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次回は、8 月 15 日(金)公開予定です。
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倉貫さんは新たに立ち上げた『くらぬき書房』を通じて、フィクションを用いた学びの可能性を考察しています。彼は趣味や自身の成長についても触れています。また、彼の独自の出版社としての考え方や出版の過程について興味深い会話が繰り広げられています。TISでの経験や仲間をつくる重要性、技術書や雑誌への寄稿を通じて有名になる方法についても語っています。倉貫さんのアジャイル開発に対する情熱と、その過程での成長が描かれています。彼はブログを通じて自身の経験を発信し、勉強会に参加しながら知識を深めることで、業界内での知名度を高めています。倉貫義人さんの物語では、アジャイルのエンジニアとしての成長と社内SNSの企画・開発を通じた組織の変革が中心テーマとなっています。彼の独自の発想と挑戦によって、社員同士のつながりが強化され、企業文化が変わっていく様子が描かれています。倉貫義人さんの新規事業立ち上げの物語も語られ、オープンソース化や社内ベンチャー「ソニックガーデン」の誕生が紹介されています。役員とのコミュニケーションや仲間作りの重要性も強調され、情熱が成功に繋がる様子が描かれています。
倉貫さんの趣味と考え方
こんにちは、nagayamaです。こんにちは、クリスです。ossan.fmは、毎週金曜日、クリスとnagayamaが、気になった出来事や、おすすめしたい本や映画を、ゆるゆるとお届けするポッドキャストです。
今週もよろしくお願いします。よろしくお願いします。はい、ということで、前回に引き続きまして、8月のゲストとして、株式会社ソニックガーデンの代表取締役社長であり、
ポッドキャスト雑草ラジオのホストである、倉貫さんにゲストに来ていただいております。よろしくお願いします。よろしくお願いします。
はい、ということで前回はですね、我々のゲスト会に出演していただいた時の復習というか、振り返りから始まり、倉貫さんがやってる雑草ラジオのことを色々と聞いて、
まいりました。最後の方でちょっと趣味の話になって、倉貫さんはなんか具体的な話が苦手だというか、何の本を読んでるかとか、何の漫画を読んでるか、なかなか教えてくれないっていう。
いやー恥ずかしい。恥ずかしい。なんで恥ずかしいんですか。具体的な話は恥ずかしいですね。恥ずかしくないですよ。
いや、でもなんか僕もちょっと今思ったんですけども、抽象化するとだんだんこの透明化していくというかね、人格とかっていうのがですけども、逆に具体になればなるほどその顔が見えてくるというか、そういう側面もあるなと思っていて、後半ね、こういう漫画とかこういうドラマ見てるって話っていうのは、僕としては個人的にはすごく親近感も湧くし、
なんかちょっとこの後チェックしようかなっていうふうになりましたね。面白いなと思いました。
だって漫画だったら結局キングダムしか教えてくれてないじゃないですか。
居酒屋ノブね、居酒屋ノブ。
居酒屋ノブか、居酒屋ノブとキングダムね。全然面白いし、なんか僕は倉貫さんがドラゴンボールって言ったとしても、あ、倉貫さんドラゴンボール読むんだ、なんかどの辺に面白いと思うんだろうなって聞きたいなっていうふうに思うわけですよ。
たとえばキングダムとかは、倉貫さん、なんかどの辺が面白いですか。
倉貫もう、そういう質問されても全然答えられない。
なんか別に、考察をしてくれとかじゃないんだけど。
いやいやいや、なんでしょうね。
え、その、惰性で読んでるわけじゃないですよね、別に。
いやまあ、惰性ではないけど力を抜いて読んでるんですよ。
なので、学長とかね、僕の雑草ラジオの相方の学長とかは、このキャラはこういう考えだとか、これってこれに当てはまりますねみたいな、チームビルディングで言えばみたいな話に当てはめながら読まれるんですね。
なるほどなるほど、その漫画から得るものを色々引き出そうとしてるわけですね。
マジで何も得てない。
だから、得てるものを知りたいんじゃなくて、なんでしょうね。
別に力抜いて見ててもいいんですけど、例えばキングダムの中で好きなキャラクターがいますかとかも厳しいですから。
そうそうそう。
そういうのも厳しいんだ。
そういうのも、そんな考えて、逆にみんなそんなこと考えて読んでんの?と思って。
うーん、なるほど。
なんかこう、考えては、なんかこのキャラクター好きだなーっていうのは別に考えてるわけじゃないんだけど、そういうのもない感じですか。
そう、だからね、なんていうの、非常に浅い読み方をしてるなーって感じが。
いや別に何か、何回も言いますけど、別にそういうの、そういう読み方、いいですよ、別に。
いいですか、いいですか。
全然いいと思います。
ごめんなさい、なんか聞いてる僕が悪者になってきてる。
いやいやいや、違うんですよ。なんかね、漫画読んでるって言ったら、そういうのも一つ言えなきゃなーみたいな、勝手なその脅迫観念があり、それ言えないのに漫画好きなんて言っちゃってすいませんみたいな。
言っちゃっていいですよ。別にいいですけどね。
いいと思いますね、僕は。
本当ですか。
漫画好きなんだもんね、だってね。
漫画、だって実際に漫画に癒されてる時間があるってことですもんね。
そうですね、癒されてるんでしょうね。
くらぬき書房の設立
うーん。
そうなんだ。
それ単行本で読んでるんですよね、その漫画雑誌みたいなやつは読んでる?
