1. 「大人の近代史」今だからわかる日本の歴史
  2. 第43回「八甲田山遭難事件」日..
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八甲田山遭難事件
日本帝国軍青森第5連隊210名は輸送ルート検証のため冬の八甲田山で雪山行軍を行った。
雪山に対する備えや指揮系統の乱れ、観測史上最大の寒波などの不運も重なり、199名が死亡する大遭難事件となった。
00:04
すべての人間は生まれつき、知ることを良くする。始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。えっと、なんか久々にすげーちゃんとわかる言葉だった気がする。
そうだね。これギリシャのね、哲学者アリストテレスの言葉なんだって。
あのアリストテレスですか。
そうそう。なんかさ、やっぱ人って知るってことを欲するよね。
まあ、なんか気になるよね。知りたいなって。
ね、知りたいっていう人間の欲って、特にさ、なんか学生の時よりもさ、大人になってからの方が自分はなんかあるというか。
あの要は学校ってさ、自発的な部分ってあんまり自分なかったんだよね。
まあ、なんかわかる気はする。だってもう用意されたものから選びなさいだったじゃん。
選びなさいでもないよね。用意されたものをやりなさいだったよね。
ああ、そうそうそうそう。
うん。で、多分今ってさ、今この大人の近代史なんかも多分そうなんだけど、好きだからやれるっていうかさ、興味あるからやれるっていう部分であるじゃん。
まあね、うちらもね、興味あるとこしかやってないけどね。
そうそう、なんかこれ興味ないところをさ、ちょっと調べてやってくれちゃったらちょっと辛いところあるよね。
ああ、そうそう。まあ、あとは自分も知らないところをあえて調べてみたいするのは面白いけどね。
まあ、その知らないところがわかるとかさ、知れるっていうのは良い機会だよね。まあ、これは本当に俺らもそうだし、リスナーの方なんかもさ、もしかしたらそういう思いで聞いてくれてるのかもしれないからさ。
ねえ、これさ、多分いくつになってもさ、どんなにさ、歳を重ねたとしても知りたいってことってあるよね、きっと。
ねえ、あの本当、ジジイとかになってもさ、全然知りたいって多分あるんだろうね。なんか覚えても忘れちゃうんだろうけど。
ああ、まあね、でもなんか不思議だなって人間って。
まあ、そんなこんなで、じゃあ今日は長丸のカイナルで、テーマは何でしょうか。
はい、今日は八甲田さん遭難事件やりたいと思います。
ん?八甲田さん遭難事件か。
うん。
えー。
知ってる?ちなみに。
あのね、八甲田さんは知ってるけど、遭難事件ってどんなんだろうってわかんないな。
あ、じゃあ、これはねえ、えっと、一言で言うと、もう実は事件の名前がさ、もう遭難って入ってるから、あ、遭難した事件なんだねっていう話じゃん。
うん。
ただ、一応日本の産学史上最悪のもう事件って言われてるんだよね。
えー、知りたい。
というわけで、じゃあちょっとそれをテーマでやりたいと思います。
はい。
まず八甲田さんって、ちょっと知らない人もいると思うから、一応八甲田さんってどこにあるのかぐらいはちょっと言っておきたいんだけど。
うん。
青森市の、まあ南側にあります。
あー、寒いとこだ。
03:00
うん。で、標高はね、1585m。で、八甲田さんっていう山があるわけじゃなくて、なんていうの、よくあるじゃん、あの、ま、まるっと八甲田さんみたいな感じ。
いつかこう山があって、あの何々だけ何々だけっていうのはこう重なって、全部あって、全部ひっくるめて八甲田さんですみたいな。
あー、そうなんだ。
だから大体この辺が八甲田さんっていう山ですよみたいな感じ、イメージとしては。
うん。
で、ここ、そう、遭難事件が出るぐらいだから、まあ雪過ごそうだなっていうイメージあると思うんだけど。
うん。
そう、その通りで、ここ世界有数の豪雪地帯なんだよね。
えー、そうなんだ。
うん。っていうところがまあ特徴としてあるっていう山かな。
うん。
まあこれ現代版だけどさ、今とか、あの普通に八甲田さんでスキー場とかあったり。
うん。
あとさ、樹氷って分かる?あの木が凍ってさ、なんかちょっとこう綺麗なオブジェみたいになるやつ。
あー。
あれの名所でもあるんだよね。
あ、そうなんだ。
うん、まあ要はそれだけ寒くって雪がすごいところっていう感じかな。
あー、そうか。
で、ちょっと事件の方に戻るんだけれども、まあ八甲田さんで遭難したっていう事件ではあるんだけど、これまず年号が1902年。
ちょっと周りの事件で言うと日清戦争が1894年で、日露戦争が1904年。
で、1902年っていうのは、あの前にもやったけど日英同盟が結ばれた年だよね。
あー、そこら辺か。
まあ日本としては大体こう、上り調子のこの段階で起こった遭難事件なんだよね。
うん。
で、まず、じゃあなんで八甲田さんで遭難が起きたかっていうところの経緯なんだけれども。
うん。
遭難した人たちってね、これ軍なのよ。陸軍。
えー、そうなんだ。
青森第5連隊っていう、まあ青森の要は陸軍だね、簡単に言っちゃうと。
うん。
まあ210人がこの八甲田山に登ったんだけれども、その210人が要は遭難したわけ。
はいはい。
で、じゃあそもそもなんで軍隊が八甲田山に登ったのって。
だって日本ってさ、もう内乱とかないからさ、軍がさ、こう日本の中でわざわざ危ないとこ行く必要ないじゃん。
確かに気になる。
まあ一言で言うとこれ訓練なんだけど。
まあただ訓練は訓練でも、ちょっと意味のある訓練で、どちらかというと検証職が強い訓練で。
検証職?
