1. 趣味でOSSをやっている者だ
  2. 11: 1000speakersデビュー (am..
2024-11-21 43:07

11: 1000speakersデビュー (amachang)

spotify
  • amachangの近況
  • オープニングとamachangの自己紹介
  • amachangとSongmuと1000speakers
  • 気軽に発表する場
  • LLMとBlog執筆
  • Blogに対する見え方の変化
  • 自分のBlogへの批判や承認欲求
  • 老害になりたくない

amachangの近況

オープニングとamachangの自己紹介

amachangとSongmuと1000speakers

気軽に発表する場

LLMとBlog執筆

Blogに対する見え方の変化

自分のBlogへの批判や承認欲求

老害になりたくない

サマリー

アマちゃんさんは、登壇者としての経験を語り、1000スピーカーズプロジェクトやその影響について話し合っています。また、LTエンジニアリングの重要性やコミュニティでのつながりを深めることにも触れています。このエピソードでは、ブログのあり方とAI、特にチャットGPTの影響について議論されています。さまざまな時代背景と個人の経験を通じて、ブログ作成の意義や価値が探求されています。このエピソードでは、ブログの進化やAIの発展の影響に加え、自己満足と他者評価について語られています。特に、ブログを書く理由や他者との関係性がどのように変わってきたのかが探求されています。インターネット上での感情の浮き沈みや人々の学びについて考察し、ブログやAIの影響を受けた若者の行動について語られています。

