集団浅慮の防止策
組織を考えるメディア、オーガナイズ。このポッドキャストは、エールの篠田さんと山田で、組織を考える、捉え直す上で、我々が面白いと思った視点・観点をシェアしていこうという番組です。
では、篠田さん、今回もよろしくお願いします。 よろしくお願いします。
前回は、DEIからの集団浅慮の話をしてまいりましたが。してまいりました。
さんざん聴き遂げた上で、今回はちょっと防止策的なところから、ちょっと話を始めてみようかということで。
はい。 いいですか。 はい。お願いします。 じゃあ、お願いします。
前回、集団浅慮、「集団」で「浅」く配慮の「慮」、つまりちゃんと考えていない状態が集団として起きてしまう状況っていうのがあるよっていう、それを防止するにはっていうことを綿密に分析した集団浅慮って本があるよっていうところからお話をしました。
で、その防止策を構造的に解決するパートと、より個々の振る舞いとか心構えで防止するパートがあるよっていうふうにまとめてみたんですけども、もうちょっと細かく一個一個この本が書いてあるところを見るとですね、
結構やっぱり聴くっていうあり方と実際聴くっていう振る舞いがすごい大事ですって言ってんなっていうふうに見えるんですね。
で、例えば振る舞いの、個としての振る舞い側は割とそこが直結するのがわかりやすいかと思うんです。
例えば反対意見とか少数意見を受け入れてお互いに尊重し合う文化を醸成すると、これってまさにその聴く聴き合うっていうことそのものじゃないですか。
で、それはそうだなって思うんですけど、一方ですね、もう一個だから割とその姿勢に近いところで、やっぱりリーダーのあり方っていうのの中にその批判的な意見とか反対意見を歓迎する姿勢をリーダーがやっぱり明確に示してくださいっていうのも、
リーダー自身がやっぱり聴くっていうことを体現しているといいよねっていうふうに、これは読み取れるなと思いました。
一方構造側っていくとですね、例えばあの前半でもちょっと触れた、そのグループをまずちっちゃいグループに分けて議論して、で、後で結果を持ち寄ってそれを比較検討するっていうやり方を進めているんですね。
で、小グループに分けるって構造なんですけど、この小グループに分けて議論をするっていうことは、お互いの話が聴きやすくなるっていう設計だと思うんです。
よくあの、皆さんも経験されたことあるんじゃないかなと思うんですけども、ワークショップとかで全員で集まって話を聴いたり意見を出し合う時間と、
なんかお隣の人と話してみてくださいとか、テーブルで4人で話してみましょうっていうことを交互に繰り返すようなワークショップを経験されたことあるかなと思うんですよね。
で、その時の思い出すともう体感的に分かるんだと思うんですけど、特にやっぱり2人とか3人だと話しやすいじゃないですか、意見があった時に。
とか、出来上がったこうちゃんとこう文章になってない、「っていうかさ、例えばさ、こういう感じの」「あーあるあるある」みたいな、そういうこうやり取りができるのってやっぱり少人数ですよね。
で、それって今例で出したような話し方ができるっていうことは、それを聴いてくれるっていうふうに私たちは無意識だけど思えるから話す。
逆に言うと、少人数だったら残り2人が聴いてるかなっていうのは見えるんで話しやすいんだけど、大部屋に戻ってみると相手が40人だと、みんなが聴いてるかなってすごい感じにくいから話しにくくなっちゃう。
なんかね、こういうことなんじゃないかなって私は思うんです。だからこの小グループに分けて議論って、すなわち聴いてもらえる状態を感じやすいっていうことだなって思いました。
あとね、構造で言うと外部の専門家とか第三者の意見をちゃんと積極的に入れましょうなんですけど、これ悪口言うつもりはないけど、これでよく政府とか公的機関っていわゆる専門家とかって入れるじゃないですか。
聴いてるのかなって思いますけどね。でも本来の意図はそういうこう全く違う背景の人に加わってもらうことで、それはマジョリティ側がそういう人の意見をまさにwithout judgmentで聴こうねと。
聴くっていうことがあって、初めてこの第三者の意見を取り入れるっていうことが成立するわけなので、ここも聴くめちゃめちゃ大事だなと思っていました。
なるほど。
集団浅慮っていうのはインクルージョンの効果っていうところの補助線として置くと、インクルージョンを実現するのに聴くって大事ですよねっていう理解でもいいし、
要はいい意思決定をしたいわけだから、集団浅慮を防ぐのには聴くっていうのが大事で、何でかっていうとそれは要はインクルージョンっていう状態を作ることだからっていう、こういう順番の理解でもいいかなと思うんですけど、密接だなこれっていうのが私の受け取りだったですね。
