医局の外で会いましょう
こんにちは、ベトナム在住の内科勤務医、同志科ドクター、アイジュです。そして、
人生は命を懸けた思い出づくり、パーソナルドクター及び産業医として働くゆーです。
この番組は、いつのキャリアって何だろう?人生をもっと豊かにするには?
そんなテーマを軸に、お金や家族、そして生き様について、
自由気ままに本音で語り合う、雑談型ポットキャストです。
はい、というわけで、もう収録も3回目ですか?
そうですね、はい。3回目になりました。
世の中は、お盆真っ盛りですか?日本は。
そうですね、現状お盆真っ盛りなところですね。
お盆の時に、もう僕とか日本にもおらんし、
あの日本にいた頃は、あんなにお盆とか、子供の頃とかも夏休みとか待ち遠しかったのに、
6月に夏休み取ったり、7月に夏休み取ったり、8月に夏休み取ったり、いろいろ自由にできるようになっちゃって、
あの頃が懐かしいなと思う感じになってきてました。
いや、すごいですね。そんなに夏休み取ってないですから。
夏休み、でも今年は短いですよ、僕。
そうなんですか?
6月1週間と7月1週間だけ。
もうでも2週間。
2週間取ってれば、日本の人からすれば十分。
すみません、去年25日取りました。
25日取りました。
いやいや、取りすぎ。3週間超えてる?
3週間半。
すごいな。
というわけで、今回は2人でテーマをね、決めていきましょう。
何しようかって言った時に、なんかおもむろに始めたこのPodcast、Podcastから初めてね、
初めて聞いてくださった方もいらっしゃるかもしれないですけれども、
我々の幼少期からの追い立ちを深掘りしないかみたいな話にね、させていただいたんですよね。
そうですね。お互いのことをより知るためにというところですね。
リスナーの聞いてくださっている皆さんは、もちろん直接私とかゆうさんにお会いしたことある方はご存知かもしれませんけれども、
僕もゆうさんと付き合いも長いですけれども、知らないこともたくさんあると思いますんで、
お互いね、医者になる前もちろんですし、なった後もいろいろね、お話しさせていただければなと思って、
そうですね。
ちょっと今日、進めさせていただければなと思っております。
はい。お願いします。
ゆうさんって出身っていうか、生まれとかどこなんですか?
僕はもともともう愛知県内ですね。ずっと愛知県内で、
しかももう生まれから高校まではずっと県内の公立、ずっと公立小学校、中学校、高校まで公立でいてって感じですね。
お引っ越しは経験されてないんですか?
引っ越しは経験してないです。大学生の時に県外に出たので、そこが初めてでしたね。
大学生の時に県外に出たってどういうことですか?
要は大学生で受験で愛知県内の医学部にはいかなかったので、それで愛知県から初めて外に出たっていう感じですね。
そういうことですね。
なんでそれまでずっと愛知県内でした?
愛知県ってごめんなさい、本当に申し訳ないですけど、愛知県って言うと名古屋のイメージなんですけど、名古屋ではないんでしたっけ?
恥ずかしながら名古屋じゃない。
恥ずかしながら名古屋じゃない。
高校はでも名古屋市内に通ってましたよ。
一応県内の良い高校には行けたので。
素晴らしい、さすがやっぱり。
でも僕、そこ行けたのはもう弁学で行ってるわけじゃないんですよね。
そうなんですか?
弁学で、要は推薦で受かって行ってるんですけど。
スポーツ推薦とかってことですか?
なんかそれに近いところはありましたね。
あれなんですよ、僕ずっと昔から水泳をやってまして。
最初は本当に習い事から始めて、ただ小学校2年生から選手コースみたいなものに入って、
もう高校までずっと水泳を、要は365日泳ぐみたいな生活を。
選手コースして、つまり強化選手だったんですか?
そうですね、要は。
初めて知った。
一時それこそ、何ですかね、皆さん分かりやすいのは入亮介とか分かります?