アマちゃんのプログラミング生活
はい、ということで。今、固いって言われたんですけど、ちょっと緊張してます。レジェンドを迎えて。なんか、最近どういう生活されてるんですか?
最近ですね、会社辞めてから本当、プログラミングしかしてない生活で、本当、趣味としてプログラミングをやってるニートっていう感じの生活をさせていただいております。
アマノと申します。
いや、いいですね。それいつまで、いつぐらいまでやろうとか考えられてるんですか?
なんか、そろそろ辞めようと思ってて、ちょっと業務委託とかで、ぼちぼちちょっと社会復帰していこうかなみたいな感じですかね。でも、いつまでか決めてないですね。ちょっと考え中です。
業務委託ってのは普通に開発したりとか、そういったこと考えてるんですか?
そうですね。友達の会社手伝ったりとか、そういったところからやっていこうかなっていう。特に何にも本当に考えてないんですけど、仕事あるのかないかもわかんないし、ちょっと友達の会社あんぎゃして、仕事あるかどうかちょっと見て回ろうかなっていう感じで考えたりもしてますけど。
なるほど、そうなんですね。ということで、今回はですね、この番組は趣味でOSSをやっているものだという番組で、OSS作家の孫無がゲストを交えながら、趣味や仕事について話すポッドキャストです。ということで、今回のゲストはなんと、アマちゃんさんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
じゃあ、アマちゃんさん、自己紹介よろしくお願いします。
はい、えっとですね、自己紹介。はてなんでずっとブログを書いてまして、結構エンジニアの友達が多くて、いろいろブログ見てくださっている方とかもいると思うんですけれども、特色のないエンジニアなんですけれども、ブログを書いてちょっとだけ昔よく読まれてたっていうような感じですかね。
なんかすいません、ちょっとグダグダな感じになっちゃいました。
はい、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
いや、ということで、アマちゃんさんって言うとアレだからアマちゃんって呼ばせていただきますかね。はい、いやどうだろう、まあいいや。
でもアマちゃんがやっぱり僕としては一方的に見てた側なんですよね。
で、ちょっと収録始まる前に僕とアマちゃんの接点みたいな話をしてたんですけど、多分僕としては2000年代に結構一方的に僕の方がアマちゃんを見てた側だったので、そういう意味ではあんまり接点がないなっていうのはすごく思ってるんですよ。
逆に僕、2010年代以降、結構コミュニティとかに顔を出し始めたので、その頃多分アマちゃんはあんまり割と自分のお仕事とか事業とか頑張られてたので、コミュニティには顔を出さなかったっていう感じだったと思うので、結構入れ違いっていう感じなのかなと思ってます。
ただ、僕としては結構アマちゃんのおかげで今の僕がある部分があると思ってて、これは2008年とかがやっぱすごく一方的にアマちゃんに接近した時期だったんですけど、この時にアマちゃんがやってた1000スピーカーズっていうやつで初めて外部登壇したんですよね。
これで、当時は僕まだ語学学校の常室兼シスタン兼営業みたいな感じだったんで、この時に確かユニコードとかHTMLの漢字とか中国語みたいな話をして、結構終わった後、アマちゃんが良かったよみたいなことを言ってくれたりとか。
あと、JJAGのクロスコミュニティカンファレンスっていうJavaのイベントだけど、結構JSの人が来たりRubyの人とかが来て、それこそ多分アマちゃんがJavaScriptのパフォーマンスチューニングの話をしたり、角谷さんが多分Java para Rubyへの話をしたりみたいな、そういうJavaのイベントながらそういういろんな言語の人が登壇するイベントがあったんですけど、
その時にアマちゃんが多分JavaScriptのパフォーマンスチューニングでリフローに気をつけてチューニングしましょうみたいな話をしてたのを結構よく覚えてるんですよね。すっごい昔話ですけど。
そういう接点でしたか。ソンムさんって昔から知り合いのようなすごい感じがするのは、ハテナをよく使っている人とか、ハテナの中の人とかの特徴なのかもしれないですけど、エンジニアと話すと、一瞬で昔から友達だったような慣れ慣れしたを覚えてしまうようなところがあって、センスピーカーズからだったんだっていうのが結構意外だったかもしれないです。
ちなみにセンスピーカーズっていうのはね、昔僕がすごくまだ未熟だった、プログラマーとして未熟だったときに、JavaScriptのイベント、カンファレンスで舞台に立たせていただく機会っていうのがあって、その発表が大バズりしたっていうことが一回ありまして、そこからいろんなブログとかを通じてメディア発信するっていうことに耳を傾けてもらえるようになったっていう、自分なりの経験がありまして。
そういうので、日本から1000人の登壇者を輩出しようみたいな、そういうプロジェクトだったんですよね。それに参加していただいてたっていう、初期にすごく参加していただいてたっていうのはすごいありがたい話だし、こういうところでそういう人と出会うっていうのも、もう10年以上前の話ですから、IT業界の柔軟さというか流通性を感じますよね、すごく。
