1. 「大人の近代史」今だからわかる日本の歴史
  2. #220「9人の乙女」ソ連侵攻に..
2025-09-23 24:19

#220「9人の乙女」ソ連侵攻による南樺太の悲劇

spotify apple_podcasts youtube

1945年8月20日 

南樺太の真岡郵便局にて電話交換手として働いていた

9人の女性がソ連軍が侵攻してきたことで服毒自殺をした

なぜ彼女はらは命を絶ったのか?

------------------------

★番組運営のため寄付を募集しています

☞ https://otokin.com/sponsorship

------------------------

★お便りはこちら

☞ https://bit.ly/2YkUaRB

------------------------

★ブログ

https://otokin.com/archives/2329

------------------------

★X

☞ https://twitter.com/@otonanok

------------------------

★Instagram

☞ https://www.instagram.com/otonanok/

------------------------

★大人の近代史公式グッズ

☞ https://suzuri.jp/otonanokindaishi

------------------------

★youtube

https://youtu.be/X1BlwwQQFJA


<過去の関連回>

第65回「三船殉難事件」ソ連に狙われた樺太からの避難民

https://open.spotify.com/episode/2C9paVQpbV5QDrZlfnLh0D?si=aHTrT64lSsO4Su3FHX5XhA

サマリー

1945年8月20日、南樺太の真岡郵便局で、ソ連軍の侵攻を受けた9人の女性電話交換士が自ら命を絶った悲劇について語られます。この事件は、当時の背景や彼女たちの使命感を深く掘り下げており、沖田康夫氏の著書を元にしています。このエピソードでは、南樺太での電話交換手9人の自決の悲劇と、それに伴う恐怖と混乱の中で彼女たちが選んだ道、そして生還者がわずかに残る状況について触れられています。「9人の乙女」に焦点を当て、ソ連侵攻による悲劇と生き残った人々の苦悩が描かれます。

