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スピーカー 1
はい。まず、小木野吟子は1851年に生まれます。1851年だから、ま、江戸時代だね。江戸時代で明治維新、ま、江戸時代幕末ぐらいに生まれたっていうところで、で、さっき、こ、あの、生まれは言ったけれども、熊谷市田原瀬っていうところなんだけれども、今の、あ、今じゃない。
っていう目沼町の場所だね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
田原瀬ってちょっとイメージつかない人多いと思うんで、あの、利根川があるんだけれども、利根川沿いなんだよね。利根川沿い、とにかく川の近くで生まれたんだよ。
うん。
で、今のその田原瀬知ってる人とか、その昔知ってる人とかでもいいんだけれども、あの辺結構田舎なのよ。
スピーカー 2
あー。
スピーカー 1
すごい田舎。あの、今言ったって結構田舎。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、そこで、あの、生まれたんだけれども、農家だったんだよ。農家に生まれたの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ただ、親は、いわゆる、あの、小方老家と一緒で、豪農なわけよ。
スピーカー 2
違うだろ。
スピーカー 1
え?あ、どっちが違うの?
スピーカー 2
いや、俺が違うよ。
スピーカー 1
あ、違う。えっとね、親はね、とにかく豪農だったわけ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、どれぐらい豪農かっていうと、お家は大きいし、使用人がいたりとかっていう感じでさ、普通、農家に使用人なんかいないじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
でも、そういう使用人がいるような大きな家、お金持ちだったんだよね。すごい簡単に言うと。
うん。
の、御所として生まれるの。当時は兄弟いっぱいいるからね。別に珍しいことじゃないんだけれども。
で、父親は、すごく子供の教育に熱心な人だったんだね。
うん。
まあそれはちゃんと理由があって、父親自身がすごくその学問の大切さっていうのを、自分が学問を学んでて身に染みて分かってたらしいのよ。
読み書きソロ版とかが全部できたんだけれども、当時珍しいよね。農家でさ、そんな読み書きソロ版ができちゃうなんて。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
やっぱりそういうのがすごい大事だっていうのが分かっていたから、その自分の子供たちにも学問っていうのをすごく熱心に教えるような父親だったの。
うん。
ただ当時の時代から考えると、それはあくまでも男の子に対してはそうするべきというかそうだったんだよね。
うん。
女の子っていうのはもう本当にあれだよね。今じゃあちょっとあれ考えられないかもしれないけれども、もう勉強なんかできなくていいんだよ。
女性はもう結婚して子供を産んで子孫を反映させていくことが大事なんだみたいな。まあお嫁に行くことが大事なんだよみたいなもう価値観だから当時は。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だから銀子はその兄たち、まあ兄がいたんだけど何人か。で、その兄たちに混じって勉強するようになっていくんだよね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、銀子自身すごく頭が良くて、で学問もすごく好きだったの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、寺子屋へこう通うようになって、そこで松本万年先生っていう方に会うの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
この松本万年が医者なんだよね。
スピーカー 2
あーはい。
スピーカー 1
で、当時医者っていうのはさ、あのすごくもうほんと超頭良いみたいな感じだからさ、何でもできるわけよ。その医者をやりながら傍ら子供たちにまあ読み書き教えていたっていうような人なんだよね。
うん。
で、その松本万年先生の娘にお義家っていう人がいたんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、このお義家っていうのはあの、とついでたんだけれども子供を亡くしちゃって離婚して戻ってきたっていう感じの女性だったんだけれども、このお義家が銀子のことを気に入って銀子に、お義家が銀子に学問を教えてくれるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、そんな感じで銀子っていうのは結構ちっちゃい頃から学問っていうのをこうずっと、まあ当時の女性では珍しい感じでこう学問を学んでいたっていうところなんだよね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
ただ、やっぱり時代は時代で、銀子が16歳の時にすぐ近くの村のそこの名主の息子と銀子を結婚させないかっていう話が出るのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まあ、名主の息子と結婚なんてさ、親からしたらおい占めたもんだみたいな感じになるじゃん。
スピーカー 2
あー、なんか土地をいっぱい持ってるとこってこと?
