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  2. 第65回「三船殉難事件」ソ連に..
2022-05-03 36:51

第65回「三船殉難事件」ソ連に狙われた樺太からの避難民

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「三船殉難事件」とは、
1945年8月22日、南樺太から北海道へ避難しようとした人達を乗せた3隻の船に
対してソ連の潜水艦が攻撃し、約1700名の民間人が亡くなった事件
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人間は死ぬまで自分との戦いであり、勉強なのだと思います。
始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
なんか感想みたいなセリフだったけど。
そう、これね、昭和の名誉小綱の太宝っていう人が言ってた言葉。
へえ。
ねえ、知ってた?
いやいや、そんな、太宝ってなんか聞いたことあるけど、ちょっとセリフは知らないな。
ちょっとね、なんでこの太宝を取り上げたのかっていうと、
今回のテーマにちょっと関わってきているというか、
これね、この太宝の横綱のお父さんがウクライナ人で、お母さんがね、日本人なのよ。
この人はカラフトで生まれてっていうのがあって、
今回のテーマがあの三船巡覧事件なの。
三船巡覧事件?
あ、知ってる?
いや、知らない。
あ、本当に。
この三船巡覧事件って言われる事件に巻き込まれた船に乗ってたんだよ、この横綱の太宝も。
まあ、ということで、ちょっと三船巡覧事件について今日は話したいと思います。
はい、よろしくお願いします。
なんか、すげえ噛みそうな事件な感じなんだけど。
あ、本当に。
三船巡覧事件。
そう、三船巡覧事件。
すげえ噛み噛みになりそうだよ。
あの、三つの船って書いて三船って。
うん。
そう。
巡覧って?
巡覧っていうのは、難を受けて死ぬことっていう。
まあ、巡航者の巡に難しいって書くから。
まあ、なんとなくわかる意味。
まあ、なんかそういうふうに名付けられてるんだけど、
これ、長丸も知らないってことは相当だと思うよ。
いやいや、別に俺をなんだと思ってるみたい。
長丸が近代史の基準でしょ、だって今。
いやいや、誰だよ、それ。
誰が言ったんだよっていう。
で、このね、三船巡覧事件って、
1945年の8月22日に、
南カラフトから北海道へ避難しようとした人たちを乗せた、
この3隻の船がソ連の潜水艦によって攻撃されて、
約1700名の民間人が亡くなった事件だ。
あ、俺知ってるわ、それ。
ね。
いや、名前は知らない、そんな。
エピソードは知ってるわ。確かにそういうことはあったね。
多分そうだよね。そう言うとわかるかもしれないね。
ちょっと、三船とかっていうのはわかんなかったわ。
ね、なかなか使われない言葉だしね。
で、まずちょっとね、この事件を扱う前に、
カラフトについてのちょっと説明をしたいんだけど、
これ、北海道の真上に位置してて、北に位置してる場所で、
今はロシアの実行支配している領土で、
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ロシア名ではサハリンとか、サハリン島って呼ばれたりするけど、
これはさ、1945年の戦時中においてはさ、
カラフトは北位、50度線から北は北カラフトで、
南は南カラフトって呼ばれてて、
で、北カラフトはロシア領で、南カラフトは日本領だった。
これは前に長丸が北方領土問題で言ってたので、
ぜひね、ちょっとその回を振り返ってもらうと、よりわかりやすいかと思います。
で、その南カラフトは日本の領土だったんだけど、
当時さ、約40万人ぐらいの人が暮らしてたって言われてるの。
で、実はこの南カラフトは、大東亜戦争中においては、
ソ連が攻めてくるまで一度も空襲を受けてない場所だった。
日本各地の空襲でこう、焼け出された人の疎開先にもなってたぐらいで、
食料も日本本土と比べると豊富で、
カラフト天国っていう呼ばれ方もしてたんだよ。
そうそう、そんなカラフトに突如ソ連が、
8月9日から対日参戦をしてきたんだけど、
南カラフトでは8月11日から、北からソ連軍の侵攻が始まったんだよね。
で、そのため日本の国内で軍隊による最後の地上戦が行われた場所っていうのは、
この南カラフトだ。
これ沖縄を結構イメージする人も多いかもしれないけど、
実はこの南カラフトっていうのが、地上戦で激戦があった場所なんだよね。
で、北から南下してくるソ連軍に対して、
大本営って言って、まあ陸海軍の最高指令、指揮命令機関なんだけど、
この大本営の命令が南カラフトの師団に8月11日に出たんだけど、
この命令が積極的戦闘禁止命令っていうのが出るの。
あくまでも防衛戦闘に徹して、攻撃してはいけないよっていう。
だけど、やむを得ない場合は防衛のための戦闘をしなさいっていうような、
ちょっと曖昧な指示なんだよね。
これ防衛のための戦闘がどこまでなのかっていうのもわからないし、
なんかぬるーっとしたこんにゃくみたいな曖昧な命令で。
なんでこんにゃくが出たの?
