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2025-04-09 24:45

vol.24 メタ認知は難しいと知るだけでも。一人でできる「聴く力」を鍛える方法

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自分では「聴けている」と思っているけれど、あり方としては全然そうではない人に、言葉で、聴くことの大切さをどう伝えればいいのか? ――最近、篠田さんが講師として関わったいくつかのワークショップで、あらためて考えさせられたそうです。確かに、多くうかがう上司へのお悩みのトップに入るテーマです。

では聴くことについてすぐにわかって体現する人と、まったく伝わらない人の違いはどこにあるのか、という問いかけから始まり、ベストセラー『小澤隆生 凡人の事業論』に出てくる言葉との共通点にもふれつつ、じゃあお互いどうやって「聴くこと」を身につけてきたんだろう、と2人で振り返り。

そこから、山田さんが結果的に「聴く力」を鍛えてきた道のりが初めて明らかにされました。「これ聴いた人はお得な情報を聴けたんじゃないかと、勝手にすごい私は喜んでいます」と嬉しそうな篠田さん。たしかに。聴くとは深い自己理解と他者への想像力から生まれる行為なのか……とあらためて感じ入る対話です。

■ お話に出てきた本

小澤隆生 凡人の事業論

サマリー

このポッドキャストでは、聴く力の重要性やそのメタ認知について考察し、具体的なワークショップの事例を通じて聴く行動の理解を深めることを目指しています。また、聴くことのスキル化とその実践の難しさにも触れています。このエピソードでは、メタ認知を活用して聴く力を鍛える方法が議論されており、自己理解を深めることが他者の理解にもつながる点が特に強調されています。