9人の乙女の悲劇の始まり
スピーカー 1
最後の電話のリリシケアの声、忘れじ今も。始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。電話って出てきたから、なんかあれだね、そんなに昔じゃないのかなっていう気がするけど。
スピーカー 1
ああ、これはあれですね、1945年の出来事ですね。
スピーカー 2
45年、45年は終戦以外に何かあるのかな?
スピーカー 1
これは、演歌歌手の畠山みどりさんっていう、「標説の門」っていう歌があって、その歌詞の一文なんだけども、
これね、何のことを言ってるかっていうと、9人の乙女のことを言ってるんだよね。
スピーカー 2
9人の乙女?
スピーカー 1
9人の乙女とかよく言われ方するんだけど、聞いたことない?
スピーカー 2
いや、ちょっとわかんないな。
スピーカー 1
あ、そっか。多分これ言えばわかると思うんだけど、1945年の8月20日に南カラフトの真岡郵便局にいて、電話交換士として働いてた9人の女性が、ソ連軍が侵攻してきたことで、複読自殺をした事件なんだよね。
スピーカー 2
ああ、それは聞いたことある。
スピーカー 1
そうそう、今日はこれをやろうと思います。
事件の背景と経緯
スピーカー 2
いやー、またなかなか興味深いテーマをね、こう選んでくれて、今大人はね、こう歓喜してるよ。わーって。
スピーカー 1
いやいや、ちょっとね、重い話なんですが、この事件について、当時の関係者とか、丹念にね、聞き取りとか調査を行って、本となって、9人の乙女一瞬の夏っていうのを川島康夫さんって方が書いてるのを今回は主に参考にして話したいと思います。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、ちょっとできるだけ、電話交換士の方も名前を読み上げるんだけども、読み方がね、ちょっとそこまで書いてないかったんで、ちょっとね、間違ってたらごめんなさい。
はい。
スピーカー 2
で、電話交換士っていうのがまずあって、今みたいに、かけたいあの子に直接電話できるっていう時代ではなかったんだよね。
スピーカー 1
うん。
で、電話をしたい発信者はまずその電話交換士につないで、そこでかけたい相手先を伝えるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、その電話交換士が手動で回線を接続して、初めて相手先と通話が可能になるっていう、で、この電話の取り付き業務のことが電話交換士だったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、戦時中、この業務っていうのは軍の情報をいち早く伝えるっていった、まあ重要な役割もになってたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、ちなみにちょっと余談なんだけど、あの、もしもしとか言うじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、こうやってあの電話交換士が使っていた言葉から来てるらしい。
スピーカー 2
ああ、そうなんだ。
スピーカー 1
そうそう、あの、この電話交換士が最初にね、申します、申しますって言ってから話すようにしてたんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これから話しますよっていう意味もあるし、まあその当時さ、回線が今より不安定だったから、相手にこうちゃんと届いてるかっていうのを確認する意味でも、こういうあの申します、申しますって言っていたんだけども、いつしかこの申しますが短縮されて、あの、もしもしになったらしい。
スピーカー 2
ええ、そうなんだ。
スピーカー 1
そうそう、ええって思っちゃって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、ちょっと話は戻してその、この事件の時代背景をちょっと辿っていきたいんだけども、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まず南カラフトっていう場所は、あの日露戦争後のそのポーツマス条約によって、北緯50度より南の部分は日本の領土となっていたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、これは第二次世界大戦後ソ連が実行試合するまであの続いていて、で、これがまあいわゆる南カラフトと呼ばれていたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
戦時中の人口だと約ね45万人ぐらいが暮らしてた島なんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、真岡はあの南カラフトでも南寄りの方で、まあ北海道に割と近い場所なんだよね。
スピーカー 2
うん。
西海岸側に面していて、あの日本最北の不凍庫っていう言われ方、まあ凍らない港っていうような呼ばれ方もしてたんだよね。
うん。
で、時代はその第二次世界大戦の終盤で1945年の出来事で、まずあの8月9日にそのソ連が日ソ中立条約を破って日本へ進行してきたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、カラフトではね、8月13日に在留法人の本土への緊急疎開を決めていて、で、その後日本政府っていうのはポツダム戦を受諾して、8月15日に抑揚放送で戦争終結を宣言してるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ただその後8月16日ソ連軍がどんどん南に進行してきて、カラフトに上陸をしたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、8月20日になってくるとソ連の艦隊が総勢ね、約3500名ぐらいって言われてるんだけども、真岡にこう上陸してきたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、ここであの冒頭で言った電話交換所の悲劇が起こるんだけれども、まずそのなぜ事前に電話交換所らはその真岡から避難しなかったのかっていうところで、