ちょっとぬるっと感を出したんだけど。
この真意っていうのはわからないけど、
まあ日本が終戦に向けて、最後の最後までソ連を仲介に終戦を模索していたからなのかもしれないけど、
南下して攻撃してくるソ連軍に対して、結果日本軍は抵抗して激しい戦闘が一部で繰り広げられたのね。
06:05
この戦闘によってソ連の南下を遅らせるってことには成功してるんだよね。
だけど結局は圧倒的なソ連軍の数に押されて徐々に制圧されていくっていう。
そして日本はポツダム宣言を受諾することを8月14日に決めて、無条件降伏する意思を連合国側に通告したんだよね。
翌日8月15日に玉音放送によって国民に終戦を告げたわけなんだけど、
この8月15日の正午以降、ソ連以外の連合国側っていうのは戦闘行為をもう停止したんだよね。
ただソ連は止めなかったっていう。
この空太にいた日本軍っていうのは難しい選択を迫られるんだけど、
これは軍の構造も関係してるんだけど、
大日本帝国憲法では軍の指揮権、統帥権って言われるけど、
政府から独立したもので、軍に対して政府が直接命令することができないんだよね。
だから政府と軍っていうのは縦の関係ではなくて並列する横並びの存在で、
いわば楽覧のボタンじゃなくてブレザーのボタンに近いのかもしれない。
ん?同じじゃね?ブレザーも縦じゃないの?
そうだよね。ブレザーはちょっと横もあんじゃん。
ダブルだったらね。
ちょっとダメだったね、これね。
うん、ちょっとね、ダメだね。全然どっちも縦じゃなくて、むしろボタンの数少ねえわ、グレイト。
でも楽覧はもう完全に縦じゃん。
まあね、楽覧は横にないね。
そうそう、そこで許してほしい。
え?
で、軍に命令して戦闘を停止するには、天皇からの停戦命令が必要なわけよ。
ただここも少しややこしくて、軍って完全に縦割りで、
天皇っていう大原粋がいて、それが大本営に指示をして、その大本営が現場の何とか師団っていうのに指示をする命令系統なの。
だから、漁港放送があった15日正午とともに、戦闘が一斉に終わるわけじゃないわけよ。
で、16日午後になって、大本営が即時戦闘停止っていう命令を出したんだけど、
戦闘中のカラフトの軍にその命令が届いたのは、8月18日ぐらいってされてんの。
で、そっからカラフトの軍がソ連との停戦の交渉を始めたんだけど、
で、これによって一部の範囲に限って停戦協定が結ばれて、
ただ他の地域っていうのはソ連が譲らずに何かさらにしてきて、攻撃を続けてったんだよね。
そう。で、やむを得ず日本軍も戦闘をしたっていう経緯があって、
09:02
で、その後日本側は停戦するために何度も交渉薬を派遣して、
これね、1回目2回目ともソ連軍に交渉薬が射殺されてんだよね。
そう。で、3回目でやっと交渉薬の派遣によって、ようやくカラフト全土で停戦協定が成立した。
そう。この日が8月22日な。で、3戦巡覧事件があったのも8月22日なんでね。
という何かこの日付。こっからちょっと3戦巡覧事件入っていくんだけど、
8月13日から23日にかけてカラフトでは北海道へ船で住民を避難させる緊急疎開が始まった。
この北海道に行こうとする人たちの数ってどんどん費用ごとに増えていって、
船に乗ろうとする人で港はいっぱいになって、こう群衆に押されて海に落ちたりとか、
なかなか乗船できずに、乗れないって分かってても船に飛び乗って海に落ちちゃったりとかっていうのも人たちもいたんだよね。
そうそう。だから結構多くの死体が海に浮かんでいる状況もあったって言われてる。
で、北海道へ避難する船に乗るには、やっぱりこんだけの大人数を全員が乗せられないわけよ。
だから優先順位をつけたんだよね。これが女性と14歳以下の子供と65歳以上の高齢者が優先だった。
これでその枠に入らない優先されない成人男性とかいるわけじゃん。
長丸だったらどうするかっていうのをちょっと考えてほしいんだけど、
これね、実際の証言であって、妻と幼い子供がいる男性がいたのね。
まさにさ、うちらと似たようなケースじゃん。家族構成というか。
この人は妻一人で多くの荷物を持ってるわけだから、子供をさらに連れて乗せるっていうのは心配だから、