そうですね、今のところ当たり前なんですけどすごい大事だなって思うのって、あくまで基本的に我々経営する中での話を、特にエールの事業では関わらせていただいてますよねっていう時に、インクルージョンそれ自体は大事だよねって話と、それと別により質の良い意思決定ができるっていう要素としてインクルージョンというものは大事だよねっていうのって、とても密接だけど、当たり前なんですけど結構大事なところだなって感じがしますよね。
質が上がる上で、少数意見、異質の意見もちゃんと耳を傾けられることで、結果意思決定の質が上がりますよねっていうのをしてるっていうのが、前回と今回含めて当たり前すぎる話ですけど、すごい大事なところなんですよね。
そうですね。過去の回で、宇田川元一さんの企業変革のジレンマの話を、私が散漫だけど熱くしたことがあると思うんですけど、あの本の主題はやっぱり変革とは対話である。
これも多分今の山田さんのまとめととても近いことを言っていて、あの本は聴くという言葉を使わずに対話って言ってるんだけど、対話の一要素として多分聴くがあるっていうふうに解釈するならば、すごい近いことを言っているんだと思いますね。
社内の部署とかが違って、お互い違った景色が見えてるために、なんか変革がうまく進まない、途中で止まっちゃうっていうような状況に対して、その対話を通してお互いの持っている枠組みを受け取り合って擦り合わせて新しい枠組みを作って、
その枠組みで現状を見ると一緒に解決ができるよねっていう、こういう話だったので、これとその集団浅慮って言ってることっていうのはかなり近いなっていうふうに思いました。
「忙しいんですよ、時間がない」というワナ
ちょっとこの集団浅慮の話から一瞬離れるんですけど、クライアントの企業の方と話してたり、普通に第一で聴く大事ですよねみたいなことを私に言ってくださる方が結構な確率で、いや大事です、大事まではもうみんなわかってる、ノーダウト。
でも忙しいんですよ、時間がないっておっしゃるんですね。で、よくわかります。私もそう思う。私も暇ではないから、めっちゃそれで今聴いてる時間ないんだよなっていう感じは私も持つんですよ。
で、そこに関して、これまではそうですねと申し上げた上で、でも長時間聴かなくても本当に3分とか耳を傾けることでもゼロよりは遥かに聴くことによってもたらされる価値っていうのは享受できるのでって言って、
私の考えとかお伝えしてたし、自分もそういうふうに思ってきたんですけど、集団浅慮の話をちゃんと自分が理解しにいったときに、ああって思ったことがあってですね。聴いてないから集団浅慮になるんじゃないのって。
つまり忙しいって聴かないっていうこの状況が集団浅慮を生むんじゃないですかっていう。そっちにちょっと可能性として気がついたんですよ。で、そう思ってこの集団浅慮の防止策っていうのを改めて眺めてみると、まあ時間がかかる話ばっかり確かにしてるんですよね。
さっきの小グループに分けてまず議論して、後で結果を持ち寄ってとか、外部のご意見を入れてとか、前の回でちょっと例としてあげた、あえて反対意見を言う係をやるとか、全部話し合い時間が長くなる。
そうですね。
打ち手ばっかりなんですよ。
そうですね。
だから、っていうことは、忙しい時間がない、聴く時間がないって言ってるっていうことは、その事業としてあるこう、何て言うんですかね、情報を集めて分析して意思決定するっていうこのプロセスが高度に型化された状態でおそらくあって。
で、それはやっぱりその事業とか外部環境がその型ができた時点と変わらなければものすごい生産性が上がっていくので、それをたくさん大量に回すっていうことで事業を進めるっていうこういうことを皆さん頑張って研ぎ澄ましていくんだけど。
はいはいはい。
それが当然のペースだっていうふうに思っちゃうと、この集団浅慮の防止策って全部まどろっこしく思えちゃうんですよね。
そうです。余計に時間かかるじゃないかと思うんですよね。
そうなんですよ。聴くって時間かかって困りますもん、これ同じ文脈の話じゃないかっていう疑い。
はいはいはい。
もう過去の成功体験でしかない情報収集の仕方、分析の仕方、話し合って意思決定するっていうこの一連の行動がすでに現状と合わなくなっているにもかかわらず、それを繰り返す。
でも現状と実は合ってないから意思決定がずれたり間違えるんですよ。で、そうするとミスが起きるとか、予期せぬ思わしくない結果が起きる。そのトラブル対応でまたやる。
はいはいはい。
っていうことを繰り返してどんどん忙しくなって自分の首絞めてるんじゃないんですか、っていう。だから逆に立ち止まって時間をかけて聴くっていうことを、から始める。