スピーカー 1
まあ、まあお金持ちがお金持ちと結婚するみたいな感じ、そういう見合い話が出たわけよ、簡単に言うと。
うん。
そしたらこれは占めたもんだってなるじゃん。
で、もちろん父親もそう思って、もう当時っていうのはさ、父親がこうだって決めたらもう一家全員それに従うみたいなところがあったから、父親が勝手に結婚の話を進めちゃって了承してきちゃうのよ。
うん。
で、結局銀子も逆らえないから、そのまま銀子が結婚することになる。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう。で、結婚して家を離れて、名主の息子と一緒に暮らしていくんだけれども、もちろん当時はさ、その、なんだ、向こうの親も同居してるみたいな、まあ要は向こうの家に突入に行く、本当にそういう感じのイメージなわけよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だから自分家じゃないところに行くから色々気狂うも多いじゃん。相手の親もいるしとかそういう感じでね。
それで、まあちょっと色々こう疲れてたところに急に銀子はなんか病気にかかっちゃうんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、どういう病気かっていうと、まあその下腹部からウミが出てきて、で、なんかすごい高熱も出て体がフラフラして起き上がれなくなっちゃうっていうような病気だったの。
スピーカー 2
おお、大変だね。
スピーカー 1
そう。で、無理して起き上がって何とかこう火事とかそういうのやろうとしてたんだけれども、でもやっぱりとうとうやっぱもう無理だなっていう限界に来ちゃうんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、限界に来ちゃったからちょっとすいません、故郷に帰らせてくださいって。で、故郷でゆっくり療養したいですっていう形で実家に戻るんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この時松本万年先生を思い出したからなんか故郷に帰って万年先生とかに見てもらえないかなっていうのがあって帰ったんだよね一応。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、これ結局故郷に帰って療養して調べていると、銀子がかかっていた病気って臨病だったのよ。
スピーカー 2
おお。
スピーカー 1
臨病って性病ね。
うん。
で、臨病って今だと薬を、厚生物質かな。厚生物質を処方されて注射なり飲み薬なりで治るんだよ。簡単に治る病気なんだけど、当時っていわゆる厚生物質がなかったのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だからこういう今では当たり前に治るような病気でもすごく重症化しやすかったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、銀子はこれ重症化してたのよ。で、万年先生は漢方薬、あの万年先生っていうか当時の医者って基本的に東洋医学だから漢方薬なんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
漢方薬を処方してくれて、で、銀子にゆっくり休むようにさせて、で、銀子は今まで実家じゃないところで暮らしてたからそういうプレッシャーとかもあったわけよ。
なんかこんなにずっと寝てたら夫の両親に怒られちゃうみたいなそういうのがあったんだけれども、やっぱ実家だとさ、まあ変な話さ、なんかうるさく言う人もいないわけじゃん。
だからそれでゆっくり休めてだんだん体調を回復してったの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、じゃあ体調回復したら戻るべきじゃん。
うん。
スピーカー 2
でもね、やっぱりもう戻りたくなかったらしいのね。だから離婚することを決意したの。
スピーカー 1
うん。
で、これさ、普通だったら向こうは大反対するじゃんそんなの。いやいや何勝手なこと言っちゃってんのみたいな感じで。
うん。
ただ、銀子はこの臨病のせいでもう子供が産めない体になっちゃってたの。重症化してたから。
あーはい。
で、だから向こうからすると子供の産めない病弱な嫁なんていらないよっていう感じで、もう軽ーく離婚の話がまとまっちゃったんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、もうそのまま夫とは離縁して、結局実家に戻るっていう、まあ戻るっていうか戻ってたんだけど戻るっていう形になったわけ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、あの万年先生の娘のお爺に、嫁に行って子供を産むだけが女の仕事ではないから大丈夫だよっていうことを言われて、
まあお爺とこう話していくうちに、だんだんその病気をちゃんと治して学問に向き合いたいなっていう気持ちが出てくるのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だから要は漢方薬じゃ治んないわけよ、倫病って。だから東京で有名な下界の先生に見てもらうことにしたの。
だから東京に今度は行くわけね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、東京に行って有名な下界の先生にこう見てもらうんだけど、ここでのエピソードで、当時の女性が病気になったりすると、まあもちろん医者に見てもらうけれども、
医者ってさ、男性しかいないのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
でさ、ギンコの場合倫病だからさ、要は下半身を見せなきゃいけないわけじゃん。裸でね。
スピーカー 2
ああ、はい。
スピーカー 1
で、これはさ、まあ今だってそんなさ、そんな普通に恥ずかしいって思うじゃん。当たり前だけどそんな感覚的にね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
でもさ、当時の女性っていうのはさ、今以上にそういうのがもっともう絶対無理っていう感じだったのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だから、そんな男性医師に下半身を見せるなんていうことはありえないし、しかも学生たちもいたんだって、そのギンコが診断受けるとき。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まあ要は研修生みたいな感じかな。で、10人ぐらいの要は若い男性だったり、まああと男性医師とかにね、全部見られちゃうわけよ。
で、ここですごくもう悪夢のような時間を過ごしたっていうことで、なんかもう診察が終わったらもう布団に閉じこもってもう大泣きしたっていうようなエピソードがあって、
この時ギンコはなんで医者は男しかいないんだっていうのをすごく思ったらしいのよ。
スピーカー 2
あー。
スピーカー 1
もし女性の医者がいたら、女性の医者に見せるだけで全然私の気持ちは違うのに、なんで男性に?
治したいから見せてるんだけれども、とはいえすごくやっぱり羞恥心っていうのは強いわけじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だから女性の医者だったらここまで私は嫌な思いをしなかったのにっていうのを思うようになって、
だんだんと自分が医者になればいいんじゃないかっていう気持ちが出てくるのよ。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、これ1871年の出来事なんだけれども、でここから徐々に医者に向かって進んでいくんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、当時って徐々にではあるんだけれども、女性の教育っていうのにも関心は出始めてた時期なんだよ。
ちょうどさ、1871年だから明治始まってすぐぐらいじゃん。
例えば小片郎がやった名作岩倉施設団に乗った津田梅子とか大山捨松とかいるじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ああいう女性が留学生として逃兵したのもこのぐらいの時期だし、っていう感じで女性が教育っていう部分に関しての熱っていうのは出始めていた頃ではあったんだけれども、
ただまだ女性が医者になるための学校なんて当然なかったんだよね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
なぜなら女性の医者なんて一人もいなかったから。
で、そもそもなんだけれども、男性ですら西洋医学の知識なんて当時ほとんどないのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
さっき出てた松本万年先生も漢方医だからね。東洋医学だから。
だからそもそもすごくハードル高いじゃん。もうその時点で。やっぱり学ぶ場所もないし、自分が学ぼうとしている医学に詳しい人もあんまりいないっていう状態だから。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この医者を目指すっていうことに対して、もう母親は大反対をしたの。
スピーカー 2
ああ、そうなんだ。