最近、ワークショップで感じていたこと
組織を考えるメディア、オーガナイズ。このポッドキャストは、エールの篠田さんと山田で組織を考える、捉え直す上で、我々が面白いと思ったコメントや視点や観点をシェアしていこうという番組です。
篠田さん、今回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回はですね、今まで散々聴くとかいう話をしてきたんですけれども、聴くって、そもそも聴く力とかって何なんでしたっけ? どう捉えるんでしたっけ? みたいなことを、改めてちょっと考えたい、喋りたいという感じが篠田さんの中にあるということなので。
そうなんですよ。このポッドキャストでも、いろんな本を引用しながら、聴くって、without ジャッジメントだよねとか、あり方だよねとか、肯定的意図を取ることだよねとか言ってきてるんですよね。
で、ここ1ヶ月の間に、たまたま複数の場で、聴くっていうことを私講演するだけではなくて、ちょっとお時間いただいて、実際ちょっとワークショップ的に聴くっていうのをちょっとやってみましょうっていうことをやらせてもらう機会があったんです。
そこで、本も読んでます。一生懸命聴くっていうことを意識して部下と向き合ってます。聴くって本当に大事だ、もう分かってます。分かってるけど難しいんですよねっていうぐらい関心を表現されてる方々に、このワークショップをやった時に、ちょっと笑った、ことじゃないんですけど、
うまくいったっていうか、ご本人が気がつかれた事例でいくと、今まで自分がやってたのは、私たちがここで言ってる聴くとは全然違ってたわーって、びっくりされるケース。
あと同じぐらいあるのが、私から見ると申し訳ないけど、そのあり方、振る舞いを見ると、その奥にあるあり方を察するわけなんですけど、私がここまで1時間の講演でお話ししてきた聴くとはだいぶ違います。
ご自分では気がついてない?っていうのに、結構事例として直面をして、言葉で聴くってこういうことですよってお伝えすることのめちゃくちゃ当たり前ですけど、限界っていうのを改めて知ったんです。
でも、一方で、例えばエールのメンバー、サポーターの皆さん、聴くっていうことを本当に体現されてるなっていうことを、方もたくさん私知ってるし、きっとコーチングとかカウンセラーの方もそうだと思うんですよね。
皆さん、生まれた時からそうなわけないから、どっかでちゃんと学んでるし、聴くってこういうことだっていう水準感みたいなのが、そういう方とお会いすると共通理解としてあるなっていうふうに感じられるわけですよ。
私がワークショップをやって、聴くっていうものをすごい勘違いしてたと気がついたり、気がつくこともなかなか至らない方と、でも一方で分かって体現できてる。
この差はどうやって生まれるのかとか、どうやったら埋まる、全社の方々がよくできるようになるって、どういうことなんだろうっていうのを改めて直面してしまいまして。実際セミナーとかでも、私は聴くの大事だと分かっているけれども、会社の経営者が上司が分かってくれないとか、上司は聴こうとしてるのかもしれないけど聴けてくれなくて、
それに対してどうしたらいいか分かりません。ご質問よくいただくんだけど、それに私やっぱり今までちゃんと答えられてなかったなという思いもあり、ちょっとここで山田さんにどう思いますっていうのを聴いてみたい。
そんな感じです。
身体知じゃないですか、ある程度。理解できれば自転車に乗れるわけではないのと同じく、頭で分かったりとか、説明を聴いたからできるものじゃないですよねっていうのって、プレゼンとかだとできなくて当たり前な感じがするんですけど、聴くだとなぜかできちゃいそうな感じがするっていう不思議がありますよねっていうのは。
なんかありますよねっていうのは、今聴いてて思ったんですけど。
できてる感じがする。
そうだよね。
できてないが分かりやすくないってことなのかなって、今聴いててとりあえず思ったんですけど、篠田さんがどういうふうに捉えたのかなっていうのをぜひ。
そうなんだよな。
耳に入ってますもんね、音はね。
とか、聴くための研修を受けたりすれば、口を挟まないとか、相手にしっかり注意を受けるとか、っていうのは頭に残ってるから実践も意識的にされてるじゃないですか。
一つこうかなって思う仮説、これってどうしてなんだろうって、不思議っていうところがあって。
仮説としては、例えば上司部下の上司役とか、あるいは何らか専門家として話を聴きます。
医師でもいいですし、経営のアドバイスをするみたいなことでもいいのかもしれないですけど。
そういう時ってやっぱり、正しいこと、良いこと、相手にとって価値があることを言わなきゃっていうマインドからはどうしても逃れられないから。