多くの民間人は女性とか子供って避難をしたんだけども、彼女らは残ったんだけど、それはね、残留命令が出ていたって言われてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
真岡郵便局長のこれは指示だっていうのが有力で、本人自身はね、後々否定をしているんだけども、
生き残った電話交換所らの証言とか関係者の証言によって、これが有力じゃないかって言われてるんだよね。
悲劇の瞬間
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、その局長がある一人の電話交換所を呼んで、電話交換所の業務を継続していくために真岡に残ってくれる人を集めてもらうようお願いをしたっていうのがあって、
で、そこからあの電話交換所のその責任者の人たちがその残留する希望者を募ったところ、彼女らはその重要な任務であるっていう使命感を常に日頃から叩き込まれてたから、全員がこう残る意思表示をしたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ただ、あの家族なんかと実際家帰って相談してきたら、そのやっぱり家族を反対する人も多くて、で、結果ね、20名の電話交換所が残ることになって、この20名を2班に分けて24時間体制で勤務を行うことにしたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
でも、残った10代から20代って本当に若い子たちなんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
この人たちはその家族にやっぱ言った時にその反対されながらも、自ら自分は残るんだっていう強い意思で残った人たちだったり、自宅でその紙を切って母親に塊として渡したりとか、そういろいろな残留するまでのエピソードがあったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、あの8月19日の夜になって、真岡郵便局はそのソ連接近の情報から非常体制に入るんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
それで、8月20日の早朝に急遽ね、1人、滋賀春代さんが宿直とは別に呼ばれて、この時点で早朝、ソ連の艦隊が真岡の海岸に現れたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この時、真岡郵便局には電話交換所が12名いて、で、電話交換所がいる場所って2階だったんだけども、そこに下は17歳から上は24歳っていう本当に若い子たちがいたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、1階はね、また別の部署で電信課っていう部署があって、そこに7名ぐらいいたっていう、そんな状態だったんだよね。
うん。
で、ソ連の艦隊から、海岸から空砲が撃たれたっていうのが最初で、これに対して日本軍が実弾で反撃したのか、またはソ連が実弾を撃ってきたのかっていうのはちょっとここは定かじゃないんだけども、
いつしかそのソ連軍が撃ってくるのがその実弾へと変わって、海上からの艦砲射撃が激しくなってったんだよね。
スピーカー 2
うん。
で、その後ソ連軍っていうのは上陸をするっていうのがあって、で、真岡に駐留していた日本軍がいて、彼らがそのソ連軍に対して定戦するための軍士を派遣したんだけども、ソ連軍はこれを射殺して定戦交渉を拒否したんだよね。
スピーカー 1
うん。
で、その後真岡の街っていうのは戦火に包まれて、銃弾が至るところに撃ち込まれるっていうことがあって、真岡郵便局自体もその会場から一際大きな建物で目につきやすくて、多くの銃弾が撃ち込まれたって言われてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、ここに中にいたその電話交換所っていうのはもうしゃがみ込んで机の下に入るなんかして、その恐怖を感じながら過ごしていたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この銃撃が序盤の段階で電話交換所の高石美希さんって方が包み紙を手に取って、その中に生産管理が入っていて、それを口に入れて湯飲みで一気に流し込んだんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、もうこれは本当に一瞬の出来事だったって周りにいた人は証言をしていて、彼女はすぐにその床に倒れて、胸をかきむしりながら母親の名を叫んでその後亡くなるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
彼女ってその場にいたさ、電話交換所の中でも24歳って言っても年齢が一番上で、まあ主事補っていう役で彼女らを取りまとめる班長役だったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、次にそれに続いて年齢が上の23歳で班長の大務役の香谷茂さんっていうのも続いて同様に生産管理を流し込んで、まあお母さんってその絞り出すような声を残して亡くなっているんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
この生産管理についてなんだけども、これね成人でも0.2とか0.3ミリグラムっていうほんの少しでもその死に至るもので胃に入るとさ脳の呼吸中枢を瞬時に犯して呼吸が止まって1分から5分っていうこう短時間で亡くなるっていうものなんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ただこれあの穏やかに亡くなるっていうものじゃなくて、本当に胸をかきむしりながらとか叫んで苦しみながら亡くなるっていうようなそんな症状が出るんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、続けざまにさ頼りにしていた先輩らが目の前で苦しみながら亡くなるっていう光景を見て、その現場っていうのは異様なこう状況に陥ったんだよね。
スピーカー 2
うん。
電話交換手の自決
スピーカー 1