船内まで遅らしてほしいって言って、本当は入れないんだけど取り締まってる人に許可をもらって船内に入った。
で、この男性っていうのはそのまま家族とともに船内から戻ってこなかった。
こういうケースでね、ちょっといくつかあったんだよね、実際。
なんかこれって、まさにタイタニックの映画でも似たような光景が描かれてたと思うんだけど、
ああ、そうだね。
なんかあの、確か成人男性が助走して救命ボートに乗って助かったっていうような。
なんかタイタニックはさ、ちっちゃい小舟いっぱい出してさ、上流階級からどんどん乗ってってやつだよね。
そうそうそうそう。
なんかこれもさ、人の真理というかさ、もう一つのケースは同じ条件なんだけど、
家族が心配だから船内まで送り届けたのは一緒なんだけど、その後ね、船から降りてるんだよね。
12:02
しかもその男性ってその後カラフトに残ったわけだから、
ソ連軍に逮捕されてシベリアに強制連行されたんだよね。
っていうような全く極端な2つのエピソードが実際に本にも載ってて、
これってどっちを選べっていうのもさ、いや本当に難しいよねって思って。
これはね、どっちを選んだのが正解かっていうのも分かんないけどね、シベリア抑留されたらでも死んでる可能性も高いしね。
10%死んでるからね。
うん。
まあその時点ではどうなるかは分かってはないと思うけど、もしかしたら殺されるかもしれないっていうのもあったと思うし。
まあなんか結果論だしね、これって完全に。
そうそうそうそう。
分かんないもんね。
うん。考えさせられるなと思って。
うん。
で、あのね、北海道でこれで多くの人が渡ったわけなんだけど、
うん。
この数って正確に把握するのは難しくて、
うん。
っていうのもあの疎開戦にこう詰め込めるだけ人を乗せたの。
うん。
だから正確な名簿っていうのも存在しないし、
うん。
それ以外にさ、漁船を使って避難したっていうケースもあったりとかするから、
うん。
数って実際に把握はできてないんだけど、
うん。
推定だけど8月13日からこの23日にかけて、
うん。
約ね8万人くらいが避難したんじゃないかって。
うん。
だからカラフトの人口の5人に1人は北海道へその時渡ったんじゃないかって言われてる。
うん。
で、ここで1945年の8月22日になるんだけど、
うん。
避難民を乗せた小笠原丸と大西新光丸、大東丸っていうのがこの事件にちょっと関わってくるっていう。
うん。
そう。これね、8月22日の前にね、8月19日にソ連のそのウラジオストック湖にいたソ連太平洋艦隊所属のあの潜水艦があって、
うん。
後々の調査で分かってるんだけど、L12とL19っていう2隻なんだけど、
うん。
これが北海道ルモイ沖っていうところに出撃せよっていう命令を受けてる。
うん。
ルモイっていうのはあの北海道の日本海側で、
うん。
輪っか内って北海道の一番北の輪っか内と、オタルっていうところのちょうど中間に位置してるんだよね。
うん。
で、カラフトから一番近いのは輪っか内なんだけども、
うん。
オタルっていうのはさ、ちょっとそれよりもだいぶ下でさ、北海道でも割と真ん中より南側にあるようなとこ。
うん。
その中間があのルモイってとこなんだけど、
うん。
ちょっとこの位置関係を覚えておいて、早速ちょっと3戦巡覧事件のまずは小笠原丸から話したいと思うんだけど、
うん。
この小笠原丸っていうのは海底ケーブルの設置とか修理を行う国産の船で、
うん。
輪っか内港にね、ちょうどね、停泊してた。
うん。
その終戦の時に。
うん。
で、緊急疎開戦としてカラフトから北海道へ避難民を救助するように要請が入るの、この船に。
15:06
うん。
で、カラフトの大泊り港っていうところに行くと、もうね、2、3万人の軍手が小笠原丸を待ってるわけよ。
うん。
その避難民たちを乗せれるだけ乗せて、広盤に立つところがなくなるまでこう乗船をさせたんだよね。
うん。
そう、約ね、1500名ぐらい。
で、これね、1回目ね、実際ね、無事に送り届けて、2回目の救助に向かったの。
うん。
で、その時も乗せれるだけ約1500名ぐらい乗せたって言われてて。
うん。
実際ね、ただ乗せた時に定員オーバーで約ね100名ぐらいは出港直前にね、降ろされてるっていうのもあるんだよね。