without ジャッジメントの聴くっていうあり方に自分をスイッチさせるのはめちゃくちゃ難しいですし、多分その役割で成功してこられた人は本当の意味でwithout ジャッジメントの聴くって、経験したことない。経験したこともないものは欲しがれないし、わからない。
わかってないと、経験したことがないということも認知できないから、自分が正解を出すことが期待されてる、だから自分は信頼されてるし、お給料、お金ももらってるよねっていうフレームのまま、聴くってこういうことですよってコンテンツにいっぱい沢山触れても入っていかない。
それがうまくその方の何か状況とフィットしたときは、私がやる本当に短時間の簡単なワークショップでも、あ、違った、つい助言したり、しようとしてしまう自分っていうのに気がついて、それじゃないんですねっていうふうに気がつきましたっていうことを言っていただくから、その「役割を果たす」っていうことの枠組みの強さが難しくしてるのかなっていうのは仮説としてあります。
もう一個で、私がちょっと何でだかわからないなって思っている部分は、エールで言ってる聴くとか聴けるってエールの中だけではなくてエールの外にも結構通用する話で、そういう方同士で出会うとお互い聴けてますよねってわかるし、聴くってこういうことですよねってその人たちの言語感はお互いめちゃくちゃ響き合う。
わかってる人同士も、そうみたいになるし、あなた聴けてる人ですよねっていうのがお互いちゃんと割と短時間に認知が、共通認知が形成される感じがするんです。
この後者がなぜ起きるんだろう、何が起きてるんだあれは。と二つ思いました。
小澤隆生さんの「やり切る」と構図としては同じ?
後者のは確かに感覚的にわかるんですけど難しいですね、確かにこの感覚的な何かを説明するの。
何ですかね、それは。
何かに似てますかね。
何ですかね。
確かに、一つ目のにも通じる話じゃないかなと思ったんですけど、自分がやったことがあることと、自分の体験を語れることが、
その肌感と自分の理解が揃っていると結構違和感なく人に説明ができるんだなって感じはするんですけど、その身体感覚があるかないかみたいなことっていうのはやっぱりあるんだなって感じたんですけど。
なんかでも、その上で難しいなって思ったのは、この篠田さんのお題にすごい戻るんですけど、言葉でそれを伝えるって本当に難しいですねってすごい当たり前なことで、
この聴くことができているという肌感みたいなことって、なんか体験するとわかる感じと、体験しないと説明では難しいなっていうのは確かにありますね。
そうなんですよね。あと体験した者同士は、割と短時間と少ない言葉で、この人、私と同じ感じでわかってらっしゃるって、通じ合うのも不思議。
もしかしてこれちょっと似てるかもなって思ったのが、ビジネススキルの中で、例えばそのやりきるとか、表現としてやりきるっていろんな職場で使われるんだと思うんですよね。
ただ、それが実態としてどういう行動なのかとか、その時の自分の頑張った感とかってどれぐらいなのかとかって、すごい千差万別になっちゃうんですよね。
それを感じたのが、最近、ヤフーの社長直前までなさってた小澤隆生さんっていらっしゃるんですけど。今は自分のファンド立ち上げてきた。
彼の『小澤隆生 凡人の事業論』っていう本が最近出たようで、この本自体本当に読みやすい上に内容がちゃんと薄めてない感じで、よく書けた本だなと思ったんですけど、今日のこの話に何がつながるかというと、
ちょっと正確な表現がずれてるかもしれないですけど、小澤さん、調べまくるとか、執行の時にやりきることがすごく重視されてて、それが成功のもとになってます。これを様々なこれまで携わった事業の事例で話してるんですよね。
この本の優れてるところは、メインのところはインタビュアーと小澤さんの掛け合いのように書かれているんですけども、章ごとに小澤さんと一緒に仕事をした起業家が小澤さんを語る。あるいは、こういうふうに小澤さんから学びましたっていうエピソードが間に挟まるんですよ。
そのエピソードが、割とことごとくそこまでやるんですか?っていうのを小澤さんと一緒に仕事をして、知って体験して、それが自分の成功体験のもとになって、そうやって学びましたっていう話なんですね。
小澤さんと仕事するまでもそういう方々ですから、相当いろんな意味での実行力みたいのは、普通のサラリーマンとかより高かったはずなんだけど、彼らが小澤さんと仕事をして、やり切るってここまでなんですね。調べまくるってここまでなんですねって体感的に知っていった。
これなんか、聴くっていうことが口で言うとわからないけど、経験するとわかるっていうことと、ちょっと似てる気がして。やってることはめっちゃ愚直なんですよ。このプロダクトが売れるかどうか、リサーチデータもないから、とりあえずポテンシャル市場に聴きまくるみたいな。