Kindleで読んでます。
Kindleのおかげで漫画いっぱい買ってもいいなって気持ちになりました。
わかる、わかりますね。すぐ増えちゃいますもんね、漫画ってね。
そう、増えちゃうので。
うーん、確かに。
いやそれはそうか。
でも、くらぬきさんの本をね、小説がちょっと最近読むのが大変だみたいな話を前回してましたけど、くらぬきさん出版業始めてますもんね。
そうなんですよ、くらぬき書房という名前で。
くらぬき書房か、出版、くらぬき書房ね。
出版社、出版社というか、会社は別に作ったわけじゃないので、ソニックガデンの看板をちょっと借りて、ホージンはソニックガデンを借りて、
出版レーベルという形で、一応でも出版業のISBNっていうのは取得して、市場に販売できる形の本を作って売ろうというのを始めまして、
それは小説読めないって言いながら小説を書いてます。
それはくらぬきさんがプロデューサーになって、作家の方に書いてもらってるっていう感じじゃないですかね。
本当プロデューサーというか、原案っていうだけですね。
原案か。
原案みたいな感じですね。
ストーリーも別に僕は考えてるわけじゃなく、こういう作品だったらいいんじゃないぐらいのところは最初考えますけど、
大体は作者さんに、視聴者さんに書いていただいてる。
その作品の編集はまた別の編集者がやってるんですか。
そうです。編集も編集の方に入っていただいてやってる感じですね。
なるほど。じゃあ本当にくらぬきさんは原案だけ渡して、
あとはくらぬき書房っていう箱というか、場所をやってコーディネートしてるだけっていう感じなんですか。
そうですね。
なるほど。
くらぬき書房が一応取り組みとしては、出版ってみんなハードル高いと思ってたり、
逆にその出版まで行かずに、それこそ技術書店とか文学振り場とかで自分で作って吸って売るみたいなところのところがあるんだけど、
そのもうちょっと間ぐらいで流通できる本として出してるけど、わざわざ大手の出版社とかからじゃなくても出せるんじゃないかみたいな、
インディーズみたいな感じで出版ができたらいいなと思って。
これはもともと僕が本自分で書いて出してたんですけど、本を出すときの著者の動きって結構本を書くこと、原稿を書くことだけしか役割がなくて、
実はその後のタイトルも編集の方とも一緒に決めますけど、最終決定権があるのは出版社だし、
どうやって売り方、どういうふうな売り方するのかとか、どういう書店にどういうふうにアプローチするのかとかっていうのも出版社化されるので、
その著者からすると、書いた後、原稿書いた後の先が見えないので、なんかもうちょっとそこをやりたいなみたいな気持ちがあったりとか、
今の出版業界ってめちゃくちゃ変本が多いんですよね。出版点数が増えてるので、のに売れる本の数が減ってるってことがあって、
1週間、2週間置いたらもうすぐ本屋から返されて変本されて、倉庫に置かれて、でも倉庫に置いてても不採になるので、どっかで断債されてみたいなことが起きてるんで、
ここ数年でだいぶ初版部数っていうのが減って、いっぱい刷らないようにはなってきたんですけど、言ってもまだ刷ってしまうみたいな、
で、変本されて断債されてしまうみたいな、でも、刷らないと出版社としては数字上売上が立たないので、
刷ったら売上が立つみたいな謎の構造になってるので、まあ吊りましょうみたいなことが起きてるのが、ちょっとその出版業界のどうも悪いねじれだなっていうビジネスモデル上構造の問題があるなと思って、
じゃあ変本しない出版ってできないのかなみたいなのを調べてる中で、これでも自分でちょっとやってみないともうこれ以上ビジネスモデルわかんないなと思って、
出版自分たちでやってみようっていうのもその出版業みたいなのをやろうと思ったきっかけで始めたんですけど、
まあでも自分で書いて自分で出版業やってってなると、なんかめちゃくちゃ自己顕著欲高い人みたいになるから、ちょっと別の人書いてくんないかなみたいなのがあったのと、
あとは僕は今まで本書くときにだいたい自分の経験書くんですよね、まあ皆さんそうだと思うんですけど、
経営者の方が本書くとなると自分の会社で起きたこととか書くんですけど、自分の会社で起きたこと書いていくとどっかでもエピソード枯渇しちゃうんですよ、
まあ限界ありますよね、自分の人生という枠があるから、
そうそうそう、で何冊も出していくと同じ話擦ることになったりとかするから、いやもうこれ擦り続けるのやだなみたいな、
一回話した、書いたやつなのにみたいな、で読んだ人も過去の読んでくれた時、またこの人と同じこと書いてるって思われるのも、
そんな記憶力いい人いないのわかってるんだけど、なんかやだなって思って、っていうのと、あとだんだん自分が書いたら若い人向けの本書こうと思ったんですよね、最初、
で若い人向けの本を50も近い人が書いたら、なんか説教する感じの本になるのやだなと思って、なんか説教臭い本なんて誰も読みたくないな、だろうなと思って、
っていう時にどうすればいいかなって思ったら、それこそ相方の学長とかはさっきの話で、漫画からチームビルディング学ぶとか、漫画から育成学ぶとか、
で世の中見たらキングダムでビジネスを学ぶとか、ワンピースでリアルなっちゃう学ぶとか、っていうのがあって、あれ、みんなフィクション、要は空想上の話から現実のビジネスを学ぼうとしてるなと、
あれ、これもしかして今まで僕、自分の本で全部本当にあった話を書いてきたけど、作り話でもみんななるほどって思ったのではっていう、で海外の本とかも読んでも海外の事例とかも載ってるんですけど、これフィクションかノンフィクションか区別がつかないですよね
確かに なるほど、確かに どこどこでこういうことがあった、ネットフリックスの事例とかだったらさすがにあった話だなとかって思うけど、なんか聞いたことない会社の事例とかも出てくるんで、あれ、これもしかして人間とはフィクションでもノンフィクションでも学びは一緒なんではみたいな、でも別に学べてるんですよ、漫画読んでも学べるし、全然知らない会社の話からでも学べるってことは、
フィクションからでも人はちゃんと学びは取れるんじゃないかっていうことを考えたら、これ僕が書くときに自分で書くんじゃなくて、別のライターさんにフィクションで小説で言いたいことを書いてもらったら、まず説教臭さはゼロになるなっていう、
その中の主人公が、中の主人公に誰かが教えてる構図だったら、別に読者がなんか自分に言われてる気がしないので、
なるほど、そうか、作者対自分っていう構図じゃなくて、その構図がない方されてるフィクションっていうようなことですよね。
そうですそうですそうです、それはただ舞台の中で起きてることなので、 自分に向かってることじゃないってことですよね そう、自分に向かってることじゃないから、全然嫌な気持ちがしないけど、そっから学びは取れるじゃないですか、
人の振り見て、我が振りじゃないですけど、主人公の振り見て自分のことを帰り見るみたいなことができるので、
としたら漫画から学べるんだとしたら、フィクションから学べるんだとしたら、学びを逆にフィクションにしても同じことができるんじゃないかっていう、その仮説のもと小説にしているって感じ。
フィクションからの学び
面白いですね、なるほど。 確かにね、僕はビジネス小説全然読まないんですよ、ただ池井道純さんのビジネス小説とかはすごい好きで読んでるんですけど、その感覚に近いかもしれないですね。
多分、倉抜さんの本を今まで読んでいる層から別な層にもアプローチをするっていう場合は、多分かなり有効だなーって気はしますよね。
たしかにこの倉抜書房は今1冊出てる状態じゃないですか、今後何冊ぐらい出したいなーとか、どのぐらいのペースで出したいなーとか、そんなイメージはあったりするんですか、これって。
たしかに、そうですね、もともとの狙いというか、インディーズでやっていこうみたいなところがあるので、出版レーベル、出版社と言いつつ、その著者さんとだけしか作らないっていう感じでいるんですよ。
その永橋さんっていう著者さんなんですけど、その著者さんの人と何人かでチーム組んでるので、インディーズバンドみたいなつもりなので。
そういうイメージなんですね。
たしかに、そうです。なので、出版社というよりはバンド名みたいな感じなんですよ。だから、倉抜書房というバンドから曲を何曲か出すよっていうので、もし他の、たまにおっしゃっていただくんですけど、
やっぱ書くならじゃあ、倉抜書房から出せませんかって言っていただくんですけど、だとしたら新しいバンド組みましょうって僕は提案する感じですね。
倉抜書房じゃなくて、なんちゃら出版とか別途作って。
そこから出しましょう。
たしかに、そう。で、そんなものをすぐ作れるんですよ。だから出版レーベルくらいは。なので、倉抜書房としてはそのチームで出すだけなので。
そんなに頻度高く曲は作れないので、今ね、2作目は一応作っていて。
2作目がたぶん9月ぐらいかな。9月か10月には出せるんですけど。
タイムリーですね。
たしかに。
たしかに。
たしかに。 それが出せたら次3作目に取り掛かるかみたいな感じ。
面白い。
たしかに。 で、本当にね、僕はバンドやったことないですけど、なんかインディーズバンドってたぶんこんな感じじゃないかなみたいな。
で、自分たちで作って、自分たちで売ってみたいな。で、イベントも自分たちでやってみたいな。
で、何だったら文学フリまで、手売りまで自分たちするっていう。
たしかに。 僕は文学フリまで入手しましたから。
この間の、我々が出した文フリ京都に、倉抜さんいらっしゃってましたからね。
ブースにフラッと来て、僕は倉抜さんで気が付かなくてイメージにされて。
本当ね、本当もうなんかちょっと傷つきましたよ。
いや僕の方が傷つきましたわね。どっちが言ってるんですか?
