時代。
今もそうだけどそれは。
だけどさ、40歳を超えるともうね、すごい長生きだって祝われてた時代らしいんだよ。
今だったら全然そんな年齢じゃ祝われないよね。
マジでだって俺らもうすぐじゃんな。
価値観が全然違うんだよね。
これ平安の末期になると、さっき言った冒頭の我が君はっていうのが君がよになるんだよね。
これはね、徐々になってったり、同じ時代の書物ではまだなってなかったりとか、ちょっと前後するんだけども、
この我が君はが何で君がよになったかっていう理由の推測になるんだけど、
これを我が君はっていうと、なんか主従関係をこう連想させるというか、
君がよの方が一般人にもこうなじみやすくて、誰にでも当てはまるような感じがするからっていうので、
なったんじゃないかっていう説とか、
あとは単純に歌いやすいから君がよになったって。
まあそうだね、確かに君がよの方が言いやすいよね。
そうそう、当時和歌っていうのは書くだけじゃなくて歌うものだったから、
歌いやすさっていうのはかなり重要なんだよね。
まあそんなこんなで、君がよっていう歌詞がもうこの時点にできてるんですよね。
で、これはあの1013年の和歓老英集っていうところに、君がよはってなってるものが残ってるんだよね。
で、この君がよって風になったんだけども、この君っていうのはその当時はまだ天皇を指してるっていうわけではなかったの、必ずしも。
それは天皇の前で歌ったら天皇になるかもしれないけど、それ以外の場で歌われたらそれは天皇ではないっていうような解釈が一般的だった。
そう、江戸時代になるとどうなるかっていうと、これも引き続きおめでたい歌として、
実は今回なんで正月に君がよ扱ったかっていうと、江戸時代には正月で君がよを歌う習慣ってあったのよ。
そうそう、おめでたい歌っていうことで。
あとはね、違った解釈も一部であって、例えば裕閣で好んで歌われた歌なの、君がよって。
そうなんだ。
そうそう、なんでかって言うと、これさざれ石が岩を隣りでっていう部分あるじゃん。
これ小さな石が大きな石になるってことは、勃起する断生器と解釈された。
なんだよそれ。
なんかほんと正月早々申し訳ないんだけど。
いや全然なんかよくわかんないけどね。
だからあの、岩を隣りての岩っていうのが断生器だと例えられた。
音っていうのが助成性器っていうふうに考えられてた。
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で、なりてっていうなるっていうのが合体とか交わるみたいな。
つまりずっと合体していたいみたいな。
マクロスみたいだね。
だからそういう場で歌われると、例えば女性が男性に対して歌うと、お褒めの言葉みたいなね。
大きなもの持ってますねみたいな。
まあなんか、正月早々これちょっと家族で聞いてたらほんと申し訳ないです。
大丈夫で、そういうリスナーはきっといないと思ってるから俺は。
だからこんなふうに庶民に愛されてた歌なのよ。
おめでたい祝いの歌でもあり、露骨な男女の歌でもあった。
で、これが明治に入ってくるとちょっと一変すんだよ。
これは1869年に、明治2年のときね。
横浜の居留地でね、薩摩藩の兵っていうのはイギリス護兵軍学隊っていうのから軍学を習ってたんだよね。
これ1869年ってまだ廃藩知見が行われてないね。
一応1871年だから廃藩知見は。
だからまだ各藩が存在してた。
で、なんで薩摩学校で軍学隊を習ってたかっていうと、
これ撮影戦争っていうのが幕末にあったじゃん。
薩摩とイギリスの戦争。
これでイギリスの軍から聞こえてきたのが、軍学隊の勇ましい音楽が聞こえてきたって言われてて、
これを自分たちも取り入れたいっていうふうに思ったらしいんだよね。
軍において、自分は軍でこういう軍学隊が実際に活動してるってあんま想像しなかったからびっくりだったね。
なんか指揮を上げる意味でも結構大切な役割をするらしくて。