例えば、それの量とか、この期間でやるみたいなのがちょっと尋常じゃない感じがする。
構造でいくと、エールの事業でやってる中でも、サポーターに聴いてもらう機会を作ると、お客さん側の喋ってる側の方、プレイヤーと呼んでますが、その方々も聴いてもらう機会を持つことによって初めて、ああそういうことねって分かって、それが分かると自分でもできるようになっていくみたいなことって、構図としては同じことが起こってるよねっていうことですよね。
はい、構図として同じことが起きている。
私がまだモヤっとしてるのって、聴くっていうのが、そういうタイプのスキルだと認知されてないっていう話でもあるし、
あわせて他の、例えばこの小澤さんがやり切るとか調べまくるって、本読んだだけの人がそうだそうだって言って、ちょっとやる。じゃあ全然小澤さんの水準にはいかないんだと思うんですよね。
それは小澤さんともしお仕事ができたら、えー、それですかって、すごい私驚くんだと思うんですよね。だからビジネスのスキルってそうだっていう、一般認知も弱いのかな。
そうじてそうかもしれないですね。
そうじてそうかもしれないっていう、なんかこの2つに問題がレイヤー化、なんか分かれるのかもって、ちょっと思っている感じです。
そうですね。あと今のお伺いしてて、さっき言ったことにも改めて戻ってくるんですけど、その自分がうまくできてるかできてないかっていう認知を自分でしづらい系のスキルですよね。
プレゼンテーションでうまくできてるかどうかって自分でも結構わかるじゃないですか。
録画とかがあるからね。
そうですね。録画もあるし、なんかその場の自分が発するというものによって、自分の行為の良し悪しみたいなことってある程度、すごく上手かそうじゃないかとかあれかもしれないですけど、
うまくできてないか普通にできたかぐらいの違い、結構自分で肌感でわかるじゃないですか。
聴くって、その自己認知結構難しいやつですね。
一回できるようになった人が、今はすごいジャッジしちゃって聴けてなかったって振り返りはできる感じがするんですけど、
それは別に篠田さんでも別におありじゃないですか。いやちょっとこの場面では聴けなかったみたいなことはいくらでもある。
っていうのの認知がなんかより難しいのかもしれないですね。聴くっていうスキルのあり方とか態度とかっていうのは。
スキルとかと似てるんですかね。みんな自分は考えてない人いないから、考えてますかって言ったら考えてるんですよ。
だけど実際にさあ考えてって言った時に頭の中で起きてることが何なのかって、みんなどんぐらいやってるのかなって思うんですね。
「地下1階、地下2階がまだあるねって思ってる感じ」
考えるは確かに近いなと思ったのは、構造化して考えることが慣れた人って、
それができてる時の自分とできてない時の自分を認知できるじゃないですか。
とっちらかってるな、いまって思ってる場合と、ちゃんと道筋を立てて構造作れたなみたいな場合とかっていうので、
そこに至ってない人は多分その差分がわからないよねってなりますよね。
そうですね。
聴くも多分、より深く相手の意図に耳を傾けることができる状態の自分をある程度肌感でわかっている人だと、
この瞬間はすごい聴けなくなってすごいジャッジしちゃって反論しちゃったっていうのが認知できるようにみたいなことも。
確かにメタ認知しづらさみたいなことを考えるのもいいかもしれないですね。
メタ認知しづらい、だし、それでいくと、自分もなんだけど、
山田さんはメタ認知が難しい、この聴くっていうご自身の力とかあり方って、
どうやって鍛えてきたとか、こうやって自分が聴けてるっていう水準感を得るようになったよって、どうですか。
どこからですかね、それは確かに。
経験でいくと、僕、人事採用とかそれなりにたくさんやったので、
人と1on1で話をしながらその人がどんな人かを聴くっていうのは、多分数はそれなりに一般の人より多くやったんだろうなって思います。
場数で言うとやりましたねって感じはあるんです。
まぁ前よりは多分鍛えられたんだろうなって感じはするんですけど。
何ですかね。
どこですかね。自分のことを、どっちかっていうと聴かれて思いましたけど、
自分の中のことを喋れるようになったことと相関してるのかもしれないですね。
この辺のことを自分の中の、もうちょっと深い部分みたいな何かを語れるようになると、
あなたにとってその部分って何?という問いが出せるじゃないですか。
なるほど。
どっちかっていうと僕は経験としては多いかもしれない。
それは、
without ジャッジメントなあり方と、
どう繋がるかって、あえて言葉にしてみると、自分の中の解像度が上がるっていうことと。
そこには違う何かがあると思って聴いているので。
