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スピーカー 1
そうそう。やっぱり、あの、食料不足っていうのもあったんだろうね。
うん。
それで言うとね、駄菓子屋とか、その当時ね、一銭店屋っていう言い方で呼ばれてたんだけども、
文字通りその、一銭で買える品物っていうのは、この時代ね、どんどん少なくなっていって、
そればかりかも、駄菓子もほとんどなくなってったんだよね。
特にね、甘いお菓子っていうのは、店先になくなっていって、時代がこう、どんどん戦時中に進んでいくと、
例えば、カステラ市って、カステラのさ、そこに敷いた紙があるじゃん。
うん。
そう、それを売ってたりしたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
もう、子供はその、かすかに残ったカステラのカスをこう、歯をこすりつけて食べるみたいな、そんな時代もあったんだよね。
スピーカー 2
なんかね、今でもやるけどさ、それだけしかないっていうのは悲しいよね。
スピーカー 1
そうそう。この本でも書かれてたけど、カステラの本体は一体どこに行ったんだろうっていう。
スピーカー 2
まあ、食べられちゃったんでしょう。
スピーカー 1
ね。あと、発火市っていう厚手の和紙で、口に入れると発火の味とか、かすかな甘みがあるような、なんかそういうものがわずかに売られるようになったんだよね。
だから、なかなかこう、甘いものが駄菓子屋でも手に入らないし、
そんな中、まあ、母親たちはさ、子供たちに、まあ、それでも甘いものを与えたいっていうんで、薬局に行って、朝ダメとか、遠いゼリーなんかを購入して、与えたりっていうこともしてたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
あとは、あの、家に闇屋っていうのが来ることもあったんだって。
うん。
これは、あの、闇屋って食料品をこう、非合法で売りに来る人たちで、これはあの、戦時化って徐々に配給制に移行していったから、自由に食料品っていうのは手に入らなくなってきたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
なんで、この闇屋からこっそりその母親たちが、他の人にバレないように食料品を買うっていうことがあって、子供たちはそういうのを見ていたんだけども、親にも絶対他の人には話しちゃダメっていうようなことを厳しく言われてたんだよね。
うん。
あとその、靴もね、なかなか手に入りにくくなってくるんだよね。
うん。
そう。で、子供たち、その、学校へ行ってたんだけども、普段、下駄とか裸足で行くことが多くて、で、たださ、遠足とか行事の時なんかは、靴を履いていくから、で、その時に履く靴がなかなか手に入らないってとこで、あの、学校でね、ズック靴っていうのを販売してたんだよね。
うん。
で、これを買って、ただこのズック靴も、行事のこう大切な時しか履かないから、その間、子供たちの足ってどんどん成長していくから、少しね、こう大きめのサイズを購入したりっていうような工夫をしてたんだよね。
うん。
で、感じのその学校に行くランドセルっていうのも、もう本革のものが手に入らなくなってきたりして、当時市販されてたものに、もうサメ革とかアザラシの革、あと食用ガエルの革なんていうのも使ったランドセルっていうのもあったらしい。
スピーカー 2
なんか、それはそれで高いんじゃねえの?って思っちゃうけどね。
スピーカー 1
すごいよね。今、絶対見ないもんね。
スピーカー 2
うん。まあ、ないだろうね。うん。
スピーカー 1
そう、だから当時もその本革の製品よりも高価に売られてたんだって。
スピーカー 2
ああ、やっぱそうなんだ。
そうそう。いや、カエルの革ってね、俺ちょっとこれ、ネットでさ、今カエルの革ってあんのかなって思って、ランドセルは見当たんなかったけど、牛ガエルのスマホケース作ってみたっていうのが、誰かがあげてたんだけど。
マジで?いらないな。
スピーカー 1
すごかったね。
で、戦時中って、さらに軍需品に使う金属類っていうのは不足してって、これは金属回収令っていうのが出されて、いろいろな場所で金属類っていうのは回収されてたんだよね。
ここで子供たちの視点で言うと、その学校の滑り台とか、C層の支点になっていた鉄パイプとかも撤去されて使えなくなったりとか、階段の手すりとか、そういったものも撤去されていったんだよね。
で、この戦時化っていうのは、もともとあの人情小学校、高等小学校っていう名称から、1941年に国民学校に解消するんだよね。
で、これは国家に尽くす人材育成するっていうことを目的に、初等教育が行われていったんだけれども、科目が国民科っていうのがあって、これは国語とか国史とか地理、あと衆心、衆心って今の道徳みたいな位置づけかなっていうのがあって、
あと理数科、これは理科、数学、芸能科っていうのが、これは芸術とか技能とかそういったもので、で、さらに体練科っていう、今で言うと体育だね。
ただね、この体練科って今の体育とはちょっと意味合いが違くて、目的は健康維持ではなくて、戦力としての体力作りだったり精神作りっていうのがメインだったんだよね。
これね、国民学校になって体練科の授業はね、3年生以上はね、2倍に増えたっていうぐらいすごく重要視されたんだよね。
スピーカー 1
うん。
それからね、戦時中、1941年にね、反対で集団投稿するっていうのが始まったんだよね。
うん。
それまではね、好きに友達と投稿してたりしたんだけれども、班長がこう、引率して、その班で二列横帯でこう、しかも喋っちゃいけなくて、無言で投稿しなきゃいけなかったんだよね。
うん。