うん。
これが結構さ、後々運命のなんだろう、線引きというかさ。
うん。
実際に乗れなかった人が生き残ったケースもあるわけよ。
うん。
で、この小笠原丸っていうのは、2回目の時は、輪っか内に1回行って、約ね900名をね、そこでね、降ろしてんの。
うん。
その中に冒頭で言った昭和の名誉小綱大砲っていうのもいるんだよね。
うん。
そうそう、この人たちは助かってんの。
うん。
で、さらにこの船っていうのは小樽に向かったんだよね。
うん。
残りのね、600名ぐらいは降りずに、この小樽に向かったの。
うん。
これ多分あれやっぱり、輪っか内ってめちゃめちゃ北じゃん。
うん。
だからやっぱ小樽に行きたいって人多かったんだろうね。
あー、まあそうだね。札幌はね、全然小樽の方が近いしね。
そうそうそうそう。
で、ここで船ってさ、海軍の警備兵っていうのが乗船して、やっぱ戦時中だったから、
うん。
いつ攻撃されるかっていうのもわからないような状況もあったから、
この水中のね、超音レシーバーを使って、あの潜水艦からの攻撃っていうのは常に警戒してた。
うん。
で、8月22日になって、あのこれ早朝のね、4時頃なんだけど、
うん。
このレシーバーを耳に当てた兵士が魚雷音に気づくんだよね。
うん。
で、一発目は気づいて急旋回して魚雷を回避したんだけど、
うん。
すぐさまもう一発魚雷が放たれて、これが船にぶつかって、
うん。
で、激しい爆発とともにもうあっという間に沈んで、1分もしないうちに沈んだって言われてるんだよね。
うん。
で、後々の調査でわかったんだけど、攻撃したのはソ連潜水艦のL12って言われてるの。
うん。
これさ、小笠原が沈没して海に投げ出された人もいっぱいいるわけじゃん。
うん。
で、その中にソ連潜水艦っていうのは海上に浮上してきて、
助けを求める人々に向けてさらに機関銃を撃ち始めたんだよ。
うん。
で、ここで本当にさらにまた多くの人が亡くなるっていう。
うん。
そう。で、これってね、近くの海岸に必死にたどり着いた人がいて、
うん。
で、これで近隣住民が気づいて、
18:02
うん。
危険を承知で漁船などで救助しに行ったんだよね。
うん。
これでね、60人ぐらいは救出されてんの。
うん。
だけど、それ以外のもう500、600人って言われる人たちはもう亡くなってるんだよね。
うん。
っていうのがこの小笠原丸なんだけど、
うん。
次がね、第二新小丸っていうのがあるんだけど、
うん。
これはね、もともとは民間の貨物船で、
うん。
戦争に伴って海軍に所属したん。
うん。
で、砲弾とか銃器とかを回収して装備した船だ。
うん。
で、あの千島列島で物資を輸送してたところに、
このカラフトの疎開船としての要請が入って、
うん。
で、17日からカラフトの避難民をこう、輪っか内に送り届けてたんだよね。
うん。
で、これもね、何度もやって3度目だったんだよね。
1回目、2回目は無事届けて、
うん。
で、3度目の8月20日にまたカラフトに行って、
やっぱり避難民で長蛇の列ができてて、
で、その時にね、船と岸を繋ぐもやいっていうのが、
スクリューにね、絡みついたんだよね。
うん。
これによって20日に出航のはずが、21日に出航になっちゃった。
うん。
この1日が運命を分けた1日って言われるんだけど、
うん。
しかも、その出航する時に、
輪っか内っていうのは避難民の受入れでもいっぱいになってるから、
うん。
小樽に変更するようにっていう連絡が入った。
うん。
で、小樽に行くにはさ、輪っか内より下だからルモ用機を通るわけよ。
うん。
そこにはやっぱりソ連の潜水艦が待ち構えてるんだけど、
うん。
8月22日の午前6時頃に、
突如こうソ連の潜水艦によって魚雷が発射されたのね。
うん。
で、これ第2シンコマルの前方部分に命中したの。
うん。
で、そこにいた乗客が乗ってたんだけど、
多くが激しい爆発とともに吹き飛ばされて亡くなってんの。
うん。
で、船っていうのもメインのマストっていうか、
大きな柱が真っ二つに倒れてきて、
うん。
その下敷きになった人たちも多くいて、
うん。
実際にこれ証言とかすごい生々しいんだけど、
うん。