もちろん。
彼、学年は下なんですけど、彼も選手コース、伊藤満の選手コースみたいなのでやってるはずなんですけど、
僕もある意味伊藤満出身っていう、伊藤満スイミングスクールっていうちょっとスイミングスクールで有名なところの選手コースに入って、
そう、あんまり高校までなんか昔の話は出したことないんで、確かに。
それで水泳バリバリだったのに、そっから国立の医学部行くんですね、まじすげえなそれ。
いやまあ、だから逆にあんまり昔からそんなにその私立に行くために受験勉強みたいなものを経験してなかったので、
逆にその高校で高校生活3年間楽しいんで、1年浪人してるんですけど、朝日が丘だと基本的に半分浪人するんですよ。
もう浪人率が50%ぐらいの高校なので、なので自分も現役では当然いけないぐらいの成績だったので、
無理だよって言われたときに、浪人しますみたいな感じで。
割と普通だった。
案の定、浪人して1年間だったんで、とりあえず。
もうそこで初めてなんかちゃんと勉強したっていう感じだったかもしれないですね。
それ高校に入った後もずっと3年間は水泳やってたんですか?
僕は途中でもう本当に水泳部もそれなりに結構早い人がいっぱいいたので、
自分が要はリレーメンバーにも選ばれないぐらいの結局早さだったので、
正直そこまでやっぱり高校になるともうランクとしては全然落ちてきてしまったっていうのもあって、
途中で辞めましたっていう。
辞めたっていうよりもあんまり本気のチームには入れなかったんで、
ちょっとフェードアウト気味になったっていう形ですかね。
すげーな。そんな水戦とかそういうので、
水泳やってたっていう話は聞いたことありましたけども、
そんなスーパープレイヤーだと思わなかった?
いやいやいやでも、そこでやっぱり何ですかね。
でも自分よりももっとやっぱり周りが早い人ばっかり。
そうそう。なんか宿命のライバルみたいにいなかったんですか。
宿命のライバル?ライバルはいない。
漫画みたいなさ。
あいつがあいつには負けないみたいな。
でもそれなんか負けないっていうのはないんですけど、
あいつには勝てないっていうのは常にいたんですよ。
もう幼馴染が本当にいて、
それこそ幼少期その選手コースも同時期に入った同級生がいて、
その子はもう後々同じように自分と同じ医者になるんですけど、
ずっと一緒なんです。小学校中学校は別々で、
高校から一緒になって、
同じ高校行ったんだ。
同じ高校しかも水戦で同じ形で行ってるんですけど、
すげえな。
スーパーテンサイなんですよ、彼が。
スーパーテンサイだし、スーパー水泳も早いんですよ。
もう何でもできちゃうやつだ。
何でもできちゃうタイプ。
そういう人間が常にそばにいたので、何やっても勝てないんですよね。
勉強でも勝てない、水泳でも勝てないみたいな。
だから逆に彼が身近にいたから、自分ってなんて凡人なんだろうみたいな。
何やってもできないよなって思いながら、
たとえ自分の中学とかである程度勉強ができる層に入ってたとしても、
絶対勝てないんですよ、その彼には。
お勉強もスポーツも勝手じゃなくて、しかもそれでいて人格者とかなんですか?
そこだけなんです、問題は。
人格はちょっと問題あるんだ。
要はちょっと変わり者、言い方悪いですけど変わり者だったっていう言い方かもしれないです。
悪いやつとか嫌なやつじゃなくて。
全然そういうやつじゃないです。
ただちょっとやっぱり何ですかね、
輪郭的にはちょっと変わってるねっていうふうに見られるタイプの人で、
ある意味本当に天才派だみたいな感じだと思うんですけど。
そっかそっか、天才派だなんですね。
ただそれと比べると自分はある意味人としては普通だねっていう言い方なんですよ。
まとも、人としては普通だよね。
まともって言ってほしいですよね。
まあまあまあ、でもそこでもうある意味彼には、
そういう能力的なところでは絶対勝てないっていうのが身についてたので、
ってなると自分が唯一そこのところ勝てるじゃないですけど、
比較されたときに人間性だけはまともでいいよっていうふうに思ってた部分はあったと思います。
面白い。すごいなあ。
もちろん今でもお付き合いあるわけですよね、その先生。
本当に、でも1年に1回とか連絡取るかぐらいですかね。