LTエンジニアリングの価値
そうですね、なんか僕が多分登壇したときは、それこそ、これはその人も黒歴史だとは言ってるんですけど、神保さんとかも多分登壇したときで、なんかすごく懐かしいんですよね。あとそのときは、多分吉織さんとかもいらっしゃって、初めて接点が持ったりとか、多分それも吉織さんは覚えてないんですけど、一方的にそういう接点があったときなんですごい、
なんて、僕は本当に見てる側っていう感じでしたね、当時は。でも本当にそのSense Speakersってすごく良くて、良かったなと思っているのは、やっぱりなんかその1回登壇したらすごい楽しいし、それでなんていうかコミュニティが広がるし、まあなんていうか、登壇するといいよみたいなことはみんな気軽にうっちゃ言うんですけど、
結局、登壇者と聴衆って、それぞれあって成り立つものだし、結局聞く人の方が多いから、登壇者側に立つのって、登壇した人からすると簡単だよって言っちゃいたいし、言うんだけどやっぱりすごい難しいわけじゃないですか。
でもその中でちゃんとそのSense Speakersって、とにかく1000人登壇者を出すみたいな、そういう登壇者の数をむしろ増やしていくみたいな、そういう、なんていうか、名前も含めてすごい良い活動だったし、そのおかげで今の僕が初めての登壇がそれだったっていうのもあるので、すごいありがたいなと思ってます。
たしかに、Sense Speakersの最初のブログのエントリー、こういうのやりませんかっていう、Sense Speakers名前も多分なかったときの、最初の発想っていうかブログのエントリーが多分だけど、ちょっと今見てないから違ったらごめんなさいだけど、話したい人のためのカンファレンスをやりますっていう、そっから始まった気がするんですよね。
だから、なんか日本人なのか知らないけども、置くせずね、自分はそんなすごくないかもしれないと思っていても、喋ったら結構みんなにとってはすごいことだったっていうのがたくさんあるし、なんかその背中を押せたらいいなっていう思いだったかも。
自分もそうだったしね。話してみたら意外とみんな喜んでくれるというか、感心してくれるというか。俺、ソムさんにそんなことしてたって結構誇れるな、すごい。そう思うと。鼻高いです。ありがとうございます。
いや、こちらこそ。ありがとうございます。 若い人も、だから話してほしいよね。なんか、あるのかね、そんなパイコンとかすごい大きいところはあるだろうけども、なんか50人ぐらいとか30人ぐらいの人が集まって、半分か3分の1ぐらいが発表者みたいな感じじゃないですか、センススピーカーズって。なんかそういう会ってあるのかね、今も。オンラインとかであるのかもしれないけど、あったらいいなって思いますけどね。
そうですね。最近いろんなイベントも増えてきてて、そういうのはあるかもしれないですし。なんかそれこそ、YapCとかだと、多分最近数年前にやった、京都でやったときとかはLTSONみたいなのがあって。YapCでLTSONっていうのやってること、たまにあるんですけど、そこはそのもう飛び入りLTEでどんどん回していくみたいな。
そういうのをやったりしてるので、そういうのいいですよね。
確かにLTEって時間も短いし、敷居を結構下げやすいし、次々行くから、自分だけは見られるんじゃないっていう気持ちもなるしね。いいフォーマットですよね。
そうですよね。LTE。まあいろいろ、LTEは僕ちゃんと5分で切ってほしい派なんですけど、なんか5分で切られる方がおいしいぐらいの、なんかあの後の話、続きは懇親会でみたいな話ができるからいいけど、わりとみんな逆にLTEのスキルが上がりすぎちゃって、なんかそのぴったり5分で納めるから、そこが職人芸になってきて、逆にこうカンファレンスによってはハードルが上がってるみたいなのがあったりするな。
っていうのは思ったりしますね。
なるほどな。出てきたことに拍手を送ってあげてほしいよな。
そうですね。まあそういう意味では本当にそういうLTEソンみたいな、とにかく飛び入りLTEで回し続けるみたいな、すごいいい試みだなっていうのは思いますね。
まあどんなことでもいいですからね。なんかこのライブラリー使ってみたとかでいいですからね。なんかそういうので、なんかこう話す機会があって、まあなんかITで友達作る一番の近道なんじゃないかな。
なんか俺すごくずっとブログ書かずにこう引きこもってたじゃないですか。一時期仕事ばっかりして。
そんでなんか僕のこと知ってる人もまあ少なくなってきたというか、昔はまあすごく小さなカンファレンス村みたいなものだったんで、いけばみんな友達だったんですけど。
そういう少なくなってきて入ってみたら、やっぱり手ぶらで来た人になんかこう、と話盛り上がるの難しいですよ。
だからやっぱLTE出たら、そのLTEに興味持ってくれた人とも話せるし、手ぶらで話に行ってもさっきのLTEの人だねってなるし。
なんかこうスライド5枚ぐらい作って、なんかこうLTEで参加するっていうのはめちゃくちゃ勉強会とかに出る効率は高いかなって気がするんで、なんかみんなやってみたらいいんじゃないかなって思うね。特に若い人は。