全然気づいてくれない。
なんか知らない人が来たけど、なんか僕の方じーって見て、なんかこう、あ、でもなんか知ってる人なのかなと思ってじーって見て、
倉抜さんじゃんって。いやその、やっぱ人間の脳の情報のインデックスって言うんですか、
文学フリマみたいな場所で倉抜さんとバッタリ会うなんて思ってないから、
パーチに時間がめちゃくちゃかかった。
でも倉抜さんね、ちょっと髪型も変えて、なんかちょっと雰囲気が違ったんですよね。
あ、そうですかね。
そうですよ。
なんかすごい、僕の方、これ倉抜さんじゃんみたいな。
すいません、本当ね、気が付かず申し訳ございませんでした。
もう言ってくださいよ、倉抜ですって思って。
いややっぱどうしようかなと思って。
どうしようかなじゃないですよ。
そこで僕、倉抜さんが来てて、そういえば本を出されてて、ブースも出してるって聞いて、
あ、そうなんですねって言って、ブースに行かせていただきましたけども。
インディーズバンドね。
なるほどね。
いや面白いなあ、それも。
そういう発想面白いですね。曲を出すように本を出していくってことですね。
そうですそうです。だから出版社と出すの一緒でいいんじゃないみたいな感じですね、調査と。
でもその発想でいくと、さっきの倉抜書房から出せませんかみたいな話は、
逆に倉抜さんが入り込む余地があんまりないから、別のレーベル作ってやりましょうにもなりづらくないですか。
作品としてもあるわけじゃないですか。
やりたかったら、わざわざ倉抜書房で発売したくて、その方の名前の出版社で、
レーベル作るお手伝いは全然できるので、僕らにはノールケーパビリティーが得たので。
TISでの経験と有名になる方法
なるほど。じゃあそのインディーズバンド立ち上げなよって言ってあげるみたいな。
そうですそうです。
そうか、自分でCD出せるぜっていう感じですね。
CD出し方、僕らは身につけたので、出し方教えてあげるよっていう感じですね。
結構お金というかコストかかるもんなんですか、その本出すのって。
いやいや、文革フリマに出されたのとほぼ同じぐらいだと思います。
そんなにプラスでかかるのはほぼないですよ。
ISBNの取得に言うて数万、数万かかる。
数万円ぐらいの。ISBN取るのがそうですね、お金かかるんですよね。
そうですね。ISBN取るのがお金かかるだけで、あとはもう手間ですね。
お金というよりは手間がかかる。一番僕らが手間かかったのは、
ISBNの取得するのに電話がないとダメだっていう、固定電話がないと荷物が証明できないので、出版社として認められませんっていうふうに言われて。
すごい商売してるな。
僕らの会社リモートワークなんで、電話は会社になくて。
そういうこと。そこが大変だと。
そこをね、なんか電話機持ってきて、ちょっと1回繋がるようにしてみてみたいなのをして、なんとかクリアして、証明できて。その手間が一番大変でしたね。
そうか。だからこれソニックガーデンでやってるっていうことなんですよね。つくらめき処方をしたけど。
一般社としてはね。
そうですそうです。会社としては。
だから我々がやろうとしたら、いわゆる法人格みたいなものは必要になるってことなんですかね。
多分ISBNを取得するときにいるのかな。
何かしらの。
何かしらの。
所在が明らかになるような組織体がいる。
そうですね。
なるほど。面白いですね。なんか出版、面白いな。我々も文学フリマー出させていただいて、また次のやつにも先日申し込んだんですよ。
いいですね。
で、何かわかんないけど、今気持ちが高ぶって次は2冊作るぞっつってね。何かわかんない。
なぜかね。
ね、nagayamaさん。なぜかね。今言うてるだけで、本当に作るかどうかわかりませんけどね。言うてるだけの状態ですけど。
なんで、何かそういうテキストの何かこうね、物体を作るものに。
いやでも楽しいですよね。本作りは。
楽しい。楽しいですね。面白い。
そうなんですよ。
だから本作りを趣味でやってるみたいなもんなので、それを恐れ多くもそれでちょっとデビューをしようと目論んでるインディーズって感じですね。
メジャーデビューどっかでできたらいいなって夢見てるインディーズって感じ。
なるほどなるほど。そこで言うとこのメジャーデビューは何人該当するんですか?この取り組みだと。
うんとね、僕らが今取り継ぎっていうのを使ってないですね。出版業界で言うと。出版業界ってその出版社と、
アマタル出版社とアマタル日本中の本屋さんをつなぐその物流と流通のその間を取り交わす、まあ卸しの。
それを取り継ぎって言うんですけど、取り継ぎっていう会社が日本に何社かあって、そこの取り継ぎに卸すと、出版社取り継ぎに卸すと取り継ぎが全国の書店に並べてくれると。
なので大手取り継ぎに通すと全国に並べてくれるんだが、その代わりさっきの返本の仕組みがあって、返本されてきて、結局在庫に係るなるみたいなことが買取じゃないので、
ってなっちゃうので、それがあまりエコロジー的にも本を愛する人的にも嫌だなと思ってるので、買取のみでいきたいなということで、大手の取り継ぎを使ってないんですね。
で、まあもちろん大手の取り継ぎ使うときには、僕らみたいなインディーズ的なところが口座を開けてくれるわけでもないので、そこの審査も難しいので問わないんですけど、
こっちとしてもそこはまた使わずにいこうっていうので、ほぼ今手売りか直販かみたいな、ネット販売かみたいな感じでしかやってないのがインディーズっぽいところであって、
で、これがもしかしたらでも僕ら買取でこの本作りをやって、いつかめちゃくちゃこれがもし売れたら何が起きるかって、
その大手の出版社からもしくは大手の取り継ぎから、うちで卸させてくれませんかって向こうからお誘いが来たらメジャーデビューだなと思ってます。
ライブ後に名刺持って大手のレコード会社にやってきて、うちでデビューしませんかみたいな。
買取の方式ならいいですけどねって言ってみたり。
なるほど。面白いなあ、いいっすね。
ぜひとも今後の展開を期待して、メジャーデビューなるのかどうかとか、出される本もね、企画が毎回新曲が楽しみって感じですよね。
新曲をね、なんとかヒットする新曲を出せるように曲作りを勤しんでる感じですね。
なるほど、面白いですね。
面白い取り組みですね。
倉貫さん物語の考察
クラヌキ書房の話はこの辺にしてですね、残り半分ぐらいなんですけど、後半の方で、前回のクラヌキさんのゲストに出演していただいたときに、
クラヌキさん物語っていうのを書いたんですよ。
序章をね。
序章。勝手にタイトルつけてますけど。これはスラムダンク第1部間に近しいものがありますけど。
僕が勝手につけた序章っていうので、クラヌキさんがね、これまでのご経歴というか、学生時代どんなことしててみたいなお話をいると聞いて、
就職活動してTISに入って、そこからどうでしょう、独立する辺りぐらいまでですかね、聞いたんですけど、改めて聞き返してみると、
TISに、結構時間も短かったんで、TISに入ってそこでのことがちょっともう少し聞きたいなって思ったんですよね。
思ったならもっと早く呼ぶよって話なんですけど、その3年。
3年温めちゃいましたね。
前回どんな話をしたかっていうと、クラヌキさんが前のTISに入って、
自分がここでできることはないなみたいな、やめちゃおうかなって思った時に、相談したら当時の専務の有賀さんですかね。
有賀さんでしたね。
有賀さんが、クラヌキ今ここで辞めるのはもったいないぞと、辞めるんだったら、もっと有名になって、