検証ね、検証。試してみようみたいな。
あー。
で、これなんでかっていうと、まあ日露戦争がさ、もう2年後に起きるじゃん、1902年で1904年だから日露戦争って。
あー、うん。
そう。で、ロシアをもう警戒してたわけ、もう当時は。やっぱり日英同盟結ぶぐらいの段階だから。
で、もしロシアが日本に攻め行ってきて、だいたいさ、攻められる場所ってなんとなく目星つくわけよ。まあ北海道かなとかさ。
なんかロシアがいきなり、例えば福岡には来ないわけよ。
はい。
効率悪いっていうかさ、そんな攻め方しないでしょ、さすがに。
あー。
袋叩きだもん、そんなロシア軍来たって。
うふふ。
普通は北から来るわけじゃん。
うん。
06:00
で、それを想定して、青森のさ、ちょっと右、八戸とかあの辺?
うん。
あの辺に攻められちゃった時に、道路とかが遮断されて、要は輸送だよね。輸送が麻痺しちゃった時に。
はい。
青森市から八戸まで輸送ができるかっていう実験をしたかったの。
あー、はいはい。
で、その時に八甲田山っていうのが通らなきゃいけないルートになるの。
うん。
だからまず物資を物理的に輸送できるのかどうかっていうのを試してみましょうっていう検証がまず1個あったの。
はい。
で、プラス日露戦争をある程度ちょっと想定段階に来てるから、まあ寒い場所でやっぱりこう鳴らそうっていうところもちょっとあったらしいんだよね。
うんうんうん。
これ参考程度なんだけど、日露戦争がさ、行われる部隊の満州国みたいな、まあ当時は満州国ないけど、満州辺りってだいたい気温が冬でマイナス10度とかその辺ぐらい行くんだって。
はい。
で、青森とか東北地方ってマイナス10度まではそんなにはいかないのよ。
うん。
で、ただ山とか登るとほら寒くなるじゃん。
うん。
そうするとやっぱりマイナス10度は普通に行くから。
うん。
そういうのも兼ねて、そういうところで訓練するのもいいんじゃないの?ぐらいな感じ。そっちはそんなに大目的ではないっていう感じ。
ああ、そうなんだ。
本当に目的はその先に述べたその検証の部分。
うん。
そのルートちゃんと使えるのかなみたいな。
ああ。
で、じゃあ検証しましょうになって、軍が動くっていう風になるんだけれども。
うん。
時系列で遭難の経緯を話すと。
うん。
まず1902年の1月の18日に旅行演習するのよ。
うん。
試しにちょっと好運してみようかって言って、140人で旅行演習してみるわけ。
はい。
で、その日はね、すごいね天気良かったんだって。
ああ。
で、そんなに深いところまで行かなかったから、ああなんだ、行けんじゃん行けんじゃんみたいな。
うん。
成功して帰ってくるわけ。
だからさ、そこでさ、天気もいいしさ、全然もう余裕だったわけよ。
うん、確かに余裕だった。
余裕だ。余裕っつったらあれなんだろうけど、まあ余裕だったわけね。
だから結構こう楽観視になってんのよ、まず風潮として。
うん。
なんか楽勝っぽいっすよみたいな。
で、その3日後に、じゃあ本格的にやってみようかっていうんで命令が下されるの。
で、それが1月21日か。
うん。
で、1月21日にじゃあ行きましょうっていう命令が下されて、そこから2日後に出発するのよ。
ああ、はいはい。
これどういうことかっていうと、要は2日間しか準備できないわけね。
ああ、何が?