目玉が飛び出したりとか、内蔵が飛び出してるような、
もうそういうような状況だった。
うん。
で、沈むって思ったこう船に乗ってる人たちは、
うん。
救助ボートを見つけて、
こう船にロープで吊るされてたんだけど、
うん。
それに乗り込んだんだよね。
で、ただ重すぎて、その前に誰かが、
このボート自体を海に降ろさなきゃいけないわけなんだよね。
うん。
だけど、周りの人が一旦降りるようにって促したんだけど、
やっぱ誰も降りないわけよ。
自分が助かりたいっていうのがあるから。
うん。
そこで軍の兵士が駆け寄ってきて、
うん。
お前たちだけ逃げるのかってこれ実際に叫んで、
うん。
吊るしてたボートのロープを軍刀で切り落として、
海に真っ逆さまに落下させたんだよね。
21:02
うん。
っていうのが本当に実際にあったみたいで。
うん。
で、またソ連の潜水艦っていうのは浮上してきて、
うん。
こんな大惨事になっているその船に対して機関銃で、
どんどんどんどん撃ってきたんだよね。
うん。
で、さらにまた多くの犠牲者が出てる。
うん。
で、これね、第二新航丸って搭載してた砲弾とかを使って、
ソ連の潜水艦に反撃をしたんだよね。
うん。
で、これがね、一石の潜水艦に命中して、
うん。
これによってそれ以降ね、姿が見えなくなって、
おそらく沈没したんじゃないかって言われてるの。
うん。
そうそう。
で、第二新航丸っていうのはだいぶ損害は受けたんだけど、
うん。
船のエンジン部というか機関部には故障がなくて、
うん。
沈没を免れたんだよね。
うん。
で、近くのルモイ港に向かって助かったっていうか。
うん。
で、これ向かってる途中にさ、なんかエピソードが印象的だったんだけど、
うん。
まあ、びしょ濡れになった親子がいて、
うん。
で、船の上でさ、自分たちの替えの衣類が入ってるリュックを取りに行ったんだ。
うん。
そしたらリュックの中は空っぽだったんだよね。
うん。
そしたら他の人がそのリュックに入ってた自分たちの服を子供にかけてるのを見て、
うん。
何も言えなかったっていう。
うん。
そうそう。
向こうだって気の毒だからみんなあげましたって後でね、親子の子供の方が証言をしてるんだけど、
うん。
お母さんがね、でもね、港に着くまでね、カラフトでのこう楽しかった思い出とかを話して、
気持ちを盛り上げてくれたっていうのが、なんかすごくちょっと印象に残るなと思って。
うーん、そうだね。
なんか本当にいろんな人の感情があって。
で、船のさ、前方部分はあの大きな穴開いてるから、
うん。
海水がさ、侵入してきてさ、
うん。
傾きながらも何とかたどり着いたっていうような状況だった。
うん。
で、次最後がタイトーマルっていう船。
うん。
そう、これはね、カラフトから出発したのは8月21日だった。
うん。
またこれもオタルを目指したんだけど、
うん。
オタル湖まで約2時間ほどの箇所で海面を見るとさ、
その前の船で沈められたと思われるリュックだったりとか、
うん。
荷造りした箱っていうのがたくさんこう浮遊物があって、
うん。
で、実際遺体も流れてるのを目にしたんだよね。
うんうん。
そうそう。で、そこでちょっと異変には気づいたっていうのがあって、
うん。
で、その時はね、ルモイ沖の少し北に位置してるオニシカ沖っていうところにいたんだけど、
うん。
そこでソ連の潜水艦がまた浮上してきて、
うん。
この船第一ね、威嚇射撃と思われる射撃をしてきた。
うん。
で、そのため船はこう停止して、食堂の白いテーブルクロスとかシーツをこう持ってきて振り回して、
うん。
幸福の意思表示をしたんだよね。
うん。
で、それにもかかわらず潜水艦っていうのは至近距離から銃弾だったり砲弾を浴びせ続けたんだよね。
24:03
うん。
で、そこにはもう交番にさ、たくさんの女性とか子供も乗ってたわけよ。
うん。
それを目視で確認できる距離がありながら浴びせ続けたっていうのがあって、
うん。
で、実際にもう本当にすごい惨状になって、
首とか手が転がってきたりとか、
うん。
肉片がもう飛び散るようなすごい惨状だったんだよね。
うん。
この砲撃によって船の心臓部であるエンジンもやられて、
うん。
ボイラーなどが壊れて、こう蒸気が吹き出して、