自分がやりたいことができるように仲間を作って、今聞き返すと、仲間を作って一緒に辞めたらいいってこと言われたんですか。
そうですね。
すごいこと言いますよね。
辞めたらいいとまで言ってないですけど、辞めるんだったら仲間作ってからのほうがいいぞっていう感じでしたね。
仲間作ってからのほうがいいぞってことか。
で、その辺のディティールが結構聞きたかったんですけど、そこは流れて独立しましたって話になったんですけど、
僕もね、クラヌキさんがTIS在籍してる時に、私もちょうど新卒で入社して、同じぐらいのタイミングでいたんですけど、
有名になったらいいぞっていうところと、仲間作るっていうの、その大きな会社の中で、どうやったらクラヌキさんがやったことっていうか、
どうやって有名になろうと思ったのかとか、名を売れるかとか、あと仲間をどうやって社内で作るかって、
だからどんなことを考えてどんなことをしたのかなっていうのをちょっと聞きたいなと思ったんですけど。
そうですね。有名になれって言ったのは、何のためかってその方が言ってたのは、
自分の名前で仕事が取れるようになりなさいって仕事だったんですね。ただただ有名になったらいいよってことじゃなくて、
ご指名で仕事取れないと、その前の会社TISの下請けの仕事しかできなくなるよって言われて、
確かになっていう、じゃあ仕事ってどうやって取るんすかねって言ったら、有名になるんじゃないみたいな感じだったと思っていて、
要は指名で仕事が取れるようになったらいいわけなのに、僕も若かったから、今だったら普通に人脈作ったりとかして、
仕事くれる人を探しに行くと思うんですよ。
まあ直でね、TIS経由じゃなくて直で取引できるような。
そう、直で取引できるようなところを探したりだとか、そういうサービス登録したりとかっていうのを思いつけばよかったんですけど、
もう純粋すぎて、本当に有名になろうって思って。
いや、今考えたらね、おろかしいですよ。おろかしいというか、まあまあ20代の自分、ちょっとかわいいなと思うぐらいの、なんでそんなこと思ったんだろうなみたいな。
で、本当に有名になるにはどうすればみたいなので、当時はね、今もうだいぶなくなりましたけど、技術の雑誌とか、
ジャバマガジンだったかな、そういうのとかあったので、そういう技術書にやっぱり記事を出すんだなとか、
やっぱりあとは、今もですけど技術書っていっぱいあったので、本をね、技術の本を出すみたいな、それだろうなみたいなのを考えて、
で、じゃあ何でそういうのを出せるかなとか、書けるのかなと思ったら、まあその時からも好きだったアジャイル開発っていうのが、
アジャイル開発への第一歩
自分的にはやっぱりいいなと思ってた、推しだったので、じゃあアジャイル開発について、有名になるために本書いたり、雑誌に寄稿したりしようみたいなのを思うんですけど、
何のツテも何もないので、まだまじで20代の25とか6とかぐらいだったもので、まずはブログ書こうみたいな、
はいはいはいはい、ブログ書こうね、ほうほう。
ブログ書こうみたいな、ブログという言葉すらない時代かもしれない、日記みたいな、ウェブ日記みたいな、みたいなのをちょっと書き始めて、
コミュニティに、それこそ今で言うとコミュニティとかって言いますけど、勉強会みたいな、アジャイルの勉強会みたいなのに参加するようになって、
勉強会とかに参加したら、当時は運営してる人たちが、有名な人たちが運営していたりとかしていて、
有名つっても、僕が見た、20代のエンジニアが思う有名なので、技術書を書かれてる方とかね、
わかります、わかります、わかりますよ。
という方が運営されたりとかして、うわあ有名人となんか知り合いになれたみたいな、
で、その方々がどうされてるのかなみたいな話を聞くようになったりとかして、
でも有名な人だなあって思ってたし、まあその時も今も、そういうことされてることに関してはリスペクトはあるんですけど、
リスペクトはあるけど、なんか言ってもそんな別の人種みたいなことないなみたいな、
ああ、あくまで自分の延長。
そう、同じ人間だなみたいな、これもしかして自分でもやれそうだなみたいな勘違いがここでまた生まれる。
あれ、これ自分でも全然できるかもなあみたいな感じに、まあ20代でしたね、若かったんで勘違いがあり、
で、そういう勉強会とかでね、登壇、言うて手挙げたら登壇させてくれるぐらいの時代だったので、
じゃあなんか喋りますみたいなんで、いろいろ喋るようになり、
で、その時にでもまだ言うて、そろそろ20代中盤ぐらいのやつが勉強会で喋っても、なんか偉そうに喋るネタなんてあんまないですよね。
なので、どうしたらこいつの話してることは面白いって思ってもらえるのか、なんか注目してもらえるのかっていうのをいろいろ考えたら、
たまたまでしたけど、僕そこそこ大きな会社にいたなと、上々企業で、そこそこ大きな会社、
上々企業でアジャイルやってるって、これちょっと面白いネタなのではみたいな。
たしかに当時はもう本当ウォーターホールというか、アジャイルって言葉がね、
いやもう全然出てないですよ。アジャイルって言葉の前のね、前回も話したかもしれない、エクストリームプログラミングっていう、
はいはいはい。そうかそうか。
元素元素みたいなやつしかない時代だったので、アジャイル事例として出してる方も日本ではちょっとずついたりとかもするんですけど、
言うてその小さい事例しかないですよね。ちょっとやってみましたみたいな感じしかないので、
いやこれ逆にでっかい会社でアジャイルやってるって注目される可能性あるなみたいな、ちょっと戦略的なことを考えて、
その会社名とともにアジャイルやってますみたいなのをなんか講演とかさせてもらってたら、やっぱり面白いって思ってもらえるんですね、そのベテランの方とかは。
講演と雑誌寄稿の成功
し、すごいねとも言ってもらえるんで、気持ちよくなってたんですけど、案の定会社から怒られまして。
怒られたんですか、怒られた。
なんかね、怒られたというか、ちゃんと注意はいただきましたけど、
え、そうなんですか。
今思えばね、今思えば会社名で出して講演とかするんですよ。
ああ、その広報とか通さず的な。
通さず、全く通さず、広報っていう言葉すら知らない若者ですよ、エンジニアだから。エンジニアだからって言うわけじゃない、僕はね。
わかりますよ、そうですよ。そうですよね。わかりますよ。はいはいはいはいはいはい。
そうだったら、でっかい企業でこんなことがあってみたいな、ちょいディスり気味の話をしたりとか。
ディスっちゃダメ、ディスっちゃダメ、そこから入ってへんのってことね。
まあでもね、やっぱり20代だからちょっと尖がってましたから、っていうのをやってると、やっぱりお叱りを受けて、
会社ってこういう、ちゃんと言わなきゃいけないんだなっていうのがありつつも、そういう取り組みをしてると外では有名になって、
その結果、やっぱ面白いってことでね、夢だった雑誌にも寄稿させていただくことができて、
それの絡みもあって本も出させてもらうこともあって、みたいなこともあったりとかして、
それこそ何かのイベントで、今は英和システムマネジメントの社長されてる平辺さんっていう方が、
当時それこそアジャイルみたいなものを推進されてる日本のリーダーみたいな方だったんですけど、
何かの勉強会で平辺さんが登壇されてて、僕はちょっとだけ面識あったぐらいだったので、
登壇終わった後に、平辺さんが登壇終わった後に平辺さんのとこに行って、