そうですね。本当機会があればとりあえずなんかアプライしてみるのがいいかなっていうのは思いますね。結構その勉強会とかによってはかなりその選考が厳しくなって、なかなか通すのも難しいみたいなのも出てきてはいますけど、まあでも小さいニッチな自分の好きな技術のイベントとかでとりあえずLTEに応募してみるみたいなのはやるとこういいし、
まあみんな温かいと思うから、みんな好きな技術のカンファレンスとかそういう勉強会に来てるから、特にそんなよっぽど変な差別的なこととか言わなければ受け入れてくれると思うんで、いいですよね。
最近そういうオフィシャルなしっかりと審査するカンファレンスが増えたからこそ、アンチテイザーとして全員しゃべるっていうのをテーマに無限の会場を抑えてやるぐらいのパンクな感じを若い人にやってほしいな。むしろそういうのが昔のITっぽいというか。
ヤップシーのYET ANOTHERっていう。ヤップシーってYET ANOTHERじゃないですか。それはもともとちょっとお堅いパールカンファレンスへのアンチテイザーとして始まってるわけだから、なんかYET ANOTHER YET ANOTHER、パールカンファレンスみたいな感じで、
ブログとAIの影響
どんどんどんどん既存の固くて古いものとか、フォーマットに凝り固まったものとかを復興していってほしいなって思いますけどね。そういうカンファレンスなんかに出て、自分の意見を言うようなやんちゃなやつにそういうことをやってほしいなんて思ったりもしますけどね。みたいな。
あの頃のね、やっぱり一憂みたいなものが今でも続いてほしいし、それが僕らの世代だけがやってるんじゃなくて、ちゃんとむしろ若い人たちがになってくれる方が健全だと思うので、そこは本当にその通りだなと思います。
ぺけたん まあということで、この番組は別に昔話結構していいと思ってるんですけど、今書かれてることとして、昔思ってた未来と今のギャップみたいなのがあるみたいなのが書かれてますけど、そういうのってどういったところにあるんですか。
岡田 まあそうですね。AIの発達とかってめちゃくちゃ大きいですよね。ブログのあり方もやっぱり変わるだろうし、プログラマーのあり方も変わるだろうし、人間の価値観とか、様々なものの評価の軸みたいなものがまた変わってくるっていうところで。
ぺけたん まあすごく、この時期にニートをしてたっていうのはすごく自分の中で良かったなって思ってる部分でもあるんですけど、どういう話からしていったらいいのかな。
岡田 例えばブログとかでも、昔はやっぱり優秀な人のブログを読むっていうのが、良い知識を得る一つのスタイル、有効なスタイルだったわけですけれども、そういうものはチャットGPTで、ある程度は高いレベルですることができるってなってくると、情報を取得するためのブログなのかということにもなってきますよね。
ぺけたん どうですか、そんなことは思いませんか。
ぺけたん そうですね。どういう感じですかね。でもなんか、情報とかを得るにしても、AIとかそういうLLM的なものは、何らかの元情報を元に学習してるわけなんで、そういったものは必要ですよね。
岡田 元の元ってことですよね。だから一つブログの在り方としては、まだ見ぬチャットGPTがまだ見ぬ最先端のことを書いていくとか、そういうのは確実に一つありますよね。論文的なこととか、誰も発見していなかったようなことみたいなものを一つ書いていくっていうのも、このブログの一つの役割だなとは思いますよね。
ぺけたん だから、今後のブログって二つに分かれるのかなというふうに思っていて、ほとんどのブログっていうのは、その人のストーリーとか体験とか、その人が人間としていて初めて共感できるようなこと。
だから知識とかではなくて、その人がその考えに至る発想とか苦労とか共感みたいなものっていうものが、今後はブログとしてブログを書く意味みたいなことになっていくのかなというのは一つすごく思いますよね。
ぺけたん だから、なんかそのチャットGPTに聞いてプルしてくる。情報をプルしてくるっていうような行動の中、その様式では得られないものみたいなものを考えていかなきゃいけなくて。それはだから、その人が質問もできないようなこととか、質問して帰ってきても空虚なこと。
人が押し付けてきたことこそいいものみたいなものをちゃんとブログで書いていかなきゃいけないなっていうのはすごく最近感じていて。この前の僕、Linux PC自作したブログっていうのを書いたんですけど。あれも基本的には自分の考えとか、自分の苦労みたいなものを伝えたいっていう意図が実はあったんですよね。
ぺけたん だから、おまけがすごい長いって話題になってたんですけど、あれは様々な、なんかこう、自分の中でのストーリーみたいなものをスクロールして一瞬で体感してもらいたいっていう。下までスクロールしたときに、こいつすげえ色々頑張ったんだなっていうことを感じてほしいっていう意図があったし、上の方のおまけじゃない部分に関してはすごく自分の考えを徹底的に書いてると思うんですよ。
なんか、俺はこう思う、俺はこう思うっていうことを。だから、そういうものなんじゃないかなとか思ったりして、ブログを最近書いてまして。今もすっごいたくさん下書きをブログに書いていて、公開しないものもたくさんあるんですけど、なんか自分が苦労したことをとにかくブログに書いて、で、何かしら自分の個人的な意見が生まれてきたら投稿しようと、上の方に添えて。