ここでイギリス軍学隊長のジョン・ウィリアム・フェントンって人がいて、
薩摩の人たちに言ったのが、
欧米にはみんなその国々に国家っていうものがあるけど、
日本にもあるのかっていうふうに聞いたんだよ。
そうするとその当時、日本には国家って言えるものは存在してなかったんだよね。
そこで、薩摩の歩兵隊長だった大山岩尾って人が、
薩摩美話曲の中にある法来山にあった曲の一部の、
そのキミガヨっていうところをフェントンにこういうのがあるっていうふうに提案して、
これをフェントンがアレンジして作曲したのが、初代キミガヨって言われてる。
そうなんだ。
そうそうそう。
だけどこれは初代キミガヨって言われて、
今のキミガヨの歌詞とは一緒なんだけど、
メロディが全然違うの。
そうなんだ。
今回ちょっと自分も聞いたんだけど、
本当に西洋音楽って感じの、日本風じゃないのよ全く。
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これが一応1870年に東京越中島の軍事大演習って時に、
薩摩の兵が天皇の前で初めて演奏されたっていうふうにされてる。
だけどやっぱりこの日本風じゃないから評判が悪かったのよ、その後も。
なんとなくわかるわ。
要はイギリス人が作ったものだから。
なんで徐々に歌われなくなってったの、この初代キミガヨっていうのは。
そんな中ね、1872年に各藩の兵っていうのは一回廃止されるんだよね。
これは中央集計になって、
日本っていうのは一括して各藩にそれぞれ兵を置いてるっていうのはやめて、
一括のその日本の軍隊っていう風になっていくから。
で、もちろんその薩摩にいた初代キミガヨ演奏してた兵の人たちも解散になったわけ。
で、後にその海軍っていうのができていく中で、
前にもちょっと言ったけど、海軍っていうのはどちらかっていうと薩摩藩の人たちが中心が多かったんだよね。
で、ここで薩摩藩の軍学練習生が海軍の軍学隊の中心で構成されてた。
そんなのがあったんだけど、1877年に西南戦争があって、結構国内がゴダゴダになるわけ。
だから、しばらく日本を代表する国家っていうのをどうするかっていう議論どころじゃなくなったのね。
で、ちょっと落ち着いた時、1880年から新キミガヨって言われてる今のキミガヨができるんだよ。
それはもう今のなんだ。
そう、メロディーがね、もうこの時に完成してるわけ。
この経緯っていうのは海軍賞の中で提案があったんだけど、
国を代表する国家のような代表する歌がね、海軍賞っていうのは必要だったの。
これはなぜかっていうと、海軍賞って外国を訪問したり接する機会が多くて、
お互い国同士で国歌を演奏し合うってこともあったのよ。
そんな時にさ、日本の代表するような国家みたいな存在がなかったわけよ。
そうすると、やっぱり建前上困るじゃん。
だから海軍賞が区内賞に依頼して、
すでにあった初代キミガヨを日本風のものにしたのが今のやつなんだよね。
これは区内賞の中でいくつか候補があって、
その審査の中で審査員の中にいた、画学をやってる画学部長の林博森って人が、
画学士の奥義久っていう人に命じて作らせたのが今のメロディなんだよね。
なんで新キミガヨ、今のキミガヨっていうのは画学長じゃん。
画学が入ってるでしょ。
こうして1880年に作曲されて以来、
学校の儀式とかで採用されて、徐々に徐々に歌われていくようになってた。
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1888年に海軍賞っていうのは、各条約国に対してもキミガヨっていう楽譜を送付して、
これが日本の代表するような歌ですよっていうような形で送ってるんだけど、
まだこの時も正式な国家っていう風な決まりはなかったんだよ。
例えば陸軍を見てみると、これさ、今までの流れだと海軍中心なんだよね、キミガヨって。
陸軍は一方どうしてるかっていうと、海軍に対抗して陣営っていうような歌を歌ってる。
陣営?