自分は何とかアジャイル開発で雑誌に記事を出したいんだみたいな、もうこっちはね、清水の舞台から飛び寄るぐらいの気持ちで言いに行ったんですよ。
お願いできませんかみたいな、何とか出したいんですけどとか言ったら、もうめちゃくちゃこっちドキドキしてね、
そんなもう無理だとか言われるかなと思って行ったら、もう表紙抜けぐらいするぐらいに、会われましたとかって、後でメールしときますとかって言って、軽いなみたいな、なんて軽いんだと。
で本当にその後、メールで詩詩入れて、編集の方繋いでくださって、実際それで書かせてもらえることになって、
いやもうね、僕それ以来、僕もそれすごい大事だなと思ったんです。軽やかに答えるって、その若い子たちが相談してきたときに、その相談してくる側ってだいたい深刻なんですよね。
その時は僕も深刻でしたけど、でも深刻な悩みに深刻で答えたら、結構しんどい空気になるなっていう。
なんかやりたいことをやりたいって言ってきた若者に対しては、マジ即劣で軽やかに返してあげるっていうのをそこで学んで、それ以降ね、僕も真似するようになったんですよ、そういうのね、そのスタンスを。
なので、たぶんクリス君とかね、TISの時になんかやるみたいなこと言ったら、僕すぐ応援するみたいなこと言ったりとか、同じTISだったら市谷君とかね、その後独立されての子とかが、そのTISでこういうことやりたいんだけどみたいな、めちゃくちゃ深刻に持ってくるけど、もうすぐやったらいいじゃんみたいな。
っていうのを、なんでもすぐ、まず軽く後押ししてあげたほうがいいなっていう、そこで学び、でもね、自分もそれが後押ししてもらったから今があるので、っていうのがあって、そっからなんかなんとなくいろいろ知ってもらえるようになったりとか。
社内での仲間作り
たかちん 知ってましたね。 楊 まあだからあれですね、ちゃんとこう、なんでしょう、言葉をまにげて本当に有名になろうとしたっていうところ。 楊 まあバカですよね。でもやっちゃってますからね。
たかちん クラキさん、バカですよねって言いながら、僕も前回の聞き直して、僕も本当に有名になろうとする以外の選択肢があるんだって、今聞いて思った。そういうことなのかって、僕も思ったんで、そうか。でも有名になろうと思って、やっぱブログ書いたり勉強会に行ったりっていうアプローチをして、ちゃんと結果につながってるのが。
楊 そうね、そこはすごいですよ。 たかちん すごいし、時代もありましたよね、あの時代。 楊 時代もありましたね。 たかちん でも今でもやろうと思ったら同じようなアプローチで。 楊 同じアプローチだと思いますけどね。
たかちん そんなに特殊なアプローチではないかなっていう気はするし、その自分がいる立場で珍しがってもらえることは何なのかっていう。 大企業でアジャイル。 楊 そうそうそう、それは考えましたね。他の人と違うことってなんだろうっていう。他の人と違うことやってた方が注目もされるし、面白がってもらえるし。
たかちん なので、今度はその会社でお叱り受けて、社内で活動しだしたんですけど、今度は社内に帰ってくると、その大きな会社でね、そんな外の勉強会とかで講演したりしてる、まあゆうてまだにしかも20代のやつが、なんか雑誌出したりとか本書いたりしてるぞっていうのは、今度はね、その会社の中では珍しい立場なんですよ。
たかちん なんだこの人は。 楊 そうそうそう、今度はこっちで珍しい立場になるから、そしたらなんかあいつ面白いやつだからつって、その新しい部署立ち上げるときに呼んでいただけたりとかするようになって、まあそっからまた人生少し変わったみたいな感じなんですけど、なんか会社の中の会社の中で、それはそれで面白いやつだったっていうふうに思われるような見せ方ができたなっていう。
たかちん いや、僕はだから会社の中から、暮らしさんが有名になるアプローチを取ってる途中からかもしれませんけど、見ててね、社内でSNS作って、社内に勝手にSNS作って、しかもなんかよくわかんない、招待制、あれ招待制でしたっけ。
楊 招待制ですよ、最初。 たかちん 社内SNSが招待制ってわけわかんない。どういうことなんて思いますよね。
楊 あれがね、それがね、もう一つの仲間の作り方のところの話にもつながるエピソードがあるんですけど、仲間作れって言われても、マジで仲間の作り方なんか本当にわかんないかったので、
で、社内でそれこそアジャイルの勉強会とかやってみたんですよね。アジャイルを広めていきたいみたいな気持ちがあったので。でも、有定社会人2年目か3年目くらいの若者が勉強会開催するつって、しかも聞いたこともないアジャイルでみたいなのをやっても、集まるやつは誰もいないっていう現実に。
たかちん そんなことがあったんですか。 楊 そんなことありましたね。誰も来ないなみたいな。 たかちん 勉強会そうって言っても。 楊 そうそうそう。
たかちん 親友みたいな。 楊 親友みたいなのがあって、いやーこれ仲間の仲間ってどうやって作るんだろうみたいなのが、これもうわからなすぎたので、新人から育てようって思いまして。
たかちん もうね、何年か働いてる人は、会社の流儀に染まってるので、考え方とかね。でも、まっさらな新入社員だと世の中のこと知らないので、
たかちん これが常識だって教えたら、それが常識だってなるんじゃないかっていう、仮説のことを。 楊 面白いね。それはさ、それは仲間なんですかそれは。仲間なのか。
たかちん いやいや、それこそね、まあ僕もよくわからなかったんですよ。だから仲間とは何かみたいな。 まず友達の作り方がよくわかんないので、
今も友達ってどうやって作っていいのか、50超えてまだちょっとわかんないところがある人間なので、ちょっとまあまあ仲間というものをどうするか。
楊 どう作るか。 たかちん みんなだいたい新人教育って仕事の合間にやるので忙しいからやりたがらないですよね。部署に配属された新人を。
たかちん なのでそれを立候補して、やりますつって。新人教育やりますつって言って、その新人を配属してもらって。で、だいたい会社の研修で、なんかJavaとか習ってくるんですけど、一旦そういうの忘れようみたいな。
たかちん そういう作り方じゃないからつって。ちょっとゼロからやってみようかつって。で、アジャイルのやり方でね、やるんですけど、本人たちはね、もうそれしかやり方知らないので、
たかちん 普通にそれで仕事してくるようになって。そうするとだんだん新人が入るたびに僕のところに来たら、一回そこを通過したらアジャイルなソルジャーが出来上がるみたいな感じで、アジャイルの仲間たちが徐々にできていったりとかして。
たかちん それから抜きさんのイズムを注入された。完全に教育を抑えていったわけですね、もうね。日本語教育をこう大東亜共和圏に行き止めてみたいな感じでね。
たかちん そうですね。なので、そうしていくうちにだんだんと新覇が増えて引き、仲間なのか新覇なのかみたいな。増えていった中で、だんだんチームが大きくなっていったんですよ。アジャイルをやれる。で、僕も外でいろんな活動してる人間なので、面白いやつなのでって言って、
たかちん なんか謎に出世させてもらって、管理職みたいになって。で、チームも出せてもらって。で、アジャイルのプロジェクトいろいろやったんですけど、当時いたのが本社部門にいたので、いわゆる課税でなかったんですね。研究開発みたいな部署にいたので。
アジャイルエンジニアの挑戦