最近はもう自由奔放に彼もやられてるので。
なので、そう、だから自分がこんなふうに喋ってるってのはたぶん知らないと思いますし。
なるほどね。
そう、でも彼からの影響は大きかったと思いますね、全然。
やっぱそうなんですね。
自分が叶わない、今でも叶わないなって思うし、
でも彼のおかげでたぶん今の自分とか今のある意味人間性みたいなところは自分の中で作られてると思うので。
それは良い面も悪い面も全部含めてやっぱりその幼馴染の方の先生の影響力がすごいでかかったっていうことですよね。
でかかったと思いますね。
良いの悪いのだとどっちがとかあるんですか。
もうでもなんだろう、自分の性格的になんか、
彼がいたから自分はこうなってしまったとか、劣等感を抱いてしまったとかあんまりないですかね。
感じないね。
逆にじゃあ彼がいなかったら自分がどうなってたかって、
多分ここまで引き上げてもらえなかったんじゃないかなってところがあるし、
彼がもう常に上にいるから、
それは目立つっていうところまで正直自分は思ってなかったですね。
やっぱ叶わないから。
ただ自分がそこそこのレベルでできてても、
彼がそれを容易に上回ってくるので、
もう自分は別にやっぱりすごい人間じゃないよねっていうのは常にあって、
だからもう彼を見て、世の中もうこういう人いっぱいいるんだなみたいなのを常に感じてたので、
自分がなんかすごいって思ったことが一回もなかったっていう。
すごいな。
なんかユウさんめちゃくちゃいい人ですね。
なんかそういう人が周りにいたらさ、靴になりそうな気がするのに。
何ですかね。
だから逆にその能力的にはすごい彼はすごかったけど、
やっぱりちょっと抜けてる部分があるんですよ。
で、そこがある意味キャラクターとしても彼も立ったし、
そこの部分だけはなんか自分の中でもちょっと彼に勝ってる部分というか、
そういう思える部分があったからある意味バランスが取れてたのかなと思います。
そこが精神安定の部分だったというか、
そうですそうです。
ご自身が卑屈にならなかった部分だった。
そうですそうです。
面白いですね。
そうなんですよ。だから彼の影響はかなり受けてますね、それで言うと。
ちなみに大学は一緒じゃないんですか。
大学は別々です。
しかも彼は高3まで水泳やってストレートで大学も行っちゃいました。地元の。
もう何なんお前みたいな。
いますよね、そういう人。
すごいんですよね。
医学部ってそういう人多いよね。
でもいます。本当にやっぱ上位に入る人はもう、
何ですかね、普通にそこまでガリガリ勉強しなくてもスイッて入っちゃったりとか。
ちょっと幼少期の話から飛びますけど、大学の時に部室で、部室のソファーに寝転がりながら、
試験対策のみんなが作ったまとめたノートみたいなのをこうやってパラパラめくって、
ふんふんふんって言って、何ふんふんふんふん言ってんだろうなーみたいなこと言ったら、そいつが学年3番になったとか。
そういうやつだったんですよ、うちのその学年。
いますよね、でもそういう人って。
いや、でもいますいます。もうなんか本当に行ったら一回見たら覚えちゃうとか、そういう人もいるし。
ふんふんふんじゃねえよっていう。
でも衝撃だった、あれ。
なんですかね、医学部行くとやっぱ頭良い人も本当に頭良いですからね。
まあ、そうですよね。
じゃあ、やっぱその幼なじみの方とともに、高校でも3年ずっと水泳やってきて、途中まではまず本気でやってて、
はいはい。
で、医学部目指そうっていうか、お医者さんになってみようと思ったきっかけみたいなのあったんですか?
なんか今ずっと水泳と幼なじみの話しか出てこないけど。
まあ、でもそうで、医学部目指したきっかけが、全然感動的な話とかがなくて申し訳ないんですけど、
高校で要は大学を考えたときに、どこの大学行こうかなっていうふうに考えたときに、将来なりたい職業から、逆算じゃないですけど、して考える機会があったんですね。
要は、じゃあ大学行くんだったら、将来何人の職業つきたいかなって思ったときに、パッと出てきたのが、やっぱり弁護士と医者だったんですよ。
へえ。
で、今考えると、当時、やっぱり弁護士って、ドラマでヒーローとかあったじゃないですか。
うん。
あの氷村隆。
氷村隆のやつ?