なんかそういう気持ちでブログの下書きはいつも書いてますね。なんかニートになってから。
たしかにそういう書きたいことはあるけど、なんかその気が熟してから出すみたいなの僕もありますし、なんか僕手元のObsidianっていうマークダウンエディター使ってるんですけど、そこにはブログネタみたいなのはもう50個以上ぐらいあって、もうこれ死ぬまでに書けないんじゃないかみたいな感じにはなってますね。
でもなんかあんまりそこが、どうなんだろう、チャットGPTによって変わった感じは僕はあんまりまだピンときてなくて、それこそそのアマちゃんのスタイルとかもあんまり変わってない気もするし、でもまあそういうなんかストーリーがあったり、思いがあったり、問いかけがあったりみたいなものだったり、あと逆にその新規制みたいなもの、こういうライブラリ作ります、こういう論文とかこういう考え方みたいなところは昔からあんまり
なんか変わってないんじゃないかなっていうふうに思いますし、あとなんかその最近のやっぱリラックスにした話もめちゃくちゃアマちゃんぽくて良いなって思いました。昔はそれこそWindows7買ってきてとか、あとなんかMac買ってきて開封の儀みたいなのをやって何をセットアップしたみたいなのめっちゃやってたじゃないですか。
今YouTuberがやるようなことを昔はてなダイヤリーとかでやってたみたいな感じがありますよね。
たしかにな。でも昔は、あれはなんか僕のブログって2種類あって、なんか本当にTwitterみたいなことを書いてたのと、わりとなんかこのしっかり書こうマインドでちゃんと書いてるみたいなのがあって、わりとバズったブログっていうのはそういう今の似たようなことを書いてたことも多いんですけど、
わりとこういう問題があってこう解決しましたみたいな、ソースコードをペタッと貼っただけのようなブログも結構あるんですよ、昔って。そういうものに意味を感じなくなってきたっていうのは一つ確実にあるかな。
なんか結構聞いたとかのコンテンツとかで、こういうブログをこう書いて、こういうツールをこう使ってみたみたいなものっていうのは、チャットGPT、友達が書いてたとしてもあんま読まないかもしれないなって自分では思うんですよね。
友達が書いてたとしてもそれは読まないかもっていう。なんかそれでめっちゃ苦労してPNみたいな話だったら読みたいけどっていう感じかな。
たかちん そうですね、なるほど。まあでもそれは逆に昔からあんまり読まなかったかもって感じもするし、まあでもそういうブログでも絶対書いたほうがいいとは僕は思うんですけど、でもそれこそ、これAIが書いたでしょみたいなやつが増えてきてるから、それはどうかなっていうのは思うところはありますよね。
AIとの共存
たかちん なるほどな。ちなみにその、なんか確かに自分のために書くブログだったらいいですよね、確かに。なんかどうなんでしょう、チャットGPTが書けるようなことをあんまブログで書くのをやめようマインドの、今自分はそういうマインドをなんかこう持ってはいるんですけど。
たかちん なんかその、ソムさんにとってブログ書くことって、まあチャットGPTが知ってることだとしても書こうって思うことってどういうことなんでしょうかっていうか、そこをもうちょっと掘り下げたいかも。
たかちん でも僕はあんまりそういうのはないですね、やっぱり。 たかちん ただなんかその、僕の中で最近思ってることとしては、僕たぶんすごくその自分の文章をAIに書かせることに対して保守的だなっていうのをすごく感じているんですよ。
たかちん で、その、こう、なんか多分どれぐらいそこに甘えていいのかっていうところの、まだ距離感がつかみかねているみたいなところがあって、まだあんまりその、まあ例えば僕、こう、なんかエンジニアの最近リクルーティングとかスカウトとか打ってるんで、スカウトとか打つときに多分多少こうLLMとかそういうものに自動生成させたほうが、
たかちん なんならクオリティの高いもの、ベースが出てきて、それを手直しすればいいものが書けると思うんですけど、それをやってないんですよ。やりたくないみたいなところがある、あるたりとか、あとその、たぶん僕は結構、僕の文章が好きで、まだその、あんまりAIとかに侵食されたくないっていう気持ちがあって、
たぶんそのうち馴染んできたら、もうそれも自分の一部だっていうふうに思える時代がやってくるのかもしれないし、たぶんもうすでにそこまで行ってる人がいると思うんですけど、僕はたぶんそこは若干メンタルモデルが旧世代で、まだそのAIに甘えることで、そのAIの意見なのか自分の意見なのかわかんなくなってくるとか、なんかその本来の自分が、の意見がどこにあるのかわかんなくなるみたいなのが、
結構今は不安があるのと、僕自身、僕の書く文章とかブログに思い入れがあるので、あんまりそのAIに補助されたくないなっていう気持ちをちょっとその、たぶん保守的に持ってしまってるっていうのをすごい感じるんですよね。
岡田 なるほどな。確かにな。でも、なんかソムさんが、たとえAIを使って文章を書いたとして、それをソムさんが選んでブログに貼り付けた時点で、友達としては、僕らとしては、それだけでもソムさんの心は伝わってくる部分はあるから、