で、船は沈んで、こう生きてる人は必死にこう海に飛び込んだわけ。
うん。
でもこれもまた海に飛び込んだ人たちに対しても、
ソ連の兵っていうのは、こう銃弾を浴びせ続けたっていうのが実際に記録として残ってるのね。
うん。
まあ、こんな惨状が3隻の船であったんだけど、
うん。
唯一さ、沈没を免れたこの第2新公丸なんだけど、
うん。
ルモイ港っていうところに何とかたどり着いて、
うん。
こうルモイの町の人って懸命に救助活動してくれたんだよね。
うん。
で、まずはその船の中にも遺体っていうのもかなりあって、
うん。
で、遺体の損傷がね激しくて、結構バラバラになってる遺体っていうのも多かったの。
うん。
で、これを同一と思われる部位を繋ぎ合わせてこう並べたりとかして、
うん。
で、識別がね、でもつかないものに関しては袋に入れて、
うん。
家族がまあその中に直接こう手を入れて、自分の家族の遺体なのかっていうのを探すっていうような、
なんかねもう本当にすごい惨状なんだよね。
うん。
で、このルモイの町の人っていうのは各家庭に生存者っていうのを泊まらせて、
うん。
その家庭にはさ第二振興まで積んであった米がねいっぱい積んであったのよ。
うん。
これさ当時日本中が食料なんで、
うん。
しかも北海道に避難民がいっぱい来たから食料不足が深刻だったわけ。
うん。
だから北海道町の養成でこの緊急疎開線に空太で結構備蓄があったから、
備蓄されてる米を運んだっていう経緯があったの。
うん。
で、その米ね、ただ海水に濡れてだけじゃなくて、
死傷者のこう血で染まったもうピンク色の米になってたんだよね。
うん。
そうそう。
実際ね何回も問いなんだけど、生臭くて匂いも取れなかったって言われてる。
うん。
ただ食料にこう余裕なかったから実際にもう食べるしかなかったっていう。
うん。
だからこれ米がさ、こんだけになるっていう相当の血の量というかさ、
うん。
いや、恐ろしいなってね。
まあそうだよね。だって結構な米の量があったわけでしょ。
そうそう。まあ全部ではないかもしれないけど、もう大半がそうだったっていう。
うん。
すごいよね。
で、結局その小笠原丸、台東丸っていうのは沈没をして、
うん。
第2新興丸は大きな損害を受けながら何とかたどり着いたっていうような。
で、このね、犠牲者、冒頭でも言ったんだけど推定ね約1700名ぐらい。
27:01
うん。
たださ、船に乗り込めるだけ乗り込んだから名簿も存在してないし、
うん。
正確な数は分かってないの、実際は。
うん。
で、この数字は海岸に打ち上げられた死体の数とか、
うん。
生存者やこう亡くなった家族が申告したものからカウントしてるのよ。
うん。
だから、一家全滅した場合とか、死体も見つからないっていう場合のケースはカウントされてないの。
ああ。
ということは、もっとこれ以上にいるっていう可能性は高いんだよね。
ああ、そうだね。
で、これさ、ソ連の立場っていうのは日本はさ、8月15日を終戦としてるじゃん。
うん。
で、ソ連はさ、戦争を継続してるっていう認識なんだよね。
うん。
これはさ、9月2日に幸福文書に日本は調印して、
うん。
その日をソ連だけじゃなくて、アメリカとかも終戦としてるんだけど、
うん。
たださ、仮に戦争中だとしてもさ、
うん。
民間人を乗せた救助船を攻撃していいのかっていうところに行き着くんだけど、
うん。
潜水艦が浮上してさ、女性子供高齢者ばかり乗ってるってことを目視で確認もしてるし、
うん。
それでいてさらに銃撃をして、
うん。
で、実際にもう海に投げ出されてる人に対してさ、攻撃をしてるわけよ。
うん。
しかもさ、3戦目のさ、大東丸に関しては、
うん。
エンジン停止して、白旗を挙げて、降参の意思表示もしてるわけよ。
うん。
で、これって当時でさえ戦時国際法違反なんだよね。
うん。
だけど、戦争に勝った国っていうのは一切裁かれないし、
うん。
これ今でもロシアは公に3戦巡覧事件っていうのを認めてないんだよね。
うん。
じゃあなぜこの事件がソ連によるものかっていうのが分かったかっていうと、
うん。
1991年だいぶ経ってから、
うん。
タクショク大学の教授がソ連国防省に調査を依頼して、