相手に違いがある。
何かその差分はあるよねって思って聴いているのと、
階層が雑に深くなっていくとした時に、表面で違うこと言ってるなっていうジャッジの話じゃなくて、
ジャッジすることももちろんあるんですけど、そこは何か違うなって思ったとしても、
その奥にでも本当はまだありますよねっていうのを。
なるほど。
階層構造あるよねって思っていると、できないことはもちろんあるけど、できるときは、
この階層では違うなって思ったけど、そこはジャッジせず
その下にあるのなんだっけっていうのを聴いていくっていうのを、
地下1階、地下2階がまだあるねって思ってるっていう感じがあると、
ジャッジしないっていうのが発想しやすいのかもなって感じかもしれないです。
今のはすごい、これ聴いた人はお得な情報を聴けたんじゃないかと、
勝手にすごい私は喜んでいます。
何でかっていうと、おそらく自己理解を深めていく道のりの中で、
誰かに聴いてもらったっていう経験も、決してゼロではない。
きっと山田さんおありだったんだと思うんですけども、
何らかの方法で、自分の自己理解の深さ、その価値観とか、
本当の自分の本源的な感情みたいなところへの理解が深まると、
他者もそうであろうっていう想像が働きやすくなる。
その想像を働かせるっていうことは、このオーガナイズで言ってる
聴くっていうあり方に、そのルートから近づけるよって言ってるわけですよね。
環境的になかなか聴いてもらう、良い体験、聴いてもらう時間っていうのが、
なかなか得られないなっていう状況の方にとって、
今の山田さんのルートっていうのは、少し自助努力ができるかもしれない。
一つのルートなのかなと思って聴いてます。
メタ認知って難しい、と知るだけでも工夫しやすくなる
そうですね。たぶん一定、僕はそういう思考をするのが
わりと好きな方だったっていうのは、たぶんあるなっていうのは、
そのルートが強化されやすかったなと思ったのと、
たまに一方で、あえてパッと出なかったんですけど、
いろんな場面でそういう人に質問をしてもらったとか、
その場面があったことによって、自分の今までにないところを
何か探り当てることができたみたいなことの積み重ねだったんだろうなって思うと、
やっぱりその積み重ねだったのかなという感じも、たぶんどっちもあるんだなって思いました。
そうやって経験を重ねて、聴くってこういう感じよねっていうことを、
身体知として獲得してきた山田さんが、
例えばエールの櫻井さんがいました、須賀さんがいましたっていうときに、
お互いにそうそうそうっていう感じになっていったんですか。
そうですね……自分よりも深く、上手にと言うと変ですけど、聴くというのが体現できてるなっていう、そこの
解像度は上がりますよね、何かできるようになっていくと、
っていうのは確かにあるかもしれないですけど。
なるほどな、面白いですね。
何らか方法はあるし、当たり前だけど、どんなスキルもそうだけど、
それを身につけるやり方って一つではない、
いくつもある。
ちょっと答えはうまく出ないんですけど、でもやっぱりこの、
メタ認知、自分が聴けてるのかっていうのが、メタ認知しにくいやつだよね、って
知るだけでも、何かやり方の工夫がしやすくなるなーというのは、
話を戻してやっぱり思いましたし、途中で私がポロッと言った、
考えると似てるかもっていうのも、もしかしたら人によってヒントになるかもしれないですね。
その捉えづらさみたいなのがあるってことは、
分かってるだけでも、自分が本当にできてるんだっけっていうこととか、
どこまで理解というか、分かってるんだっけっていうのを
向き合う時に一つ大事な観点になるかもしれないですね。
簡単に私聴けてますからとは、そんなに簡単に言わなくなるかも。
最後に身も蓋もないこと言いますけど、
本当に聴けてる人って、私聴けてますって思わないですよね。
そんな簡単じゃないよなって思ってるんで。
私聴けてますって思う人ほど、ちょっと怪しいぞ感はありますよねっていうのは。
身も蓋もないですが、今日の話には。
今、個人として聴くっていう力をどう認知するんだろうっていうことを話してきたんですけど、
実は私の興味の本丸は、それもあるんだけど、
これが組織のスキルとして実現するっていう世界があるはずだと思っていて、
そこに行くにはどうしたらいいんだろうっていうのを、実はすごい考えたいんですよ。
すごく篠田さんっぽいですね、ど真ん中っぽい。
次回その話を少ししてみたいなと思っております。
次回予告までしていただいたところで、今日はこれぐらいで、今回は終わりにしたいと思います。
ありがとうございました。
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