なんか最後の一押しみたいなものがその人でさえあれば、まあ僕はその人の表現のような気もしますけどね。ただ書く意味の方を私はどっちかっていうと気にしてしまうだけであって、うんうん、そういうのはなんか、僕はこれからなんかそういうのでもいいんじゃないかなって、どっちかっていうと旧審派かもしれない、新報派かもしれない、保守派に対して。
まあどうなっているかわからないですけどね。そういうことに価値を見出す人も、そういうことに価値を見出さない人もいるでしょうからね。
なので、まあそういう意味ではもっと先に行ってる人がいるのもわかるし、僕もだんだん慣れてきて、そのなんかこうなんだかんだでこう使うようになってくんだろうなっていうのは思ってはいます。そこに対して若干まだ臆病になってるみたいな部分があるかなと思うんですけど、最近やっぱチャットGPTとかもまあ昔よりかは積極的に使うようになってきたし、
てかまあ結構普通にその変数名考えたりとか、コマンドラインのオプション名考えたりとか、なんかそういうのとかめっちゃ便利なんで、まあそういったところではすごい使ってるんで、まあ徐々に多分その受け入れていくことになるだろうなと思ってるんですけど、今はまだそこに対して結構自分で文章を書きたいとか、そういうふうに思ってるって部分がありますね。
岡田 俺でもそんもつあのそういうとこ好きなんで、なんか俺でもちょっと一つそういう人が好きだからこそ一個ちょっと提案したいんですけど、そういう人はAIの文章を研究はしてほしいんですよね。
なんていうか、このAIの文章貼り付けなくてもいいけれども、AIによって世の中が進歩していった時に、こうAIだったらどう表現するんだろうっていう研究はしてもいいのかななんて思ったりもしますけどね、なんかこうその人の言葉で書き直してもいいし、その意見を取り入れなくてもいいし、その文章のフォーマットを取り入れなくてもいいけども、まあなんか研究材料にしてもいいんじゃないかななんて思ったりもします。
まあそこでもレベル感なのかな。
ブログの進化
たかちん まあでもそれはすごいあると思いますね。なんかそれで似たような話で思うのは、その車の自動運転とかそういう世界って、たぶんそのちゃんと車が好きで運転を自分でするのが好きな人こそ関わるべきだし、まあそうじゃない人もたぶん関わった方がいいと思うんですけど、
たぶんそういう両面あって、やっぱり本当に自分で車を動かすのが好きな人も絶対関わった方がいいじゃないですかって僕は思って、たぶんそれと似たような話なのかなっていうのを思ったりしました。
確かに確かに。 たかちん 確かに確かに。そうですよね。だから、AI全能界の人だけだったら、AIも発展しないと。AIを外から見て使わない人がいるからこそ、発展するっていう側面も絶対あるだろうし。それは確かにそうですね。
たかちん なるほど。ちょっとブログ関係で話ちょっとだけ水平展開していいですか。なんか今AIが発展したって話はあるんですけど、時間とともに。時間とともに私たちが老いたって話もあるじゃないですか。その中でソムさんがなんか、とか僕とかがこのブログの見え方について変わってきたみたいな話ってあります?
たかちん なんかこの若い頃のブログと、この年取ってからのブログみたいな。
たかちん そのいくつかあるんですけど、たぶん気軽さみたいなのは結構失われてしまったし、どう読まれるかみたいなところが重要視され過ぎているみたいな部分があるかなと思っていて、なんかとにかく昔は自分のブログスペースとかホームページ作って、誰が見に来るかわかんないけど、とりあえず文章置いておくのがなんか楽しいみたいなのはあったと思うんですけど、
たかちん もうなんかそういうところに面白みみたいなのは減ってきていて、っていうのは感じるのと、まあとはいえなんか僕はそういう読まれなくてもいいから自分のコンテンツを残しておくことみたいなのは余計大事に思うようにはなってきていて、
たかちん それこそ最近ってもうサービス終了しちゃうとそこに書いた文章が全部消えちゃうみたいなことがよく起きるから、よくでもないけどたまに起きるから。そうじゃなくて、なんかこう昔書いてた文章とかが残り続ける良さみたいなものを、なんかそこに結構昔は夢を抱いてた部分があると思うんで、なんかそういったところもまあ残ってるといいなっていうのは思うし、
たかちん ただ逆にもうだんだん人間の寿命、生物の寿命みたいになんかそのウェブサイトが消えてなくなっていくみたいなのもよく目にするようになったから、まあやっぱりその本当に永続的なURLみたいなものはこうないっていうか、ある意味幻想だったけど、まあだからこそどう長く保ちたいって思いを持ち続けるかみたいなのが大事になってきてるなっていうのはちょっと思ったりしています。
岡田 確かに。なんか他者から自分に変わっていくっていうのは、この華麗と共に起こる、なんか割と一般化できることなのかもしれないですね。なんか僕もすごい他者から自分に変わって、そのブログを書く理由が他者から自分に変わっていくっていうのは、なんでなんだろう。
岡田 若い…あるんですよ、実際に。で、昔は本当に劣等感と承認欲求の塊だったから、ちょっとでも的外れな、その時の自分が的外れだと思える指摘とかに対してものすごく怒りを覚えて部屋の中で震えてたんですよ、昔は。ムカつくぜっていう。