うん。
回答が届いたんだよね。
うん。
で、そこには旧ソ連太平洋艦隊の潜水艦L-12とL-19による攻撃っていうのが確認できる資料があったの。
うん。
細かくね、そこには魚雷攻撃とか砲撃の回数っていうのもその当時記録されているのが資料として残ってるんだよね。
うん。
まあそんな3戦巡覧事件なんですけど、中丸、どうでしょうか。
そうだね。まあその戦時国際法違反とかもそういう括りで言ったらもちろん違反なんだけど、
うん。
やっぱり日本がさ、終戦ってところでさ、日本ってどうしてもこう間をついたというかさ、
うん。
グダグダだったわけじゃん、もう一言で言うなら。
うんうん。
で、軍備もさ、解いちゃってたっていうのもあるしさ、もうやられ放題だったんだよね、やっぱりその時って。
うんうん。
だからそこがすごい難しいところでさ、やっぱ軍備を解くからにはそれなりにちゃんともう大丈夫って時に軍備を解かないと本当はいけなかったとは思うんだよね。
30:00
うんうん。
でもね、まあ趣味主導の戦いとかもそうだけどさ、結局解いちゃったがために北方領土まで取られちゃってるわけだし。
そうだね。
うん、だから耐えようと思えばもしかしたら千島列島の奥の方で耐えられたかもしれないわけじゃん。
まあね。
まあ、カラフトは多分ね、ダメだったと思うけど、おそらく。
ああ、まあでももうその余裕さえもなかったんだろうね。
うーん、まあそうだね。だから戦っちゃうとさ、やめてないじゃんでまた原爆落とされるかもっていうのも多分あったんだろうね。
うんうん。
でも戦ってる相手が違うじゃん、ソ連じゃん。
まあそうだね。
ね、でアメリカが別に守ってくれるわけじゃないし、アメリカもほらソ連とヤルタ海談で密約結んでてさ、もう穴勝ちまあいいやって思ってたわけじゃん、要するに進行してくる分には。
うんうん。
っていうのも多分あるんだよね。だから結局本当に戦勝国にいいようにやられちゃったっていうのはあると思うんだよね。
ああ、確かにね。
ね、だって言ってもやっぱ攻めてきてるわけだからさ、軍備解かないでね、守るべきだったところにやっぱ守れなかったっていうことがね、まあ犠牲を生んでるわけだしさ。
うん。
戦いたくても戦えなかったっていう兵隊がすごい多いわけじゃん。やっぱりマンシュンの時もそうだし。
うんうん。
もう武器捨ててさ、降伏してシベリアに連れてかれちゃってるわけじゃんみんな。
そうだね。
うん。なんかひどい話なんだけどね、そう考えると。
うん。
って感じかな。
ね、あとさ、これさ、カラフトって起こった出来事とかって対象的なその沖縄とかと比べると全然そのメディアにほとんど取り上げられないんだよね。
うんうん。
教科書にも参戦中な事件ってもちろん載ってないんだよね。
ああ、そうだね。
そうそう。で、自分もさ、何回かこの北のさ、カラフトも含めてさ、エピソードとして試みたんだよ何回も。
うんうん。
でも結局資料とかがなさすぎて諦めたりとかもしてるんだよね。
うーん、そうだね。
うん、すごい対象的だなって思って。
うん。
うん、なんかそれはやっぱソ連が関わってるからなのかなっていうのもちょっと思って。
ああ、だろうね。結局ソ連にもう口止めされちゃってって言えなくってっていう人も結構多いわけじゃん。シベリア浴露なんかもそうだけど。
ああ、そうだね。
っていう圧力かけられてたのかもしれないし、だってなんかかわいそうなんだよね。結局さ、ソ連側にこう捕まった人たちってさ、解放されても結局赤なんじゃねえかっていうんでさ、日本国内でも疑われちゃってたわけだからさ。
そうだね。
すごいそうかわいそうなんだよね本当に。別に本人は被害者じゃん完全に。
うん。
なんかすごい南と北でこんなに違うんだっていうのはすごい思うよね。
うん、確かに。
まあ南もっとひどかったけどね、そんなこと言ったら。沖縄戦なんてもう何人死んだんだってぐらい死んでるわけじゃん。
まあ規模はすごいね。
うん。
そう、だから何だろうこれ日本映画の歴代興行収入の3位がタイタニックなわけよ。
うん。
だからこれイギリスの豪華客船に注目するのはいいんだけどさ、本来ならこの三船巡覧事件をもっと注目されるべきだよねって思って。