たかちん で、いろんなプロジェクトの引消しをしたりだとか、立ち上げしたりはしてたんですけど、自分たちで案件持ってないので、稼いでない状態の中で、アジャイルのなかなかできるエンジニアたちがくらぬきのところに集まってるぞっていうのが有名になりすぎた結果、会社の中で大きなプロジェクトが立ち上がるっていう時があって、で、ある時部長に呼ばれて会議室にくらぬきチームの人たちがみんな呼ばれて、
くらぬきのチームは今日で解散だって言われて、育てに育て上げたアジャイルの選手たちを全員その巨大なプロジェクトで持ってくぞという。
はいはいはい、あれか、あの案件か、はいはいはい。
ありまして、やさぐれましたね。
やさぐれそう、それはやさぐれそう。
それはね、それでやさぐれまして、当時30歳ぐらいだったんですけど、いやもう会社って怖いなと。
その、せっかく仲間を作れって言うから、新人から育てて仲間を作って、いよいよ仲間たちができたぞと思ったら、あの人事異動という強権発動されて、
取り上げられちゃったってことですね。
取り上げられちゃって、残ったのは新入社員と僕だけみたいな、新社員一人と僕だけみたいな状態になり、
はいはいはい。
いやいやいや、いよいよもう辞めたるぞと思いまして。
なります、それはなります。
なりましたよ。有名には多少なってたんですけど、有名になる仲間を作れって言った時の仲間が消えたんで、
まあ有名だけだけどもう辞めたるかなと思って、転職活動をね、30の時にちょっと始めたんですけど。
社内SNSの構築
そうなんだ。
その時はね、それこそね、ハテナさんとか行きたかったですよ。
いや知らないですよ、僕はその時ハテナじゃないから。
そうそうハテナじゃないんだけどね。だからクリスくんがハテナに行くって聞いてもう祝福しながらちょっと嫉妬しましたよ。
でもその後はクライマックスさんはね、自分で独立されてるわけですから。
まあまあそうですね、でもその時にハテナとか、それこそ楽天もなんかちょっとエンジニア募集し始めたぐらいなのか、
なんかまあいろいろあるなみたいな、見てて。でもね、当時の募集要項と僕がやってきたことを掛け合わせると、どうやってもどこの会社に行ってもマネージャーになるみたいな。
マネージャーとしての募集しかないし、言って自力所で売りにするにはマネージャー歴がまあまああったので。
しかも優秀なアジャイルソルジャーを育て上げた実績までの実績もありますからね。
そうなんですよ。なのでこれはもうプレイヤーには戻れるなと転職しても。でもこっちはプログラミング好きなので、プログラミングやりたいなーって気持ちがあったので、どうしようと思っていて、
一回その転職してもプログラマーになれないなら、ちょっと転職やめようと。転職やめた代わりに、あの一回もう一回プログラミングしっかりやり直そうと。
マネージャー歴しかない奴はマネージャーでしか採用してもらえないので、しっかりとプログラミングやってから、
キャリアを作って転職しようと。
そう、プログラミングできるようになったりして、転職するか自分でやるかやろうと思って、
その時にプログラミング何勉強しようかなと思った時に、それこそさっきの逆張りじゃないですけど、僕割と違うことを狙うので、
その当時はみんなJavaをやってたんですよね。外ってJavaみたいな。世の中みんなJavaやるみたいな。
でも、こっちはもうマネージャーだったから、Java歴浅いんで、今からキャッチアップしても負けるなーみたいな。
若いやつに負けるなーみたいな感じだったので、誰もやってないやつやろうと思って、当時で初めだったRuby on Railsっていう。
ここでね、Ruby on Rails。
Ruby on Railsっていうのがバージョン0.9ぐらいだったんですけど、
1にもなってないときですね。
1にもなってないときで、10分でブログが作れるみたいな動画が流行って、これだーと思って、もしくはPythonかRubyかと思って、
単純にただ日本人が作ったっていうだけで、Rubyだなと思ってRuby on Railsを勉強しようと。
で、その当時一人だけ残された新人と二人でRubyの本読んで、久しぶりにプログラミングやって、でもなんか、やっぱりね、大きい会社だから暇してても怒られないんですよね。
好きなことしてても。そんな切迫感ないので。一応仕事してるふりしながらRubyやって、今8割ぐらいRubyやってるみたいな状態で。
今考えたら本当に不良社員でしたけど、やってまして。でも何もしてないとね、やっぱり会社としてはなみたいなところあるので、会社としてRubyやれる大義名分あったらいいなっていうのと、
ちょっとRuby勉強してくると、なんかアプリ作りたいなって気持ちやっぱりなるので、なんかないかなって考えて、やっぱり技術の研究開発的な部署だったんで、
技術情報を社内でうまく円滑に共有するためには、これからの時代SNSですとかって言い出して、で、SNSを社内で作ったら情報共有進みますみたいな、
もう本当か嘘かそういう話をして、上司の人に言って、まあそうか、くらぬきが言うならつって、じゃあやってみろとかって言ってくれて、
まずSNSといえばミクシーだなと思って、そのミクシーのまるまるコピーしたやつを社内で立ち上げて、それを社内SNSっていうのを始めて、で、ミクシーコピーしたぐらいなので、招待制で始めるんです。
そこもコピーしちゃったんですよね。で、言うてこっちは上司の方ぐらいまでしか確認取ってないんで、その会社の公式なアナウンスとか出せない立場だったんで、で、なんだったらこっちはちょっとRuby勉強したいだけだったから、まあいいかと思って招待制で始めて、
ちょっとずつ声かけてたら、まあその時にクリスくんとかがね、入ってきてくれて、ヘビーユーザーになって、 そうそうそう、僕も不良者になったんでね、ヘビーユーザーになって、
なってくださって、日中からみんなでSNSで遊ぼうって。 楓さんがルビーオンレイツでやってた時、実は僕もちょっと反不良化してて、僕は僕で、自分でJavaのなんだっけ、タペストリーっていう、
あった、懐かしいヒントがありますね 楓 懐かしいでしょ、なんかMOOCにあったタペストリーを勉強しようと思って、僕も同じくSNSを作ってた手元で、実は、そしたらなんか社内にもうある、できてる、聞いて、え、なにそれって言って教えてもらって、
面白かったね、ほんとアングラでやってたので、ほんとね、くだらないことをね、その中でやって、サーバーもね、別にちゃんとしたサーバーとかなくて、僕の机の上に置いてある、いわゆるコンピューターというかサーバーマシン、サーバーマシンっていうか、
普通のパソコンですか 楓 パソコンで動いてるのを社内で、みんなアクセスしてるから、たまにね、掃除のおじいちゃんとか電源抜いちゃって、落ちて、SNS落ちてんぞーっつって、すいませんとかつって、復旧したりとかしてましたね、そんな時代でしたね
楓 ああ、そうか、そういう感じで、そこで逆に宣伝してなかった分、なんかそういうの好きな人が聞きつけて集まってきて、 そう、社内の変な人ばっかり集まってきた 楓 変な人ばっかり 楓 正確したですね、もうね、確かにね そうそうそう、なかなかそこでね、まあそれこそそこでちょっと仲間みたいな気持ちになりましたよ、変な人たちが集まってくれて
楓 ちょっとした共犯関係みたいな感じですね 楓 そう、なんかね、でもまあ盛り上がってきたから、でもね、何人ぐらいかな、300人か400人ぐらいまで行ったのかな、その時に、誰かが、もう今も覚えてないですけど、誰かがね、社長招待しちゃったんですよ