そう、陣営っていう歌があって、なんか大きな儀式とか、
そういう時は陸軍はキミガヨを歌わずに陣営っていうのを披露してた。
そうなんだ。
っていうのもあったりとか、まだ統一はされてないんだよね。
そんな中、1889年に大日本帝国憲法が発布される。
ここでさ、もう明確に第一条からさ、大日本帝国は万世一慶の天皇、これを統治するっていう風に入ってるわけよ。
で、こういう中でキミガヨっていう解釈が、神聖なる天皇の統治のことを歌ってるっていう解釈が徐々になんだけど浸透していくんだよね。
いきなり浸透していくわけじゃなくて、日清戦争とか日露戦争期においては、
そこまでまだキミガヨっていうのは国民に浸透してはないんだよね。
どんどん浸透してったのが大正末期から昭和初期にかけて、
これは日の丸の旗を打ったり、キミガヨを聖書したり、万歳を叫んだりっていうのが日常化していくんだよね。
これはね、学校教育の影響もかなりあると思うんだよね。
1936年の小学校の終身用の教科書を見てみると、
終身って前にもちょっと語ったけど、道徳みたいなね。
そこにキミガヨの歌詞の意味が書かれてるんだけど、
読むと、「我が天皇陛下の王様になるその身をは、千年も一万年も、いや、いつまでもいつまでも続いてお境になるように。」っていう解釈になってる。
だからもう明治より前の解釈とかだいぶかけ離れてるような天皇のことを歌ってるんだよね。
そういう解釈が国民にどんどん浸透してった。
だから式典とか養成書で必ず歌われるこのキミガヨが国民の中でも国家のような存在になってたんだよね。
だからこの時点で江戸時代の裕閣にあったような性的解釈をすれば、天皇侮辱罪で逮捕もあり得るっていうような時代だったからね。
気軽に歌えなくなったわけよ、キミガヨっていうのは。
これで第二次世界大戦期にも、もちろんキミガヨっていうのは国民の中でも結構歌われて、
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占領下のアジアとかでもキミガヨ聖書が強制されたっていう歴史もあるね。
だから戦争時の歌としてのイメージが強いっていうのが今にもちょっと残ってるよね、キミガヨは。
そうだね。
戦場において軍隊とかが多く歌ったのは、実はキミガヨより海床場の方が歌われてたっていうのもあるんだよね。
海床場がわかんねえな。
そうなんだと思って、兵士を送り出す際とか、逆に亡くなって遺骨を日本に迎える際に必ず海床場が流れたらしい。
まあまあ、そんなちょっと余談だけど。
ここでさ、ちょっと国家について考えたいんだけど、
日本のキミガヨは戦争のイメージがあるってよく言われるけど、
国家が出来上がるには他の国の国家を見ても戦争革命の場合が多いんだよね。
そうだね、確かになんかそれ言われるとそうだわ。
フランスとかアメリカ、中国の国家も軍家だからね。
フランスのLa Marseillaiseなんかも典型で、
18世紀末のフランス革命戦争の際に兵士の式を鼓舞するために作曲されたやつなんだよね。
これさ、歌詞とかも見たんだけどさ、
敵は地に飢えたり、盾国民をいざ武器を取れとか、内容ほんとすごいんだよね。
生々しいんだよ。もっと生々しい歌詞とかもあったんだけど、
これをワールドカップとかフランスっていうのはどういう思いで歌ってんだろうっていうのをちょっと思っちゃって。
まああれだよね、鼓舞する歌だから、歌詞っていうよりはもうあれなんでしょうか。
メロディーとかそういう部分なんだよね、たぶんきっと。
まあそうなんだろうね。逆にさ、こういうスポーツの前にキミガヨっていうのは流れると戦意を喪失するって言ってあんまり好まれないかったりするんだよね。
だってね、あのメロディーだからね。
そう、なんか清められたみたいな感じで。
戦後になると連合軍の占領下に置かれるわけじゃん。
前、戦後教育の中でも言ったけど、キミガヨっていうのは実質的に学校教育なので歌われなくなったんだよね。
それはまあ戦争のイメージが強いし、天皇っていうのを指してるってイメージが強かったから。
1946年の1月1日に昭和天皇っていうのは、いわゆる人間宣言っていうのをするんだよね。
これは天皇が神であるっていうことを否定したような、それ以降その国民の象徴として天皇っていうのは位置づけられるんだけど、
だけどキミガヨっていうのはGHQに直接メスは入れられてないって言われてて、
それは国家っていう法的な根拠が今までもなかったから。
その取り残されたような感じでキミガヨは存在はしてたんだよね。
これでGHQの占領が解かれた後に、1958年になるとその学習指導要領の改定があって、日の丸とかキミガヨの義務づけが始まってたんだよね。
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だからキミガヨは各学年を通じて児童の発達段階において指導するような項目が書かれてる。