33:05
まあそうだよね。同じ沈没、まあタイタニックとは沈没の理由が違うけど。
ね、そうだよね。
何それ。
まさか普通に返されると思わなかった。
いえいえいえ、でもそうじゃん。
いやでも本当にそう思う。
ね、映画としても描かれてももっと何だろういろいろ注目されるべきかなと思って。
うん、まあ事件としてはさ、聞いたことあんなぐらいな人は結構多いと思うんだよとは言っても。
ソ連がそうやって攻めてきて、船沈められましたっていうのはなんとなくこう知ってる人はいると思うんだけど。
やっぱりワードとしてさ、どこにも載ってないんだよ。
教科書には載ってないし少なくとも。
うーん。
そう、教科書の悪いところってさ、8月15日終戦で終わりにするでしょ。
ああ確かに。
そう、この機会だからちょっと言っちゃうけどさ、いや終戦って9月2日なんだよ。
うん。
そう、世界的に見てね。
でもさ、日本の教科書って8月15日で終わりにしてさ、北方領土問題とかもすごいうやむやにしようとするじゃん。
うーん。
そう、だからそれが良くないんだよねやっぱり。
8月15日って何の日かっていうとさ、ただただ天皇がさ、戦争をやめますっていう放送しただけじゃん要は。
まあね、15日に関してはね。
ほら、だってポツダム宣言受託したのは14日じゃん。
うん。
15日って何にもないんだよ本当に、玉音だけなんだよ。
うん。
でも終戦の日は15日でしょ日本って。
ああ、でもそれもあれなんじゃない?日本の思惑もあるんじゃないの?
まあやっぱり天皇が玉音放送したからっていうのはもちろんあると思うし、でもやっぱりそこでもう終わりにしたいっていうなんか
黙殺してるっていう感じもあるよね。
ああ、あと北方領土も県もあるから15日にしたいとかいうのもあるんじゃないの?
うん、だって結局戦闘はさ、カラフトだってさ、そうだしシムシトウだってそうだしさ、継続してたじゃん。
ああ、まあね。
15日以降も、そう。
うんうん。
ってことは、え、戦ってるのに終戦っていうさ、なんかそのすげえ単純な矛盾があることにさ、なかなか意を唱えないっていうかさ、そんな普通に考えておかしいじゃん。だって戦ってんじゃんみたいな。
うんうん。
日本軍が戦ってるじゃんっていうさ、しかも日本の領土で戦ってるのに終戦なわけだよ。
そうだね。
そう。っていうのをやっぱり教科書とかにはこう載せてほしいんだよね。
ああ、確かに。
そう、だからやっぱり載らないからさ、みんなそこに注目しないわけでさ、調べようとも思えないしさ、知らない人多いわけじゃん。
うん。
もう日本は8月15日をもってもう戦闘を終了してますみたいなさ、多分そういう人多いと思うんだよね。
うんうん。
俺だって別にさ、はっきり言って学生の時知らなかったし、そういうのを。
うん。
教科書に載ってないから。
そうだね。
そうそう。で、やっぱり社会人になってさ、こうね、やっぱり歴史好きだから、タイミングで調べる時に、え、普通に継続してんじゃんみたいなさ。
ね、こう調べてくとちらほら出てくるよね、いろいろね。
そうそうそう。なんかやっぱりそういう気づきっていうかさ、なんかなんだろうね、事実を隠されてるような感じがすごいしちゃうんだよね、俺はやっぱりそういうのが。
36:01
うんうん。
だって別に教科書にもさ、15日で御根で終戦となってますが一応戦闘は続いてましたとかって言えばいいのにさ、言わないじゃん。
うん。
なんだろうね、と思っちゃうけどね。それが戦後教育なのかね、いつかやったら。
ああ、そうかもしれないね。
うん。
まあ、そんな終戦についても触れて。
はい。
まあ、じゃあということで、今回は三戦巡覧事件について話しました。
はい。
ちょっとね、最近戦争の話題とか重い話題が多く続いてますけども、これからもぜひよかったらフォローだったりとか評価をポチポチとしていただくと励みになります。
はい、ぜひともお願いします。
はい、最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
36:51

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