その後まあ誰が置いたのかわからないんだけども、机に生産管理が入った包み紙が置かれていて、これをね次々と他の電話交換所らが生産管理を手に取って、防火用水用の水があったからそれを使って口に流し込んで自血していくんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、中にはね、看護婦経験のあった滋賀晴代さんはモルヒネと注射器を携帯していたって言われていて、彼女はモルヒネを注射して、さらにその生産管理を合わせて飲んで亡くなったんじゃないかって言われてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、これはね、モルヒネの致死量って500mg以上って生産管理がだいぶ多く必要で、この量のモルヒネをおそらく持ち歩けないだろうし、さらに短時間に一人で注射するっていうことも難しいから、これはちょっと推定になっちゃうけれども、生産管理と合わせて亡くなったんじゃないかって言われてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、それでまだ生き残っていた電話交換士から、豊原郵便局とか止まり郵便局っていう、近場のその郵便局に周りの仲間が自決していったってことが伝えられて、これから私も後に続きますっていうような内容だったんだよね。
うん。
で、これをね、まあ聞いた他の郵便局の人たちは、その必死に電話越しに止めようとするんだけども、その止めることが結局できずに次々と自決していくっていう形になったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
でね、伊藤知恵さんっていうのが、最後の他の局に連絡をした人って言われていて、彼女は止まり居る局に更新を行って、すでにその時7人が亡くなってるってことを伝えて、自分も後を追うってことを告げたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、必死のこの静止に関わらず、皆さんこれが最後です。さようなら、さようならって言って、更新が途絶えるってことになったんだよね。
生還者の証言
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、これ、北海道の湧かない市に今でもその9人の乙女の日っていうのがあって、この言葉が刻まれてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう。なんか、実際はね、少しニュアンスが言葉は違うっていうのもあったんだけども、おそらくこういったような内容を言って、最後の言葉になってんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
長野、湧かない行ったことないか?
スピーカー 2
湧かないはないね。
スピーカー 1
まあ、だいぶ上だもんね。
スピーカー 2
まあ、一番北だからね。
スピーカー 1
そうそう。なかなかね、自分も全くなくて。で、その時、4人の電話交換手がまだ生き残ってる状態だったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、伊藤さんはその中で一番先輩で、他の3人にはまだ薬は飲まないようにっていうのを静止をしていて、
ただ、突然その4人の中で、電話交換手の松橋みどりさんっていう方が窓際へ走り出して、持っていた生産カリを一気に飲み干したんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう。で、壁に持たれるように彼女も崩れて亡くなっていった。
で、その後も伊藤さんも自ら生産カリを飲んで自決をするっていうことになって、結果その電話交換手9人が自決することになったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
残りの人っていうのはどうなったかっていうと、川島きみさんは自分の分の生産カリがなかったって言ってるんだよね。
で、生産カリがなかったんだけども、モルヒネを持っていて、それをね、口に含んで自決しようとしたんだけども、飲み込めずに吐き出して、彼女は生き残ったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
坂井さつえさんって方は、先輩たちが次々と叫びながら床に這いつくばりながら亡くなる光景に恐怖を感じちゃって、持っていた生産カリを床に投げつけてうずくまっていて自決することはなかったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、岡田恵美子さんは終始その机の下にうずくまって恐怖を感じていたっていうことで自決はしなかったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、こうして彼女ら3名っていうのはその後ね、男性職員に助けられて生還をしていて、だからデーマン交換手その12名中9名が命を失ってしまうという悲惨な事件が起きたんだよね。
真岡郵便局の悲劇
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この9名だけがすごく取り出されて、この後映画とか歌とかにもなったりとかして有名なんだけども、実はこの真岡郵便局には最初にちょっと言ったんだけど、
1階に電子医科っていう部署があって、そこに7名もいたんだよね。
うん。
で、彼ら彼女らはその一個にやまない重症とか恐怖を感じていて、そこに斉藤美恵子さんって方が、実は生産カリを持ってるってことを同僚の薬丸信子さんに打ち明けて一緒に死のうって言ったんだよね。
うん。
で、最初は薬丸さんは断ってたんだけども、何回も言われて、とうとうその薬を飲むってことになって、2人は薬を口にして含んだところでソ連兵が入ってきたんだよね。
うん。
で、慌てて口から吐き出して彼女らは死ななかったんだよね。
うん。
で、後に分かったんだけども、実は飲んだものっていうのは生産カリじゃなくてうがい薬だったらしいんだよね。
うん。
これはね、その前に斉藤さんの旦那が彼女が日頃からいざとなったら死ぬっていうのを聞かなかったから、あえて生産カリじゃなくてうがい薬を渡してたっていうエピソードがあったんだよね。
うん。
で、入ってきた3人のソ連兵士に郵便局員が手を挙げろって言われて、腕時計とか万年筆、煙草なんかを持ち物が取り上げられて連行されていったんだよね。
うん。
結果ね、真岡郵便局では電話交換手が9名。
で、他にも職員とか関係者が実は6名死亡してるんだよね。
うん。
これはね、郵便局から避難を防空壕に逃げ込んだ人たちもいて、それがソ連軍に手榴弾を投げ込まれて亡くなってたり、あとはソ連軍の襲撃を受けて亡くなってる方もいるし、