山に行く準備。
ああ、はいはい。
だって命令される側って別にもう自分たちが行きますっていうの知らないわけよ、そもそもだけ。
ああ、そういうことか。
そうそう、試しにまず横演習やってみて、ああ、これ大丈夫でしょみたいな感じになって群が決めるじゃん。
で、1月21日によしじゃあやりましょうと、じゃあお前ら行けっつって、そこで初めて知らされるわけよ。
うんうん。
ああ、じゃあなんか冬の雪山行くから準備しなきゃっつってさ、まあ準備するわけじゃん、なんとなくで。
09:04
はいはいはい。
で、まあそんな感じなわけ、まあとりあえず雰囲気としては。
ああ、じゃあ準備期間に2日かかったんだ。
まあ2日っていうか、まあそんなさ、今日命令した明日行けって言うほど過酷ではなかったってことだよ、さすがに。
ああ、はいはい。
2日は空いたってわけ。で、1月の23日の午前6時55分に青森の基地を出発するのよ。
おお、だいぶ早く出たね。
うん、どんだけ時間かかるかわかんないから。
うん。
で、もちろんこれはある期で行ってるわけだけど、途中、八甲田山に向かう途中にね、村人たちに会うのよ、地元民に。
はい。
地元民たちが、え、八甲田山行くのやめたほうがいいっすよみたいなこと言うのよ。
ああ。
いやマジやめたほうがいいって、なんか見たところ装備もそんな完璧じゃなさそうだしみたいな。
ああ、はいはい。
ちょっと舐めてるよね、まあ舐めてるなんて軍隊に言えないからさ、そうは言ってないだろうけど。
うん。
ちょっとやばいっすよみたいな。で、もしそれでも行くんだったら、あの案内役やりますよって道案内しますよみたいな、言ってくれたのよ、村人が。
うんうん。
でもね、なんかその軍の中ではさ、ちょっと楽勝ムードみたいなのもあったわけじゃん。
うん。
だから、いや地図とコンパスあるから大丈夫みたいな感じで、って断っちゃうんだよね。
へえ。
なんか、えいーって、あの地図と法事釈あるからさって、それで行けるから大丈夫つって断っちゃって、そのまま突き進むの。
へえ、じゃああんまりそんなにちゃんとした準備じゃなかったんだ。
そう。だからこれ最終的にもうわかることなんだけど、ちょっと舐めてんだよね、早い話が、ちょっとこのぐらいの段階で。
ああ、山をね。
そうそう。で、そのまま行って、物資の輸送ってソリを想定してたもん。
はい。
ソリで運べるかっていう、まあ検証なわけ。
うん。
でさ、この辺って豪雪地帯だからさ、すっげえさ、もうソリなんか役に立たないんだよね、最終的に。
ああ。
もう数メートルの雪が積もってるようなイメージ。
はいはい。
だからさ、どうしてもソリ帯がさ、遅れ始めちゃうのよ。
うん。
で、これはもうなんか厳しいなって、ちょっとこうだんだんなってくるわけじゃん、空気が。なんかこれちょっと厳しそうだなみたいな。
うん。
で、よしじゃあ一旦昼食にしようつって昼飯にしようとするんだけど、おにぎりをみんな持ってきてたらしいのよ。
ああ、はいはい。
でもさ、気温がマイナス、氷点下いってるからさ、おにぎり凍ってたんだって。
ははは。
で、これさ、雪山の常識らしいんだけど、おにぎりとかそういう食べ物って懐に入れとくんだって、こういう時って。
ああ、そうなんだ。
それで凍らなくするっていうか、自分の体温でね。
うん。
で、割とこれが常識らしいんだけど、ただもちろん知らないわけよ、知らないっていうかさ、みんなさ、だからさ、そんな2日ぐらい前にさ、行きますよって言われてさ、行ってる人たちじゃん。
うん。
だからさ、まあ本当に知らないにつきちゃうんだろうけど、知らなかったから普通に、まあカバンとかに入れてたのかな、ちょっとわかんないけど。
うん。
もう凍ってるわけよ、おにぎり。
え、食えないじゃんみたいなね、じゃあもう諦めよっつって、目的地までどうせ頑張れ着くから諦めよっつって食わなかったりっていう感じで、そこで全然こうエネルギーも補給できなかったわけよ。
12:05
うん。
そしたら途端に天候が悪化したわけよ。
へえ、天候悪化したんだ。
そうそう。
でね、ここで、まあ上の人たちがちょっと会議するわけよ。え、このままどうする?行く?行かない?みたいな。でね、ここで日本のちょっと、まあ悪しき習慣っていうのかな、途中村人断ってんじゃん。
うん。
村人があんな薬買って出てんのに断ってんじゃん。
うん。
で、これで戻ったら俺らちょっと面目立たなくない?みたいな風潮もあったんだって。
あー。
いやだってあの時に、地図と俺自身あるから大丈夫だよみたいな感じで強気で行っちゃって、それでいやごめんなさい無理でしたみたいなちょっとさ情けないじゃん。
うん。
でなんか、いやここはもう行こうよみたいな感じになって、もう天候悪化したんだけど先に進むことを決定したの。
へえ。