楓 思い出した、そうそうそう、そうだそうだ 楓 社長招待しちゃったやつがいて、おいおいおい 楓 空気読めよみたいなね 楓 空気読めよ、俺たちのパラダイスに社長呼ぶんじゃねえよっていうのがあったんだけど、まあまあ大丈夫かなと思って、そしたらね社長がね、社長ですみたいな、なんか一言書いちゃったんですよ
楓 そうそうそう 楓 で、そこまでならまだいいんだけど、そのコメントにね、また調子乗ったやつが社長来たーって書いちゃったんですよね 楓 それ、僕じゃ、僕かな、僕じゃないような気がする 楓 誰だろうなぁ 楓 なんかね、僕の可能性も今あるなと思って 楓 可能性でかつかに怒ってますよね 楓 可能性を感じています
楓 いやーやりやがったーって思って、もうね、即座に僕はね、言うて政治力のある人間なので、もう即座に上司のところへ行き、状況を説明し、あの事情を説明した上で、翌月のかな、もう翌月の厄介とかにもう即に持ってって、あのなんとこれはもうこのために実験的に活動してきたことに意味が出てきましたと
楓 社員の何パーセント以上が利用されているので、これはもう公式なSNSとして運用させていただきますみたいなのを企画書作ってやって、そっからね、まあそれをきっかけにでも公式の予算いただいてやれるようになったんですよね
社内文化の変革
まあでもそこからそのそれが一応その会社のサービスとして外に売っていくようなその社内SNSを売るような形になっていくんですよね、それ 楓 そうですそうです、そのSNSが一応公式な公的なシステムになったので、まあ一応それをね、何とかうまくいって
楓 のところはそういうことをやれるチームですというふうに認めていただけることができて、で、そうなったらこっちのもんで、今度はちゃんと会社の公式な活動なんでアングラではなく人の募集をして、まあそこでまた人を増やしていくみたいなことができるようになって、懲りずにまた新人から育てるみたいなことをして
また新人を育て始めて、まあ何人かのアジャイルソルジャー作ってて、でしたときにそれで1年か2年やってったら、まあまたいくつかねSNS以外にもサービス作って社内に展開するっていう、一応僕そのときの社内のチームのコンセプトは、コンセプトというかベンチマークにしたのはやっぱりハテナさんだったんですよ
ハテナさんみたいに面白いサービスを社内でいっぱい作っていこうみたいな、いいので、そんな感じのチーム組織作ろうみたいな感じで、アジャイルの選手を育てながら、新人から育てながらサービスをいくつか作り、まあ社内なんだけど、なんだっけな、そのドキュメント管理wikiみたいな作って使ってもらうとか、なんかいろいろ企画して作るみたいなのをやってて
そのときはね、やっぱりすごいね、自分たちで企画して自分たちで作るもんだから、本当にアジャイルにシステム開発ができて、で社内に限ったつっても社員数が3000人とかいたので、まあ言うてユーザー数多いんですよね、外でインターネットでサービスあるより最初からいきなり3000人とかユーザーいるって面白いので、なんか面白いなと思ってやったんですけど
あるときまた城長に呼ばれて、数年前に始めた超巨大プロジェクトがまだまだ大変だということで、不穏な空気が、ほほーまだ来たかと、もうマジ辞めたるぞと思ったんですけど、そのときは、そのときでもね、持ってかれたのが、一緒にルビー勉強して育てあげた新人だった彼を、
もうそのときはもうサブリーダー的になってたんですけど、そいつ一人でいいから持ってくって言われて、また残されたの新人たちみたいな、っていう状態になり、いやこれはいよいよもうダメだなと思い、でももうなんでしょうね、まあ一応そのプログラマーもやってたからね、それをもって転職っていうのもあったんですけど、
自分で作ったSNSとかがね、やっぱり企画して作ったものがあったので、じゃあこの企画して作ったものを事業にしたらどうかと、社内の人事異動、倉抜きのところから人持ってくぞって言われるのは、ひとえに僕が売り上げをあげる能力を持ってないから、こっちの売り上げが大変だって言われたら、コストカットって言われたら僕らのところからコストセンターなので、持ってかれちゃうので、
いやこれもそんなに深い考えではなく、我々が売り上げを持てば人事異動に対抗できるのではという、浅はかな、これも非常に浅はかな、本当にそうじゃない、そんなことやったのもそうじゃないんですけど、その時はでもそうかなと思って、売り上げあげようっていうのを考えて、
で、せっかく作ったSNSあるから、これサービスとして横展開して売ったらワンチャンいいのではっていうので、始めた取り組みがあって、で、二つ取り組みしたんですよ、その時に、事業にしようと思って、新規事業としてね、会社の新規事業として立ち上げるっていうのと、新規事業うまくいかなかった時にやめたろうと思ったので、
やめた後もそのSNSを使い続けて、自分で運用し続けるにはと思って、オープンソースにしたろうと思って、
オープンソースにしたら会社のものじゃなくなって、公共のものになるので、オープンソースにした後、自分がやめたらそのオープンソースのサービス使って、商売できるじゃないかという、またこれも浅はかな、
その発想もすごいですね、だいぶアナーキーな感じがしますけど、 浅はかなことを考え、と言いつつちゃんとやっぱり会社にとっても意義ありますよみたいなことは、立て付けを作り企画を作り、
社内の決裁を通していくみたいな、これもね、やったことないことだったので、その言うてただの課長ぐらいな人間だったので、
役員と話したこともないくらいの、大きい会社だったら役員とそんな話すこともないので、どうやって自分の企画を社内で通せばいいのかみたいな、わからないんですよ、
今だとわかりますよ、どれぐらいの決裁だったら部長決裁なのか事業主決裁なのかみたいな、当時わかんないから社長のハンコもらうしかないって、
最強ある意味最強のカードを取りに行ったわけですね あさかだなあと思って、まあ思いますけど、でも当時は本気だったので、
まず企画書作って、一回上長に当ててみようみたいな、上長持っていっても全然よくわからんと、お前の言ってることよくわからんみたいになると、
そうかと思って、もうちょっとちゃんとしたフォーマットで書かなきゃいけないとかと思って、それっぽい報告書作って当ててみてとか、何回かやってるうちに、
相談してるうちに、コンマ消したのか本当にいいと思ったのか、次の上の方紹介していただいて、役員の方に持ってって、
そしたらまあ一回目はやっぱりダメで、じゃあ直してきますって何回か持ってったら、補打されたのかなんかわかんないけど味方になってくれて、
っていうのを何回か繰り返していくと、笑っていいとも形式でいろんな役員の方紹介してもらって、
じゅんぐりに企画説明していくうちに企画がブラッシュアップされていって、で、昔俺も新規授業やってたみたいな人が伝説の企画書みたいなの持ってきてくれて、
勉強になってみたいな、で最後取締役会っていうところに持ってけるぞと、いよいよ倉抜き取締役会に持ってけるぞみたいな、
で、こっちはもう取締役会っていうもの自体が庄長企業の取締役会の初めてなんで、もうどんな場だと思って臨むんですけど、
どんな取締役会だと 本当にね、かつねそこで通すには僕ね、これも浅はかでしたけど多数決だと思ったんですよ、