またはその後本土へ疎開中に小笠原丸に乗船中にソ連の潜水艦に攻撃されて亡くなってるっていう方もいるんだよね。
うん。
あの、前にやった三船巡覧事件のまさに小笠原丸なんだけど、
うん。
これなんかね、ちょっとエピソードがあって、真岡に残った職員、電話交換手らは、後に小笠原丸が迎えに来て避難するっていう話もあったらしいんだけども、
結果その実現はしなかったんだけども、もし小笠原丸に乗ってても、そのタイミングもあるかもしれないけど、こういう事件っていうのにも巻き込まれてた可能性もあるんだよね。
うん。
8月20日のこのソ連軍の侵攻によって真岡の町っていうのは大部分が消失をして、死者が418人って言われてて、行方不明者合わせると合計477人が犠牲になったって言われてるんだよね。
うん。
これは届け出のあったものだけで、もっと被害は大きかったんじゃないかとも言われてるんだよね。
うん。
南カラフト全体では、ソ連のカラフト侵攻から戦闘終結までのこの2週間だけでも、日本人が約4200人亡くなったって言われてるんだよね。
さらに生き残った人たちも、その後シベリアに抑留されたりとか、過酷な環境下で死亡したって人も多くいたんだよね。
自決をした真岡郵便局の電話交換所9人っていうのは、その後ソ連軍の許可を得て、日本人関係者らで穴を3箇所掘って、3人ずつ入れて埋葬するってことをしたんだよね。
その後、それだとあまりに不便で、遺族の方から過葬したいっていう要望があって、もう一度埋葬した場所を掘り起こして過葬が行われたんだよね。
そもそも、なぜ生産管理を彼女らが持ってたっていうところなんだけれども、実際のところ、これはどうやって手に入れたかっていうのは不明なんだよね。
決してその電話交換所の女性らが持ってるっていうことは当たり前ではなかったんだよね。
これはあくまでも推測にはなるけれども、近くに技術館真岡駐在所っていうのがあって、工事とか修理なんかの業務を行う職場があったんだよね。
ここに生産管理がメッキに用いる薬品に使うから保管されていたんだよね。
ここから薬品を持ち出したんじゃないかとも言われてるし、ただ真実はちょっと不明で、なぜか生産管理があったっていうことだけは分かってるんだよね。
そもそも、なぜ命を落とさなければならなかったかっていうところなんだけれども、
これ、みんなで合わせて自決したっていうわけではないんだよね。
これさ、ソ連軍が進行してくる際の銃撃の初期の段階で、もう電話交換の取りまとめ役だった2名の先輩電話交換所が自決をしてるんだよね。
このことで頼る先輩を失って、現場は混乱をして、冷静に判断できるっていう状態ではなくなったんじゃないかとも言われるし、
それによって自決するものが続いていったんだよね。
元同僚の証言なんかもあるんだけども、自分たちもあの状況にいたら同じように自決をしていたっていうふうに言ってるんだよね。
歴史にもしもないんだけども、生還した電話交換所の岡田美子さんの証言があって、もし現場に上司や男子職員がいたならば悲劇は回避できたかもっていうようなことを言っていて、
また、彼女らその電話交換所のいた場所って出入り口が銃撃のあった海側とか逆側にあったから避難しようと思えばできたんだよね。
でも彼女たちはせずに自ら自決の道を選んだっていうことなんだけども、これさ、なんかいろいろ想像しても自分がその場にもいないし想像できるものじゃないなっていうのは正直に思って、
あの現場にいた彼女らしかやっぱりわからないもの、その恐怖だったり彼女らのもともとあったその覚悟だったのかもしれないし、
戦争の悲劇を忘れずに
スピーカー 1
でもやっぱり戦争がなければ生きていただろうその若い命がそれが戦争によって失われてしまったっていうことは事実で、やっぱりこの悲劇っていうのは忘れずにいたいなっていうのはちょっと思いました。
すいません、なんか長々と後はお願いします。
スピーカー 2
何をお願いするんだよ。
いやでもあれだね、やっぱりさ、始め9人の乙女のことをやるって聞いてさ、これが結構いい回になるんじゃないかなと思って聞いてて、やっぱりさ、久々におときんらしいあんまりこう扱わないようなテーマっていうのができたんじゃないかなっていうのがまず1個思って、
やっぱりさ、こういう戦争の悲劇っていうのかなっていうのはさ、目を伏せようと思えば目を伏せられることなんだけど、やっぱり知ってそれを後世に伝えていくっていうことが大事なんじゃないかなっていう意味ではおときんとして1個仕事ができたんじゃないのかなっていうふうに思います。
スピーカー 1
ありがとうございます。
でもやっぱなんかこれさ、本当にどこまで話そうかっていうのも思ったし、なんか生々しい証言とか、やっぱり彼女たちがすごい思いで生産管理飲んですごい苦しんでるような様子もなんか書かれてたりとかして、現場は相当のパニック状態だったんじゃないかなとも思うしね。
しかもさ、生き残った人たちもさ、生き残ってしまったんだっていうなんか追い目を感じてる部分もあってさ、そういう辛さっていうのも後にやっぱあるんだよね。そう、読んでいて思ったね。
スピーカー 2
まあね、なんか生き残る辛さっていうのはちょっとね、そういう自分が感覚にならないとわからないんだとは思うけどね。なんか生き残ったんだからいいじゃんっていうのが多分普通の感覚じゃん。
スピーカー 1
そうなんだよね。
スピーカー 2
だからやっぱりそれは本人にしかわからない気持ちなんだろうね。
スピーカー 1
いやー、なんかそうだね。やっぱ戦争の時ってさ、すごく死が近いというかね、いろんな形でさ、結局その受決した人以外もさ、いろんな形でカラフト全体でも亡くなってる人多いしね、日本全体でももちろん多いしさ、すごい時代だったんだなと思うね。
ということで、ちょっと永丸との駆け引きが今回は少ない回になってしまいましたけども。
スピーカー 2
いやもうみんなそれが喜んでるでしょ。
スピーカー 1
やめて。いやいや、なかなかね、この話題はそのまま話してしまったんだけども。ということで、今回は9人の乙女というテーマでやってみました。
もしよかったら、この番組のまだフォローしていない方がいましたらフォローボタン押していただいたり、いいねボタン押していただけるととっても嬉しいので、ぜひよろしくお願いします。
スピーカー 2
はい、ぜひともよろしくお願いします。
スピーカー 1
それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。
24:19

コメント

スクロール