で、ここからがもうデスマーチなんだけど完全に。
うん。
でそのままもう頑張っていくんだけど目的地のほんと1キロか2キロぐらい手前でもう無理だなみたいな感じになるんだよその日は。
うん。
これ以上は進めないこんな猛吹雪じゃんみたいな感じになって、そこで漏洩するのよ。まあそこで止まるわけ。
あー止まるんだ。
そう。でそれが時間で言うと午後8時15分だったんだけど。
うん。
で、漏洩するにもさ、まず装備が貧弱なのよ。
うん。
例えばね、これがえ?って思うんだけどスコップが、まあ雪掘ってさ、こう漏洩だからさ、雨は降ってないか、まあ吹雪だからさ、こう、吹雪の風を凌ぎたいじゃん。
うん。
なんだけど、大体20人に1人分ぐらいのスコップしかなかったんだって。
あーはい。
要はだから210名の連帯だから、まあ10個ぐらいしかなかったんだよねスコップが。
へえ。
で、これさ逆に言うとさ、その1つのスコップで20人がこう入れる穴を掘んなきゃいけないのよ。
うん。
無理じゃん。無理だよね。で、なかなか、やっぱなかなかうまくいかなかったわけ。それはまず1つ。
はい。
で、よしじゃあ火使おうってなって、もう飯食いたいよって言って、火使おうにも雪がさ、もう数メートル積もってるわけよ。
うん。
だから火起こしても雪が溶けちゃって、バーってそこの部分が、こうなかなか火がちゃんとついてくれない。
うん。
っていう感じになっちゃった。だから暖もなかなか取れないし、飯も食えない。
へえ。
あ、もちろん飯はほら、あの凍ってるからさ。
あー。
で、最終的にさ、これもう寝たら死ぬぞってなって、軍歌歌いながら足踏み命令が出たんだって。
すごいね。
いやまあでもそれはしょうがないんだよ。当たり前っちゃ当たり前じゃん。だって寝たら死ぬんだから。
うん。
でさ、ほんとその場しのぎなんだよね。だってこの人たちさ、昼飯もろくに食えてないじゃん。
うん。
で、夕飯も食えてないじゃん。
うん。
で、1日歩き通しじゃん。寒さで体力も奪われてるんじゃん。
うん。
かつ、軍歌歌いながら足踏みでよ。
うん。
もうなんかデスマーチ入っちゃってんだよ完全にこの時点で。この時点というかその前から入ってるけど。
やばいね。
そう。でここからはもうちょっとサクサク行くんだけど。
うん。
次の日、午前2時にこれやっぱり上層部で話し合って、いやもうこれやばくねって。戻ろっかってなったんだって。
15:05
はいはい。
で、目的はさそもそもだけどさ、八甲田さんのルートが補給料として使えるかどうかっていう検証が大目的だったわけじゃん。
はい。
結論使えないっていうのがわかったじゃんもうこれで。
それ沈んじゃうから。
うん。
これ使えないね、もうわかったから帰ろうぜってなって、帰還することを決定するのよ。
うん。
で午前2時に、もうこれここに留まってたらもうどんどん疲弊するしやばいから、もう午前2時だけど行こうってなって出発するのよ。
うん。
でね、この日ひどいのよ。この日はね、なかなかひどいんだけど、まずあっちが道ですよみたいな感じで言った人がいたんだよ。
あっち行けば早いっすよみたいな感じで。
うん。
言ったら全然違う道で、みんな迷子にされちゃうのよ。
うわぁ。
で、山だからさ、要はさ、下っていけばいいわけじゃん。
うん。
でもね、なんか谷に行っちゃったんだって。山と山の間の谷に。
うん。
いやこれもうダメでしょみたいな感じで、崖を登る羽目になったんだってその日。
へぇ。
で、そこでもうみんな疲弊するわけ。
うん。
で、最終的にこの日700メートルぐらいしか進んでなかったんだって。
うん。
これもちろん後々わかるんだよ全部。
ここの時点で遭難者出てるからすでに、遭難者っていうか死亡者も出てるし。
あぁそうなんだ。
うん。もうこの時点でね、4分の1ぐらい死んでんの。この日で。
うわぁ。
で、700メートルぐらいしか進んでない、なんでわかったかっていうと、そこに死体があったからっていう。
あぁ。
後々ね、回収した時に、
あっこいつがここで死んでる証言からすると、こいつはいついつまで生きていた人だからみたいな感じでこう、
追ってってだいたいこの日、もう本当に行ったり来たりしかしてないんだなっていうのがわかったんだよ。
うん。
だって1日歩いて700メートルだよ。やばくない?雪山とはいえ。
やばいね。
700メートルって直線距離の話なんだけど、まあ要はいっぱい歩いてるけど、結果として700メートルしか進めてないっていう話ね。
あぁ。じゃあもう本当に過酷で歩きづらかったんだろうね。
うん。それもあるし、道に迷ってたっていうのもあって、もう行ったり来たりなんだよ。
で、ちなみになんだけど、大井自身はもう役に立ってないの。
うん。
大井自身凍ってるから。
あぁ、そういうことか。