はいはいはい。
そうやって集団浅慮を防ごうとするっていう捉え方の方がこの聴くっていうことに関して時間がないからできませんっていうのに対しての、
新しい私の見解と回答がちょっと仮説としてね、どうですか。少なくともこれが私が真実だっていうふうにそこまで強く言いきるつもりは全くないんですけども。
はいはいはいはい。
「技術的負債」の構造と似ている
これ自分も含めて投げかける仮説として、ちょっとこれあるかもなって思っちゃった。
最後のお話、技術的負債の話とすごい構造そっくりだなって今最後伺って聴いて思ったんですけど、
エンジニアリングで僕は自分ができないですけど話を色々聴いてる中で、結局負債をゼロにするって絶対できなくって、何かしらやっぱり状況は変わるし、ちょっとずつ溜まっていくものだよねっていう。
技術負債っていうのは過去開発した何かが今は使えないとかそういうやつですか。
そうですそうです。何か新しいものを作り出そうとした時に、当時想定した設計としては十分だったけど、例えば規模がもう変わったから、
もうあんな昔のフレームの上に乗っけてたら、もういちいちもう何か新しいものを作り出すたびにすごい大変みたいなことが結構起こりますよねっていう。
なるほどなるほど。
じゃあ元々なんかじゃあそもそもの全体の構造を変えなきゃいけないよねみたいなことで、抜本的にもうその負債を一気に解消しにいくみたいなことも、
それやんないと結局新規開発の効率が悪くてしょうがないから。
とにかく抜本的にやるみたいなことが、選びづらいんですよどうしても。
みたいなことって結局、ちょっとずつ溜まっていくものをどうやって解消するかっていう時に、一遍に全部やるのと、日々ちょっとずつやるっていうのって、
理屈で言ったら日々やった方が絶対にいいに決まってるんですけど、忙しいし、新しいものすぐに次に取り掛かるものいっぱいあるし、
目の前でフィックスしなきゃいけないバグがあるしみたいなことって、ちゃんと対応し続けるっていうことのリソースを取られるがゆえに、
本当は抜本的に直したいみたいなものに、時間と意識をエンジニアが向けられないみたいなことって。
っておくのが、聴くができてるできてない、集団浅慮の話と一緒で、負債としてちゃんと聴けてない状態がすごく溜まっているがゆえに、
一個一個で細かいコミュニケーションロスがたくさん発生し、いちいち手戻りが起こって、いちいち対応できるみたいなこと。
で仮に、できるかどうかわかんないですけど、そもそも本当に深く対話をする時間を取って、お互いに聴き合うことをちゃんと時間を取れたとしたら、
細かい意図の違いとかちゃんと全部わかって、何がずれてて何が一緒なのかとかわかった上で、本当にいい状態に戻ってみたいなことができるとしたら、リセットできる感じあるじゃないですか。
なんか構造上すごい似てますね。
似てますね。その技術負債と構造が似てるっていうのめちゃ発見だな。本当そうですね。
聴き方の選択肢があるってすごいこと
すごくその、なんていうのかな、意図をお互い聴くみたいなことも、ある種貯金みたいなものだなっていうのが今お話に浮かんでて、技術負債とセットで思ったのは、
やっぱり例えば僕は篠田さんと4年とかぐらいご一緒してて、たくさん話してきたからこそわかる、ほんの一言の意図の、
多分こういうこと言いたいんだなみたいなことがあって、たくさんこれまで話をお互いしてきたか故にできる解釈が僕は多分あるよねみたいなことって、
結構その積み重ねた、聴き合うことをやってきた時間の総量によって結構担保してる感がある気がしてて、
仮にそれがなくて4年とか一緒にお仕事させていただいてたとしたら、いちいちなんかわかんないみたいなことで、
毎回篠田さんにちょっとこれもう一回ちょっと聴いていいですかとか、みたいなこととかって、
なんかその貯金があるから、一個一個のコミュニケーションの速さがすごいあるんでしょうねっていうのって、
なんか蓄積大事だなっていう話な気がしたんですよね。
そこがイエス、however、それが集団浅慮のまた温床になるっていう、ここなんですよ。
だから本当なんだろう、今山田さんが私との関係で例に言ってくださったことがダメだっていうつもりは全くなく、
伝えることに良い面と影があるとすると、その影の一つに集団浅慮があり得るっていうことをやっぱり知っておくっていうのがめちゃめちゃ大事。
そこにもう初めましての人がやっぱり入って、
2人がはいはいって言うとははははとか言ってるけど全然わかんないんだけどって言ってくれて初めて言葉にして、
言葉にしてるうちにあれ?ってなったりする。
っていうのが、こうやってポッドキャストで仲良くおしゃべりしてる分には全然別に浅慮でいいんですけど、