そう。は、多分ガッツリ見てたんですよ。
あ、弁護士かっこいいな。
なるほど。
医者の方は、有名病棟24時とか。
ああ。
医療みたいな。
ああ。
もう、あの、それ見て、わあ医者かっこいいなみたいな。
もう、なんか職業物ってその2つぐらいしか今、記憶なくて、ドラマですごい、なんか流行ってたように。
はいはい。
多分、もろそのまま影響を受けてるんですよね。
へえ、面白え。やっぱそういうのを考えると、テレビ局とかの影響力は絶大ですね。
いやまあ、そうですね。で、まあ環境的に良かったのが、じゃあ自分がまあ文系か理系かで言ったら、もう明らかに理系だったんですよね。
じゃあまあ医者を目指すかってなった時に、まあそれで周りも結構医者を目指してる同級生がいたんですよね。やっぱり新学校ではあったので。
で、自分が医者目指そうかなって言ったら、ああ自分も医学部目指すっていうのは、周りにやっぱり複数人いたので。
そういった意味で、自分が浮かなかったんですね。別に医学部目指すって言って、じゃあもう一緒に勉強頑張ろうぜ、ぐらいな感じだったので。
それで、なんですかね、まあ結局1年浪人はしたんですけど、浪人してる時も同じ予備校に何人も同級生がいるし、学校の延長。
学校で結構医学部目指してるやつが多かったってことですか。
いましたね。結局自分の学年だと最終的に多分30人か40人ぐらいなってるんじゃないかなと。
まあ360人かな、のうちのそれぐらいの割合なってるので。
それはすごいな、やっぱ新学校ですよね、すごいな。
なので結構その、まあそういう同級生、周りの環境には恵まれてて、みんなと一緒にやっぱり勉強して、なんとか合格したっていうところの思い出がありますかね。
いや、そうなんですよ。だから、あんまり何かね、多いのはそれこそ幼少期に自分が重い病気して、それでお医者さん目指して、必死に頑張りましたみたいな、すごいちょっと感動的なものあるじゃないですか。
そういうのが全くないっていうところが。
いやいやいやいや。
うん、そうなんですよ。
でも愛知さんは、それこそもやっぱ親御さんの影響を受けられてるっていうところが大きいんですか?医学部とか、まあ学生時代とかも含めて。
そうですね、幼少期は、僕東京生まれ東京育ちなんですけども、基本的に父は大学病院務めだったんで、
大学病院の住んでる場所じゃない、勤務先の近くに住んでたりとか、あるいは父がなじみのあるところ、例えば大学の近くとか、大学の沿線とかいうところで幼少期を過ごしてたんですけど、
まあ、子供の頃から当直っていない日があるとか普通だったし、まああの、クソ忙しそうにしてたのは知ってるので、それが普通だと思ってましたね。
そうなんだ、え、すごい不思議なんですけども、僕もその友達に、それこそお父さんがドクターの人がいて、で、やっぱり家に帰ってこないことが多かったっていうのをエピソードとして聞くことがあって、
1個すごい印象に残った言葉があって、なんかその彼女なんですけど、その彼女がお父さんに向かって幼い頃に、なんかおじさんまた来てねみたいなことを、要は当直で去ってくお父さんに対しておじさんまた来てねみたいなことを言ったらしいくて、
なんかそういうのを話して聞いてたので、なんか医者ってすごい苦しい立場の人っていうか、お父さんとしてはなかなか大変なんだなっていうのがすごい頭にその時、はい、しびついたんですけど。
あの、その先生のお父様が、要はその先生方が何かによるかにもよると思うんですけど、僕の親父はね、僕と一緒で腎臓内科だったので、陶石室とか、夜の夜間陶石の日とか、あるいは当直の日とか、まあ、親父の書斎にその何て言うんですか、1ヶ月の予定表みたいなのもなんか手書きで書いてあったりとか、当時はアプロで書いてあったりとかっていうのは子供の頃からあったので、
それの存在はもちろん知ってたし、当直っていう言葉はなんか気づいたら知ってましたね、そういうものがあるっていうものも。
なるほどな、そうなんだ。
私やっぱ基本的に平日は朝は会いますけど、夜は会わないですよね。
あ、そうか、もう寝るまでに帰ってこない。
寝るまでに帰ってくるようになったのは、むしろ僕がやっぱ物心ついてちょっと遅くなってからだと思いますね。
大きくなってから。小学校の高学年はさすがに早く帰ってくるようになったかな。
でも平日夕飯一緒にご飯食べるっていうのはないですね、記憶にほとんどないです。
なるほどな。
ないです、ほとんどないです。
それはなかったな。