そう。だから、もう役に立たないものしか持ってないの、この人たち。
うん。
この日はもうそれで終わるんだけど、で、次の日、午前3時に、この時点で70人もういないもしくは死んでるがわかったの。
うん。
210名中70人。まあまあだよね。3分の1だから。
ね。
で、この隊を指揮してたカンナリさんっていう人がいるんだけど、
うん。
で、この人がもうこんな状況だから、天は我らを見捨てたらしいって言っちゃったらしいのよ。
うん。
俺らは死ぬためにここに来たんだぐらいな感じで言っちゃったらしいのよ。
へぇー。
で、それを言ったがために、すごい士気が低下しちゃったんだって、その残った人たちの。
うん。
あ、そうかもう俺らもうダメなんだ、死ぬんだみたいな感じで。
はいはい。
で、士気低下、隊列が乱れ始めちゃった。ここでもうどんどんどんどんみんなバラバラになってくんだけど。
18:01
うん。
で、次の日に、えっとね、まあ残ってた隊がまだあるから、その隊の記録だけを追うと、
普通だったらそこ2時間で行けるよねっていう距離を1日かけて歩いてたらしいのよ。
うん。
もうみんなボロボロだからさ、もうこれは単純に方向は合ってても進むスピードがもうそれだけ遅かったってこと。
あーはいはい。
で、1月27日に、あのもうみんなこの時点ではもうバラバラね。
うん。
もうそんな何十人ってまとまってるところの方がなかったわけ。
あのもうほんと何人かがまとまってたり単独で動いてたりっていう感じ。
みんなもうバラバラになってて。
で、そこでさっき言ったカンナリ隊とゴトウさんっていう方が、人がいるんだけど、この2人になっちゃったのよ。
うん。
で、カンナリ隊がもう虫の域になっちゃってて、もう俺を置いてお前だけでも行ってくれっていう感じで、そのゴトウさんに言うわけ。
うん。
で、このゴトウさんは分かりましたっつって頑張って1人で行って、
あの、ちょうどもうその頃救援隊っていうのが、
あ、もう戻ってこないおかしいぞってなって出てきてるの。救援隊向こう向かってたの。
うん。
で、このゴトウさんは救援隊に一番初めに発見された人なんだよね、実はこの日に。
あーそうなんだ。
そう。で、このゴトウさんは、あの要は帰りのルートあってたのよ。
うん。
だから一番早く発見されてるわけ。
うんうん。
ただ、もう過死状態だったわけ。
発見された時は過死状態で、あの、蘇生を試みて何とかこう息を吹き返してくれたっていう感じらしいのよ。
あーそうなんだ。
もうそういうレベル。で、そのまんまこのゴトウさんが見つかったところから、1キロぐらいだったかな。
あ、1キロも進んでないの。まあ本当に数百メートルぐらいだったと思うんだけれども、
ぐらいのところにこのカンナリさんの死体があったので。
へー。
で、まあそんな感じで、どんどんどんどんこう、死体を回収していく作業がまあ行われていくんだけど。
うん。
で、もちろん生存者もいたわけよ。ゴトウさんも最終的に生きてるからね、この人も。
さっき過死状態って言ったけど、生き返ってるから。
で、最終的にえっと2月2日まであの捜索はして、最後の生存者がそこで見つかるんだけれども。
うん。
で、生存者は18人見つかったのよ。
あ、18人だけか。
そう、しかもうち7名はもう見つかったけど死んだの、最終的に。
へー。
だからゴトウさんはそのまま生き返ったんだけど、ゴトウさんみたいな状態で見つかって病院に運ばれたけど死んじゃったっていうパターンが7人もいたってこと。
へー。
で、要するにまともに生きてたのは11人ってこと。
うわーすごいね、それ。
そう、で、しかもこの11人は8人ぐらいはもう頭症で手足切断。
発見されたゴトウさんも手足切断。
うん。
まあ本当に210人が参加して199人が死んじゃったっていう恐ろしい遭難事件だったんだよね。
うん。
で、まあこれがまあ経緯なんだけれども、まあじゃあなんでこれが起きてしまったかっていうところに入るんだけれども。
はい。
まずもうこれずっと言ってたけど、装備が貧弱なんだよね。
うん。
これね、なんかまあ半分冗談もあるんだろうけど、この人たちのゴール地点って温泉地だったらしいんだよ。
21:05
うん。
だから抗軍するときにあのタオル1枚持ってきゃいいよねぐらいのなんか雰囲気だったらしい。
はぁー。
温泉に行くから。
やばいね。
いやもちろんそれはないよ、あのちゃんと毛布とか持ってるけど、ただやっぱそういう発見が後々出ちゃうぐらい多分緩んでたっていうことは多分ね、あったんだと思う。
うん。
そう、で実際温泉どころかね、だってタイのさ、生存率5%ぐらいだからね、10人ぐらいしか生きてないわけだから200人中の。
うん。
恐ろしいあの遭難事件を起こしちゃったわけよ。