あとでしたとか、本当は別に社長の意思存で決まるんですよ、なんだけど多数決だと思ったから、役員の半数以上と説明してから臨むっていう謎のムームをしてしまいまして、
でも楽しいんじゃないですか、もういいと思います 根回しはバッチリとですね 根回しをね、根回しをして、でその取締役会に臨むと、
いやー今でも覚えてますけど、大企業の取締役会ってあんなおごそかなんすね、
今一応僕、庄長企業の取締役会だけど、ズームでやるからそんな感じ全然ないんですけど、立派なね、ちょうど品のいい机で、
へー 遠景のラウンドになったところで、社長を中心に役員が周りを固めるみたいなところに ドラマで見るやつだ、半澤直樹とか そう半澤直樹みたいなところに行って、
まだ32、3ぐらいの僕が行って、で取締役会って時間限られてるんで、お前の時間はこれぐらいしかないみたいな言われて、5分ぐらいしかないみたいな、
えーみたいな、こんな思い込めて作ったものを、そんだけで説明するのかみたいなのを、でもまあ説明して、で社長に持って行って説明したら、
質疑応答というかね、社長から暗い気分かったと、でお前なんぼ必要なんやって言われて、 かっこいい えっなんぼ、いやオープンソースにするだけだってまずね、オープンソースの決断だったから、
オープンソースするだけだから、言うてそんなかからん、なんかちょっとなんかつばつけても、100万とか200万とかでももうめちゃくちゃ恐れてるみたいな、
ホントはそんないらんけどと思ったけど、なんや、お前そんな新しいことやるなら1億ぐらいいるかとかって言われて、 かっけえ
いるって言いたいって思ったけど、 言いたいって思った
いやーそこでね、あのなんかよぎったんですよね、あのほら僕ドラクエ世代だから、あのドラクエの1っていうね一番最初で、
ラスボスの竜王のところにね、世界の半分にあるから味方にならんかって言われて、はいって言ったらゲームオーバーになるっていうのがね、なんか鮮明に頭によみがえって、
いやそんないらないですって言っちゃったんで、 いやそれは正解ですよ、そんな、いらないんだから
今考えたら正解だったんだけど、 いらないんだからそんなに いらない、ホントにいらなかったからね、
もうそうなんかつって、まあじゃあやったらええんちゃうかみたいなんで、あんなし寝回してた役員たち一言も喋らず、
社長がええんじゃないかつってもうええって決まって、でまあオープンソースの決議が通って、まあでもあのいい経験をねさせてもらいました、
大きな会社でコミュニケーションで、かつ相手の意を汲んで企画書を作り説明する能力っていうのはそこで磨かれ、で一回オープンソースの決裁通ったので、
次は新規事業だと思ったんですけど、新規事業の決裁通す前にその会社が別の会社と合併することになって、
社長が変わられて交代されて、役員も半分くらい変わられてみたいなことになって、せっかく作った人脈が半分くらい失われるという、
クラキさんそんなんばっかり背中で話しきってると いやーこれでまたリスタートかと思って大変だったんですけど、
取締役会の経験
たまたま新しい社長とランチさせていただく機会があって、新しい社長は面白いことやりたいから、面白い社員と話をしたいっていうので、
面白い社員の一人として候補に挙げていただいたので、ランチのタイミングで本当はご弁当を用意してもらうんですけど、
プロジェクター用意していただいて、社長室で、秘書の方がね、気を使って好き嫌いないかとかお弁当の話、連絡してくれたんですけど、そういうのはどうでもいいからプロジェクター用意してくれっつって、
社長になりたての方に渾身の事業計画書をそこでプレゼンさせていただきまして、 なるほど すべての取締役会とか取締役とかをショートカットして、
社長に持って行き、いいんじゃないかと言っていただき、そこでせっかくやるなら、新規事業やりたいって言うなら、子会社でも作ってやればいいとかって言ってくださったんですけど、
新社長の方は、こっちはそこまでの覚悟もあんまなかったので、マジかと思いながら、でもせっかくだからやろうかって思ってたんですけど、
その後、いろいろ社長室の方とかが来ていただいて、倉抜社長はああ言ってるけど、そんな会社簡単に作れんからとかって言って、
社内で会社っぽい形作るねっていうので、社内ベンチャーっていう形で、制度がなかったんですけど、大慌てで作っていただいて、
それで始めたのがソニックガーデンっていう社内ベンチャーでしたね。
なるほど、すごい。
めっちゃ面白い、いいとこなんですけど、時間がだいぶ来たし。
いや、ほんとそうっすね。すいません、喋っちゃって。
いや、でもこれはめちゃめちゃ面白い話だな、これ。
いや、なるほどね。だから、倉抜さんの仲間を作るみたいな話の、さっき言ったように育てたって話もそうですけど、
やっぱその本気でやりたいことを企画書みたいな形にして、ちょっとずつ説明していって、
そこもいわゆる仲間作りのプロセスじゃないですか、共犯者を作っていくじゃないですか。
で、この倉抜さんを応援したいって思う人が次誰を紹介したらいいかっていうので、紹介してくれたと思うので、
そういう本気でやりたいことを目に見える形にして、それを人に当てていくみたいな、そういうのが大事なんだなって聞いてて思いました。
あの、浅はかなぐらいでちょうどよかったですね。
いや、それは思いました。そのままじゃなくて、若さというか情熱というか力がね、やっぱり大事だなってのは思いましたね。
そうですね。その時の、育てた、新人から育てたって言ってた、一緒にRuby勉強してくれた新入社員の子と、
その後、社内イベント立ち上げるときに一緒にいてくれた新入社員の子たちが、今のソニックワールドの副社長が取締役になってくれてますね。
素晴らしい。やっぱり仲間を。
仲間って成功してるじゃないですか。
成功してるんですよね、本当に。面白いですね。
なんかすごい、まだまだ聞きたいことありますけど、ちょっと時間も来てしまったので、これが序章じゃなくて、
そして伝説じゃないですよ。
終わっちゃった。
終わっちゃった。なんで終わっちゃった。
数ぐらいの話の。
いやいや、もう。
スニップガーデンの話も聞きちゃったんですけど、ちょっと時間オーバーってことで、またちょっと、今度は3年半待たずに。
3年半後。
いやいや、3年半待たずにちょっと呼びたいと思いますので、ちょっと聞かせていただきたいなという気はしておりますので。
面白かった。ありがたいですね。
ありがとうございました。すいません。
いえいえ、ありがとうございます。本当に好きなことだけを喋らせていただきました。
いやいや、また喋りに来てください。
ぜひぜひ。ありがとうございます。
ぜひぜひ。はい。一旦ここでね、締めさせていただこうかなと思います。
楠木さん、またぜひともいらっしゃってください。
楠木 この続きを聞かせていただければと思います。
ありがとうございます。
では、おっさんFMでは皆様からのお便りや感想をお待ちしております。
概要欄にあるお便りフォームやTwitter、SynX上でハッシュタグおっさんFMをつけて投稿してください。
また番組のリスナー方が作るDiscordサーバーもありますので、そちらもぜひご利用ください。
今回のおっさんFMはここまでとなります。
それでは皆さん、また来週お会いしましょう。さよなら。
楠木 さよなら。
ありがとうございました。
01:07:27
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