重要な意思決定の場面ではそれがリスクかもねっていうふうに。
そうですね。確かに。
本当我が身を振り返るね、この話は。本当そう思ってました。
自分だぞってちょっと。
そうですね。
もう一個今の話も、途中さっきの話聴きながらも思ってたんですけど、
聴き方の選択肢を持ってる方ってすごいんだなみたいなことを思ってる感じがして、
月1回の15分の1on1でできる会話と、
ちゃんと90分とって対面で腰を添えて話をする時にできる会話ってすごい違うじゃないですか、みたいなことが。
これが違うんだなっていう感じを持って、
今この状態の時にどの聴き方、どのフォーマットで話をすると一番いいんだっけみたいなことを、
ちゃんと使い分けてる経営者の方と話をしてると、さすがだなって思うことがこないだあって。
たくさん喋ってるからとか、日々たくさん仕事で一緒にしてるからとかっていうことではなくて、
どのモードでどういう質感の話をちゃんとできてるかみたいなことの感度を持ってそれを選ぶみたいなことってすごい大事だなって感じがして。
なんかそれが集団浅慮とどこまで繋がるかわかんないんですけど、やっぱその、
和やかに楽しくいい議論ができるっていうのはとてもいいことであるっていう話と、
それの危うさをちゃんと一旦認識できるみたいなこと、選べるわけじゃないですか、
みたいなことの、会話の質感とか中身とかの触れ幅というか、
グラデーションみたいなことの感度をどれだけ持ってるかすごい大事なんだなっていうのを、
この間その経営者の方の話聴いたのと、きょうの篠田さんの話を聴きながら、
この触れ幅への認識みたいなことすごい大事なんだっていうのが、
結構エールの事業でやってることの大事な観点だなってきょうの話聴いてて思ったので。
無意識に起こる最適化
いや本当ですね、本当ですね。今の点は、私もエールで学んで、
櫻井さんが『まず、ちゃんと聴く。』の冒頭に書いてあった話ですよね。
その、without judgmentで聴くが大事っていう主張ではなくて、それもできるようになる。
打ち手が増えれば対応できる、適切に対応できる状況が増えるよねっていう。
ことのある種、経営者としてのすごい高い水準でなさってる方だったんですね、その方がね。
そうですね。その点みたいなことが、集団浅慮でさっき篠田さんが、
僕らがいろんなことがお互いに通じ合うがゆえにショートカットできる面と、
むしろそれが危うさをはらむこともあるよねっていうのを、ちゃんと自覚できてるかいないかっていうことで。
たくさんいつも喋ってるから大丈夫だよって話じゃなくて、
ちゃんと聴くべき話がちゃんとできてるのかっていうこと自体をちゃんと自覚するみたいなことって、
構造上すごい似てる話だなってことですね。
本当そう思います。
今の話、そろそろこれ終わりにしていくんだと思うんですけど、
ぐるっと回って、やっぱりこの構造で解決しようとするアプローチってすごい大事だなって思うんですね。
そこには例えば違ったメンバーになるっていうことも、構造で解決の一つなんだと思うんです。
これは私、社外取締役をやっているんですけど、そこでやっぱり新しく就任された方々が入ってきて、
それでやっぱり雰囲気が変わった。
今回は特に女性が増えたんですよね。
私も女性で、多くのビジネスの場面って少数派なものですから、それがほぼイーブンになったんですよ、今回。その時に、
本当に肌感覚が違って。
そうなんですね。
なんかね、話しやすいんです、私はね。
ちょっと他の方がどう感じてるかわかんないけど。
だから、別に今まで意識して遠慮してたとも思ってなかったんだけど、
これを経験してみて初めて、こっちの方が発言しやすいっていう実感があって、
これは知らなかったなって思いました。
それぐらい無意識で集団浅慮のようなことも起きてしまう。
なるほど。
っていうことでもある。
それぐらい私たちってコミュニケーションに関しては、無意識にその場での最適化を本当につい図ろうとしちゃって。
考えたのに言えないとかでもないけど、考えもしなくなっちゃう。
新しい意見を。
その場に合うことしか考えなくなっちゃうっていうのが、私たちなんだなって。
最後は改めてそれは言葉にしておくの大事だなって。
だから聴くっていうことをこっち側が一生懸命して、初めて出てくる意見っていうのがやっぱりあるっていうことなんだと思いました。
本当無意識なこと多いですねっていうのは、それだけでまたたくさん喋りそうな感じがするので。
じゃあまた次の回か今後の回で。
どっかの回でできればと思います。
ということで今日はこの辺で終わりたいと思います。
今回もありがとうございました。
ありがとうございました。