その代わり夏休み1週間ちゃんと取ったりとか、沖縄行ってたりとか、そういうのは親父はありましたね、うちは。
やっぱ父親の家とか、うちは内科医、腎臓内科医だからっていうのはあったかもしれないし、昔の外科の先生方とかだったらね、ほんとマジで全然。
まあそうでしょうね。
あるかもしれないしね。
それこそ、もうそういうお父さんがかなり忙しいっていうのは分かってたわけじゃないですか。
幼な心にしてもちょっと忙しそうだなって分かってる中で、それこそ藍寿さんが医者になろうっていうのを目指したきっかけって何だったんですかね。
僕ね、基本的に親父に医者になれって言われたことなくて、むしろ医者大変だから、お前みたいに根性レスなやつには向かないと思うみたいなこと言われてたんですよ。
根性レス。
まあまあそれは根性レスっていうのは愛情を込めて言ってたのか、なんか知らないけど。
でもなんかその、1回もお前は医者になるんだと言われたことはない。それはもう間違い。
そうなんですね。
で、なんかそれこそ進路のことを考えた時とかに、何になりたいかって言って、うーんってなってる時に、ちょっと自分が猛調疑いみたいになった時に病院行って、ちょっとお医者さんかっこいいなと思ったんですよ。
なるほど。
それでしかも特別待遇みたいな感じで、全部すり抜けて検査室とか行かせてもらえるから。
そういうことですか。お父さんがドクターだからっていうところ。
そうそうそう。
お父がね、普通になんか裏で手続きセリとか見るって感じだったから。
なんか、ああ、医者ってなんか大変だけど、やっぱかっこいいなっていうのは純粋に思いました。
今考えると高校1年生ぐらいなんですけど、それが。
その時ぐらいに、ああ、なんか医学行ってもいいかなって思ってて。
で、なんか、母親にそんなに簡単に医学部なんて行けるもんじゃないんだから、なりたいとか、なれるかもっていうチャンスがある人だったら、なんかお医者さんになってもいいんじゃないっていう。
ああ、なるほど。
そういうことはありました。要は、なんつーのかな。
うちの母は全然、医療関係者でもなんでもない人なんで、医学部が大変とかそういうの全く思ってなかった。
まあ、お医者の妻だからね。
あの、お医者の大変さは知ってたと。僕よりもはるかに知ってたと思いますけれども。
で、父が言うので、まあ、父親のことは別に尊敬してましたしね。今でも尊敬はしてますし。
まあ、この家族な感じになるんだったら、まあ、医者はこういう風になるんだろうなとかのイメージはやっぱりつきやすいじゃないですか。
まあ、まあ、そうですよね。
自分の父親がやってる職業っていうのはやっぱり身近ですからね、とっても。
まあ、そうですね。
そう、医者が身近な職業ではないってやっぱり気づくのって中学生ぐらいだったんですよね。
そうか。まあ、当たり前の身の回りにいるから、普通の職業としてね。
サラリーマンっていうのが、おじいちゃんたちの存在だと思ってたんで。
そういうことか。
だからなんか、それでなんか、え、医者ってそういうのなんだって思うようになったのは中学生ぐらい。
それまではね、別に。小学校も僕私立だったんですよ。私立小学校だったんですよ。
で、お医者さんの子供たちも結構いっぱいいたし。
まあ、そうでしょうね。
はい。なんで、なんか別に特別な存在じゃなかったんですよ。親が医者っていうの。
そうか、また周りもそういう環境だったから全然普通だったんですね。
で、中学から男子校に行ったんですけど、都内の。
そこで医学部とか医者の希少性っていうのを知って、なれるんだったらなってみようかなみたいな。
まあ別に、多分人におせっかいやくのは別に嫌いじゃなかったんだと思うんですよね。きっと。その当時でも。
なるほど。
はい。ただ優しい性格ではないので、僕の中でもお医者さんって優しいイメージだったから。
ああ、はい。
だけど、よく考えてみれば、親父は別に優しい人じゃなくてむしろすっげえ厳しい人だったから、なんか関係なかったんでしょうね。
そういうことですね。
親父はものすごい昭和の頑固い子みたいな人なんで。
なるほど、なるほど。
もう普通に大罰は正義みたいな育てられ方をしてましたね。
そうなんですね。
全然そうでした。
すごい。
まあ昭和だからね。
まあまあそうですよね。
高校生になって、その時に医学部行こうかなって思って、ありがたいことに元気で入れたので。
ああ、そっか。でもやっぱりそこは能力があったんですよね。
話は尽きないところですが、今日はここまで。いかがでしたか?最後にお二人からのお知らせです。