あとは国民の休日などにおいて儀式などを行う場合は国旗を形容しキミガヨを聖書させることが望ましいみたいな。
推奨するような文言が入った。
文部省とか教育委員会っていうのも学校のその現場で歌わせるような、推奨するようなように仕向けていくわけよ。
現場にいた校長っていうのはもちろん教職員に歌わせようとするんだけども、
一部の教職員からは戦争のイメージが強いし、国家でもないキミガヨを強制するっていうことに猛烈な反対をあう現場もあったの。
そんな中、板挟みで悩んだ1999年にあった広島県立の校長が自殺しちゃうっていう事件があったと思うんだけど、
これによってもうこの1999年にその後に閣議において木の丸を国旗としてキミガヨを国家とするっていう法案がすぐ決定するんだよね。
だからオブチ内閣の時なんだけど、キミガヨ聖書っていうのはそれ以降はもう国家聖書っていう風に言われるんだった。
この時の政府の答弁書っていうのを見ると、キミガヨのキミとは大日本帝国憲法では主権者である天皇を指してたと言われるが、
日本国憲法の下では日本国及び日本国民統合の象徴である天皇であるとする解釈が適当であるっていう風に出てる。
まあそんな風に今現在もそういう解釈なんだよね、国は。
だからそれ以降スポーツだったりさ、学校でもキミガヨっていうのはよく耳にすると思うんだけど、こんなのがちょっとキミガヨの歴史でした。
なるほどね。
まあ一応ちょっとまとめると明治前までのキミガヨっていうのは、キミっていうのはあなた様を祝った庶民の歌だったんだよね。
で、明治以降っていうのはその天皇を祝った歌になってった。
もちろんもともと天皇の前で歌うときは天皇っていう意味の一つの解釈はあったんだけど、次第に大きくなっていったみたいな。
で、最後にその第二次世界大戦後は、今現在はキミガヨのキミっていうのは日本国及び日本国民統合の象徴である天皇っていう風になってる。
だからこういう風にさ、変化してっていう中で、いろんな感情を持ってる人は今もいるんだよね。
だけどさ、ちょっと言えるのはさ、この歌詞自体はさ、戦争の時に歌われた歌詞ではないわけ。
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しかも世界で最も古い歌詞の国家なんだよね、これ。
なるほど。
平安時代初期はもうすでにあったから。
しかも歌詞が一番しかない、世界で最も短い国家とされてる。
でもさ、この短い中にもさ、日本人のさ、自然をよく観察してるようなさ、情景だったり変化を捉える姿がまあ、自分はすごい素敵だなって思うところもあるけどね。
長丸はいかがでしょうか。
キミガヨについてさ、あえて考えることも普段ないじゃん。
まあ、国家になったのは俺らがたぶん小学校中学校の境目ぐらいな気がするんだけど、なんかそのぐらいの時にそういえばなったなーみたいなニュースやってたなーみたいなのは知ってるけどさ。
逆に言うとさ、それまでもさ、普通に歌ってたじゃん。まあ、ちっちゃい頃って言えばいいの。
だから、あ、今さらなんだっていうのはすごいその時も思って。
ああ、そうだね。
で、たぶん俺ら以上にさ、まあもっと年上の人たちはたぶんもっとずっとそう思ったんだろうなっていうさ。
ああ、確かにね。
今さらみたいな、いやもうそんなもうみんな当たり前にそう思ってたよみたいな。
うん。
もう国家になってったようなもんなわけじゃん。で、たぶんそれを法律的に国家にしたっていうようなさだけの話だろうからさ。
うん。
なんか結局もうずっとさ、だからその歌詞なんか平安時代からあったようなさ、ずっと長い歴史を持ってるさ、そういう伝統みたいなものなわけじゃん。
まあね。
そう、だからやっぱ日本人の心にはなんつーの馴染みやすいというか。
ああ。
そういう側面もあるんじゃないのかなーっていう感じかな。
君が代自体なんかね、なんか例えば君が代の賛否みたいなの言われても俺はすごい困っちゃうんだけど。
確かにね。
歌いたい人は歌えばいいじゃんぐらいのほんとそのスタンスだからさ。
まあそうだね。
うん。歌いたくないならいや別にいいんじゃないって。
まあね、まあなんとなくその歌いにくさはあるよね。カラオケとかでは絶対歌わないじゃん。
カラオケにあんのかな。今考えたこともなかったけどね。
そこまで江戸時代みたいな時にこうあるような庶民が普段から歌うっていうのはまあ今はないけどね。
今は君が代歌ってたらなんかちょっと変な人だよね多分その辺で。
多分ね、翌日LINEブロックされる可能性はあるよね。
まあ友達にはならないな。
確かに。
まあ今日は君が代の歴史について話しました。
はい。
じゃあコケノムスまで聞いていただきありがとうございました。
ありがとうございました。
はいじゃあ皆さんにとって素敵な1年になりますようにこれからもよろしくお願いします。
はいこれからもよろしくお願いします。ありがとうございます。
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