岡田 でもそれって、別にいいじゃんっていう、普通に。なんかその人の考え方を述べたに過ぎないし、その人の意見と自分の意見、その人の意見が正しいかその人の意見が正しくないかっていうのは、言葉の定義にもよるし、読み手の判断に委ねられるべきものじゃないですか。みたいなことをすごく冷静に考えられるようにもなって。
岡田 この他人にどう見られるかってことが、なんかちょっと変わってきてるというか。他人に見られる他者性が重要なのは絶対に重要なんですけど、今でも、僕のブログに関しては。でもそれはなんか、自分が承認されることではなく、
岡田 なんでしょうね。この自分がやったことをちゃんと形にして、どこかに置いたっていう自己満足?みたいなものになっているかもしれない。今のブログは。だから気持ちよくブログを書けるっていうのはあるかもね。他の人にどう読まれてるかとか、そういうことはあんまり考えずに。
岡田 今のユーチューバーの人も若いからさ、みんな。みんな赤くないけどさ、若い人も多いからさ。なんか多分、すごくひどいこと言われてる気もするかもしれないけど。意外と自分の劣等感とか承認欲求みたいなものが、その感情を非大化させてる可能性もあると、おじさんは思ってるよっていうことを伝えたいかな。
たしかに、そういうのはあるかもしれないですね。
めっちゃキレてたよな、僕。いろんなとこ噛みついてたもん。
岡田 僕はあんまそういうのなくて。というか、あんまり劇的にフォロワーが増えたとか、急にいろんな、晒されて攻撃されるみたいなところが少なかったので。
なんか自分が好きに文を書き綴ってたら、じわじわとフォロワーが増えて、なんか褒めてくれる人も増えて、みたいな感じだったので、そうですね。
あんまりそこに変化は、大きな変化は感じてないんですけど、ただ僕ブログ2つ持ってて、1つはてなブログで、1つは、こう、なんか、自分の個人のブログがあるんですけど、
はてなブログを2書く方は、結構ちゃんと、なんていうか、こう、読まれることを狙って書くみたいな、そういうことをやってるブログではありますね。
だからそっちに書いたら絶対、1万PV、100ブクマみたいなのは狙うみたいな、なんかそういう使い分けはちょっと、自分の実験としてやってるみたいなのはありますけど。
まあでもそうですね、若いうちやっぱり劣等感とか、そういう、こう、攻撃とかされちゃった時に、やっぱなんかその、どうしてもやり返しちゃうというか、やっぱそういう、すぐ攻撃されたって思っちゃうし、それによってそこの防衛反応的に、こうすぐやり返しちゃうみたいなのが、やっぱ、まあ、若い時はありがちなのかなっていうのは思っているのと、
あとなんかだんだんでも、その年齢を重ねていって経験積んでくると、まあいろんな人と会う機会が増えてくるから、たぶんそこがすごい分水嶺があって、たぶん会う人のパターンがすごい先細っていくパターンか、会う人がどんどんパターンが増えてくっていう、
たぶん分水嶺があるんですけど、会う人のパターンが増えてくと、じゃあなんかこういう考えもあるんだなとか、まあこの人は別に悪意を持ってこういうことをやってるわけじゃないんだなみたいに捉えられるようになると、たぶんなんかいろんなことが、まあ許容できるようになってくるし、まあある意味丸くなってしまって、勢いが減って、つまんないみたいなところがあるから。
たぶん。 おいおい、つまんないんだよ。そんなおもろいよ、ソンムさんも僕もまだ。
たぶん。 そうですね。まあでもなんか逆にそういうこう尖った部分みたいなものはまあそういう、なんていうかある意味こう視野が狭く肉食獣みたいにこう前を向いて突き進めるみたいな人にやってもらいたいなっていう気持ちはすごいありますね。
たぶん。 うんうんうん。 たぶん。 なんか人との関わりみたいなところがすごく今、自分もすごい実感したところなんですけど、僕なんか本当に冷静に考えると恥ずかしいんですけど、自分のブログ批判されたことでめちゃくちゃ覚えてる言葉とかもたくさんあるんですけど、なんかそれすべて、なんで怒ってたかって言ったら、なんか俺が無能な人間だと思われるかもしれないっていうことだったんですよ。
今紐解くと、今すべて裸になると、俺無能だって思われちゃうかも、バレちゃうみたいな、俺無能だからバレちゃうみたいな、そういうことだったんだと思うんですよ、今振り返ると。
で、この間、自作PCのブログを久々に書いたときに、これ全然嫌じゃなかったんで、その人の名前とかは全然覚えてないんですけど、確か値段気にしてる時点でどうこうみたいな、なんか性能とか言いながら値段気にしてる時点でどうこうみたいな、確かそんなコメントをいただいたんですよ。
なんかツイッターかハテブかなんかで。で、まあセンスないっていう意味なんですけど、要は。でも、なんかその人にそんなこと言われたかって、他の人にいろんな人にセンスないって言われても、自分と一緒に働いた人たち、自分と一緒にいろんなプロジェクトをやり遂げた人たちが、そうではないことを知っているからいいやっていう感情?
すごく自己肯定感?なんか劣等感がなくなったというか、こんなこと言われても自分の持っているこの強みっていうものはちゃんとあるっていう。そういうのが他者から得られたものとして残ってるっていう。そんな感じだと思うんですよ。
自己満足と成長