で、投稿時には、あの班長がこう、服装とか所持品検査なんかもして、ボタンは取れてないかとか、爪は切ってあるかとか、耳の裏に赤がついてないかとか、なんかすごく厳しく見たらしい。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
耳の裏に赤がついてないかってすごいなって思って。
スピーカー 2
見てわかるんだ。
スピーカー 1
わかんないけど。
スピーカー 2
こっちはわかるだろうけど。
スピーカー 1
まあ、全部が全部ね、いろんなケースがあるだろうけど。
うん。
で、学校へさ、着くと法案殿っていう小さな建物があって、そこにね、再敬礼するんだって。
うん。
これ、あの天皇とか皇后の写真が収めてあったりとか、教育直後の写しなんかが格納されてるとこなんだよね。
うん。
で、その他にもあの、二宮健次郎の像に必ず礼をしたりとか。
うん。
うちらの時もあったけど、やってないよね。お辞儀したことないな。
スピーカー 2
うーん、お辞儀はしないな。
スピーカー 1
そうそう。で、さらにね、あの、四大節っていう、紀元節、天朝節、明治節、元日っていう、戦前の祝祭日があって。
うん。
で、これに合わせてさ、あの、学校で式典を行ってたんだよね。
うん。
で、この時に法案殿から、天皇皇后のその写真、御神絵っていうんだけども、が公道へ移されて、
その時に君がよとか、教育直後の朗読なんかも行われたり、校長の話っていうのもセットで行われてたんだよね。
うん。
かなりね、この式典は厳格に行われて、式の最中、あくびをしちゃいけないとか、咳払いとか、鼻をすする音すら許されない、その静寂の中やるんだよね。
うん。
で、この天皇皇后のその写真の覆いがこう外れる瞬間、目線を上げることすら禁じられてたんだって。
うん。
スピーカー 2
それぐらい天皇を威敬するっていうような教育が行われてたんだよね。
スピーカー 1
うん。
で、さらに国民学校の教師たちってすごく大罰が激しかったんだよね。
うん。
大勢の生徒の前で殴ったりとか、突き飛ばされたりなんかっていうのは頻繁にあったらしくて、
だけどそれに対して親が教師にクレームをつけるっていうことなんかほとんどしなくて、
もうそれが当たり前というか、教師のその大罰が厚い指導なんだっていうような、そういう感覚だったんだよね。
うん。
で、教師側もね、一応その親の職業、例えば親が記者とか弁護士とかだったら手加減するっていう教師も中にはいたらしいよ。
スピーカー 2
なんかそれはちょっと違う気がするけどね。
スピーカー 1
そうだね。そこはね、生々しいね。
で、教師に職員室で例えば呼ばれた場合っていうのは普通に入るんじゃなくて、入り口で何年何組、何々名前言って、何々先生のお呼びで来ましたみたいな、
すごくはっきり言わなきゃいけなかったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、そこで先生の誰かがよしっていう許可が出たら、何々入りますって言って入室するんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、必ず敬礼もすることが義務付けられてたりとか、なんかすごい生徒と先生のこの今の位置関係と全然違うなっていうのを感じるんだよね。
スピーカー 2
まあこれは、だって俺らの時と今とでもかなり違うなって思うしさ、多分それよりもさらに厳格だったわけでしょ?
スピーカー 1
いや、すごいと思うよね。
うん。
そうそう。だって教師に逆らうっていうか、口応えするってことはもうありえない時代だろうね。
スピーカー 2
まあ、そうだね。
スピーカー 1
で、学校で避難訓練っていうのもさ、行われるんだけども、やっぱ戦時中っていうのはすごく実際に空襲への備えっていうのもあるから、この訓練っていうのは重要視されたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、例えば防空頭巾の常時携帯っていうのはしていたし、避難訓練ではその生徒がさ、廊下に完全にもううつ伏せになって、これなんか書いてあったんだけど、両手の人差し指、中指、薬指を目で押さえて、親指で耳の穴を塞いで、小指で鼻を塞ぐんだって。
スピーカー 2
なんで鼻を塞ぐの?
スピーカー 1
これはね、爆弾が破裂した時の爆風を防ぐ目的なんだって。
へえ。
そうそう。まあ、耳とかはね、耳の鼓膜が破れないようにっていうのもあるだろうし、目はあの眼球が飛び出さないようにっていうのもあるらしい。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この戦時中ってさ、あの、例えば1940年からね、中等学校とか女学校なんかは筆記試験を廃止して、内診書とか身体検査と口頭諮問が中心になったんだって。
うん。
口頭諮問ってね、この試験官からいくつかの問いかけに対して答えるっていうようなものだったんだけど、ただその問いかけに対して絶対に反論してはならないっていうのがあったらしいんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
例えば、あの、日本の兵隊は何と言って戦死しますか?それはなぜですか?みたいな、そんな質問もあったりとか、これ答えにくいよね。
スピーカー 2
ちょっと全然想像がつかないんだけど、天皇万歳っつってとかそんな話でしょ、多分。
スピーカー 1
あ、そうそう。なんかもう従順な姿勢とか態度が最重要視されたんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、さらにね、あの、1943年にね、連合艦隊司令長官の海軍大将山本勲が戦死したっていうのがあって。
うん。