うわー溜まったもんじゃないねこれ。
ね。
で、まあ装備がもちろん貧弱だったっていうのもあるし、であと天候が悪化したって言ったじゃん。
うん。
あのね、これ本当に運が悪いんだろうなって思うんだけど、この1902年の冬って、なんかシベリア換気団の影響で日本の全国各地で観測指示を最低気温が出てたんだって。
あーそうなんだ。
そうだから箱田さんももちろん例外じゃなくて多分ね、いつもより絶対寒いのよ。
うん。
気温で言うと氷点下マイナス20度ぐらいだったらしいから、マイナス20何度とか。
うわーすごいね。
すごいもうなんかそんな環境だったと。
で、やっぱりもう一つあるのが四季系統の混乱っていう部分があって、
うん。
これあの、さっきの経緯のところでカンナリ大尉がさ、天は我らを見捨てたらしいって言ってこう乱れちゃったっていう話もしたけど、
はい。
まあそれもあるんだけどその前に、ちょっとね複雑なんだけど、カンナリ大尉じゃん。
大尉ってさ、小尉、中尉、大尉ってあって、その上にさ、少佐、中佐、大佐ってのがあるんだよ。
うん。
でね、この連帯には山口少佐っていう人がいたのよ。
うん。
でも仕切ってたのはカンナリ大尉なわけよ。
はい。
言いたいことは何かって言うと、自分より偉い人がいるのよ、軍に。
うん。
だから変な話、周りはじゃあどっちの指示聞いたらいいんだろうってなってくるじゃん、たまにそういう時あるじゃん、多分。
これ会社とかでもあると思うんだけど、言ってることが違った場合にじゃあどっちの言うこと聞きゃいいのみたいな。
はい。
で、山口少佐は、少佐で結局なんか独自に言ってたこともあったらしいのよ。
これ山口少佐が死んじゃってるから何とも言えないんだけど。
うん。
で、それに従ってた人たちもいたわけだから、なんかその辺でやっぱ、指揮系統がちょっと乱れてたっていうか、なんかめちゃめちゃになってたっていう証言もある。
うん。
まあそういうところもありの、一番ダメだったのは情報の不足っていうところがあるって言われてるんだよね。
うん。
で、何が情報の不足かっていうと、まず露営の仕方とかを知らないわけ、みんな。
あーはいはい。
雪山でどうやって露営したらいいですかとか、そもそも装備どんなものをやった、あのご飯が凍っちゃったって話もそうじゃん。
うん。
情報がないのよ、とにかく。
あー。
でね、あとね、まあみんな糖醸し出すのよ、やっぱ1日目2日目ぐらいで。で、まだ生きてんじゃん。で、その時に火を起こせた人たちが糖醸した腕とかを火に当てちゃうんだって。
うん。
で、これってね、実はNGで。
24:01
うん。
糖醸してるから感覚ないのよ。だから火に当てると火傷しちゃうんだって。
あーはいはい。
で、悪化すんの。もうそっからどんどんエッシーしていっちゃうけ。
へー。
っていうのを知らないから、バンバン火に当てて糖醸悪化させちゃってっていう人も結構多かったらしいのよね。
うん。
まあ気持ちはわかるじゃん。だって超手冷たくなってんだよ。
うん。
っていうのもあって、まああとはなんつーの、細かいところだけどさ、替えの下着用意してないとか。
あーはいはい。
靴下とかね。これね、助かった人の1人がね、替えの旅を用意してたのよ。
うん。
本当そんな単純なところで助かってる人もいるんだよね、やっぱり。
あーそうなんだ。
まあこんな感じで、この遭難事件っていうのは起こってしまったんだけれども。
うん。
で、結局この八甲田山遭難事件で活かされたことって何かっていうと。
うん。
まあ単純にだよ。やっぱり日露戦争に向けてのさ、検証訓練だったわけじゃん。
うん。
だから日露戦争でさ、やっぱりこう満州辺りをこう攻める時にさ、寒いっていうのがわかってたから、その時にこう装備っていう部分で参考になってるんだって。
あーはいはい。
こんな貧弱な装備じゃあんな寒いとこダメだよっていう感じで、日露戦争におけるところでちょっと活かされたっていうところもあるし。
うん。
単純にあとね、これ日本人全体なんだけど、雪山舐めちゃいけないぞっていうなんかすごいもう教訓になったらしいのよ。
あー。
で、これなんで教訓になったかっていうと、これ日本中大ニュースになったわけ。
うん。
だって200人死んでっからね。
ね、すごいよね。
そう、てことで、島嶼に関する知識だったりとか、そういう雪山に対する恐怖知識っていうものがもう結局さ、そうやってナレッジとしてさ、日本ってなかったわけよ。
うん。
ままでさ、江戸幕府ぐらいまでさ、まあ要は藩がさ、藩でさ勝手にさ、その中をさ仕切ってたわけじゃん。だからさ、日本全体で統一したものみたいなものって明治政府になってからなわけじゃん。
うん。
だからなかったのよ、そういう知識って。まあ変な話さ、雪国の人は雪のこと知ってるけどさ、じゃあ沖縄行って雪のこと知ってるかって言ったって多分知らないじゃん。