だから、一緒に働いたり一緒にプロジェクトをやり切るっていうのは、本当に未来に対して、なんていうか、自分自身の攻撃性もなくなるし、いろんなこと、いいことがあるから、他者と何かを成し遂げるっていう経験を30、40ぐらいまでたくさん持っておくと、許せることになりそうな気がする。特に今起こってしまうことがある人。
それはありそうですね。あると思います。やっぱなんか、自分が認めてる人とか尊敬してる人とかに認めてもらえたりとか、何か一緒に成し遂げた経験みたいなのがあると、それがもう本当自分の自信になるので、逆に別に全然関係ない人から、けなされようと、逆に褒められようと、それはあんまり自分の糧にはならなくて。
いくら承認してもらうにしても、誰から承認してもらうかとか、誰から褒めてもらうかみたいなところがすごく大事なポイントだなっていうのはすごく感じます。
だからなんか本当会社のプロジェクト以外にも、本当にいろんなことを誰かと企画してやったりっていうのを本当に若いうちにやっといたらいいんじゃないかな。今の僕たちもやるべきかもしれないですよね。もうちょっとおじいちゃんになったときのためにね。なんかもっともっと。
そうですね。 なんてことを、ブログ、1個ブログ書くだけでいろんなことを思いますね。こう歳をとると。 そうですね。まあでも本当にブログがあってよかったなって思うし、ブログは本当ずっと書き続けるんじゃないかなと思っているので、書き続けたいなって思っているので、そういう活動はずっとできるといいなと思っています。
ブログでもポッドキャストでもいいと思うんですけど、なんかそういう活動をしているといろいろな本当に気づきがありますよね。なんか、自分なんでこんなことで怒ってるんだろうとか、ものすごくイベントがすげえ速さでストリームしてくるんで、自分の心にアタックしてくるんで、なんかその自分の心の動きとかに気を向ける機会もすごく多くなるし、
なんか成長できるんじゃないかなって気がするな。 確かにそうですね。多分その弱さとか恐怖みたいなものと向き合うのってすごく大事だなっていうので、まあこの話多分すごく長くなっちゃうんでサラッとしかしませんけど、結局そういう多分無能だと思われたくないとか、弱さ、弱いと思われたくないとか、
なんかそういうところをちゃんとなんか自覚していくとこう変わってくる部分とか、まだでも僕自身もなんていうか多分できてない部分っていうのはすごくあって、でも実はなんかそういうなんかいろんな恐怖を人間は抱えていて、
で、なんか恐怖を感じないと良くないなっていうか、それこそ発信する怖さとか、そういったものもなんとなくどっかに持ってないと、それこそ本当にインプレゾンビみたいになっちゃって、とにかく字幕を集めることばっかりやりだすんで、
なんとなくそこになんかこう、まあ怖さをある程度感じといて、怖さを乗り越える勇気を持つみたいなのがやっぱ結構人間らしさなんじゃないかなっていうのを最近思ったりはしてる。
たしかにな。なんかそういうすごいインプレッションを浴びて、いろんな字幕にさらされて、その中で喜んだり悲しんだりして、感情がすごく浮き沈み起きてる人たちっていうのをインターネットでよく見るじゃないですか。
そういう人たちを見ても、なんか特にバカにしたりとかせずに、なんかこの人たちもこの中で学んでいくっていうような優しさを持ちたいなとか思ったりする。なんかこの、昔エガちゃんとかもいたりとか、あとはいろんなパニックみたいになってなんか結構炎上したりとかする人たちもたくさんいたけど。
橋小谷とかね。そういう人たちっていうのも、誰かと何かを成し遂げて大人になったら、もうそれはみんなノーサイドで。みんなもそういう時期あったんだからって思ってあげたいし、今の若い人のそういう、まあユーポタンとかさ。
なんかそういった、向こう見ずなものっていうのをちゃんと受けられる大人になりたいっていうのをすごく、ブログを若い頃やってたからこそ感じるみたいなこともあるかな。
それはすごい、いやめちゃくちゃ思いますね。なんか結局、ある程度周りに敬意を払って謙虚に生きようみたいなのって、なんとなくその経験があればあるほどそれに、なんかその、こうなんていうか、こう感じるようになってくるんだけど、なんか若口って別に周りのものの価値とかわかんないから、わかってないことも多いから、なんかその、そういったものにこう理不尽に感じるものも多いし、それについていろいろ噛みつくみたいなのも多いから。
でも別にそれは良いことで、なんかまあ僕らも昔そういうのすごいあったわけだから、なんかそういった人にどうやっぱこう、なんていうか、怒り駆動でもなんでもいいから世の中にこう勢いをつけてもらうことが大事で、なんかもう、こうある程度経験積んで丸くなった人がなんか、いや、こうちゃんと敬意を払わないとダメだよみたいなことを言いすぎるのはマジで良くないなっていうのをすごい思っていますね。
本当ですね。本当ですよね。老害になりたくない。ちょっと老害話になるとマジで盛り上がる節あるんで、一回AI話に戻し、時代の話に戻しますか。
おだしょー そうですね。そうしましょう。なんかこれはだいぶ話した気がする。ということで、一旦だいぶ話したんで、前半はこれぐらいにして後半に移っていこうかなと思います。ということで、一旦切りまーす。
ではまた。
43:07

コメント

スクロール