うん。
でも日本という国で一つの知識として集約したものがあればそれを伝えるってことはできるじゃん。
うんうん。
っていうところで、まあ雪山に対する備えとかそういった知識っていうのはこの事件をきっかけに結構こう知れ渡ったとは言われてるんだよね。
うん。
っていうのがまあ活かされたことっていう感じかな。
ああ、なるほど。
で、最後これ余談なんだけど、
うん。
実はほぼ同時期に、もう本当に同じ日って言っていいね。これはあの同じ日に実は別の軍が同じ発行打算入ってんのよ。
ああ、そうなんだ。
ルートは違うんだけど、別ルートから入ってて、弘前三十一連隊っていうところなんだけれども、
うん。
ここはね、この人たちはね、生還するのよ、全員。
ああ、そうなんだ。
だって気象条件とかは一緒なわけじゃん。
うん。
ルートは違うけどね。で、なんでじゃあ成功したかっていうのがさっきの失敗、なんで失敗したかの部分に全部跳ね返ってくるんだけど、
27:02
うん。
まず事前準備をしっかりしてたこと。
はい。
で、これなんで事前準備ができたかっていうと、この三十一連隊率いてたリーダーはもう節中抗軍のことを熟知してた人なの。もう雪山はこういうんじゃなきゃダメだぞみたいなのを知ってた人なの。
うん。
だからリーダーがそういう人だから、やっぱもうちゃんと部下にまで知れ渡ってるわけ。
うん。
で、次があんまり大人数でいかなかったのよ。いやいや、それを検証するだけだったらうちらこの人数で十分でしょみたいな感じで、青森の五連隊っていうのはさ、二百十人でいってるじゃん。結構人数多いじゃん。だけど、この三十一連隊って大体三十人ぐらいでいってるのよ。
ああ、そうなんだ。
結構コンパクトにしたわけ。コンパクトにした方がさ、指揮命令が伝わりやすいじゃん。
うん。
で、まあ要は精鋭を用意できたわけ。雪山に慣れてる人たちっていう。
はいはい。
で、とどめに案内役使ったの、ジャンプ。
ああ、そうなんだ。
道案内ちゃんと使ったの。だから全員生還して帰ってきたとも言われてて。
うん。
まあそこからこう何を教訓として学び取るかっていうのはさ、まあね、難しいところなのかもしれないけれども。
うん。
まあやっぱりリーダーがね、しっかりしてると結構違うんかなっていうこういう軍隊っていうのは、なんか大東亜戦争でもさ、俺インパールの話とかしたじゃん。
まさにね、そうだね。
そう、なんかさ、やっぱりリーダーで結構違ってくるのかなっていうのはちょっとこう、この31年代の話聞いた時にちょっと思っちゃったよね。
うん。
まあそんな感じで、ちょっと今日は八甲田さん損難事件をやってみましたが、いかがでしょうか。
ありがとう。なんかやっぱりそうだけど、やっぱ指揮、命令系統だよね。気になるのは。
うん。
なんかそのやっぱついてった部下たちが本当に悲惨というかさ、やっぱ部下は上官の命令についていくしかないじゃん。
そうそう、そうなんだよね。
で、それを教訓をさ、やっぱりそのインパールとかにも活かしてほしかったけどね、せめて。
まあね、なんかね、パターンが違うと活かす。まあインパールってさ、結局さ、これの40年後ぐらいにあるわけじゃん。40何年後だからさ。
まあね。
やっぱりちょっと、もうその当時知ってる人はいなくなってきちゃってる感じだから、何とも言えないところはあるけどね。
また条件が全然違うしね。
うん。
そうだね、なんか、でもそんな人数が遭難してそして亡くなっちゃったっていうの知らなかったわ。
そう、あのこれ、本当にね、立ったままね、死んじゃってんだって、凍って。
へえ。
雪にさ、首まで埋もっちゃってるとかさ。
マジか、やばいね。
そう、で、もちろん捜索ってさ、俺2月2日で打ち切ったって言ったけども、正確に言うとそれは嘘で、生存者の捜索はそこで打ち切ったのよ。もう無理だってなって。
そこからは遺体捜索、遺体回収になったわけ。
ああ、そうなんだ。
そう、最終的に雪が溶けて、あの5月ぐらいまで続いたらしいんだけどね。
うん。
まあ、そんぐらいすごかったってことだよ。
もうなんかさ、訓練なんだからさ、そこまで無理してやんなくてもいいんじゃないかって思っちゃうよね。
30:06
そう、だからね、それがちょっと、これは証言だからさ、本当かどうかわかんないんだけど、あんな役断っちゃったかがためにさ、ちょっと意地になっちゃってたっていう部分も多分あると思うし。
ああ、確かにね。
そう、で、やっぱりさ、天候が悪化したとはいえさ、旅行演習クリアしてんじゃん、楽勝で。
うん。
だから行けるでしょっていう多分ムードはあったと思うんだよね。
ああ、そうなんだ。
うん、だからね、なんかその辺なんだよね、その辺の引き際をね、まあ別にこのカンナリさんが悪い、全部悪いってわけじゃないと思うけど。
うん。
カンナリさんがそこでさ、リーダー出発してさ、よし帰ろうって言えてたら、まあカンナリさんじゃなくてもね、あの翔さんもいたじゃん。山口翔さんとかも。
だから言えてたら、もしかしたら違ったのかもしれない。
ああ、確かにね。
うん。
なるほど、ありがとう。じゃあ今日は八甲田さんの遭難事件についてでした。
はい。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
はい、じゃあということでコメントをね、いただいてたので、読みたいと思います。
はい、お願いします。
はい、これはね、ゆういちさんっていう方からいただきました。
はい。
エアロバイク中にポッドキャストを流しているのですが、お二人のお話を聞くのが好きです。話にのめり込んでペースが落ちていることもしばしばです。これからも楽しみにしていますねっていただきました。
ありがとうございます。そんなペース落とさないでガンガン走りながら聞いちゃっていいんですけどね。
いやでもすごいね、エアロバイク中にさ、聞けるんだね。
あ、でも聞けると思う。俺もさ、エアロバイク持ってるからさ、YouTube見ながらよくやってるもん。
あ、ごめん。エアロバイクって何なの?これ。俺知らないんだけど。
いや、あれだよ。自転車マシーンみたいな。ちょっと例え、ごめん。ちょっといい言葉じゃなかった。ちょっとそれで想像してほしいけど。
あ、自転車なの?
自転車、だから、なんか漕ぐマシーンだよ。漕ぐマシーン。
あ、そういうことか。ごめん。今わかったわ。エアロバイクってあのジムのね。
あ、そうそうそうそう。
あ、俺、外走るバイクのことかと思ってて。
いやいやいや。
だからさ、だからよく風切りながら聞いてるなと思って。
えー、そうなんだ。エアロバイク中に、あ、なるほど。いや嬉しいですね。
うん、本当にね、運動しながらこう、うちらの話聞いてて、いいのかなって気もしなくはないけど。
あははは。確かに。運動のペースが上がるような感じではないよね、うちらの話はね。
ノリノリの音楽なわけじゃないからさ、いいのかなって気がするよ。
いやでも本当に嬉しいです。こういうのが本当に励みになりますね。
そうですね、本当にありがとうございます。
はい、じゃあ続きまして、野菜子さんからいただきました。
はい。
こんにちは。いつも楽しくお聞きしています。日本史選択の高校生です。
33:04
もともと日本史は好きなのですが、学校の授業では個人の細かいエピソードや幼少期について扱うことは少ないので、お二人の話でより学びが深まっています。
和やかなやりとりも聞いていて楽しいのですが、お二人が話されている素朴な疑問や飾らない感想にいつも共感しています。
難しいテーマについても面白い例えや実感の伴った話にしてくださり、より歴史を身近に感じることができるようになりました。
ありがとうございます。次の配信も楽しみにしています。っていただきました。
いやー、なんかこういうね、高校生マジすかって感じですけどね。
いや、この文面すごい立派なんだけども。
ね、なんかコメントっていう文面じゃないよね。お手紙だよね、完全に。
いや、すごいね。
ね、すごいしっかりした方なんでしょうね。
うちらってどっちかって言ったら、その若い人ってそんなに聞いてないのかなって思ってて。
まあ、テーマ的にもね、大人の近代史だからね。なんかどっちかって言うとこう、俺らぐらいの世代とかもっと上の世代がさ、今からこう歴史ちょっともう一回
かじってみようかなみたいなさ、その辺かなって思ってたけどね、確かに。
うん、そう、初めてだね。だって今まででコメントでも、この高校生からって嬉しいな。
いや、まあわかんないけどね。他にも若い人いたけど、ただわかんなかっただけかもしれないからさ。
確かに確かに。
高校生って言ってくれたから、高校生若いってなってるだけかもしれないからさ。
いやー、まあね、テストで役に立つかはちょっとわからないけど、ぜひ授業の方も頑張ってほしいですね。
そうだね、まあうちらの話にはとらわれずに授業は授業で。
そうそう、正解が一個しかないからさ。俺らの話に引っ張られて、違う答え、いや実はこれはこうなんですよって答えても多分罰にされちゃうからさ。
そこはちょっとね、うちらも保証できないので。
そうそう、ちょっとその辺はうまくやってくださいと。
そうですね、本当に嬉しいですね、こういうコメント。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございました。
36:29

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